はたと窓の外を見ると、濃紺の空の中に橙色が薄掛かっているのが見えた。ああ、気付かぬうちに徹夜してしまったのかと思い出した青空の瞳が、握り込んでいたアコースティックギターを傍らのスタンドに置いて立ち上がり、ベランダに続く勝手口の窓を開ける。からからと引かれたレールの音と共に、身体の芯に染み込んでいきそうなほどの寒々しさが肌をぴりぴりと突き刺した。
朝焼けにたなびく白い息が、冷えた空気を震わせる。彼は時々、配信の後もこうして気ままにギターを鳴らしていることがあった。頭の中に駆け巡る音を拾って、書き留めて、そしてまた鳴らして。それを繰り返しているうちに朝を迎えてしまうこともしばしばある。ゲーミングチェアから立ち上がる一瞬のうちに見たディスコードにはいくつかの連絡が来ていたが、今それを返すとおそらく一部の面子に怒られるだろうというのは彼自身も何となく勘付いていた。主に紫髪の先輩とか、あとは白髪の同期とかに。故にそれはまあ、後程返すかと何となく考えたりなどしたが。
ぴりつく朝特有の冷たさが目を冴えさせて、胸と肺を満たす。ベランダから見える街並みの向こう側から、一日の始まりがやってこようとしていた。それは何度見ても、どこか背を押されるような心地になる。今日は何をしようかとか、何か新しいことを始めたいだとか、そんな風に思わせてくれる。この瞬間を拝むことはあまりないけれど、彼は特にこの瞬間が好きだった。
どこまで行けるだろう、どこまでやれるだろう。そんなことを考えてしまう。勿論、後ろ向きの意味ではない。ただこの景色を見ているだけで、どこまでだって行けるし、何だってやれるような気持ちになるのだ。手を伸ばしたその先にある光は、ステージから見るサイリウムにも似ている。なら、その光に何度でも手を伸ばすために、やりたいことは全部やってみたい。そういう風に思わせてくれる瞬間だと思っていた。
「……まだやれるかな」
泣いた夜があった。苦しい夜があった。そう言った人達が、今笑ってくれている。その笑顔に応えたいと願う。きっと研究者をやっているだけじゃ知り得ないことだった。それなら、これから先も自分のやりたいことは、ここにずっとあるはずだ。毎日空高くに上がる光を以てした名を冠して、曇った心に出来ることは。
薄く吐き出した息に、決意を込めた。まだなんて言葉は、初めからここにも自分にもないことを彼は思い出したのだ。
「いや、もっとできるはず」
強欲に手を伸ばしたいと言ったら、きっと見知ったあの面子は笑って良いよと言ってくれるだろう。
貪欲に伝えたいと言ったら、きっと馴染み深いあの面子は仕方ないなと肩を叩いてくれるだろう。
歩けるなら、どこまでも、どこまでも行きたいと言ったら、きっと皆はついていくよと声をかけてくれるだろう。
信じたいものをただひたすらに信じて、誰かの力を借りて、この身から溢れる感情を声に乗せて。そうして超えた夜だからこそ、星が美しく輝く。それを彼は、よく知っている。
決して戻れない過去だから、決して飛ばせない未来だから。今を手繰り寄せて歌いたい。
「……頑張りますか!」
自分自身に送り込んだ激励と共に、彼は冷え切った身体を少しだけ震わせてから部屋へと戻る。もう少しだけ書き込んだ音を整えて、誰かに送ってから寝てしまおうと思いながら引き閉じた、勝手口の窓の向こう。
朝は、今日も変わらずに目映さと晴天を引き連れてやって来ようとしていた。