鯉の導く先これは夢なのかと疑うほど自分の意識ははっきりしていた。だが、辺りは真っ黒で何も見えない。しかも、目の前にいる男はかつて拳を交えた兄弟でありライバルで、己へのケジメをつけるために死んでいった筈だった。
それなのに何故、自分の前に立っているのだろうか。前と変わらぬ姿で。
死人が夢に出てくる時、生者に訴えかけたい事があるのだといつぞやの占い師が言っていたのを思い出した。
「兄弟」
男ははっきりと声に出して言った。真っ直ぐ、尚且つ鋭く自分を見据える目は死しても変わっていない。
「錦、なのか…」
「寝ぼけてるのか?」
フン、と馬鹿にしたように鼻で笑う錦山。オールバックにした髪を撫でるようにして自分に向き直るとニヤリと口を歪ませた。
「生憎、俺ァ沢山人を殺した。死んだ所で天国なんざ行ける訳がねぇ。お前ェも地獄に引きずりおろしてやろうかと思ってたんだけどよ。そうもいかねぇらしいな」
「………」
「桐生、お前ェにとってはあのガキが余程大事なんだな。…由美の娘が」
「あぁ、アイツの為なら命だって張れるさ」
「……お前ェらしいな」
はぁ、とため息を付いて下を向く錦山。ひとつ瞬きをすると赤いスーツを着た若かりし頃の錦山がそこにいた。
「お前ェが子育てか…。らしくねぇな」
「毎日苦労の連続だ。それでも、楽しく暮らしてる」
スゥ…と錦山の目が細まる。背筋が凍りついた。いつの間にか自分の手には黒く光る拳銃が握られていた。
「お前ェに平和は似合わねぇ。……龍を背負ってからその運命には逃れられねぇ」
1歩、また1歩錦山が此方に近づいてくる。そして自分の腕をつかむと銃口を額に押し当てた。
「なら。俺も、見届けてやるよ」
躊躇いもなく引き金を引くと辺りの景色がバラバラと崩れ落ちる。そしていつの間にか目の前に錦山ではなく1匹の鯉が居た。
鯉はふよふよと優雅に泳ぎ、手のひらにすっぽりと収まった。
そこでハッ、と目が覚める。ぜぇぜぇと荒くなる息だけが聞こえる。
外を見ると日が差していた。着ているスウェットも汗を吸収して気持ち悪い。
落ち着くためにひとつ息を吐いた。此処は自分のアパートであり福岡へ越してきたばかり。永洲タクシーの社長に拾われ今に至る。
不思議な夢を見たせいで記憶があやふやだったが、記憶のピースをつなぎ合わせていく。
水を飲もうか、と立ち上がろうとした所でふと右手に違和感を感じた。
そっと手を開くとお守りがあった。錦鯉の柄の小さくとも、ずっしりと重みのあるお守りが。