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    本編後の二人

    #喜多主
    sidorMaster

    人は声から忘れる 窓から差し込む柔らかな陽射しで目を覚ます。ちらりと文字盤を見れば、時間は六時を回ったところだった。
     新学期を迎えてから、早速課題制作に根をつめていた。今日は自分にとって久しぶりにゆっくりできる休日である。しかし、寝直すほどの眠気も疲れもない。起き上がり、朝の時間を楽しむことに決めた。
     少し前まで朝は冷えたが、最近は一日中過ごしやすい気温になった。もう、すっかり春になったようだ。

     ――暁が地元に帰ってしまった頃は、まだ空には冬の名残があった。

     暁が居ない生活も、もう一ヶ月は経っている。無性に寂しさを感じ、チャットを確認すると、丁度暁から連絡があった。
    『最近、課題で電話できないって言ってたけど大丈夫か?』
    『ちゃんとご飯食べてる?』
     見えなくともこちらを心配し、眉を落とす暁の顔が思い浮かぶ。想像するだけで愛らしく、思わず口元が緩む。
    『ありがとう』
    『問題ない』
    『課題も無事提出できた』
    『心配させてすまない』

     実際食事はまともにとってなかったので、早速朝食の準備に取りかかる。冷蔵庫に貼ってあるサンドイッチのレシピを見て、また笑みをこぼす。「どれだけ忙しくてもちゃんと食ってくれ」とこの紙を渡してきた暁。どうやらマスターから受け継いだものを、俺好みの味にしてくれたらしい。
     寂しくなるからと、意識的に思いを馳せないように制作に入れ込んでいた反動からか、朝からやけに暁のことばかり思い出してしまう。今日は予定も無い。暁との思い出がある場所を巡ろうか。春が分けてくれた真っ赤に熟したトマトを切りながら、一日の過ごし方を思い描く。


    (すっかり桜も散ってしまったな……)
     暁との思い出がある場所を巡ろうと決意した俺は、まず始めに井の頭公園に訪れた。
     いつもの癖で、指で額を作りそこから風景を見る。景色を彩っていた桜の花は地面を桃色に染め上げ、今度は新緑が代わりに公園を色付けていた。――桜蕊降るとはよく言ったものだ。落ちても尚美しいままの桜は、やはり日本人が魅了され続けているだけある。

     ここは、着想を欲していた自身が暁を誘い、共にボートに乗った場所だ。人の心を理解するために、『愛』をテーマに隣の男女をスケッチしたのだったか。結局のところ、考えていた愛とは違うものだったが、勉強になった。
     一心不乱にスランプ脱却を目指していて気づいていなかったが、あの時の暁は随分困惑した顔をしていた。まだ知り合って間もない男友達と二人でボートに乗ったのだ、困惑して当然だろう。

     しかし今日は俺一人。一人でボートに乗る趣味は無いし、絵から一度離れるための休日にするつもりでスケッチブックもクロッキー帳さえも持ってきていない。
     また暁がこちらへ来た時、誘ってみようか。
     今度は普通のボートではなく、スワンボートに乗ればまた別の景色が見えるだろう。そう考えながら、駅へと戻る。


     時間を見ると、まだ十時前だった。少し遠いがここから上野に行き、よくあいつとも一緒に行った美術館へ行くことに決める。吉祥寺からJL線を使って東京駅方面を目指す。
     電車内は、休日なのもあって平日の朝ほどではないがそこそこに混雑していた。ぼうっと窓から景色を眺めていると、近くの女子高生たちの会話が聞こえてきた。
    「こないだ雑誌で読んだんだけどさぁ、人って声から忘れるらしいよ」
    「え、何? スピリチュアル的な?」
    「アハ、違うって〜。とにかく、声から忘れるらしいって見たからさ、試しに彼氏の声思い出してみよって思ったら、マジで思い出せなくってウケた」
    「アハハ! ヤバすぎ!」
     この混雑している中で、頭に響くような声で会話をしているのはいただけない。そう眉を顰めながらも、今聞いた内容が何故か頭に残った。

     「人は声から忘れる」、俺には関係の無い話だ。
     暁のことをずっと見ていた。飽きる事なく一緒に話し続けた。
     こちらを落ち着かせるような温かい声。イセカイで先導するときの勇ましさがある声。二人だけの時に使う甘い声も、情事中の魅惑的な声も、全部。忘れるはずがない。

     彼の全てを思い出せるほど、深く関わってきたはずだ――俺はこの焦りを、認めたくない。

    (……暁の声は、どのようなものだったか)

     鮮明に思い出すことができない自分を、認めたく無い。

     気づけば、終点の東京駅だった。一つ手前の神田駅で乗り換えるはずが、すっかり考え込んでしまったようだ。丁度いい、ホームで暁に電話をかけよう。そうすれば、この焦燥感も幾らか和らぐはずだ。そう考えて、通話アプリを開く。それと同時に、前に暁と話した時のことを思い出す。





    『なあ祐介。電話の声って本人の声じゃ無いって知ってる?』
    『……突然だな』
     暁をモデルにした作品が描きたいと頼み込み、スケッチをしていた時。暁はふと俺に話しかけてきた。
    『お、珍しい。聞こえてたんだな』
     暁が体は動かさず、目だけを見開く。確かにいつもなら、絵に集中していて話しかけられても気付かない。しかし今回は訳が違う。初めて暁をモデルにして、柄にもなく緊張していた。
    『……それでは、電話の声は一体誰なんだ』
    『限りなく本人に近い、合成音声が使われているんだ』





     彼がなぜあの時、あのタイミングでその話をしたのかは分からない。秀尽は雑学のようなものを授業でも取り扱うらしいから、授業で丁度聞いたことを披露したのだろうか。

     ともあれ、このことを思い出した俺は通話ボタンをタップすることが出来なくなっていた。電話の声が本人ではないのならば、もうやることはただ一つ。
     通話アプリを閉じ、乗換案内を調べる。すぐにチャットアプリを立ち上げ、暁にメッセージを送る。
    『今からお前のもとへ向かう』
    『三時半くらいに駅に来てくれ』
     そうして、なけなしの金を叩いて切符を買った。


    『は?』
    『え、祐介?』
    『本当に来るわけじゃないよな?』


     目的地へ到着するアナウンスが聞こえ、扉の前で今か今かと待つ。扉が開いてすぐ、小走りで改札へ向かう。改札前に、待ち焦がれていた姿が見える。
    「暁! すまない、待たせた!」
    「うわあ、本当に来たんだ」
     信じられないといった様子で、暁がこちらを見てくる。これが、彼の声――途端に嬉しさが溢れてしまい、思わず暁を抱きしめてしまう、
    「えっ、ちょッ! 祐介! 馬鹿!」
     背中を強く叩かれてしまい、仕方なく彼を解放する。だが、興奮は収まらなかった。
    「暁! 名前を呼んでくれ!」
    「は? ……祐介?」
    「もっとだ!」
    「祐介……わかったから、一旦改札離れよう」
     周りの目などなくなったかのように、歓びを全身で表現してしまう。そんな俺を止めようとする暁の表情は、呆れながらも嬉しそうに見えた。
    「もう……突然すぎるぞ、お前。モルガナ置いてきちゃった。一緒に迎えに行こう」
     じろりとこちらを見遣る人々から避けるように改札を離れてから、いつものように前髪を弄って、暁が言う。
    「それはつまり、君の実家に一緒に行くということか! ……すまない、衝動的に来てしまったから手土産も、買う金もなくなってしまってな」
    「ばかおイナリ……びっくりしたけど、嬉しかったからいいよ。行こう、案内する」
    「! ありがとう、暁!」

     声を忘れないようにするというのは、人間である限り難しいのだろう。しかし、忘れたことをもう不安に思うことは、二度とないと言い切れる。だって、暁は俺の手が届く場所に居て、すぐに会いに行けるのだから。
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