囚人 囚人服が縞模様だという習慣は、とうに廃れたのではなかったか、と蜜柑は抗議した。店長はこちらに背中を向けてドリンクの在庫を確認していたが、分かってないなあ、と呆れたように言うと、顔だけでこちらをチラリと振り返る。
「お客さんはね、別にリアリティを求めて来てるわけじゃないの。雰囲気がそれっぽいってことが、大事なわけ」
「だったら余計、縞々の服なんかじゃなくて、グレーのTシャツだとか、そういう服の方がしっくりくるんじゃねえの」
服の裾を引っ張りながらも、ままごとめいた状況を面白がっている様子の檸檬が口を挟む。
「あのねえ。それっぽいっていうのは、アイコンなわけ。分かる?それっぽさっていうアイコンがあって、それに則ってこそ成立するものなの。雰囲気が大事だって、さっきも言ったでしょ。本格的だったって、楽しくないわけよ」
店長はそばに立てかけてあった箒を手に取ると、これ以上の議論の余地なしという強気な態度で、入り口のマット掃いてきてよ、と蜜柑の胸元に突きつけてくる。店長の言い分は理解できる。要するに、テーマパークと同じ理屈なのだろう。本物とは程遠い安全圏から楽しむ、ジェットコースターと同様の娯楽なのだ。そもそも、蜜柑としては店の可否を問うているわけではない。一言でも、この馬鹿馬鹿しいユニフォームを着ることに抵抗したかっただけなのだ。であれば、大人しく箒を受け取るに限る。蜜柑は入口に敷かれたマットに絡みついたゴミを毛先の硬い箒で掃き取る。薄いグレーのマットには、「囚人カフェ・ジレンマ」と印刷がされている。しつこいゴミに手こずりながら檸檬の方を見れば、カウンターでドリンクメニューの種類を叩き込まれていた。
手の足りなくなった飲食店のバイトができる者を融通してくれ、という依頼に二人が指名された。当然、単なるバイトが必要だというわけではなく、二人にはその日に店で出た上がりを受け取ってこい、と併せて指示がされていた。店長は上がりを納める期限を超過することがしばしばあったらしい。先ほどの店長の態度を見るに、大雑把というよりは相手を舐めてかかっているのかもしれない。
こうして、建前上バイトとして雇われた二人は、当然、店の制服の着用を義務付けられた。
一般的に、コンセプトカフェと呼ばれるこの手の形態の店舗において、店員としての作法などはかなり細かく決められている。そのため、ぽっと出の二人などに接客の業務を任される訳はなく、フロアは元から勤務しているバイトが担う。二人は主に店内の掃除とキッチンの洗い場に付くように言われた。安堵した。接客など、地雷原が広がっているようなものだし、手慣れた店員のような、相手を満足させるような対応をするつもりもない。それでもフロアに駆り出されることも幾度かあり、淡々と注文をとった。何を聞かれても、新顔の囚人には会話の許可をされていないので、と言って誤魔化した。
食器を下げにフロアに出た檸檬とすれ違った時には、同じ状況を味わっている相手に少なからず同情した。当初の面白がっていた様子はどこかへ落としてきたのか、面倒臭そうな顔で両手いっぱいにグラスを抱えている。
「なあ、蜜柑。これ全部酒なんだぜ。呆れるよな」
「カフェとは言い難いな」
「囚人に雑談は許されていないので、話は独房へ戻ってからにしてくださいね」
通りすがりの熟練バイト君が二人に軽く注意する。私事の会話はバックヤードに戻ってから、ということらしい。テーブル席で囚人番号を声高に名乗っていた彼はバイトの中でもベテランで、今日は通常業務に加え、二人のサポートを任されている。先ほどの棘のある注意は、手一杯になっている彼の心情なのだろう。
「独房で会話なんてできないだろ。独房なんだから」
懲りずに檸檬が小声で話しかけてくる。バイト君はテーブルでのパフォーマンスに集中しており、気づかれてはいない。
「疲れてるんだろうさ」
「俺たちだって、疲れてるっての」
檸檬はグラスを抱え直すと、キッチンへ戻っていく。
僅かばかりの給料と、上納金をポケットに突っ込み、店を後にした。胸元に付けさせられた、マグショット風の顔写真は反対側のポケットに入っている。そのバッヂ、置いといてくれたらいつでも店員やってくれて良いんだけど、と図々しいことを言い始めるものだから、後も見ずに店を出てきてしまった。
「でもよ、意外といい出来だよな」
檸檬がバッヂのピンを外しながら、こちらに向けてくる。
「人が楽しめるくらいにはな」
ズボンの中の硬い感触に、これは名前が入っているから、持ち帰らないわけにはいかないのだ、と誰に聞かれたわけではないのに、言い訳をする。