高校文化祭 校門に飾られた色とりどりのバルーンを見て、今日が文化祭当日だと気づいた。ここ数週間ほどクラスメイトたちが慌ただしく準備をしているのは知っていたが、手合や仕事で多くを手伝うことができずにいたため、自分のクラスの出し物が喫茶店ということしか知らなかった。クラスメイト達は文化祭当日手伝ってくれたら構わないと言っていたのを思い出し、何をするのだろうと思いながら教室へ向かう。
外の屋台や他クラスの装飾を眺めていると、普段とは異なるお祭りの雰囲気に気分が上がる。自分の教室にはもうクラスメイトが多数集まって準備をしていた。机を向い合わせ白いクロスを引いたテーブルがいくつか並び、教室の後ろの方はパーテションで区切られている。おそらく飲み物や料理を準備する場所なのだろう。
「おはよー」
「おう、来たな進藤」
「……え」
挨拶を返したクラスメイトの格好に驚き固まっていると、おそらく更衣室かどこかで着替えてきた女子が数名後ろからやってきた。
「あ、進藤くん来たんだ。おはよう」
「おは、よう……」
「服持ってくるから待ってて」
服……? まさか自分もこの服を着なければならないのか?
嫌な予感がして黒板の方に目を向けると、カラフルな文字ででかでかと書かれていた。
――メイド&執事喫茶へようこそ!
「いや聞いてないし!」
「あれ? お前知らなかったの?」
「コンセプト決めた話し合いのときはお休みしてたかもね。はい、どっちか選んでいいよ」
膝丈のメイド服を何食わぬ顔で着ているクラスメイト(男)に呆れていると、執事服を着た女子に声を掛けられる。選んでいい、ということは執事服でも良いのかと少し安堵して女子の両手を見ると。
「どっちもメイド服じゃねェか!」
「そりゃ、男子はメイド服で女子が執事服ってなったから」
「こっちはね、英国風のロングワンピース。装飾は少ないけどエプロンの紐が大きめのフリルになっていてスカートは重め。そしてこっちが今目の前で堂々と着てるやつ。スカートは膝くらいの長さで、胸とか背中にリボンがあるんだ」
提示された二着の服の方向性がなんとなく違うことはわかったがどちらもメイド服であることに変わりない。答えられずにいるとさらに詳しく服の特徴をペラペラと喋り始めたが、専門用語なのか知らない単語ばかりでヒカルには理解できなかった。そういえばうちのクラスには服飾が得意なやつがいるとか聞いたような。
「なァ……これオレどっちか着ないといけないの?」
「当たり前だろ! 全員シフト組んで二日間回すんだ」
「ていうかおまえはなんでそんな堂々と着てるんだよ!」
「スカートなんて履くことないし面白いだろ! 文化祭も今年が最後なんだから楽しいことしたほうがいいって!」
どうやらこいつはメイド服を着ることが楽しいことに分類されるらしい。服装のせいで男特有の肩幅の広さと首周りのゴツさが目立って正直なところ直視したくない。
「進藤くんはどっち着ても似合うと思うよ」
「嬉しくねェ……」
教室には女装をすることに抵抗しているクラスメイトは他にいなかった。抵抗しても無駄と割り切っているのか窓際でメイド服を着たまま読書している静かな男子生徒もいた。廊下には他クラスの女子に囲まれてる背の高い女子生徒。あれは確か演劇部で男子よりも王子様役をやってるという噂の? どうりで執事服が似合うわけだ。
「はァ……じゃあスカート長い方……」
仕方無しにマシだと思った方を選ぶとワンピース以外にも小物を手渡され、この文化祭にいくら時間と金が掛かっているのかと疑問に思った。
「何これ」
最後に手渡された白い小さな半円のフリルが何に使うのかわからず尋ねる。
「ホワイトブリム。カチューシャだよ」
「え、頭につけるやつ?」
「うん。こういうのもあるよ」
そう言って見せられたのは、フリルの代わりに猫の耳がついたカチューシャだった。
「好きな方つけていいよ!」
「男子の更衣室は視聴覚室な!」
さぁ早く着替えて来い、と言わんばかりに背中を押され文句を言う隙もない。準備を手伝えていない手前断ることもできず、ヒカルはため息を吐きながら教室を後にした。
「つかれた……」
「おつかれ。思いの外お客さん多かったなー」
ヒカルが担当したのは来店したお客さんをテーブルへ案内することと空いたテーブルの片付けくらいだったが、着慣れない格好で歩き回ったせいだろうか。ぐったりと休憩スペースの椅子にへたり込む。
「もうすぐ外回りしてる人たちが帰ってくるし、上がっていいよ」
時刻は昼過ぎ。喫茶店といっても出せるメニューは菓子や珈琲、紅茶、サンドイッチなどの軽食ぐらいしかなく(オムライスなんかなくてよかった)昼食には少し物足りないのだろう。客はまだいるものの校舎の外に並ぶ屋台に人が多く集まっているのが教室の窓から見える。さっさと着替えて自身も何か食べに行こう、と思っていると全体を仕切っているクラスメイトが数枚の紙を手渡してきた。
「このチラシ配ってきてくれる? 他のクラスの出し物見ながらで大丈夫だから。それ配り終わってから着替えて」
「はァ!?」
「今年はクラス展示の最優秀賞が焼肉なんだよね」
話を聞けばどうやら毎年学年ごとにクラス展示の最優秀賞と優秀賞が用意され、特に三年の報酬はそれなりのものらしい。評価は生徒と来場者からの投票で決まるとのこと。そのため他の学年からも人気があるクラスメイトにメイド服あるいは執事服を着せて午前中にチラシを配って集客を狙い、投票をお願いする作戦ということだった。去年も一昨年も手合か仕事で文化祭に参加できなかったヒカルは今年になって初めて仕組みを知る。
「まあ午後はメイド服着た男と執事服の女の子が構内を出歩いていること自体が広報だから、チラシは適当でいいよ」
「昼飯食いに行く間だけでも着てろよな、お前似合ってるし!」
「だから嬉しくねェ!」
制服は視聴覚室に置いてきたままだから校外へ出る前に着替えてもバレはしないだろうと思ったが、クラスメイトがこれだけ気合を入れている中作戦に協力しないのも気が引ける。
「進藤いる?」
さっさと昼食を買ってきて着替えてしまおうと仕方無しにチラシを数枚手にした瞬間、パーテションの向こうから接客中だった別の男子生徒が顔を覗かした。
「彼氏がお呼びだぜ」
親指が指す方に顔を向けるとスーツを着た塔矢が立っていた。
「げ、塔矢」
クラスは違うが一緒にいることが多いからか、塔矢との関係をからかわれるのは一度や二度ではない。放課後棋院に用事があるときや碁会所で打つ約束をしているとき、あとは自分のテストの点数があまりにも酷かったせいで小言を言われながらも追試の勉強に付き合わせたり。呼びに来た塔矢を"彼氏"と呼ぶクラスメイトに対し最初は冗談やめろと言っていたが、ニヤニヤしている奴らは聞く耳を持たない。途中から否定するのをやめてしまった。……実際間違っちゃいないんだけど。
「あ、今日はご主人様って呼んだ方が良かったか!」
「くだらねェこと言ってんじゃねェ! あーもう、行って来る……」
「いってらっしゃーい」
椅子から立ち上がると腰から下の長い布が足に纏わりつく。踏んでしまうほどの丈ではないが休憩前よりも重さが増したような気がしてため息が出た。足を前に出すたび大きく揺れるスカートを鬱陶しく思いながら教室の外に出た。
「進藤」
「おまえ、なんでいんの……」
「なんでって……キミが言ったんじゃないか。今日の午後一緒に周ろうって」
「うー……」
忘れてはいない。塔矢も同じく去年と一昨年は文化祭に参加していない。だが今年は、ヒカルは仕事が重ならず塔矢は午前中のみの仕事だったのでだったら午後は一緒に周ろうぜと誘っていたのだった。こんな服を着た姿を見られるだなんて予想していなかったが。
「それにしても良い格好してるね」
「うるせェ。うちのクラスの男はみんなコレだ。ていうかこれからチラシ配りに行くからどこかで待っててくんない? ついでに昼食買ってくるから……おまえもまだ食ってないよな? 何食べたい?」
「ボクも行くよ」
「おまえと並んで歩くのが嫌だから言ってんの!」
「ボクは構わない」
「あのな……」
塔矢はいわゆるアレだ。うちのクラスだったら“他学年に人気のある”メンバーとして外へ広報しに行かされるタイプだ。そんなヤツがスーツで隣りにいたら、文化祭だからと女装していてもまあスルーされるだろうという場面で確実に目を向けられる。
いっそのこと塔矢にもメイド服を着せるか? いや、塔矢が大人しく待っていてくれたらいいだけであってそこまでする必要なんか……余計目立つし。あーでもなんかこいつメイド服着こなした上で女子に群がられそう……腹立つな。
頭の中で塔矢に自分と同じ服を着せて勝手に怒っていると、ふとポケットに引っ掛けておいた存在を思い出した。
「良いこと思いついた。……ほら、おまえはこれでもつけとけ!」
ポケットから取り出し塔矢の頭に着けてやる。ヒカルがクラスメイトから服を手渡されたとき一緒に預かったカチューシャだ。猫耳のほうの。
「ははっ、似合ってるぜ」
素早く携帯を取り出し写真を撮る。スーツに猫耳なんてどう見てもおかしい。少しは恥ずかしがればいいと思って撮った写真を見せた。
「これは……?」
「着いてくるならそれつけてろ」
そう言って先に歩きだすも塔矢は特に嫌がる素振りもなくヒカルの後を着いていった。
「ラーメンねェかなあ」
「さすがにないんじゃないか」
腹をさすりながら屋台を眺めるが、塔矢の言う通り文化祭の屋台にラーメン屋はなく、焼きそばとたこ焼きを買ってベンチでひと休みをする。途中、屋台を切り盛りしている野球部の奴らに服装をからかわれたので持っていたチラシを全て押し付けて来た。座れるところを探している最中には新聞部に写真を撮られ(新聞部です写真いいですか?と声を掛けられ振り向いた時点で既に撮っていた)、拒否する前に塔矢と二人並ばされて数枚撮ったあとは、ありがとう後で焼き増しして渡すから!と一方的に言い切って去っていった。
「塔矢食い終わった? オレ暑いしもう着替えたい」
真夏のような気温ではないけれど普段なら薄手のシャツで過ごしている時期だ。さすがに長袖で外を歩けば身体がじっとりと汗ばむのを感じた。
「着替えて良いのか」
「いいんだよ。クラスの手伝いは終わったし視聴覚室行くぞ」
一刻も早くこの服を脱いでしまいたい。立ち上がり校内へと足を向けた。
「そういえば塔矢のクラスは展示何やってんだ? 手伝いとかないの」
「ボクのクラスは受験生がほとんどだからキミのところのような大掛かりなものはないよ。有志で論文や作品展示があるみたいだけど」
「そっか、おまえのクラス特進だった」
ヒカルと同じくすべての授業に出ているわけではないのに、テストで平均点以上を取れる塔矢は大学受験を見据えている生徒が集まるクラスにいた。塔矢自身は受験しないけど。
視聴覚室にたどり着き扉を開けるが誰もいなかった。展示がある教室からは少し離れているからかだいぶ静かだ。
「どこだっけ……あ、あったあった」
自分の制服を見つけやっと着替えられる、と少しばかりほっとする。まあ最後の方はほとんどスカートの違和感もなくなっていたけれど。
先にズボンを履いて、メイド服を脱ごうと背中のチャックに手を掛けた。けれど引っ張っても布が歪むだけでうまく下ろせない。
「できないのか」
何度か引っ張ってみても小さいチャックは動かないまま。見かねた塔矢が話しかけてきた。
「あー……うん。塔矢、チャック下ろして」
「……着るときはどうしたんだ。まさか誰かにやってもらったのか」
「着たときは勢いで引っ張ったら上まで届いたんだよ。いいから下ろしてくれ」
自分で引っ張ることは諦めて塔矢に背を向けるとすぐにチャックは腰の方まで下ろされた。
「サンキュ……っわぁ!?」
窮屈さが和らぎ、ふぅと息をついたつかの間、肩を押され机に上半身を押さえつけられた。塔矢に背中から覆いかぶされて身動きができないでいると、首にぬるりと舌を這わされて身体が固まった。
「ヒッ……! バカバカ塔矢!」
「……」
「オレ汗かいて……っおい、」
チャックで開いた服の隙間から手が侵入してきて脇腹を撫でられる。くすぐったさを我慢して服の上から塔矢の手を無理やり掴んだ。
「ばか、ここ学校だろ!」
必死に後ろを向いて叫ぶと動き回っていた手は肩のほうへ伸びて伏していた上半身を起き上がらせた。
「……わかってるよ、そんなこと」
「わかってるんなら何してるんですかねー! 塔矢さんは!」
塔矢が大人しく離れたので急ぎメイド服を脱ぎ捨て、制服のワイシャツを着てしまう。今はたまたま誰もいないが着替えに来た他の生徒がいつ入ってくるかわからない。
「この服は誰が用意したんだ」
シャツのボタンを留めている間、自分が脱いだそれを塔矢が丁寧に畳みながら尋ねる。
「ん? オレのクラスの裁縫が得意な奴だと思うけど」
「その人に返すのか」
「うん? あとで演劇部の衣装として使うって言ってたし」
文化祭のためだけに用意したのかと思いきや演劇部の衣装も兼ねていることを接客中に聞いていた。決してもう一度着たいわけではないが、文化祭の二日間だけで捨てられるには少々もったいないと思う出来だったので納得した。
「そう。なら洗濯して返そう。うちで干していいから」
「え? なんで。そのままでいいって言ってたけど」
「いいから。汗かいたんだろう」
「そうだけど」
たしかに後で他の人が着るなら一度洗濯したほうがいいのかもしれない。母親に説明するのも自分の家で干すのも想像したら嫌だったが、塔矢の家で洗濯していいと言っているのだし。
「わかった。じゃあ今日おまえの家行く」
「ああ」
着替えが終わりかさばる服を無理やりバッグへ詰める。頭を飾っていたふたつのカチューシャは今日返してもいいだろう。
「せっかくだし他のクラスの展示とか見てから帰ろうぜ」
「そうだね」
文化祭の喧騒から少し離れた部屋を後にする。
――このときはまだ、もう一度自分がメイド服を着ることになるとは露ほども思っていなかった。