異世界転生キャンセル 死んだ! と思ったら、知らない場所にいた。
詳しく言うと、横断歩道で行儀良く信号が変わるのを待っていたら、トラックに突っ込まれ、恐怖から咄嗟に目を瞑った。ら、何故か絶対に俺の部屋ではないキラキラした凝った家具で埋め尽くされた部屋に居たのだ。
夜だから部屋は暗いけど、窓から差す月明かりでなんとなくどんな雰囲気なのかは分かる。
とりあえずぐるりと一周辺りを見渡して、俺はようやく一つの事実に気づいた。
あれ? 俺異様に身長高くない? と。
なんか家具がどれもこれも低く見えるし、真上には天井があるのだ。
どういうことだと床を見下ろすと、そこにあるはずの俺の足は無かった。
「へ?」
足がない!? 思わず本来ならば足があるであろう場所に手を伸ばしたが、その手は空を切った。
それと同時にもう一つ重大な事実に気づく。
空を切った手をまっすぐ眼前へ伸ばし、月明かりに照らした。
やっぱり気のせいなんかじゃなかった。
「……俺、透けてね?」
呟いた瞬間、ガチャリとドアが開く音がする。
この部屋にはドアが二つあったが、俺は迷わず音のした方へ振り向いた。
そこからは、金髪碧眼のあまりにも美しい美少年が顔を覗かせていた。
「えっ、えっと……はろー?」
「こんばん、は……?」
明らかに外国人であろうその少年に、俺は苦笑いで手を振る。
しかし、その少年はあっさりと日本語で挨拶を返してきた。その顔にははっきりとした戸惑いが見える。
よく見れば、ベッドの毛布は少し乱れており、誰かが先ほどまで寝ていたことは一目瞭然だ。
その誰か、はもちろんこの少年なのだろう。
把握した。つまり俺が侵入者ってことね?
「すみません本当に俺もよく分からないけど何故かここにいてとにかく怪しい者なんかじゃなくて!」
「ええっ!? あの、とりあえず落ち着いてください!」
家族とか呼ばれたりしちゃったらどうしよう、とか、強盗とかだと思われたらどうしよう、とか。
色々な考えが一気に吹き出し、俺は相手は子供であるにも関わらず取り乱してしまった。
子供も困惑していたが、あまりの俺の取り乱し具合に冷静になったらしく、子供らしくない真面目な声で俺を落ち着かせてくれる。何だこの子、めっちゃ優しい子だな。
俺が感動でじーんとしていれば、その子は俺の全身……いや、足がないから上半身? を隅々までじっくりと眺めた。
「死霊の一種……、にしては下半身は無いものの僕たちに姿が近すぎますね。貴方は一体?」
「え? 死霊? あー……そういやトラックに突っ込まれたから死んだってこと、なのか?」
「とらっく?」
死霊、という言葉がすんなりとその子供の口から出たことに驚く。この年頃の子って普通は「お化け」って表現しそうだけど。
それよりも、何故か俺の存在を不思議がらないことに違和感を覚えた。何その反応、慣れてる?
だが、トラックという言葉に首を傾げる姿は年相応で、それでいて先ほどまでの賢さを考えてみるとひどくアンバランスだ。この子の教育どうなってるの?
「トラックだよ。ほら、車よりも大きくて……」
「くるま?」
「ウソだろ車も知らないのか……。えっと、歩くよりも早く移動できて」
「馬車のことですか?」
その子供はパッと見小学生にも見えないのに、先程までの会話から俺は思わず同年代と話すような口ぶりになってしまった。
しかし、子供はそんなこと構わないのか普通に俺の話のテンポに追いついてきている。なのにやっぱり知識は偏っている。明らかに変だ。
かと思えば、急に馬車だ。なんで車は知らなくて馬車は知ってるんだ?
馬車なんて今どき絵本でしか見ないだろうに。
もしかして外に出たことない? でもこの年頃の子でそんなことありえな……いや、もしかして軟禁されてるとか? 児童虐待?
そうだとするならば通報、と手をズボンのポケットに入っているはずのスマホに手を伸ばしかけたところで、今の俺には下半身が無かったことを思い出す。そうだ、今の俺は死んでる(暫定)んだった!
「あの、よく分かりませんけど僕はそんなことされていませんよ。外は確かに歩けませんけど、それは暗殺とかの可能性があるからで、」
「は? 暗殺?」
あまりにも現代日本には似合わない言葉だ。思わず出た疑問の声に、子供は考え込むように顎に手を当てた。
俺も同じように考える。多分子供も同じことを思っているのだろう。
そうして、俺たちは同時に顔を上げた。
「一回、お互いのことを詳しく話しませんか?」
「へぇ、つまり簡単に言うと異世界ってことか」
「いせかい?」
「あぁ、こっちの話だよ。こういう世界のことをあっちではひとまとめに『異世界』って呼んでるんだ」
「『にほん』には既に異世界なんていう概念があるのですね。僕の国にはそんなもの無いのに……」
「いや向こうでも完全にファンタジー扱いではあるけど」
お互いのことを話し合い、分かったことがいくつかある。
まず、ここは異世界だった。そうだよな、今どき車を知らない子供なんてそうそういないよな。
話を聞いた限り、どうやら時代背景的には中世ヨーロッパあたりとにらんで良さそうだ。
だが、俺の耳に聞こえる言語が日本語だったり、たった今子供が入っていたというトイレを少し覗いてみれば水洗トイレであったことも考えて、現代の良いとこ取りというか。
さらに、死霊という言葉がすんなり出てきたのは何故かと言えば、まさにこの世界はそういう降霊術……つまり魔術を使える世界らしく。
ここまで来たら、確定でご都合主義ファンタジー異世界だと思うしかない。
そうなると、自然俺の考えは「ワンチャンラノベ系異世界転生(肉体は伴ってないけど)」となるわけである。
こういうのは大抵知っている作品への転生(しつこいようだが俺の肉体はない)だと思うが、一体何の作品だろうと考えたところで、ここの国の名前も、目の前の子供の名前すら聞いていないことに気がついた。
「そういえば、今更だけど君の名前は?」
「僕ですか? ルチアーノです。ルチアーノ・フランボワーズ。貴方は?」
「俺は一木類……あ、いや、『ルイ』が呼びやすいか」
「いちき」、なんて呼びにくさの極みだろう。純日本人の俺ですら、さすがに全部イ段の名字は言いにくい。なんならフルネームでも八十パーセントと脅威のイ段率を誇っている。
にしても、ルチアーノか。やっぱりどこかで聞いた名前だ。ちょうど直近のどこかで聞いたような。
あともう一つ何か情報があれば、と国名も聞くことにする。
「フランボワーズ国です」
「フランボワーズ国。やっぱりどっかで聞いたこと……ん? フランボワーズ?」
しかし、国名を聞いても俺はここがどんな舞台だったのか思い出せない。
だがそれはそれとして、その国名はちょうど先ほど聞いたばかりではなかったか。
こういう舞台設定で、国名とファミリーネームが一致しているキャラというのは、すなわち。
「ええ、僕はこのフランボワーズ国の第二皇子です」
「王族……」
「あっ、そんな身構えないでください! 僕は跡継ぎでもなんでもないので……」
「よく考えたら身構えたところでもう既に死んでるし関係ないな」
予想通りだったその言葉を聞き、一瞬態度を改めようと思ったが、そうしようとすると子供……ルチアーノに慌てて引き止められる。
とりあえず安心させるために元のダラケた姿勢に戻れば、ルチアーノは安心したように微笑んだ。大人っぽいな。
そうか、王子だもんな。道理で賢いわけだよ。まだ小学生にも満たない年齢に見えるのに、こんな広い部屋で一人で寝られるし偉いな。
なんとなくこの幼い子を撫でたくなってしまったが、生憎俺の手は透けてしまう。悔しい。
「偉いな、まだこんなちっちゃいのに。いくつなんだ?」
「偉い? 偉い……ふふ、あっ、その、五歳です」
「五歳!?」
俺が素直に褒めれば、ルチアーノはそれを噛み締めるように繰り返して、驚いたような顔から一転して可愛らしい笑顔を浮かべる。しかし、それが恥ずかしかったのか照れくさそうに俺の質問に答えた。
何だこの子、可愛いな……。
ここだけの話、俺には歳の離れた妹がおり、その妹をよく世話していたからか小さい子には弱いのだ。余計撫でられないことに悲しくなってしまった。
そういえばトラックに突っ込まれたときも、妹が隣に並んでいたけど大丈夫だっただろうか。咄嗟に突き飛ばしたが、無事でいてくれると良いな。
妹……、そういや妹が見てたアニメにルチアーノとかフランボワーズ国とか出てたような……?
これは大事なヒントだ。だが、妹は異世界モノにどハマりしていて、様々な作品をチェックしていたのでどの作品か予想がつかない。
まぁでも妹は基本世間的に流行っていたものを好んでいたし、そうなると流行りものの女性向け異世界モノあたりが妥当だろう。
女性向けで異世界モノで今流行りのジャンル、となると、……。
「悪役令嬢モノ……?」
「ルイ?」
「あ、」
思い出した。
ここは、所謂「悪役令嬢」のポジションに転生してしまったOLが、断罪を回避するために奮闘する物語の世界だ。
タイトルは忘れたが、確か幼少期に前世の記憶を思い出した悪役令嬢である主人公は、この世界が乙女ゲームであったことを自覚し、断罪の運命から逃れるためにあの手この手を使うものの、原作の強制力に抗えずに自分がヒロインをいじめたということになってしまうが、なんだかんだ復讐しつつちゃっかり幸せになる、みたいなストーリーだった気がする。
妹が見てたアニメを横目で見てたぐらいだから、詳しいことは覚えていない。
そして、そんな悪役令嬢である主人公の婚約者は……。
「ルイ、今の見てましたか!?」
「見てたぞ~、チア! すごいな! もう完璧じゃん!」
「ほんとですか? えへへ……」
ふわふわと俺がルチアーノ……チアの周りを漂えば、チアははにかむように笑った。んんん、やっぱりこの子は可愛いな……。
ルチアーノ・フランボワーズ。
フランボワーズ国第二皇子で、婚約者はシャルロッテ。シャルロッテはこの世界の主役、つまり悪役令嬢だ。
要するに、チアは悪役令嬢の婚約者なのである。
そう。将来ヒロインと結婚するため、シャルロッテにヒロインいじめの罪を被せる男。それがルチアーノだ。
……え? この子が?
俺に「この魔法できるようになったんだ!」と嬉しそうに見せてくれてる、まだ十歳ばかりのこの子が???
出会ってからはや五年、どうするかあても無かった俺は、チアにずっと着いていた。
あぁ、チアというのはあだ名である。チアから母にそう呼ばれてるからと頼まれて呼んでいる。愛称のようなものだ。
俺的には別に成仏しても良いかな~みたいな気持ちが無かったわけでもないが(そもそも成仏とかいう概念があるのかも分からないけど)、「ルイは一般的な死霊とは違うので、浄化魔法を下手にかけるのは得策ではないです」とばっさり拒否られ、そういうことならばチアの傍にいるか、ということになったのだ。
チアは王族だし、王宮という国内で最も情報が集まる場所にいるのは間違いない。
俺は物に触れられないため調べることはできないし、五年前に会ったあの日から、チアは解決の糸口を探すべく、足繁く王宮の図書館へと通ってくれていた。
だが、未だ俺がここにいることから分かるように、調査結果は芳しくない。
また、チアも歳を重ねるにつれて習い事なども増えていき、調べる時間は日に日に短くなっていった。
それでも図書館に行かない日はないし、時には専門機関などに訪問するときもある。
そんな行動の結果か、チアは「利発で好奇心旺盛な子」と思われているらしい。
俺がふよふよと王宮を漂っているときに聞いた噂だ。
ちなみに、俺の姿はどうやらチア以外には見えていないっぽい。今まで誰とも目が合ったこともないし、誰にも話しかけられたこともない。
これもチア曰く「一般的な死霊」とは違う点であるとのことだ。
一般的な死霊は、大抵グロテスクな見た目をしており、一般人にも見えるが、意思の疎通は不可能とのことらしい。また、術者の身の丈に合わない霊を呼び出してしまえば、術者をも攻撃してまうのだそう。
そう考えてみると、確かに俺はだいぶイレギュラーな存在だ。
逆に何故チアにだけ見えるのも不思議だが、こういう事情もあって俺の成仏(?)への道は難航してしまっている。
何しろチアにしか見えないのだ。チア以外にどうすることもできない。
不甲斐ない大人でごめんなと思いながらチアを見下ろすと、チアはさっきまではしゃいで連発していた魔法を止め、俺のことを見上げる。
「ルイ、どうしたんですか? そんな暗い顔して。もしかしてこれから僕が女の子と会うことに不満なんですか?」
「いやそんなことではな……ん? 女の子?」
チアは何故か嬉しそうな顔をしながら、俺に手招きする。
チアの横へ降下しながら否定したものの、その内容に引っかかりを覚えた。
女の子? 何故?
「何ていう子?」
「ふふ、やっぱり気になるんですね。シャルロッテという公爵家の子ですよ。彼女が先日十歳を迎えたので、僕と顔合わせができるようになったんです」
「じゃあそのシャルロッテって子はチアと同い年か」
「そうなりますね。多分学園も一緒に通うことになると思います」
俺はそれとなく話を合わせながらも、焦りを覚えた。
この国では、高位貴族は十歳になってようやく社交界デビューをすることができる。
ただ、そのデビューの場は大抵がパーティーであり、個人的な王子への顔合わせなど本来必要ないものだ。
そうなると、おそらくこれが婚約者同士の顔合わせであることは予想がつく。
この反応を見る限り、チアはシャルロッテが婚約者であることは知らなさそうだが、多分近いうちにそれも知らされるだろう。
「……」
「ルイ?」
「チア、お前そのシャルロッテって子のこと絶対大事にしろよ?」
「……はい」
これはお前のための言葉でもあるんだ。
原作において、お前はシャルロッテを大事にしなかったことで、シャルロッテに復讐されたのだから。
しかし、当然そんな真意が伝わるはずもなく、チアは不服そうな表情を浮かべる。
それでも、俺の神妙な顔つきに何かを感じ取ったのか、拗ねたような口調で素直に返事をした。