喧嘩は、ないない!1仙京のとある一日。
南陽将軍こと風信の、神武殿をも揺るがすほどの怒声が響く。
「くそ!!馬鹿にするのも大概にしろ!!」
「お前は頭が硬すぎる!!馬鹿を馬鹿にして何が悪い!!」
南陽将軍に対するのは、玄真将軍こと慕情。二人は暇さえあれば喧嘩することで有名だ。
その喧嘩は素手の殴り合いで終わるときもあれば……
「おい、そこに立ってろ。お前のその減らず口を黙らせてやる」
風信は手に法器・風神弓を握り、その特別な矢をつがえて狙いを定めた。
「ふん、上等だ」
向き合う慕情も、その手に鋭く長い法器・斬馬刀を構えて、せせら笑った。
喧嘩の理由は実に"下らない"が、当の本人たちは至って真面目な力比べをしている。
そしてその喧嘩は、夜まで続いた。
「またやりあってるぞ」
「南陽と玄真は懲りないなぁ」
「あれで仙京の殿を壊したら、今年で何回目だ?」
「霊文殿の神官がまた青ざめる……怖や怖や」
神官たちは今日も神武通りを呑気に歩いていた。
――――
そして明くる朝、南陽殿にて。
風信は突然のことに、尻餅を付いて固まってしまった。
「くそったれ!誰だ!どこから来た!!!」
叫びを聞いて駆けつけた南陽殿神官たちは、風信を見守りつつ、何もできない状態である。
風信の目線の先には、なんと齢四つほどの子どもが、腕を組んで立っていた。
その子の鳶色の髪は南陽将軍と同じように団子のように結われ、子どもながらに服は一丁前の出で立ち。天界にこんな子どもはもちろんいない。
南陽殿神官はおろおろと焦った様子で、二人を見守っていた。
「なんやん将軍!」
その子どもは高らかにそう声を上げると、風信に歩み寄り律儀に供手をしてみせた。だがその後すぐにまた腕を組んでふんぞり返った。
「おれは風神弓!」
「…………は?」
風、神、弓……?
それは南陽将軍が扱う法器の名ではないか。それとこの子に接点があるようには見えない。
風信は思わず悪態をつきそうになるのをこらえながら、眉間を押さえた。
「待て、それは私の武器の名だ。お前とは関係がない。それよりも、お前はどこから…」
「ざんばとーはどこにいるの!?」
「…!!??」
風信はまったく頭の理解が追いつかず、呆気にとられた。助けを求めるように周りにいる神官たちを振り返るも、首を左右に振るばかり。それに何故、よりによって斬馬刀の名を?風信の頭には疑問符ばかりが浮かぶ。
可能性としては低いが、万が一人界や鬼界からの迷子なら、早急に霊文殿に報告もせねばならない。
「だから、お前はどこから来たんだ?教えてくれ」
「斬馬刀に会いたい!!」
何を聞いてもその一点張り。
風信は子どもの扱いには慣れておらず、何をどうすればいいのか分からない。
「あーーーくそ!!話が通じない!!慕情!慕情を呼べ!!!!」
時は同じく、玄真殿にて。
玄真殿神官たちは、厳かに朝の清掃で慌ただしくしている。慕情は朝の瞑想を済ませてから、庭園で稽古をしようと斬馬刀を手に持とうとしたときだった。
「………ん?」
いつものことながら目を閉じて念じれば長柄の刀が現れるはずだ。しかし今手のひらに感じるのは、柔らかくてもちもちした、温かい動物のような…
「しぇ、しぇ……しぇ、しぇじぇん将軍!」
足元から聞こえてくる、舌足らずの幼き声。
慕情ははっとして見下ろせば、そこには丸い目の齢四つほどの子どもがこちらを見上げていた。
「うわ!!??誰だ!!」
慕情は数歩飛び退り、声を上げた。
その子どもは丸い目をそのままに無の表情で、ただ驚きもせずに突っ立っている。
他の神官たちは、黙々と掃除に夢中で出来事に気づいていない。
「ど、どこの子だ!裴茗か!!」
「ちがうよ、おれ斬馬刀」
「は!!??」
斬、馬、刀?
無機質に子どもが言う言葉の意味を、慕情は信じられないという様子でぽかんと口を開けた。
「何故、それがわかるんだ?」
「おれの名前だもん」
「???」
少し冷静になろうと首を振り、慕情は子どもの近くまで行ってしゃがみこんだ。
「迷子だな?家はどこだ?」
「ちがう、おうちない」
「ないだって?母君や父君は?」
「いない、しぇじぇん将軍のところがかえるところ」
慕情は引きつった作り笑いをしながらも、頭には疑問符ばかりが浮かぶ。私の知らないところでいつの間にか子どもが?いや、絶対ない。
「ふうじんきゅーはどこ?」
「……?風神弓のことか?」
「うん、おれのともだち」
さっきまで無機質だった瞳が、その時だけきらりと輝く。慕情は顎に手を当て、うーんと一人でに唸った後、ぽんと手を打った。
「まずは霊文殿に報告を。ついて来なさい」
慕情は立ち上がると、小さな手を握って霊文殿へ向かった。子どもは大人しく手を握り返し、並んで歩いた。
その間も、玄真殿神官たちは掃除に夢中で気づかないままだった。
――――――
「斬馬刀はどこーーーー!!」
霊文殿への道の途中。
天界に似つかわしくない子どもの叫び声が響いた。
「でかい声を出すな!!怪しまれるだろう!!こっちだ!!」
その後に続いて、天界では聞き馴染みのある風信の声が聞こえてきた。
「ふん、でかい声はお前のほうだろう。耳障りだ」
慕情は霊文殿のへの入口前で、その声の主に向けて冷ややかに言い放つ。風信は例の子どもの手を握っていたが、案の定好かれていないようだった。
「あ!刀刀(ダオダオ)!!」
「……弓弓(コンコン)だ」
自称風神弓の子は風信の手を離し、慕情のほうへ駆け寄る。一方、自称斬馬刀の子は慕情をちらっと見上げる。慕情が行っていいぞと頷くとその手を離し、風信のほうへ駆け寄った。
「……やはりお前のとこもそうだったか」
溜息混じりに慕情は風信へ向けて声をかけると、風信は気まずそうに顔を顰めながら、手を取り合って再会を喜ぶ子ども二人を見つめた。
「あぁ、よくわからんがお前の法器に会いたがっていた。それに一番問題なのは………法器の存在を全く感じない。一体これはどういうことだ」
「まずは霊文殿へ。……何か知ってるかもしれない」
二人は神妙な面持ちで顔を見合わせると、子ども二人をそれぞれ引き連れ、霊文殿の門をくぐった。
――――――
「これは………法器に宿る霊が、何らかの理由で具現したものでしょう」
霊文は奥の書物庫から取り出した、過去の文献資料である古い書物を風信と慕情に示した。
「霊が具現してる間は法器が使えなくなりますので。お二人には申し訳ありませんが、討伐任務はしばらく与えられません」
霊文は相変わらず疲れた様子ではあるが、淡々と両将軍へ簡潔に伝える。
「法器を使えない?それでは困るだろう」
「早く解く方法はないのか?」
風信はいらいらしたように身を乗り出し霊文に詰め寄り、慕情は腕を組んだままさらに詳細を聞き出そうとしている。その間、弓弓と刀刀は手を繋いで大人しく二人の様子を見上げていた。
「これは妖術ではありませんので、時が経てばじき戻るでしょう。法器が使えないだけで、法力の消耗には問題ありません」
風信と慕情は黙って聞きながら、傍らで行儀よく並んで待っている二人の子どもを見下ろした。とても法器の霊という風格を感じない、可愛らしい子どもだった。
霊文は溜息をつきながら、片手で眉間を押さえた。
「任務に行けない間は霊文殿もそれなりに対応を致しますが………貴方達、昨日も仙京にある数箇所の金殿を破壊してますね?正直なところ……貴方達の法器云々より、その補填をどうなされるかを心配しています。これを機に、法器の霊がもとに戻るまでの間……彼らと"謹慎"してください」
「………」
霊文の口振りには、絶対的に逆らえない何かを感じ取った風信と慕情。その表情は、鍋底の如く暗かった。
「何故こんなガキと、謹慎しなきゃならないんだ!!くそ!!」
「なんやん将軍!!下ろして〜!」
「うるさい!!我慢だ!!」
霊文殿を出た風信は、ひとまず弓弓を不器用に抱えてそそくさと南陽殿へと向かう。こんな姿、他の神官に見られてはたまったもんじゃない。
「うわぁぁん刀刀と一緒がいい〜〜〜」
「静かにしろ!」
声をあげる二人を傍目に、慕情は大人しい刀刀を手慣れたように抱き上げつつ、せせら笑った。
「まったく騒々しい。子ども一人手懐けられんとは」
「……お前のとこのは何故そんなに大人しいんだ?」
「ふん、日頃の扱いがいいんだ。どうせろくに手入れもしてないんだろ」
「なに!?俺を何だと思ってる!?」
風信は暴れる弓弓を抱えたままに、慕情に掴みかかろうとした。だが慕情はそのままひらりとかわし、冷笑を向ける。
「くそ!!昨日といいお前のその口には心底うんざりだ!!本気で黙らせてやろうか!?」
「お前こそ何も考えず、勢いだけでものを言うだろう。そういうところが考え無しだと言っている!」
「黙れ!!」
勢い込む風信と慕情は、構いなしに声を荒げる。弓弓と刀刀はそれぞれの主に抱えられながらも、不安げな視線でおろおろと様子を観ていた。
「慕情!!今日こそは決着をつけてやる!!」
「あぁ望むところだ!!」
「「だめーーーー!!!!」」
二人分の幼き声が、仙京に響く。
一瞬、時が止まったように静かになった。
風信と慕情は、それぞれの法器の霊を見つめる。
「急に大きな声を出すな!!」
「どうしたんだ!?」
弓弓と刀刀は、真っ赤な顔をして頬を膨らましている。
そして怒ったようにそれぞれ将軍の腕から飛び降りて、一定の距離を取る。風信と慕情は、呆気にとられて彼らを見た。
弓「喧嘩はだめ!」
刀「喧嘩はないないして!」
弓「喧嘩したらおれたち怒る!」
刀「喧嘩におれたち使ったから怒ってでてきた!」
弓「仲良くしてくれないとおれたち戻れない!」
刀「将軍、法器つかえない!」
交互に叫ぶのを聞いて、風信と慕情はぽかんとして顔を見合わせる。
なんだ、これは……一体この子たちはなんなんだ……!?
続