はみだし国獄怪奇譚 夏なので。男しかいないので。それなので。
国獄温泉の夏は暑い。温泉の地熱と湿気があるからだ。人目なし、お咎めなしの無法地帯、この世で割と上位に閉鎖的なこの空間は最も自由な空間と化す。
「全裸はやめろ」
「剃ればいいでしょみたいなツラしやがって」
「剃ったら逆に暑くね〜」
「俺初めて知ったわ、毛が拡散してたんだ……」
「てーもーぷれーだーって喜んで剃りまくるからだろ」
「まあ見た目は可愛いし」
「かわいくはねーよ」
「どすこい」
どすこい。どすこい。どすこい? 全員が外湯の片隅に注目する。そこには全裸で灯籠に突っ張り稽古をし続ける漆羽の姿があった。
「うるぁさん灯籠壊れちゃうよ」
「なんか恨みあんの?」
「多福呼ぶ?」
一心不乱にどすこいし続ける漆羽にスクワッドの声は届かない。漆羽さん金玉でけーなとかみんなで思っているうちに灯籠を支える基礎が少しだけ動いた。「うるぁさんストーップ! そこまで」と伏見が羽交締めにしてどすこい終了。
「漆羽さんどーしちゃったの? おすもーさんになる? 今からでも遅くはないと思うけど」
「上を目指す男かっけ」
「……」
漆羽の反応はなく、伏見はうーんどうしよと呟き、そのまま温泉に投げ入れた。
「ブァ! 何すんだてめえ!!」
「うるぁさんだ」
「起きた?」
「ずっと起きとるわ!」
「どすこいしてたじゃん」
「は? どすこいは夜だろ」
「ちょっとやめてよ///」
「なんでお前が照れんだ」
正気に戻った漆羽は外湯を泳ぎ始め、アチーな水になんねえのかこれと文句と言いながらバタ足を強め、全員に飛沫がかかり迷惑をかけている。
「いつもの漆羽さんだ」
「さっき変だったよな……」
「玄力反応ないけどなあ……」
ザワつくスクワッドだったが今日はこれからスイカ割りなのでそれどころではなかった。どうせスイカ汁つくしと全裸のままの漆羽が元気いっぱいスイカを割り、ほぼ粉になったスイカをみんなで拾って食べた。おいしかった。
どすこい。
「うるぁさん! どすこいやめて! 朝4時だよ!?」
「どすこい」
「なんで目が死んでんだよ! せめてキラキラして!」
朝から漆羽さんがいねぇと探し回った結果昨日の灯籠のところに漆羽はいた。伏見は動揺しつつもとりあえずやめさせようとするが、漆羽が聞き入れる様子はない。それどころか伏見の声などまるで聞こえていないようだ。
「なんで灯籠と突っ張り稽古すんの!? 俺としようよ!」
伏見が羽交締めにして漆羽を剥がす。昨日も今日も案外あっさり剥がれてくれるので、勢いで伏見は少し後ろによろめいた。剥がれた漆羽は伏見を押し除け、はだけた寝巻きを直しながら伏見を睨む。
「突っ張り稽古は昨夜しただろ」
「そうじゃなくて/// 危ないからやめて? ね?」
「なんもしてねぇって」
「してるんだよぉ;;」
とりあえず抱き締めてこの場を収めようと手を広げた伏見を見て、漆羽は少し考えクルリと背を向けた。そのまま無言で立ち去ろうとするので伏見はふと気付き「漆羽さん!」と腕を掴もうとし、それをすり抜けて漆羽は足早に去ろうとする。
「うるぁさん!! なんか隠してんでしょ!」
「……」
「うるぁ……逃げた!」
漆羽は無言で駆け出した。裸足の癖にすぐに岩場を抜け伏見の煙も振り切ってあっという間に屋内に姿を消した。どのへんに行くかは予測がつくがすばしこいので一人では手に余る。伏見はバンデェア!と外から番台を呼び、ウルケテ(ものども漆羽さんを決して怯えさせず見つけ出してそして早く問題を解決するの助けて)の狼煙を上げた。国獄において漆羽以外の重要事項はない。全員が訓練通り陣形を取り、建物から外へと縦横無尽に逃げ回る漆羽になんであんな動けるの怖い怖いと怯えながら少しずつ囲いを狭め、結局最初の灯籠の所に追い詰めた。
「観念しろや漆羽さん」
「もう逃げらんねえぜ」
「……」
少し遅れて現着した伏見が息を切らせながら言う。
「漆羽さん……懐に隠してる物だして」
「そうだそう……え?」
「なんか隠してんの?」
何も知らないスクワッドの面々は伏見と漆羽を交互に見た。
「漆羽さん」
にじり寄る伏見に「……嫌だ!」と漆羽は懐を抱き抵抗する。言葉ではそう言うものの、諦めはついているのかそれ以上の抵抗はしない。伏見は出来るだけの優しい声でそっと近付く。
「怖くない、怖くないよ」
「うぅ……」
蹲る漆羽がいつまでも決心がつかないので、伏見はかがみ込み無理やり漆羽の抱えているものを取り上げた。
「あっ……」
「殺さないから!」
「先に言うな!」
「ナ○シカごっこより先に説明して」
スクワッドが覗き込み、伏見の手の中にあるものを見る。うごうごと覚束なく動くそれは、「いぬ!」「きつね?」「たぬきじゃん」と一目見ても何もわからない謎の黒茶色・丸み・短い手足を生やした謎の生き物だった。観念した漆羽は俯きながら言う。
「だってよ……お前らに見せたら食うだろ……」
「食わねぇよ」
「食うの漆羽さんだろ」
「そんな謎可愛いの食わねーよ」
「マジで何?」
暗い声の漆羽とは裏腹に、伏見の手の中で蠢くそれは高い声で愛嬌を振りまいた。かわいい〜。このまま飼っちゃおうよの空気が一瞬流れ、全員に何かが引っかかった。ふと伏見が毛玉を持ったまま立ち上がり、灯籠に向かう。
「どすこい」
「アッダメダメ」
「伏見ィ!?」
「漆羽さん近寄んないで!」
「伏見離せそれェ!」
伏見から毛玉を奪い取ったスクワッドにどすこいが感染し、灯籠前に割り込んだ。
「どすこい」
「持つとダメなの?」
「離せ!」
「どすこい」
「何でコレェ」
「うるぁさんマジ何アレェ!?」
正気を取り戻した伏見が漆羽を問い詰める。既に大体のスクワッドが順繰りに灯籠にぶつかり稽古をしていた。
「拾ったんだよ! 裏で」
「裏庭でぇ? 熊じゃないアレ?」
「どすこいとは思わねぇだろ……」
「どすこいっていうか、熊だよ?」
「戦力になるかもしんねえし、なんなかったら食えるし」
「怖。怖いよ愛玩用って言ってよ、どすこいは何なの?」
「知らねぇよ……どすこい系の熊だろ……」
「俺が知らないだけかぁ」
熊を受け取った者が順番にどすこいしている様子を成すすべなく見つめる二人は、「うるぁさんがダッコしてるから玄力移っちゃったんじゃないの」「だとしても俺にどすこい欲はねぇよ」「熊だから……」「昔話じゃねーか」「とりあえずあのまま玄力減らして頂いて結界から出てもらうかぁ」「子熊だから親探してっかもな」「親もいきなりどすこい覚えた子供が帰ってきたら悩むだろうけどね……」「それについては悪かった」と適当に決議し、熊の気が済むまでどすこいをさせ続け、日が暮れた頃にようやく結界の外に放つことに成功した。漆羽は熊鍋〜;;とちょっと思ったが、可愛いから拾ったという事にしておいた。何となく相撲の気分になった国獄は秋になると国獄相撲大会が行われるようになり、その中に毎年見た事のない日焼けした大柄の男がいるような気がしたという。