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    kikian0901_gs

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    kikian0901_gs

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    以前書いた「夏に恋人ができたと思い酒飲んで泣く五の夏五」を修正、加筆したものです。長くなりそうかつこれ書いてたら他の本に間に合わないため、こちら六月の本にと考えています。
    ハッピーエンドにする予定です。

    #夏五
    GeGo
    #小説
    novel

    臆病者と卑怯者の末路 相方に恋人ができた、らしい。
     
     勿論相手は自分ではない。新人アナウンサーの女らしい。らしい、というのは自分は噂で聞いた程度のことしか知らないからだ。本人から聞いたのでなければただの噂で嘘なのかもしれないけれど、この噂は本当かもしれない、なんて思ってしまった。
     なんせ相方である夏油傑は、物凄くモテる。僕よりモテる。学生時代なんて、ほぼ毎日女に告白されていた程だ。そんなんだから本人もそれなりに遊んでおり、女の扱いが慣れているのだ。クズである。
     だが、ここ数年は……というより、俺と傑がニコイチと言われるようになってから、誰かと付き合っているような様子はなかった。芸人を目指し高校卒業と共に同居をして、結構売れている今でも一緒に住んでいるが、傑から恋人を紹介されたこともなければ、そういう話だってしたことない。
     だが、最近は違う。最近、帰りが遅いのだ。いや、ピンの仕事も増えてきたし傑の仕事が長引いて帰りが遅くなってもおかしくないのだが、そうじゃないらしい。ここ数ヶ月、傑にピンの仕事は入っていないそうだ。事務所のスタッフから聞いた。だから帰りが遅くなるようなスケジュールは組んでいないと。
     そんなこと知らなかった僕は、本人ではない奴の口からそれを聞いたことにまずショックを受けた。自分たちのマネージャーの伊地知に問い詰めたが、何も教えてくれなかったので恐らく伊地知は傑から口止めされていたのだろう。傑になんとなしに聞いたら、はぐらかされたので僕に知られたくないことなんだと察した。
     けれど、それだけだったら一人になって息抜きしているのかな、なんていう可能性もある。それもちょっと寂しいけど、傑にだって一人になりたい時あるよねって納得するし尊重した。だが、そんな僕の考えを打ち砕かれた。
     
     ……いつからか、傑のスーツから甘い香りがするようになったのだ。
     
     甘い香りは、僕が前にどこかで嗅いで、「結構好きかも」と言ったイチゴの甘いやつ。それを言った直後は「甘ったるくない?」と眉間に皺寄せて苦い顔見せていたくせに、それをスーツに付けてくるとはどういうことだ。けど、その理由はすぐにピンときた。この香りはある局の新人アナウンサーが付けていたものだと。つまり、そいつの匂いが傑についてしまったのだ。
     
    『僕が甘党なの知ってるでしょ?お前の煙草臭さに比べたらましだっつーの!』
     
     ……その匂いを嗅いだ当時の僕の発言である。まさか、そいつが傑の恋人になるなんて夢にも思わず、あの時の自分は呑気にそんなことを言っていた。傑はそれを聞いて少し機嫌を損ねたような顔を見せたが、あれはもしかして、自分が気になっている女を別の男が褒めたから嫌だったのだろうか。好きな男から敵視されていたかもしれない可能性に、また気持ちが沈む。
     
     
     ———傑とそのアナウンサーが付き合っていると噂をしていたのは、ある番組のメイクさんだった。彼女達は噂好きで結構情報通だったりする。だって、相方の自分でさえ知らないことを知っているのだから。
     
    「夏油さん、あのアナウンサーの子と最近仲良くしてますね」
    「そういえば私この前、夏油さんから声を掛けているのを見ました」
    「外で腕組んで歩いているのを見たって子がいるみたいですよ」
     
     傑が席を外した隙に、僕の担当していたメイクさんが好奇心旺な表情をしてそう話した時、僕は目を丸くした。なにそれ僕知らないんだけど??と困惑したのだ。恐らく相方の自分なら何かしら知っていると思って話したのだろうけど、残念ながら初耳であった。
     だが、最近傑の帰りが遅いこと、それを誤魔化されたこと、そしてスーツから甘い香りがすることを合わせたら納得した。そうか、傑、恋人できたんだ。
     
     この瞬間、僕の失恋が確定したのだ。
     
     傑は、多分僕に話すと変に弄られるとか揶揄われると思って言わなかったのかもしれない。そう思うと余計に落ち込んだ。だって、相方だよ?相方で親友だよ?もしかして親友って思ってるの僕だけなの?……なんて、親友なのに何年もそいつ恋をしていたことを棚に上げて言えるわけがない。それに、もし本人の口からそんなこと告げられたら、耐えられるかわからなかったので第三者から教えられたのはある意味良かったのかもしれない。
     
     正直、いつか傑は、僕じゃない誰かと結ばれる日が来るだろうなって心のどこかで思っていた。なんせ自分も相手も男で、どんなに大事で大好きで愛している存在でも、自分たちの間に愛だの恋だのが入ることはない。そんなのとっくの昔からわかっていたはずなのに、どうにもこうにもうまく心の整理なんてできなくて。
     ……だってずっと前から、学生の時から好きだったのだ。この恋が叶わないとわかっていたはずなのに、心のどこかでは期待していたというのか。それが実際になったらこうだ。なんて様だ。なんとも僕らしくなくて笑える。
     けどさ、僕だって一応は人間で、何年も好きだった男が他の誰かのものになったら悲しいと思う気持ちがあるわけだ。
     
     ……それに、絶対、そんな女よりも僕の方が傑のこと好きだ。
     
     そりゃあ、僕の方が体は硬いしでかいし、胸だってボインじゃないけれど。それでも好きな気持ちは僕の方が絶対勝る。告白する勇気なんてなかったけど。僕じゃダメ?なんて言えるわけがなかったけど。だって、言ったところでフラれるのはわかっているから。
     傑は男より女の子の方が好きだ。僕と出会う前は結構遊んでいたのも知っているし、そんな相手に告白したところで、「…ごめんね。私、君のことそういう目で見たことはないな」なんて、申し訳なさそうな顔をして言われるの想像に容易い。いくら僕でもフラれたら凄く傷つく。だから恋人は無理でも、親友のまま片想いさせてほしい。だって、どうしてもまだ心の整理とか受け入れる準備ができてないから、少しだけ嘆かせて欲しい。明日の仕事までにはいつもの通りの五条悟に戻るからさ。
     
     
     ……なんて、そんなことをアルコールの力に任せてグダグダ話せば、目の前にいる後輩は呆れたようにため息を吐いた。
     
    「……だからって、酒飲んで荒れることですか?下戸の癖に」
    「………うっへぇ………」
     
     悲しくて泣きたくて仕方ない気持ちを抑え込むために、七海を連れて居酒屋でヤケ酒をした。ヤケ酒と言っても僕が口にしたのはサワーとか甘くて飲みやすくて、度数が低いもの。だけど下戸の自分にとってはこれでも十分強いもので、程よく酔うには最適な飲み物だった。
     七海を連れてきた理由はお目付け役としてである。これでも自分がお酒が弱いのは自覚しているからね。七海は心底嫌そうな顔を見せたが、「お前が僕を見捨てたら灰原に付き合ってもらう」と、同じく後輩である灰原を人質にすれば、すんなりと来てくれた。僕としてはどちらでも良かったけど、七海の方が酒が強いので、僕がヘロヘロになって帰れなくなってもどうにかしてくれそうである。
     
    「……そもそも、その噂は事実なんですか?夏油さんにアナウンサーの恋人ができたなんて」
    「…だって、傑、最近帰り遅いし…服から甘い匂いするし……。多分、恋人の部屋に行ってから、帰ってきてるんじゃ、ないかな…」
     
     僕と傑は高校を卒業と同時に同居しており、芸人となって売れ出した今でも一緒に住んでいる。だが傑に恋人ができたとなれば、その同居も解消されるだろう。本当は離れたくないけれど、そんな僕の我儘なんて聞いてくれなくなる。
     
    「恋人、は……あの、胸の大きい、清純派?ていうアナウンサー…?」
    「いや、知りませんけど……それ、本人に確認したんですか?」
    「…それは、まだ…」
     
     七海の問いにそう返すと、また大きいため息を吐かれる。この野郎、あからさまに迷惑だって態度しやがって。迷惑なんだろうけど。
     
    「…夏油さんに聞いた方がいいですよ」
    「やだ」
    「やだって、あんたいくつですか」
     
     だって本人に聞いて、傑の口から「ああ、実はそうなんだ。私もそろそろ身を固めなきゃね」なんて言われたら、どんな顔すればいいかわからない。おめでとうって言うべきなんだろうけど、本心から言える自信がない。顔が引き攣りそう。想像しただけで気持ち悪くなるのだから実際にそんなことされたら吐いてしまうだろう。そうなったら、僕の気持ちが傑にバレてしまう。それだけは嫌だ。親友でさえなくなってしまう。
     
    「……大きなお世話だと思いますが、五条さんの勘違いの可能性もありますし、絶対に確認した方がいいです。恋人できたというのも、所詮噂でしょう」
    「そりゃあ……噂とか、……なんなら熱愛報道だって出たことあるけど……。今まで、僕に連絡ないまま、帰りが遅くなることなんて、なかったし……服だって、前は、傑の匂いしか、しなかったし……」
    「…そうですか」
     
     すると七海がスマホを取り出して、素早い指の動きを見せる。顔は相変わらず仏頂面で素っ気ない。昔からこういう男である。だからこうやって愚痴を吐けるのだが。
     その時、クラっと目の前が揺れる。あ、これはまずいな。今になってアルコールが効いてきたらしい。これ明日は二日酔いコースだ。
     
    「…ななみぃ…」
    「なんですか」
    「ぼく、すぐるのこと、好きでいていいと思う…?」
    「……」
    「…ぜったいにメーワクかけねぇし……じゃま、なんてしないから……すき…で、いさせ…」
    「……五条さん?」
     
     目の前がぼんやりして瞼が重くなり、ゴトッと物音共に視界が真っ暗になる。遠くから七海の自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、それに返事することなく僕は意識を手放した。
     
     
     
     
     
     
    「………る……とる……」
    「……んぁ?」
     
     遠くから何かが聞こえ、ゆっくりだが瞼を開く。だが薄らぼんやりする視界でハッキリしない。
     しかし何故だろう。頭を撫でてくる手が妙に気持ちよくて、心地良い。そんな風に撫でられたら余計に眠くなるじゃん。
     そんなことを思いながら、どうにか思考をはっきりさせる。えっと、確か僕、傑に恋人ができたと知って、失恋したから七海に愚痴に付き合ってもらって……。あれ?つまり僕の頭を撫でてるのって七海なのか?あいつがそんなことするとは到底思えないけど。
     
    「……ななみぃ……?」
    「……違うよ」
     
     七海が君をこんな風に触るわけないだろ、と呆れたような声が聞こえる。やっぱり?、と思わず小さく噴き出した。
     
    「ふ、ふへへ、そりゃそうだ」
    「……まったく、七海は私が来たら速攻帰ったよ。迷惑極まりないって顔でね」
    「う、ん……?」
    「後輩に迷惑かけちゃダメだろ、悟」
    「んっ……」
     
     お小言のような言葉を優しく蜜の詰まったような声色で吐かれる。頭を撫でていた手が今度は耳に触れ、僕の耳たぶを指で撫でてきた。
     
    「ん、んん〜……」
     
     それがなんか擽ったくて身を捩らせる。それに対し、クスクスと楽しげに笑う声が上から降ってきた。なんだよ。僕、お酒飲んじゃったからか今すごくぼんやりしていて、意識がはっきりしないんだけど。けどこの話し方とか触り方には覚えがあって、胸をざわつかせた。
     
    「………すぐ、る…?」
    「…君をこうな風に触れることができるのは、私以外にいたらやだなぁ…」
     
     ちょっと拗ねたように答える様子は、なんか可愛い思ってしまった。けれどすぐさま僕は冷や汗をかく。どうしよう、今は会いたくなかったかも。だから今日は家に帰らず、七海を呼んで飲み屋に来たというのに。
     だからつい、僕はバッと顔を起き上がらせて傑がいるだろう方向から顔を反対側へと向けた。そんな僕の態度に驚いたのか、先ほどまで撫でていた指がピタッと動きを止める。
     
    「……悟?」
    「……」
    「どうしたんだ?」
    「……べつ、に…なんでもない」
     
     子供のような態度を取る自分に対し、自己嫌悪に陥る。けど仕方なくない?僕だって本当は傑に恋人できたことをちゃんと祝いたいし、おめでとうって言いたいけど、そんなことできる余裕なんて今はない。多分今、泣きそうな顔をしている。それにさっき、情けなく「好きなままでいていいか?」なんて、関係ない七海に聞いてしまった。それほどまでに自分はまだ立ち直れていない。なんで今僕の前に現れるのかな。明日の仕事までにはどうにか気持ちを落ち着かせようと思ったのに。
     だけどそんなことを傑に言えるわけがないので、僕はまたテーブルに顔を伏せて項垂れ、唇を尖らせる。傑はそんな僕の態度に、戸惑うことも困ることもなく「また気に入らないことでもあったの?」と、まるでなんでもないことように言ってくる。
     
     ああもう、お前のことだよ。僕はお前に恋人ができたからこんなに荒れてるんだよ。バカ。
     
    「何があったの?君が苦手なお酒を飲むほどだから余程なことだと思うけど……私にも教えてよ」
    「…やだ」
    「なんで?七海には話しているのに?」
     
     お前だから話したくない、と言えればいいのに、そんなこと言ったら傑のことでこうなっているのがバレてしまう。けど、この感じだと傑は僕が話すまでしつこく聞いてくるだろう。どうしよう、なんて誤魔化そうかなんて酒の入った脳みそをグルグル回して考える。
     すると、傑の手が今度は僕のうなじを撫で始めて、耳元に顔を寄せてきた。多分。反対方向に顔を向けているから見えないけど、距離が近くなっている、気がする。僅かだが熱も感じる。だからつい肩を跳ねさせてしまった。
     
    「……ねぇ、教えて?どうしたの?」
    「ん、んん〜……!」
    「悟」
    「ッ……し、」
    「し?」
     
     
    「……失恋、した……」
     
     
     ……とうとう耐えきれず、つい白状してしまった。
     どうしよう、言っちゃったよ。狡いよこの男。ダメだ、泣きそう。今は絶対泣いちゃダメだ耐えろ俺、耐えろ。
     
    「……え……」
    「……ッ…だから、失恋したんだよ……も、いいだろ別に…」
     
     傑は僕の回答が予想外のものだったのか、傑は驚いた様子を見せた。見せたと言っても、見ていないのでわからないが声が驚きを隠せていなかった。
     
    「………君……好きな人、いたの……?」
    「……」
    「……そうなんだ、へぇ」
     
     無言は肯定と取られたのか、傑の体が離れていく気配を感じた。それほど僕に好きな人がいたことが珍しいのか。
     けど、考えたら長い付き合いではあるがそういう話を傑としてこなかったなと振り返る。そりゃそうだ、だって僕の好きな人は傑で、ほぼほぼ叶えることを諦めていた好きな相手に、恋バナを振るなんてことはしない。
     
    「……失恋したってことは…フラれたのか?」
    「……この話続けるの?」
    「だって、悟からそんな話聞いたことない」
     
     くそ、なんて性格の悪い男だ。そりゃあ僕が失恋なんて興味を惹く話題だと思うけど、今こんな状態の僕に、フラれたのかなんて聞くなんて、デリカシー無さすぎてはないだろうか。僕が言うのもなんだけどさ。いつも僕以外に発する気遣いはどこにいっんだ。
     
    「で、フラれたの?」
    「………フラれてはいない、けど…フラれたような、もんだし」
    「なんで?」
    「……ッ…恋人ができたみたいで…」
    「……そっか」
     
     傑が相手だとバレない程度に話せば、納得したのか「それは仕方ないね」と軽い調子で返される。その返答に胸が少し痛んだが、自分が相手だとバレていないようで少し安堵した。
     
    「けど、その程度でヤケ酒なんて君らしくないね」
    「ッ…」
     
     傑から「その程度」と言われて、つい言い返しそうになったがなんとか堪える。傑から見たら僕は「失恋程度」で落ち込むような人間ではないと思われていたのだろう。そりゃ、他の誰かだったらここまで落ち込まないだろうけど、相手はお前だからこうなっているのだ。そんなこと夢にも思わないだろうけど。
     
    「相手は私の知っている人?」
    「…教えない」
    「え〜、なんでよ。別に揶揄ったりしないから教えてよ。私は君の相方だろ?」
    「ッ…お前だって」
     
     傑の面白がるような態度にムカッときて、振り返り反論しようとしたが、傑と目が合ったことで、寸でのところで耐えた。顔を向けたことにより傑の顔を見てしまい、胸がギュッと締め付けられる。
     
    「?なに?」
    「……なんでもない」
     
     ……お前だって、僕に何も言わずに恋人作ったじゃん、なんて今言ったら、僕の失恋の相手が傑だって知られてしまう。
     
    「じゃあ誰なのさ。その、好きだった相手っていうのは」
    「…だから、教えないって。もういいじゃん。終わったんだから」
    「それはそうだけど、気になるじゃないか。そいつとどこで知り合ったの?」
    「どこって……普通に……」
     
     このまま話を有耶無耶にしてしまいたかったが、傑はどうも僕の好きな相手ってのが気になるらしくて、しつこく聞いてきた。
     さっきまで顔を見れなかったが、顔を上げてしまった今、傑はニコニコと笑っているのがわかる。どこかその笑顔に引っ掛かるものを感じで胸がザワついたが、今そんなことを気にする余裕がなく、「そんなに僕の失恋が面白いのかよ」なんて思ってしまう。
     
    「普通?…相手はもしかして芸能人?」
    「一応……て、だからもういいだろ!しつこい!」
     
     慣れない酒が入っていることもあって傑の質問に素直に答えそうになり、このままだとまずい。だから僕は「絶対に教えない!」と言い切り、自身の口を手で抑えるような格好をする。
     すると傑は、細い目を一層細め、「…そっか。残念」と言い、漸く諦めた。僕はそれに対し安堵の息を吐いた。よかった。
     
     しかし、その後に言われた傑の言葉に僕は胸を抉られるような痛みを与えられた。
     
    「じゃあ、そいつのことは綺麗さっぱり忘れようか」
    「……え……?」
     
     まるで、さも当然と言うように言う傑。まさか傑から「忘れろ」だなんて言われると思わず、僕は戸惑った。
     
     前…と言っても、学生時代の話だが、クラスの女が「元カレを忘れなきゃいけないのに忘れることができない」と傑に相談してきたのだ。なんで傑に?と思ったが、傑の返答が「忘れなくていいんじゃない?大事な思い出なんでしょ」と甘くて優しいものだったから、その女は傑にすぐさま惚れたことを覚えている。忘れられないっつったのどこのどいつだ、というツッコミは一先ず置いて、傑は過去に「忘れなくていい」と過去に言ったことがあるのだ。それ以外のことでも、基本相手に寄り添い、優しいことを言っていた傑が、まさかそんなこと言うなんて予想外だった。
     
    「…悟?」
    「え!?…あ、その…」
     
     傑は僕の好きな相手が自分だと知らないから、自分のことを忘れろと言ったわけじゃないのはわかっている。けど、本人から「忘れろ」と言われたのは結構ショックだった。それを悟らせないように、無理矢理口角をあげた。
     
    「い、いや…でもさ?忘れることはないんじゃないの…?」
    「……は?」
    「だって……俺……別に、迷惑かけてる訳じゃないし……」
     
     つい一人称が昔のものに戻るほど、俺は狼狽えていたかもしれない。
     別に慰めてほしいとかそんなことは微塵も思っていなかったが、俺の気持ちはあっさりと捨てられるものだと思われているようで、否定したくなった。
     すると、傑はスッと目を細めてゆっくり口開く。
     
    「……君、失恋したんじゃないの?」
    「ッ……し、したけど」
    「じゃあさっさと忘れるべきだろ。迷惑かけてないって言っても、相手も恋人がいるのに、他の人に好意持たれたら迷惑だ」
     
     「迷惑だ」その言葉が、俺の胸に突き刺さって痛い。凄く痛い。けど、正論だ。
     確かに恋人が既にいる人を想うのはなんとも惨めで哀れだ。誰かにこの気持ちがバレた時、それが本人だった場合、迷惑に思っても仕方ないだろう。傑の言っていることは正しい。正しいけど、それが凄く悲しかった。
     本当ならここで適当に流せばよかった。適当に頷いて、話を終わらせれば。ただ、傑本人に気持ちを否定され、悲しくて苦しくて、冷静さがなくなっていた。
     
    「…け、けど、……
     
    …好きで、いるだけでもいいじゃん……」
     
     酒のせいだろうか。声が震えてだんだん弱々しくなり、目に水が張り、瞬き一つしただけでもその水が溢れ出そうだ。ああもう、なんて俺らしくない。やっぱり酒なんて飲むべきじゃなかった。
     
    「……へぇ……」
     
     すると傑は、さっきまで笑顔だったのがすっと引っ込んで途端に冷たい顔になる。それにたい驚き、肩を小さく跳ねさせた。
     
    「え……す、すぐる…?」
    「……」
     
     傑が無言で距離を詰めてきた。俺は無意識に後ずさったが、個室部屋の壁が背中にあたり、逃げ場を失う。
     
    「悟。まだその人のこと、好きなの?」
    「ッ……!」
    「やめときな。どうせ叶わないんだろ。まさか、ずっとその人のこと好きでいるつもり?ハッ…笑えるね」
    「ッ〜、そん、なこと…」
     
     酷い言葉を言われて言葉に詰まったのと同時に、困惑がくる。どうしたのだろうか。傑の様子がおかしい。そりゃあ、傑の言葉が全部優しいわけではないけれど、こんな人を責めるような言い方は珍しかった。もしかして俺、傑のこと怒らせた?なんで?いつ?どうして?
     そう混乱している俺に対してなのか、傑は苛立ったような溜息を吐いた。
     
    「君がどんなに想ったって、相手は君に振り向くことはないよ」
    「ッーーーー」
     
     そして、傑の口から出てきた言葉がとどめになり、俺は目からポロッと水が流れた。
     
    「…悟?」
    「っ〜〜、な、なんで…!そんなこと言うんだよ…!」
     
     あまりの酷い言われように、耐えきれず涙がボロボロ流れ止まらなくなる。ひどい、最低、お前にだけはそれ言われたくなかったのに。心臓が何度も刺されるくらいの痛みが走り、情けない顔をしてしまう。
     しかし、傑はそんな俺に対して戸惑って謝ることはなく、寧ろ苛立ちを募らせ舌打ちをした。その音に、俺は小さく体を震わせた。
     
    「もっ…いいから…!放っておけよ…ッ…!!」
    「…………相方が、どこの誰かもわからないような奴に、迷惑かけるかもしれないんだから、放っておくわけないだろ」
    「め、迷惑なんてかけない…ッ…!邪魔だって、しない…から…!いいじゃん……好きでいるくらい、いいじゃん…!」
     
     ダメだ、涙も止まらないし、嗚咽も吐いた。最悪。まるで子供のように泣きじゃくる姿に、傑も呆れたのだろうか。体を覆い被さるようにして、俺を冷たい目で見下ろす。
     
    「いい加減にしろよ。さっさと忘れて、諦めろって言ってるのわからないのか」
    「ヒッ…や、やだぁ…!」
     
     傑の言葉に、顔を必死に横に振る。好きでいるだけでも迷惑だなんて、忘れろだなんて傑の口からは絶対聞きたくなかったのに。だからこの気持ちを明かさなかったのに。
     
    「……ああそう………そうなんだ……。じゃあ相手誰か教えて。ぜっっったい、諦めさせるから」
    「やだぁ…やだやだやだぁ…!教えない…おしえないもん…」
     
     酒のせいもあって、俺は子供のように泣いて体を縮こませた。その間、上から「悟、聞いてるのか」「誰なのか教えろ」と降ってきたが、俺はそれに答えることなく泣いた。そして暫くして、そのまま泣き疲れてまた眠ってしまった。
     
     
     ———「私じゃダメなのか」と、最後に聞こえた言葉があまりに自分にとって都合の良い言葉だったから、恐らくそれは幻聴だろう。
     
    ***
     
     私は大きい溜息を吐いた。恐らく今あまりいい顔していないだろう。しかし、それを取り繕えるほど余裕はない。
     
    (……悟不足だ……)
     
     五条悟、私の相方で親友で、長年片想いしている男だ。そんな自分の相方かつ親友の顔を浮かべてほんの少しだけ気分を良くしようとしたが、実物が今近くにいないことを実感して、余計に気分が損なわれた。
     このままさっさと家に帰って悟を充電したい、と考えて身支度をしていたら、高校の後輩である七海から連絡が来ていた。内容を確認すれば、悟に呼び出されて二人で飲んでいたようだが、悟が潰れたから迎えに来いというものだった。……は?私、七海と今日飲むこと知らないけど?
     モヤモヤをどうにか抑えながら、了解、と、悟が迷惑かけたというお詫びの言葉を添えて返事した。七海は悪くない。敵意を向けるのは間違いである。だが、後輩相手にはうざいほど馴れ馴れしくなる想い人のことになると狭量になってしまう。
     
    (…最近あの雌猿に絡まれていたせいで、一緒に帰れてなかったからなぁ…)
     
     雌猿、というのは最近局に入った新人アナウンサーの女だ。どうやらテレビ局界隈で結構偉いところの孫娘とのことで、この業界の者は暗黙の了解で逆らえないそうだ(どうして私がそのことを知っているかは省く)。
     そんな女がどうやら狙っている男が芸人であると聞いた。そのお相手が「五条悟」であることも。ああ、だから最近このアナウンサーとの共演が多かったのかと納得した。恐らく周りのスタッフ共を言いなりにして、悟をものにしようとでも考えていたのだろう。
     ……だが、そんなことさせる訳がなく、私が徹底的に邪魔をした。女が悟に話しかけようとすれば、間に私が入って意識を悟ではなく、私に向けさせるようにした。このアナウンサーの女に全く興味も関心もなかったし、悟の好みではないとわかっていたが、油断はできない。根っこが世間知らずのお坊ちゃんである悟が、この女に騙されることだってあり得るのだから。
     すると、女はあっさり悟から私へと好意を移したのだ。その程度だったら最初から私の悟にちょっかいかけるな、なんてそう思いながらも安堵したが、……ここから面倒なことが起きた。
     ターゲットを悟から私に移したことで、その女は私にアプローチをしてきたのだ。
     ここまでは予想の範囲内だった。アプローチ程度であれば適当に流しておけばいいと思っていたのが誤算だった。厄介になったのが、その女の取り巻きである。
     私とそのアナウンサーをくっつけようとする番組プロデューサーやらディレクター、スタッフが鬱陶しいほど絡んできたのだ。会議だの打ち合わせだのなんだの言って、飲み会に無理矢理連れてかれてその女とプライベートで会わせられたり。自分たちの仕事に響く相手だから下手に無碍にはできず、無駄に時間を使わされてイライラだけが募った。本当に最悪だったし、何度かキレそうになった。だが、いくら悟を守るためだったとは言え、自分に意識を向けさせたのは私だし、自分で蒔いた種である自覚があったからなんとか耐えた。なにより、私のこの所業を悟に知られたくなかった。だからマネージャーの伊地知に頼み、悟には知られないよう、私一人でどうにか対応した。
     
     女の意識を私から別に移させるため、私にそんな気は一切無いことを匂わせて、最近売れ始めているイケメンの男性俳優を紹介し、漸く私の周りも落ち着き始めてきた。ああ本当に大変だった。こんなこと、二度とごめんだ。
     
     顔が自然と険しくなり、つい煙草を探してしまったが、禁煙中だったことを思い出しそのまま手をポッケに突っ込んだ。以前、悟に「煙草臭い」なんて言われた上に、あろうことか、私が散々苦労したアナウンサーの女が付けていた甘ったるい香水の匂いが好きとか告げられて、そこから躍起になり禁煙を始めた。ついでに悟が良いって言っていた甘い匂いの香水もつけている。同級生だった硝子にそのことを話すと、「単純〜」とケラケラ笑われたが、好きな子に関しては単純なんだよ男は。
     
    (…ああけど…悟の反応イマイチだったな…。スンスン鼻を鳴らして擦り寄ってきたけど、微妙な顔してた…。この香水つけるのもやめるか)
     
     そんなこと考えていたら、漸く悟と七海がいるだろう居酒屋に着いた。そのことを伝えるため、七海に電話をかける。
     
    「……あ、もしもし七海。着いたよ」
    『お疲れ様です、夏油さん。奥の個室にいるので、そのまま入ってください』
     
     淡々とした態度のまま、電話を切られてしまう。個室、と言われて一瞬眉尻が吊り上がりそうになったが、どうにか平常心を戻す。
     悟は有名人だから個室で飲むのは当然であるし、それに相手が七海なのだから何もあるわけがない、そう自分に言い聞かせた。……我ながら、悟のことになるとどうも心が狭くなるな。反省しよう。
     
     七海に言われた通り、居酒屋に入り奥の部屋に向かって入れば、呆れた表情をして日本酒を嗜んでいる七海と、テーブルに顔を突っ伏して寝ている悟がいた。
     
    「こんばんは、そしてお疲れ様です」
    「お疲れ。ごめんね七海。悟が迷惑かけたね」
    「ええ、本当に。今度何か奢ってください」
    「うん、悟に言っておくよ」
    「……夏油さん」
     
     私が悟の隣に座れば、反対に七海は席から立ち上がり帰り支度をした。そのまま個室を出て行くかと思えば、一泊空いて私の顔をジッと見つめてきた。
     
    「?なんだい?」
    「……大きなお世話かもしれませんが、さっさとその人と話しつけた方がいいですよ。嫉妬なんてする前に」
    「……あはは、なんのことだか」
     
     ……どうやら私のどす黒い感情に、七海は気づいていたようだ。おかしいな、表情も声もいつも通りだったはずなのに。聡いからなぁ、七海。
     「では」と頭を軽く下げ、今度こそ本当に七海は部屋を出て行ってしまった。残されたのは私と悟だけだ。
     
    「……やれやれ、後輩に怒られちゃったよ。…君のせいだからね」
     
     そんな言葉を吐いて、悟の頬を人差し指で軽く突く。柔らかくモチモチしていて気持ちいい。学生の頃から変わらない肌質である。そのまま頭を撫でてやれば、気持ちよさそうな声を出す。ツヤツヤしていて柔らかくて撫でてて気持ちよくなる髪質だ。これが天然物なのだから凄い。
     
    「悟ぅ、起きな。もう帰るよ」
    「んっ……」
    「ふふ、かわいい」
     
     悟の寝顔を見ていたら、先ほどまであったイライラやストレスが段々と薄れていく。可愛い、愛おしい、そんな気持ちでいっぱいになり、このままずっと頭を撫でながら眺めるのもいいなぁなんて、馬鹿げたことを考えた。だが、流石にずっといれば店の人に迷惑だろうし、こんなあどけない寝顔をしている悟を他の猿共の見せたくない。
     
    「悟…おーい、悟」
    「んぁ?……ななみぃ……?」
    「……違うよ」
     
     別の男の名前を出されて気分が落ちた。そんな訳ないだろ。いや、七海と一緒に飲んでいたから七海だと勘違いするのも無理はないのか?と納得……って、七海が悟をこんなふうに撫でるわけないだろと一人心の中でツッコミを入れる。
     
    「七海が君をこんな風に触るわけないだろ」
    「ふ、ふへへ、そりゃそうだぁ」
     
     何がおかしいかわからないが、へにゃ、と眉を垂れ下げて笑う仕草はいつもの彼であればしないだろう笑顔に、自然と私の顔も綻ぶ。完全に酔ってるなぁ、可愛い。
     
    「……まったく、七海は私が来たら速攻帰ったよ。迷惑極まりないって顔でね」
    「う、ん……?」
    「後輩に迷惑かけちゃダメだろ、悟」
    「んっ……」
     
     つい悪戯心が働いて、悟の頭を撫でていた手を耳たぶへと移し、そこを指で撫でた。それがくすぐったいのか、身を捩られ唸る悟。なんだかおかしくなってクスクスと笑う。
     
    「………すぐ、る…?」
     
     すると、確かめるように私の名前を呼ぶ悟。それに対して、撫でていた手を止めた。…もしかして、私じゃない誰かだと思いながらこんな無防備に触らせていたのか、なんて考えてしまい面白くない気持ちになる。私の一方的な片思いでも、悟が一番心許しているのは私であってほしいし、私だけであってほしい。
     
    「…君をこんな風に触れることができるのは、私以外にいたらやだなぁ…」
     
     独り言なのか、それとも話しかけているのかわからない感じでそう溢したら、悟は目をパッと見開き、そして焦ったような表情を見せた。どうしたんだろ、と思ったのも束の間、悟は机に突っ伏していた顔を起き上がらせてそっぽを向いてしまった。
     悟のその態度はちょっと予想外で、私も困惑する。
     
    「……悟?どうしたんだ?」
    「……べつに…なんでもない」
     
     ……絶対、なんでもないわけないな。
     
     悟がなにか私に隠し事していることが明白である。考えてみれば、悟が自ら酒を飲むこと自体珍しい。彼はかなり下戸で、アルコール度数の低いサワーを少し飲んだだけでも顔を赤くし、一杯飲み切ったらグデングデンになるのだから。それに、自分が下戸である自覚もあり、有名人になった今やらかす訳にはいかないという理由もあって外では飲まないようにしていたはずだ。
     テーブルにあるグラスを見れば、悟の方にあるのは三つ。そして飲みかけのカシスオレンジ。然程多くはないが、お酒に弱い悟がここまで飲むことは滅多にない。悟は項垂れるようにまたテーブルに顔を伏せていた。
     
    「また何か気に入らないことがあったの?」
    「……」
     
     そう聞くと、返ってきたのは無言である。お酒でまだ意識がはっきりしていないのかな。だから再度、悟に尋ねる。
     
    「何があったの?君が苦手なお酒を飲むほどだから余程なことだと思うけど……私にも教えてよ」
    「…やだ」
     
     ……まさかの「やだ」と、拒否された。それに少しだけショックを受けたが、「やだ」の言い方がなんか子供みたいで可愛くて、つい笑いそうになるのを堪える。
     しかし、悟も中々強情で話そうとしてくれない。一体何を隠してるんだか。私に隠したがっているってことは……家にある私の筋トレ器具をふざけて壊したとかか?それか、私がとっておいたお気に入りの蕎麦を食べたとか?それくらいなら、まぁ、ちゃんと素直に謝ってくれたら許すのに。ちょっとお小言言っちゃうかもしれないけど。私としてはそれよりも、七海には話して、私には話さない方が気に入らないかな。
     
    「なんで?七海には話しているのに?」
    「うっ…」
     
     ほんの少しの嫉妬心を見せてそう言えば、悟は口籠るが、やはりまだ話してくれないようだ。うーん、けどこのままじゃ答えてくれそうにないなと考えて、私はある手段に出ることにした。
     
    「ッ!?」
     
     悟の頸に手を伸ばして指の腹で撫でる。そして悟の耳元に顔を近づけさせた。私の行動を感じたのか、悟は大袈裟に肩を跳ねさせた。
     
    「ねぇ、教えて?どうしたの?」
     
     甘さを含ませて敢えて低い声を出す。すると、悟は身を捩らせ唸る。よし、あともう一押しだ。
     
    「悟」
    「ッ」
     
     悟の名前を呼べば、息を詰まらせるような反応を見せた。耳が可哀想なくらい真っ赤っかだ。
     
    「……し、」
    「し?」
     
     漸く観念したのか、悟は口をゆっくり開き震えた声を出す。ちょっといじめ過ぎちゃったかな〜?なんて呑気に考えていたが、次の瞬間、そんな呑気な思考は遥か彼方へと飛んでいった。
     
     
    「……失恋、した……」
     
     
     ———その言葉を聞いた瞬間、は、と渇いた声が漏れた。周りの気温が一気に下がる感覚が襲う。彼は一体、何を言った。
     
    「……え……」
    「……ッ…だから、失恋したんだよ……も、いいだろ別に…」
     
     聞き返したわけじゃないのに、トドメを刺すかのように同じことを吐く悟。まて、は?失恋?誰が?は?
     
     ……悟が、私じゃない誰かに惚れて、失恋したと言うのか。
     
    「……それ、は」
     
     ダメだ。それだけは、ダメだ。絶対に。
     
     予想外すぎた回答に、私は呆然とした。悟が、失恋。それは私にとってあまりにもショックが大きいものだった。
     
    「………君……好きな人、いたの……?」
    「……」
     
     胃がキリキリするのを耐えながら、いまだそっぽを向く悟に問うが、返答がこない。無言は肯定。つまり、そういうことだというのか。
     
    「……そう、なんだ、……へぇ」
     
     ……ダメだ。混乱で頭の中がうまく回らない。一旦悟から体を離そう。このままくっついていたら、悟になにかしてしまいそうだ。
     ゆっくり息を吸って吐き、気持ちを落ち着かせる。ただ、心の奥底からグツグツと煮立った黒くドロドロした感情は消えていない。
     
    「……失恋したってことは…フラれたのか?」
    「……この話続けるの?」
    「だって、悟からそんな話聞いたことない」
     
     続けるに決まっているだろ。そんな話、聞いたことないし、無視する訳にいかない。
     そもそも、いつのまに悟にそんな相手ができたというんだ。高校の時から私がずっと一緒にいて、悟に近付く害虫は排除していたはずなのに。最近帰りが一緒じゃないから、その隙を突かれたのだろうか。ふざけんなよ。
     
    (誰だ…私の悟に手を出した奴は…)
     
     ……ああダメだ。落ち着け。まだ大丈夫だ。悟は別に、恋人ができたと言った訳じゃない。その逆で、失恋したと言ったのだ。なんで失恋したのか問いたださなければ。
     
    「で、フラれたの?」
    「………フラれてはいない、けど…フラれたような、もんだし」
    「なんで?」
    「……恋人ができたみたいで」
    「……そっか」
     
     ……なるほど。悟をふるような愚か者がいたのかと思ったが、そうではないようだ。忌々しいことには変わらないが、まだよかった。悟はそいつに告白はしてないようで。
     
    「けど、その程度でヤケ酒なんて君らしくないね。……相手は私の知っている人?」
     
     つい意地悪も交えて相手が誰なのか探ったが、悟は私の発言が嫌だったのか、少し拗ねたような声で、「教えない」と返した。
     ……ここは、いつも通りに、なんでもないように、私の気持ちを悟られないように慎重に聞かなければ。
     
    「え〜、なんでよ。別に揶揄ったりしないから教えてよ。私は君の相方だろ?」
    「ッお前だって」
     
     すると、悟は伏せていた顔をあげて漸く私と顔を合わせた。その顔は赤らんでいて目が潤んでおり、とても艶っぽく見えたが、……これが私じゃない誰かを想っての表情だと思うと、舌打ちしたくなる。
     そんな私の心情を悟られないようにおどけて「なに?」と聞けば、悟は唇を尖らせて、「……なんでもない」と返した。……お前だって、ってなんなんだ。私は別に……いや、確かに「好きな子」のことについては隠し事あるけど。
     
    「……じゃあ誰なのさ。その、好きだった相手っていうのは」
    「だから、教えないって。もういいじゃん。終わったんだから」
    「それはそうだけど、気になるじゃないか。そいつとどこで知り合ったの?」
    「どこって……普通に……」
    「普通?…相手はもしかして芸能人?」
    「一応……て、だからもういいだろ!しつこい!」
     
     終わったことは否定しない。けど、一度でも悟の心を奪った奴のことは知らなければならない。だからどうにか特定してやろうと悟に探りを入れた。しかし、悟も私に対して警戒心が強くし、中々口を割ろうとしない。
     
    「…えーいいじゃ…「絶対に教えない!!」
     
     悟は自身の口を手で抑えるようなポーズをした。しまった、こうなったら何がなんでも言わないな。……仕方ない、今は一旦引くか。
     
     「…そっか。残念」
     
     そう言って、諦めたような態度を見せる。勿論また隙を狙って探りを入れるつもりだ。悟は私が諦めたと思ったのか、ホッと安堵の表情をする。はは、甘いなぁ悟は。
     表面上ニコニコと笑ってなんとも思っていないのを装い、私は近くに置いてあった飲みかけの酒を口に入れる。……ああ、やっぱり甘いな、くそ。
     
    (……こんな度数の低くて甘い酒じゃ、酔いたくても酔えやしない)
     
     出会った時に「こんな綺麗な人がこの世にいたのか」と驚き、一緒にいるうちにいつの間にか惚れてしまった相手が、側にいたくて大事に大事にしていた相手が、私じゃない誰かに、私の知らないところで惚れたなんて、許せるはずがない。
     
    「……じゃあ、そいつのことは綺麗さっぱり忘れようか」
     
     無意識にそんな言葉が出た。だが、これは本心からだった。失恋したというならば、一刻も早くそいつのことを忘れてほしい。忘れるべきだ。
     そもそも、悟はそんな引きずるタイプではない。仕方ないことは仕方なかったと割り切って、次へと進む。軽薄にも思われる性格は、今はとても有難いと考える。
     しかし、予想外に悟は、私の発言に対して戸惑ったような困惑したような表情を見せた。嫌な予感を感じながら、私はなんでもないようなふりをする。
     
    「…悟?」
    「え!?…あ、その…い、いや…でもさ?忘れることはないんじゃないの…?」
    「……は?」
    「だって……俺……別に、迷惑かけてる訳じゃないし……」
     
     モゴモゴと口をもたつかせながらそう話す悟に対し、自身の感情がフッと冷めていくのがわかる。だが、奥底にあるドス黒い感情は渦巻いたままだ。
     悟は私が今何を考えているか気づいているだろうか。いや、気づくはずがない。私がそう仕向けたのだから。……なのに私は理不尽に、悟への苛立ちを募らせた。
     
    (…へぇ…。昔の一人称になるほど、いやなんだ…)
     
    「……君、失恋したんじゃないの?」
    「し、したけど」
    「じゃあさっさと忘れるべきだろ。迷惑かけてないって言っても、相手も恋人がいるのに、他の人に好意持たれたら迷惑だ」
     
     敢えて強い言い方をした。正直相手が悟のことを迷惑に思おうが思わないが、腹は立つがどうでもいい。それよりも、悟の中にそいつが残るのが気に食わない。言葉の通り、綺麗さっぱり跡形もなく忘れてしまえばいい。
     ……だが、そんな身勝手な願望は次に出される悟の言葉により、呆気なく散らされる。
     
    「…け、けど……
     
    好きで、いるだけでもいいじゃん……」
     
     ———お酒が入っているからなのか、悟にしては声が弱々しかった。それに、青く澄んだ瞳も水を張っているように潤んでおり、あと少しでそこから雫が流れてきそうである。
     
    「……へぇ……」
     
     そんな声が自然と出た。それと同時に、悟が驚いたようにビクッと体を揺らす。どうしたのだろうか。……ああ、私が怖い顔したからか。
     
    「え……す、すぐる…?」
    「……」
     
     戸惑ったような様子の悟に、無言で近付いた。悟は後退りをしたが、幸い、ここは個室で悟の後ろは壁だったので追い込むのは容易かった。
     
    「……悟。……まだ、その人のこと、…好き、なの?」
    「ッ…!」
     
     そう聞くと、カッと顔を赤く染めて目を泳がせる。ああそうだよね。そんな簡単に、好きじゃなくならないよね。けどね、私はそれを許してあげるほど、心広くないんだ。
     
    「…やめときな。…どうせ、叶わないんだろ。まさかずっと、その人のこと好きでいるつもり?……ハッ…笑えるね」
    「ッ〜、そん、なこと…」
    「君がどんなに想ったって、相手は君に振り向くことはないよ」
     
     酷いことを言っている自覚はあったが、止まらなかった。すると、悟は私の言葉に目を見開き、ポロッとそこから涙を流した。それに対して、さすがに泣くとまでは思わず少し狼狽えそうになった。
     
    「…さ、悟…?」
    「っ〜〜、な、なんで…!そんなこと言うんだよ…!」
    「ッ…」
     
     ポロポロと涙を流し、まるで子供のように泣かれる。好きな子があまり見せない姿に、良心が痛まないといけないはずなのに、その姿は私じゃない誰かを想って故だと考えると、怒りのような感情の方が勝ってしまう。
     感情に任せて舌打ちを鳴らせば、悟は私の態度が怖いと思ったのか、怯えるような目でこちらを見る。
     
    「もっ…いいから…!放っておけよ…ッ…!!」
    「…………相方が、どこの誰かもわからないような奴に、迷惑かけるかもしれないんだから、放っておくわけないだろ」
    「め、迷惑なんてかけない…ッ…!邪魔だって、しない…から…!いいじゃん……好きでいるくらい、いいじゃん…!」
     
     なにもわかっていない悟に対し、どんどん理不尽な怒りが沸いてくる。
     
     そんなにそいつのこと好きなの?そんな泣くほどそいつがいいの?……そいつ以外、好きになることはないの?
     
    「ッ…いい加減にしろよ。さっさと忘れて、諦めろって言ってるのわからないのか」
    「ヒッ…や、やだぁ…!」
     
     醜い嫉妬心から声に怒気が篭り、まるで脅しているようだ。自分がやっていることがあまりにも惨めで自分勝手であることはわかっているが、悟の頑なな態度に取り繕えなくなってきている。
     
    「……ああそう………そうなんだ……。じゃあ相手誰か教えて。ぜっっったい、諦めさせるから」
    「やだぁ…やだやだやだぁ…!教えない…おしえないもん…」
    「いいから。相手誰。教えな」
    「やだってばぁ…!」
     
     泣きじゃくりながら大きい体を縮こませて泣く悟を上から覆い被さるように見下ろし、私は「誰なの」「教えて」「さとる」と呼び続けた。暫くして、アルコールも入っていたからか悟は泣き疲れた子供のように寝てしまった。
     
     
    「……私じゃダメなのか。……そいつより、絶対私の方が君のこと」
     
     
     そこまで言ったが、……大好きな子を泣かせてしまったからか……その続きは、言えなかった。
     
     
    ***

     
     ———あの時の僕をぶん殴りたい。
     
     そんなことを本気で考えたが、過去に戻って自分を殴るなんて、いくら僕でもそんなことできるはずはなく、冷静になった今、ただただあんな醜態を晒した自分を恨むしかなかった。
     
     あの後、眠ってしまった僕をどうやら傑が連れて帰ってくれて、そのままベッドに寝かせてくれたらしい。
     目が覚めて傑と顔を合わせた瞬間、何を言われるのかと緊張したが、予想外に傑はいつも通りの態度で「お酒弱いのにあんなに酔っ払って。ダメじゃないか」とお小言と共に水をくれた。あれ?もしかしてあんまり気にしてない?と良かったような、「その程度なのかな」と、なんだか微妙な気持ちになる。
     
    「傑…昨日は、その…」
    「ん?…とりあえず今は、シャワー浴びてきな。あと一時間後には家出なきゃいけないんだから」
    「…おう」
     
     そう促され、僕は言われた通りシャワーを浴びに行った。傑の様子から、なんか昨夜のやり取りが夢だったかのようだ。…もしかして本当に夢だったとか?いや、さすがにそれはないか。
     ……結局、その後も傑に恋人ができたことや、僕が酔って色々騒いで泣いてしまったことなどは触れず、そのまま二人で仕事に行った。
     
    (なんか、昨日色々ありすぎて…心の整理ができてないな……傑に恋人できたこともまだ受け止められてないし……。今日、仕事大丈夫かなぁ…)
     
     ……なんて考えていたら、ここでまさかまさかの事実が発覚した。
     
     傑に、恋人はいない、らしい。
     
     昨日散々荒れた原因であった話は、本当にただの噂だったことが判明した。そのきっかけは、番組のプロデューサーが傑に「最近例のアナウンサーと仲良いけど付き合ってるの?」とニヤニヤ顔で聞いてきた途端、傑は凄く不機嫌な顔を見せた。
     
    「私は誰とも付き合っていないですけど。変に勘繰りして話題にするのはやめてください」
     
     ……なんて、ピシャリと言い放ったのだ。あまりの冷めた返しに、ディレクターもビビって「そ、そう…?」と冷や汗をかいては苦笑いをし、そそくさと別のゲストの所へ行った。
     
    「……」
    「…なに?悟」
    「い、いや?なんでもねぇよ」
     
     もしかして関係を隠すために敢えてああ言ったのか?とも考えられるが、傑がさっき見せた表情と声からしたら、本当に付き合っていないと考えられる。なんとなくだがわかる。
     ……て、え?まじ??傑恋人いないの??つまり、僕の早とちり??……と混乱したが、頭の中で苦い顔をした後輩がため息を吐きながら「だから確認しろって言ったじゃないですか」なんて言ってきて、ちょっと居た堪れなくなる。
     好きな男に恋人ができた訳じゃない事実に嬉しくなったが、同時に昨夜のあれはなんだったんだと後悔と羞恥が押し寄せる。ああ、昨日の自分をぶん殴って気絶させたい。七海の言う通り、確認してから酒を飲めよ、僕。
     
     過去をどうこうできるなんてできるはずもなく、僕はただた昨夜の自分の醜態から目を逸らした。ダメだ、忘れよう。恥ずかしすぎる。よし、なかったことにしよう。そうしよう。
     
     そう決意し、気持ちを速攻切り替えた。
     しかし、僕はこの時すっかり忘れていた。昨夜の自分が酔って大泣きしながら傑になんて言ったのか。それがとんでもない事態を招くことなんて、夢にも思わなかった。
     
     
     
     
    「悟の好きな人って誰なの?」
    「…………は?」
    「昨夜教えてくれたじゃないか。その人に失恋したって」
    「……ナンノコトカナ」
    「はは。誤魔化すなんてひどいなぁ」
     
     一仕事を終え、楽屋で二人っきりになった際、ニコニコと笑顔でそう尋ねる傑。傑の質問に、僕は冷や汗を流した。そうだった。僕、好きな人がいるって傑に言っちゃったんだった。
     僕の中では昨夜のことはなかったことだが、傑はしっかり覚えているようで、このタイミングでまた聞かれるとは思わなかった。
     しかし、どう誤魔化すかと悩んで何も言わない僕に対し、傑はなにを思ったのか眉を垂れ下げて申し訳なさそうな表情を見せた。
     
    「もしかして、昨夜私が忘れろって言ったの気にしてる?」
    「え?…まぁ、それは……」
     
     傑にそう聞かれて、言い淀む。気にしていない、わけがなかった。今となっては俺の勘違いだとわかったけれど、傑に好きな人のことを忘れろと言われたことは変わらない。…振り向くことはないと断言されたことも。
     思い出したせいで少し落ち込んでしまった僕を察したのか、傑は眉を下げて謝ってきた。
     
    「……ごめんね。悟があまりに傷ついた様子だったから、忘れた方が悟の為だと思って酷い言い方したね」
    「い、いや…僕も、慣れていない酒飲んじゃって、らしくなくあんな泣いちゃったし…迷惑かけたよな。ごめん」
     
     そう言ってきた傑に、僕も謝った。どうやら傑は昨夜言い過ぎたと反省したようだが、僕の方がひどい有様だっただろう。そう言うと、「はは。昨日の涙と言い、君がそうやって謝るなんて珍しいな。…まだアルコール残ってる?」…なんて茶化してきたので、軽く叩いた。
     
    「いたた…もう、乱暴だなぁ。…で、話は戻すけど、悟はその人のこと、忘れたくないんだよね?」
    「っ…」
     
    ニッコリと笑ってまたそう尋ねてきた傑に、俺は少し黙った後、観念してゆっくり頷いた。昨日の今日で、誤魔化すことはできないことを悟ったのだ。それに、傑の様子から見るに、僕の好きな相手が傑だとはバレていないようだし、この程度なら大丈夫だろう。
     
    「……そう。君にそんな強く想われる相手は誰なの?」
    「……だから、教えない」
    「大丈夫だよ。その人に悟が好意を寄せていること、絶対言わないから」
    「別にそんな心配はしてねぇよ。けど、その…勘弁して。いくら傑でも、教えられない」
     
     …本音を言えば、お前だから教えられないのだが…。
     
    「意地悪なこと言うね。私のことそんな信じられないんだ。傷つくなぁ」
    「うっ…信じてないとかじゃなくて、…これは僕の問題だから」
     
     信用していない訳じゃないと返せば、「ふーん」と納得したのかどうかわからないような態度を見せてくる傑。…なんだか、また微妙な空気が流れた。
     
    「…そっか。じゃあ、その人といつ会ったの?」
    「え…」
    「それくらいは教えてくれるよね?」
     
     ……傑の笑顔から圧を感じ、僕はタジタジになる。はぐらかしたいが、この様子からそれは叶えさせてくれなさそうだ。
     
    「結構前…かなぁ…」
    「…もしかして私より前に知り合っている人?」
    「どうだったかなぁ…」
    「覚えてないの?…じゃあ、どういう出会い方したの?」
     
     まるで事情聴取かのように、次々と傑から質問をされる。僕はなんでもないような態度を装っているが、内心冷や汗ダラダラだった。油断してポロッと相手が傑だとバレかねないからだ。
     
    「場所は?何をしている人?そもそも、私が知っている人?」
    「ッ…だから探ろうとするなっての!これじゃあ僕の好きな人わかっちゃうじゃん!」
    「…………チッ」
    「え?舌打ち?」
     
     まさか舌打ちされるとは思わず、傑を睨みつければ傑は何事もなかったかのように、話を続けてきた。
     
    「はは、ごめんごめん。じゃあその人がどういう人なのかは教えてくれない?…あ、探ろうというわけじゃなく、悟がどういう人を好きになったのか、相方としても親友としても気になるんだ」
     
     傑が強請るような表情をしながらそう言ってきたから、つい僕も絆されて「…まぁ、それくらいなら」と返してしまった。この誑しめ。これで何人の女を惚れさせたんだか。…僕もその中の一人だけどさ(女ではないけど)。
     けど、傑だってわからないように言えばいいんだし、これくらいなら大丈夫だろう。
     
    「うーん…人誑しの天才で、世界が違えば教祖になっていたかもな」
    「…は?誑し?」
     
     あ、しまった。傑が怖い顔になった。もしかして、僕の好きな人に悪い印象を持ってしまったかもしれない。フォローをしなくては。
     
    「た、誑しって言うか、根が優しいっつうか…!」
    「…ふーん」
    「そりゃあ、正論ばっか言ってきて優等生ぶってるし、目立ちたがり屋だし面倒なところもあるけど、そこが良いというか、そういうとこも悪くないっていうか…」
    「…なんか、想像していたのと違うな…」
     
     そういや初めて会った時、席が近かった傑に挨拶されて「変な前髪」って笑った後、殴り合いの大喧嘩になったんだよなぁ。先生にも怒られるし初日から反省文書かされたし最悪だった。あの時は、まさか傑のことを好きになるだなんて思いもしなかったな。
     
    「それに案外短気だし喧嘩っ早いところもあるんだよ。……けどクソ真面目でなんだかんだ優しいから、困っている奴みたら放っておけないみたいで。だから後輩からもめちゃくちゃ慕われているんだけど、そこもちょっと妬ける」
    「…へぇ。随分面白い性格してるね、その人」
    「モテるのはわかるよ。そりゃあ僕の方が背も高いけど、そいつの方が体格いいし。色気?があるのかな。声もいいし。あれズルい。女の子だってメロメロになる。もうめちゃくちゃかっこい———「悟」……ん?」
     
    「君の好きな人って、男なのか?」
     
     傑のその問いに、心臓が飛び跳ねた。
     ……しまった、つい喋りすぎた。僕は冷や汗を流す。調子に乗って余計なことまでべらべら喋ってしまった。僕としたことが。
     恐る恐る傑の顔を見れば、相変わらずニッコリ笑っているが……何故だろう、傑の背後から黒いオーラが見えるのは、気のせいだろうか……。
     
    「そうか、男か。随分と惚れ込んでいるようだね」
    「す、傑…その、えっと…」
    「ああ。別に、君が同性を好きになったことに引いてないよ。驚いてはいるけど」
     
     誤魔化しがきくような雰囲気はなかったが、僕の好きな人が男であることに対しては、傑は本当に引いた様子はなかった。ただ、なんだろうか…。なんとも言えない、ピリピリした空気が纏っている気がするのは…。
     
    「……もしかして、今まで、私に隠れて男と付き合っていたなんてこと、ないよね?」
    「ッバカ、ねぇよ!他の男とかぜってぇ嫌だし、そもそも初恋だし………あ」
     
     あらぬ疑いがかけられそうだったから慌てて否定すれば、勢いでこれが初恋であることまで言ってしまった。昨夜といい、今といい、……僕のバカ。
     慌てて自身の口を手で抑えたが、傑の耳にちゃんと届いていたらしく、傑は「そう」と抑揚のない声で返した。
     
    「……それはよかったよ。……いや、全然良くないけど」
    「え?なに?」
     
     最後の方が小声で聞き取れず、聞き返したが傑は胡散臭い笑みを浮かべるだけで答えてくれなかった。
     
    「ああでも、その人には恋人がいるんだったね」
    「え」
    「忘れるのに時間はかかるだろうけど、……いつまでも引きずるのは君のためにも良くないんじゃない?叶えられない恋をするのは、辛いだろ」
    「あ…」
     
     傑からのその言葉に、またズキっと胸が痛んだ。
     傑は、僕のために思って言っているのはわかっている。自分と同じ気持ちになってくれない相手をいつまでも想っているほど惨めで虚しいことはない。……傑に恋人がいなかったけど、この恋が叶うなんて思っていないから、同じことである。
     
    「…実は、その、恋人がいるって……僕の勘違いだったみたい」
    「は?」
     
     そうだ。傑に恋人がいようがいないが、僕の恋は絶望的である。だったらこの恋は心の奥底にしまって、相方として親友としてずっと隣にいれればいいんだ。ずっとそばにいれたら僕としては大満足だ。
     一応、昨夜迷惑かけたこともあったし、好きな人に恋人ができたというのは僕の勘違いであったと傑に伝えれば、傑は目を見開いて体を硬直させていた。
     
    「…えっと、つまり君はまだ失恋していないってことかい?」
    「あー…今は、そういうことになるのかな?けど、いずれそういう日は来るかもしれねぇし。やっぱり覚悟しておいた方がいいよな」
     
     自傷気味にそう笑い、傑から目を逸らした。
    いずれそういう日がくるかも、と理解しているふりをしているが、本当はそんな日は永遠にきてほしくない。諦めている癖に、傑が他の人のものになってしまうのは、想像するだけで苦しかったのだから。ずっと、ずっと僕と一緒にいてほしい。我ながら、なんて往生際の悪い。
     
    (けどそんなこと、ただの相方…親友に思われているなんて、気持ち悪いだけだってわかってるよ)
     
     すると、暫く僕らの間には無言の時間が続いた。傑はなにを考えているのだろうか。もしかして、僕の熱愛報道とか心配してたりして。
     そんなことを考えていたら、傑の口が開いて、僕の名前を呼んだ。

    「悟」
    「ん?」
    「あのさ、君が良かったらなんだけど———」
     
    ***
     
     急募、ある人の頭の中から特定の人物の記憶を抹消する方法。
     
     そんなバカみたいなことを頭に浮かばせながらなんとか平然を装ったが、内心かなり荒れていた。なんせ、長年好きだった相手に、好きな人がいることが発覚したからだ。
     昨夜、悟はお酒を飲んで子供のように泣いていたが、泣きたかったのはこっちだ。誰だ君をこんなに誑し込んだ奴は。今まで悟に近付いてくる害虫を処理していたのに、いつのまにそんな相手ができたというのだ。そんな怒りややるせなさでいっぱいだった。
     フツフツと湧き上がる殺意をどうにか必死に抑える。いや、まだだ。幸い、悟の好きな相手には他に恋人がいるらしい。だから悟は慣れないお酒を飲んで、荒れていた訳だが。
     ならば悟がそいつのこと綺麗さっぱり忘れ去ってしまえばいい。そう思い、昨夜悟に「忘れるべきだ」と告げたのだが、……認めたくないが、悟はそいつのこと相当惚れ込んでいるようで、忘れたくないとか、まだ好きでいたいとか駄々をこねた。好きな人が他の奴に対してそうなっている姿なんて見たくなかった。いつもは可愛くて愛おしく仕方ない存在が、昨夜はどうも憎たらしく思えてつい意地悪をして泣かせてしまったことは、帰宅してから反省した。悟をおぶって家まで帰るのは結構労力を使ったが、それよりも悟に好きな人がいて、それも相当好きだと判明したことによるストレスからの疲れの方が強かった。
     
    (誰だ…悟にこんな想われている奴は…一体…)
     
     嫉妬心から、顔も名前も知らない人物に殺意を抱く。さすがに犯罪行為はできないが、多分そいつが目の前に現れたらこの黒い感情を抑えられるかわからない。元から親しい人間以外に対して冷めた感情を持っているからか、自分の大事な人を奪っていった相手に対し、優しさを持てる自信がなかった。
     
     ならば、悟とそいつの仲を徹底的に邪魔してやろうと考えた。幸い相手には恋人がいるらしいし、悟も叶える気がないらしい。そいつと悟がくっつく心配はなさそうだが、悟がそいつを想い続けたら意味がないのだ。悟が忘れるためにも、絶対にそいつとの仲を深めさせない。
     
     しかしそうなると、やっぱり相手が誰なのか特定しなくてはならない。
     
     元から探るつもりではあったが、今のところ全く誰なのか見当つかない。なんせ私が今まで外堀を埋めに埋めていたから、そんな不貞な輩が悟に近付くことはなかった。
     
     ……まさか、硝子か?それだったらかなり困る。……いや、違うな。あの二人の中に甘い雰囲気は一切ない。じゃあ、歌姫先輩?…それもないな。確かに歌姫先輩は悟のことを本気で嫌っているし天地がひっくり返ってもあの人が悟に好意を抱くことはないだろうが、悟も歌姫先輩に対する態度に恋情は一切なかった。
     もしかして冥さん?悟、巨乳好きだからな。ありえ…ないか。うん。
     じゃあ可愛がっている後輩の誰かか?それともディレクター、スタッフ、ファン、猿、さる……。
     
     ダメだ。まったくわからない。
     
    (……やっぱり、悟からなんとか聞き出すしかないな……)
     
     うまいこと言いくるめれば、なんだかんだ素直な悟は話してくれるだろう。そう考えて、楽屋で二人っきりの時にタイミングを見計らって聞き出そうとした。「悟の好きな人って誰なの?」なんて、まるで天気の話を振るかのような態度で。
     しかし、そう簡単にはいかなかった。昨日の様子から簡単ではないと思っていたが、悟の頑なさは予想外である。寧ろ、昨夜の時と違いアルコールが完全に抜けて冷静になっている悟の口を割らせるのは難しい。
     ならば作戦変更して、悟から情報を引き出して特定してやろうと考えた。
     
    「はは、ごめんごめん。じゃあその人がどういう人なのかは教えてくれない?…あ、探ろうというわけじゃなく、悟がどういう人を好きになったのか、相方としても親友としても気になるんだ」
     
    本心を隠しながらそう話せば、悟は納得してくれたのか固かった口を漸く開いてくれた。
    しかし、次に出た悟の発言は予想外のものだった。
     
    「うーん…人誑しの天才で、世界が違えば教祖になっていたかもな」
    「…は?誑し?」
     
     …それは、絶対好きになってはいけない人間の特徴だろう。
     教祖ってなんだ。詐欺宗教をやってそうな奴が好きなのか悟は。絶対やめとけそんな奴。そう思ったのが顔に出たのか、悟は私の顔をみて慌ててフォローしだした。
     
    「た、誑しって言うか、根が優しいっつうか…!」
    「…ふーん」
    「そりゃあ、正論ばっか言ってきて優等生ぶってるし、目立ちたがり屋だし面倒なところもあるけど、そこが良いというか、そういうとこも悪くないっていうか」
    「…なんか、想像していたのと違うな…」
    「それに案外短気だし喧嘩っ早いところもあるんだよ。……けどクソ真面目でなんだかんだ優しいから、困っている奴みたら放っておけないみたいで。だから後輩からもめちゃくちゃ慕われているんだけど、そこもちょっと妬ける」
     
     先ほどの口の堅さが打って変わって、どんどんと好きな人について話してくれる悟に、相槌を打っていたが……与えてくるダメージも大きかった。悟がそいつのことを話せば話すほど、どれほど好きなのかが伝わってくるのが辛い。なんだ、その頬をほんのり赤く染めたデレデレした顔は。可愛いけど可愛くない。すごく可愛いけど、すごく憎たらしい。

    「…へぇ。随分面白い性格してるね、その人」
    「モテるのはわかるよ。そりゃあ僕の方が背も高いけど」
    (…ん?)
     
     悟の話を内心苛立ちながら聞いていたら、違和感を覚える。
     
    (悟の方が、背が高いなんてそんなの当然じゃないのか?わざわざ言うことか?)
     
     悟の背は一九〇を超えて、大体の女性より高いのは当然だ。相手はもしかして外国人か?いや、外国の女性でも悟より背が低い人が多いだろう。
     
    「そいつの方が体格いいし。色気?があるのかな。声もいいし。あれズルい。女の子だってメロメロになる」
     
     体格が、いい…?女の子だってメロメロになる…?
     悟から出てくる言葉に、嫌な予感がした。まさか、と思った。だから意を決して、まだ話している途中だった悟を遮って聞いた。
     
    「もうめちゃくちゃかっこい「悟」……ん?」
     
     
    「君の好きな人って、男なのか?」
     
     
     その瞬間、悟は面白い程わかりやすい反応を見せた。いかにも「しまった」と言ったような表情をして、自分の手で口を塞いだ。……その行動は、全てを物語っていた。
     
    「…そうか、男、か…」
     
     悟の好きな相手は男。それは、私をなんとも複雑な気持ちにさせた。
     
     ———私が中々悟に告白できなかったのは、悟は女の子が好きだと思っていたからだ。
     
     私が悟への気持ちを自覚したのは高校二年の夏だ。きっかけなんて些細だ。それまでは私は女の子と付き合っていたし、そういう興味は異性にしか持たなかった。それに悟は学生の時、よくグラビアアイドルの写真が載った雑誌を持ってきて、「俺、この子好き」と話してきた。だから悟も、そうだと思っていた。そういう話はちゃんとしたことなかったけど、彼のそういう興味の対象は女性だと思っていた。
     だから、じっくり、外堀を埋めて、私がいないと生きていけないくらい甘やかして、大事に大事にして、いつかは…なんてそんな長期戦を考えていた。
     
     …そんな悠長なこと考えていたから、他の男にとられたというのか。 
     
    「随分と、惚れ込んでいるようだねぇ……」
    「す、傑…その、えっと…」
    「ああ。別に、君が同性を好きになったことに引いてないよ。驚いてはいるけど」
     
     そう、驚いている。引くわけがない。動揺しただけだ。
     
    「……もしかして、……今まで、私に隠れて男と付き合っていたなんてこと…ないよ、ね?」
    「ッバカ、ねぇよ!他の男とかぜってぇ嫌だし、そもそも初恋だし………あ」
     
     まさか自分の知らないところで悟が男と付き合っていたりしないかと聞けば、それは即座に否定されたから安堵したが、ムカつくことにそいつが悟の初恋だと判明する。だからつい、口角が引き攣った。

    「……それはよかったよ。……いや、全然良くないけど」
     
     ああ、本当に、忌々しい。存在丸ごと消してやりたい。
     
     ……待て、私。こんな苛々ばかり募らせたら、私が嫉妬で荒れていることに悟に勘付かれてしまう。冷静に、冷静にだ。幸いその男には、恋人ができたと昨夜言っていたではないか。
     
    「ああでも、その人恋人がいるんだよね?」
    「え」
    「忘れるのに時間はかかるだろうけど、……いつまでも引きずるのは君のためにも良くないんじゃない?叶えられない恋をするのは、辛いだろ」
     
     私の言葉に悟は一瞬だけ下唇を噛み、傷ついた表情を見せた。それに少し良心が痛み、つい視線を悟から逸らす。大丈夫、私は間違ったことは言っていない。…言っていないけれど、私のこの発言が悟のためじゃないことは、自覚している。全部自分のためだ。
     
    (大丈夫…。相手には恋人がいるんだ…。悟もきっと、わかってくれるはずだ……)
     
     しかし、そんな私の自分勝手な行動に天罰が下ったのか、その考えは打ち砕かれた。
     
    「…実は、その、恋人がいるって……僕の勘違いだったみたい」
    「——は?」
     
     私は体を固まらせた。
     勘違い…ということは、そいつの恋人がいないということになるのか…?
     
    「…えっと、つまり…君はまだ失恋していないってことか…?」
    「あー…今は、そういうことになるのかな?けど、いずれそういう日は来るかもしれねぇし。やっぱり覚悟しておいた方がいいよな」
     
     悟はそう言って、悲しげな表情を浮かばせて顔を逸らした。らしくない表情である。そんな表情を、他の男がさせていると思うと、怒りが湧いてくる。
     
    (……そんな無理するほどなら、最初から好きにならなかったらよかったのに)
     
     無意識に、そんなことを言いそうになったがなんとか留めた。そんなこと私に言う資格ないだろ。それよりも、悟の好きな男に恋人がいなかったことの方が問題だ。

     正直、そいつに恋人がたならば、その間はその男が悟と付き合うことはないだろうと踏んでいた。だからまだ余裕があった。勿論、忌々しいことには変わらないが。
     もし、そいつが何かをきっかけに悟の気持ちに気付いて、悟と付き合うことになったら堪ったもんじゃない。…幸い、何故か悟は叶える気がないようだが、なにをきっかけに考えを変えるかわからないのだ。悟と私じゃない誰か、それも男と添い遂げるところを、……私がそれを大人しく見守るほど、優しい男ではない。
     
    (…相手を特定するだけじゃだめだ…)
     
     何か良い方法はないか。頭をフル回転させて考える。そして、…悪魔のささやきが聞こえた。
     
    「…さと、る」
    「ん?」
    「…あのさ、君が良かったらなんだけど、
     


    ———私と練習してみないか?」
     
    「…あん??」

     悟は私の発言に「何言ってるんだ」と言いたげな顔をして見てきた。

     本当、何言ってるんだ私は。
     
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