臥龍梅、枯れる 梅の見頃がもうすぐ終わる、春が目前まで来ている時季だった。
「……一馬さん、今朝はちゃんと食べれたんやなぁ」
「花燐の美味い飯を残すのは悪いだろ」
ガン。知らぬ間に忍び寄っていた病魔はどこまで彼を蝕んだのか、花燐が聞かされたときにはもう。
「俺の後を追うな。約束しただろ」
「せんよ、大阪のおばあちゃんとしてハルトくんの制服姿も成人式も写真見なあかんもん」
それでいい、と彼は口角を上げて笑った。見合いのときや結婚した当初、そんな笑い方をする男には見えなかった。
「……そうか、もうそんな歳か」
「せやで? 孫は知らんうちに大きなっとるんや」
いつだったか遥たちに挟まれたハルトは無邪気にピースサインを向けていた。あれだって七五三か何かの写真だ。
二〇一六年のときに赤ん坊だったあの子はもう、一人で歩くどころかヒマワリの外に友達ができたという。
「……花燐、膝貸してくれ」
以前よりも気怠さが覗く。緩慢に頭を膝に乗せて、彼は伴侶を見上げた。
「俺のカミさんは幾つになっても美人だなぁ」
「今褒めたかて何も出ぇへんよ」
かつてと変わらない手つきで髪を梳く。
「花燐が俺に「アンタが死んだらすぐに追いかけてやる」って啖呵切ったのももう二十年近く前になるのか」
「……いつの話しとるん、一馬さんかて刺されたうち見て「生きた心地がしなかった、もしもの事があったら追いかけさせてくれ」言うたやないの」
「……そうだったか」
二〇〇六年と二〇〇九年、郷田龍司との死闘と浜崎に刺されたのが遠い過去に感じられるほどその後さまざまな事件が降りかかった。
「うち、長生きする。ハルトくんの写真楽しみにしててな」
「……あぁ」
「…………かずまさん」
涙声になっていく妻の手を取って彼はゆっくり体を起こした。
「かずまさん、なんで、なんで病気はかずまさん選んだんや。うちでも良かったやろ、一緒に生きてける思うてたのに! なんで」
「……花燐」
唇同士が触れ、離れた。珍しくセブンスターの匂いも苦味もない。
「俺の嫁になってくれてありがとう」
「断る選択肢だってあっただろう。それでもこっちに来てくれたお前に感謝してもしきれない」
言いたいことは言い終えたのだろうか。数度瞬きを繰り返し、彼は眠ってしまった。
「こっちこそ。こない女を嫁に迎えてくれて、感謝してもしきれんわ」
投げ出された手を握る。まだ温かく、時々ぴくりと動いている。
「……さよなら、なんやなぁ」
さめざめと泣く彼女の手を、握り返されることはもう無かった。