ミレニアムのおじさんドクターPart2ミレニアムの医務室には、普通の軍用艦の医務室にはない設備が備わっている。
1つ、5~6人ほどがのんびりできる広さがあること
1つ、座り心地のよいソファーの設置されていること
1つ、ティーポットやコーヒーサーバー、中型の冷蔵庫などの調理場があること
小規模の会議室と同じだけの広さを有したミレニアム医務室の主、ドクターはその部屋の片隅に設置されているデスクで、それは実にやる気なさそうな態度で事務仕事に勤しんでいる。
そして、この部屋の主よりも堂々とソファーに座り話しこむのは、ミレニアムの女性クルー達だった。彼女たちは備え付けの紅茶やコーヒー、持ち込みのお菓子で今日も女子トークに花を咲かせている。
「それでね……実は、彼から同棲の話がきてるの!」
「えーっ! あんたの彼ってたしか、ジュール中佐のところにいる人だよね!」
「そうなの!? ジュール中佐って、2度の大戦生き延びた凄い人でしょ!」
「そうそう……! 厳しいけど、アカデミーからの入隊志願は断トツだって。凄いわねー」
きゃっ、きゃっ……と和気あいあいと会話を続けるのを、右から左へと無言で聞き流す。
今1度言うが、ここは医務室であり彼の居城である。決して、女の子のお茶会会場ではない。ドクターには怒る権利があるのにそれをしないのは、たんに面倒だからに限る。女の怨みを買うとあとが怖いと、誰かが言っていた。
だから、医務室においてドクターのテリトリーは彼が使っている机と椅子、あとは薬や書類が入っている棚とベッドくらいだろう。ちなみに、今日はカーテンで仕切られているベッドが1つある。
別段それに文句はないドクターは、不定定期開催されている女子会の内容を今日も部屋の隅から聞いていた。
「でもねぇ、ちょっと……どうしようかなって」
「なんでよ? 彼氏、すごく優しいんでしょ?」
「しかも、エリート隊にいるし、将来安泰じゃない」
「そうなんだけど……同棲っていっても、私はコンパスで向こうはプラントにいるから、今と大して変わらないんじゃないかって」
確かに、とその場の全員が頷いた。
コンパス所属であればミレニアムでの宇宙任務が基本であり、そうなると1ヶ月はゆうに家に帰れない。一緒にいられる時間は増えるかもしれないが、さして今の状態から変化させる必要もないともいえる。
別に今すぐ答えが必要ではないが、いつまでも先延ばしにするのを限度があり、それは相手にも失礼になってしまう。女子全員で、うーん、と悩ませていると、大きな欠伸に全員の目が集中した。
「……あ? な、なんだ?」
向けられた多くの視線に驚き、ドクターの肩が揺れた。
「このさい、ドクターでもいいので意見下さいよー」
「おいこら、俺でもいいとはどういう意味だ」
凄んでみるが、そんなもので怯むミレニアムクルーではない。
「だってドクターが恋愛上手って思わないですし。というか……あるんですか?」
恋愛するんですか?、と遠慮のない疑問に、ドクターは不機嫌そうに鼻を鳴らした。ようは「面倒だ」ということらしい。
納得の回答だったが、先程の内容の意見はほしい彼女たちは、そのまま面倒くさがり医官の言葉を待つ。
期待の眼差しに、俺が答えて何の意味があるとも思ったが、きっと答えないと解放してくれない。仕方なく天井を見つめ考えること数秒、頬杖をついてやる気なさそうに彼は言った。
「あーー、好きと愛してるの中間なんじゃねぇか?」
「「「「は?」」」」
ハモって、理解出来ず目が点になった。
予想外すぎる答えについていけない彼女たちなど気にせず、ドクターはさらに言葉を続ける。
「本気で好きなら、同棲したいって言われた瞬間飛びついてんだろ。でも、悩むってことはまぁ、今はまだその時じゃねぇってことだ。あとは本人同士でやりたいようにすりゃあいい」
そう言って肩を竦めてみせたドクターは、決して別れろとは言っていない。これはあくまでも話を聞いて、勝手に考えたドクターの持論だ。けれど、誰も何も言い返せなかった。単純にその言葉に納得してしまった。
コンパスへの出向は基本的に志願制で、ドクターやコノエのように命じられて来た者もいるが、大半は自分の意思でやってきた。
この世界がより平和であるように、と願いをもちながら日々を精一杯戦っている。恋愛もしたい気持ちも確かにあるが、ドクターの言う通り心がまだだとわかっているから迷っているのだ。
寝耳に水というか鳩が豆鉄砲を受けた顔で停止してることしばらくして、1人また1人と笑い始めた。最終的にドクター以外の全員がお腹を抱えて笑っていて、医務室内が爆笑で包まれた。
「あははは!! ドクターが……あのドクターが!」
「好きとか……似合わないこと言ってる!」
「はー! もう、お腹いったい……笑い死ぬ!」
「実は……ドクターって、遊び人だったりするんですか?」
「人に意見求めておいて爆笑とはいい度胸じゃねぇか……」
はぁ〜〜っと肺の中の空気を全部吐き出す勢いのため息も関係なく、ずっと笑い転げる女性クルー達。
ドクターは胸の内で別のため息を吐く。
似合わねぇことしてんなぁ…と思っているのだ。あと自分で言ったことが恥ずかしくてどうにかなりそうだった。
「おら。そろそろ休憩時間は終わりだろ、片付けしてさっさと戻りな」
机の上の時計が今日のお茶会の終了を知らせる。ドクターは、いまだ笑っている若い女子達を追い払うような仕草を見せる。
笑いすぎて涙を浮かべる彼女たちも、案外素直に使ったティーカップやマグカップを洗い元に位置に置く者、お菓子を片付ける者、掃除をする者などに別れて後片付けをしていく。
それらを全て終えると「ありがとうございましたー!」「次は誰誘う?」「はー、ドクターのせいでお腹が筋肉痛になりそう……」と言いながら医務室を出ていった。
嵐のような時間は終わり、医務室に静寂がやってくる。あれだけ笑ったあとなら尚更強く感じるそれに、ドクターは重い腰をあげ、さっきまで使われていたソファーへ移動すると、自分以外いないはずの場所に声をかけた。
「…………もう出てきていいぞー」
気の抜けたやる気のない声のあと、一つだけ仕切られていたカーテンが開かれ、そこから現れたのはコンパス准将、キラ・ヤマトだった。
物腰柔らかい紫色の瞳が困惑したように歳上の医官に向けられる。それを受け止めるも、視線を合わせようとはしないドクターにキラはおずおずと聞いた。
「あの、これいつもやってるんですか?」
これとは、『女子会』のことを指すことは当然わかっているので、手の平をヒラヒラさせてあっさりと肯定する。
「何人かが休憩時間被ったりするとやるな。不定期開催すぎて俺にもいつやるかわからんが。この前は、ホークとハーケンも混ざってた」
「ハーケン大尉……大丈夫だったんですか?」
「男の俺が注意するのもおかしいだろ」
女の子に抱きついたりすることが多いハーケンに他のクルー達は大丈夫だったのかとキラは聞いたのだが、ドクターの返答に苦い笑みが浮かんだ。
男だとセクハラだが、同じ女性ならばセーフ……になるのかもしれないと思うことにする。それに言ったところで、ハーケンがやめるとも考えにくい。
「それよりも話の途中にそんなとこ放って悪かったな、准将」
「あ……びっくりしましたけど、大丈夫です。でも、ドクターって意外と優しいんですね」
「あ? なんでそうなる?」
本気で疑問に思っている声とトーンに、キラはクスクスと笑う。
「だって、僕がいるとあの人達が落ち着けないと思ったからここに押し込んだんですよね? それにさっきの返事も、彼女が傷つかないように気を配ってました」
「……さぁ、どうだろうなァ」
肯定も否定もしないが、僅かに上擦った声が返された。口も態度も悪いのはいつものことだが、そういえばいつだかコノエに言われたことをキラは思い出した。
『あれはよく見ると中々面白いのですよ。照れるとワントーン声が高くなるので機会があれば試してみください』
と信頼する艦長は口に指を当て、内緒話のように教えてくれた。
そんな機会あるのだろうかとその時は思ったが、ドクターの返答はまさにコノエが言っていた通りだった。
ほんわか笑うキラはドクターの知らない1面が見れて嬉しいが、当の本人はいきなり微笑まれて、だいぶ怪訝そうな目をする。
「なんだ?」
「なんでもないです。僕、今までどうして医務室がこんなに広いのか不思議だったんですけど、やっとわかりました」
「まぁ、普通の軍用艦にはねぇよな。ソファーもコーヒーサーバーも」
「あるとしたら、食堂だけですね。ミレニアムだとレクリエーションルームにもありましたね」
この艦、変わっているんだよなぁ、とキラは再認識する。
「あれ? でもこれだけの設備どうやって揃えたんですか?」
キラはふと湧いた疑問を口に出す。造艦について詳しい知識はないが、設備や道具については多少融通が聞く時があると誰かに教わった。
ミレニアムはハインラインが設計し、造艦にも携わっていたはず。知り合いならば、そういった希望も聞いてくれたのかもしれないと。
するとドクターは「あぁ」と答えたあと、あっけからんと理由を言ってのけた。
「移動するのが面倒だからな。俺がハインライン大尉に頼んだ」
「え、……え? 本当にですか?」
「いや待て。流石に俺もここまで大事にするつもりはなかった。簡易キッチンだけだったのをここまで拡大したのは、ハインライン大尉だぞ」
それは職権乱用というやつなのではないだろうか。だが、あの天才技術大尉ならこれくらいやってしまいそうだとキラも思う。
それはおいといて、本気で驚いた顔をするキラは年相応の表情をしていた。元から凛々しさよりも穏やかな印象をうけるが、目をまん丸にしてると愛らしさが増す。
くっ……とドクターが笑いをかみ殺す。何度も目を瞬かせるキラが面白くて、まだまだ子供だなァと思った。
「豪華になったのはありがたいが、いつの間にかお茶会の丁度いい会場になったってことだよ。女ってのは強いなぁ、ほんと」
「それはまぁ、仕方ないんじゃないですか。コノエ艦長はこのこと知ってるんですか?」
「知ってるぜ? 部屋に戻るの面倒な時はここで仮眠取るくらいだしな」
また予想外の事実にキラはもう驚かされっぱなしだ。この話が本当なら今のキラと同じようにカーテンに囲まれたベッドの上で、コノエが女子会を聞いているということになる。
想像が、できない。
キラの心情を理解してるのかしてないのか、ドクターは困った困ったと首を横に振って、ついで何か企んだ笑みをまだ若い准将へ向けた。
「つーことだからよ、たまには准将もここで女子会を聞きに来てもいいんだぜ?」
「そ、そんなことしませんよ! 何言ってるんですか!」
「んなこといって、少しは興味あるんじゃねぇのか?」
「ありません!! ドクターもそんなことばかり言ってるから彼女たちに笑われるんですよ!」
意趣返しのつもりでそう言ったが、言われた方は全く気にした素振りはない。いつも通り面倒くさいという目をするだけだ。
「あーはいはい。准将もそろそろ艦長達と会議だろうからさっさと行ってこい」
「あ! すみません、ドクター。会議は終わったらまた来ますね!」
白い制服を靡かせながら、慌ただしく医務室を出ていくキラの後ろ姿に「おー」と声だけかけて見送る。
シュン……と扉が閉まると静けさが医務室におりる。これが本来の姿ではあるし、ドクターもやっとか、と思ってはいる。のだが、今日はそれが少しだけ落ち着かない。
その理由を考えて、すっかり侵略されてんなぁと珍しく声に出して笑い、先程のキラの言葉がよぎる。
「次は、茶の1杯でもいれるとするか……」
そしたら、あの准将はまた驚いた顔をするだろうか。それもまたありだな、そんなことを考えてドクターはまたキラがくるのを楽しみにソファーの背もたれに体を預けた。