女装　これはアンコウの毒ですね、という医師の診断結果が出たため、白い肉厚な身がゴロゴロと入った湯気をたてる鍋を思い浮かべた後に、そのほのぼのとした空想を打ち消し、なんだか聞いたことがあるようなないような、と少し頭を捻る。考えている様子を察したのか、医師が助け舟を出すように、ほら毒の、と付け加えたお陰で、ああ、と記憶の扉が開いた。

　鮟鱇、毒を使う殺し屋。業界ではお世辞にも名が知られているとは言えず、同じ毒使いとして圧倒的知名度を誇るスズメバチの名声に霞んでいる。二番煎じ、という口さがない評判も聞くが、地道に活動を続けているらしい。そんな健気な鮟鱇を応援していたわけではないが、頑張っているんだな、という程度の気持ちを持った事もある。

　だが、その毒を盛られました、と言われたら腹も立つ。檸檬自身も、隣で真っ黒なクマを作ってやつれている相棒も、グルグルとした胸の悪さが意図して引き起こされたものだと改めて認識すると、周囲の目も気にせずに暴れ出したい気分にもなる。実際、蜜柑は鋭い舌打ちをしたし、檸檬自身も、ハアという不機嫌な声が口から溢れた。

「それで、解毒薬は」
地の底を這うような声で蜜柑が尋ねる。医師はグラグラとしたオフィスチェアに深くもたれ掛かる。
「ないんですよねえ」
二人が勢いよく立ち上がったせいで医師の先程までの余裕げな態度が消え、違うんですよ、と何も言わないうちに両手を振り回す。
「今は！今はですよ。明日までには、いや今日中、二時間もあれば調達できます」
大声で焦ったように、それでもなお、二人の顔色を伺いながら医師は口から唾をとばす。器用だな、と呆れつつも、こういう太鼓もち気質なところが業界で上手くやっていくために必要な素養なのだろう。

　続けて、放っておけば数時間で毒の回るだろう、ということや毒を遅らせるためにはこの女性ホルモンが含まれた軟膏を塗ればよい、三十分ごとに塗り直さないと途端に毒がその効力を発揮し始めるから気をつけて、などの注意事項を述べ、
「軟膏をつけ忘れると本当にまずいです。私はそういう人を何人も診てきました。すぐに鮟鱇の毒だと見抜いた私が言うのだから、間違いないのです。この服を着ておくのがおすすめですよ」
という言葉と同時に、白い飾りのついたドレスを手に掲げた看護師が進み出て来たものだから、さすがに蜜柑の鋭いビンタが医師を襲った。毒で体調を崩しているとも思えない一閃だった。

　紺色のプリーツをひらめかせながら、檸檬と蜜柑は病院には到底見えない雑居ビルから足を踏み出す。おそらくロングスカートの、いわゆるメイド服と言われる衣装だったが、二人の身長の高さのせいで膝下ほどまでの長さしかない。すれ違ったサラリーマンらしい男が振り向いてこちらを見ている気配を感じたが、そりゃ汚いビルから背の高い男二人がメイド服を着てイライラしながら出てきたら気になるだろう。
　隣を歩く蜜柑はよく顔立ちを褒められているが、それでもまろやかなラインを描く衿ぐりから袖口と鋭利な印象の骨格はミスマッチに見え、日頃仕事相手から几帳面そうだのA型っぽいだの言われている男が、今にも怒り始めそうな顔つきで可愛らしい衣装を身につけている様がおかしかった。
「何を笑っているんだ」
蜜柑がギロリとこちらを睨みつける。
「さっさと帰るぞ」
もちろんだ、と蜜柑の背中をバシンと叩いてやる。
　この服に装備できそうな武器を思い浮かべる。解毒薬が手に入るまでの二時間、ただ家で待っている気はさらさらない。突然現れて、モタモタした手つきながらも二人に毒をお見舞いして逃走した鮟鱇を、二人が放っておくわけがないのだ。
　医師から受け取った軟膏を塗りつけながら、すでにスカートに慣れ始めた足捌きで、隠れ家に向かう。