「……社長。本当に良いんですね」
「ええ、構いません。お願いしても良いですか、甲斐田さん」
思えば、それは体現という名の存在だった。インターネットを好んだとある高校生は、彼自身がインターネットとして君臨する者となってしまったのだ。
世界は順繰りと時間を進めるうちに、様々なものを衰退させていく。始まったものは終わるし、生きているものはやがて死に至る。その中で変わらず在り続けるものとして、データは大海を揺蕩い続けていた。インターネットが在る限り、数字とアルファベットと記号で構成されたそれらは波を泳いでいる。いつしかバーチャルは当たり前になり、不変になった。その中でも年齢を重ねることのなかったとある高校生は、初期に比べてひどく膨大になり、また偶像と化していた。インターネット上に構築された「剣持刀也」という青年は様々なものを巻き込みながらも確立し続けたことによって、彼自身がそれそのものとなったのである。
しかし、彼自身がそうであろうとも周りもそうであるとは限らない。ひとり、またひとりとデータが姿を消していくことさえある。そうして彼は孤独になるのだろうか。孤独になったとしても、彼はインターネットとして在り続けるのだろうか。大衆に向けて、立ち続けるのだろうか。
それを、良しとしなかった者がいた。これは、ただそういう話だ。
「……先にもう一度確認します。この術を施したら、社長はもう現実世界との肉体リンクは途切れます」
「ええ」
「意識をあっちへ戻すことは出来ない代わりに、バーチャルにおけるデータは永久に生き続けます。歳を取らず、死ぬこともない」
「はい」
「万が一世界が滅ぶなんてことがあっても、社長の意識と存在は生き続けることができます。でも、もう戻るところはない。それでも大丈夫ですか」
どうして加賀美がそうしようと思ったのか。それはただ単純な話だ。ろふまおのリーダーは自分であるから、というだけの理由であった。否、もう少し色々な動機がないわけではなかったのだが──とりあえず大義名分として一番に思い至った理由としてはそれが挙げられる。後は単に、不破と甲斐田はそうするのが難しいが、自分は出来たからというのもあった。
ただきっかけとしては遥か以前──加賀美の元に届いた謎のメール。日付は存在し得ない遠い未来に、記載されていた短い文章。
『バーチャルライバー再生計画、企画書面』
そこに記載されていた自分の名前と、書き留められていなかった他三人の名前。どうしてか彼は先の未来に残ると思っていたはずなのに、そこには名がない。何より自分が一番はじめに起こされると記されていたのだ。それはろふまおのリーダーであるからなのか。それとも、もっと別の。
ただ間違いなく、加賀美はこの未来を遂行するために甲斐田へ相談を持ち掛けたのも事実だった。──自分を構成する、性格を含む人格から存在意義、趣味嗜好癖に至るまですべてをコピーし転送した、全くの同一人物をデータとして形成。それに自分の意識を移行することは出来ないだろうかと。要は剣持と〝同じなにか″を自分で作り出せないだろうかと。
結論、研究職の意地と底力の結果それは再現可能だと知り得ることが出来たわけだが、ただそれは加賀美の現実世界の肉体を捨てることが条件であると言い渡されてしまった。いつか戻りたいと思った時、それは永遠に叶わない願いになる。それでも構わないかと聞かれた加賀美は、悩むこともなく頷いた。
──いつか先、現実世界の自分は死してしまうだろう。死を恐れているわけではないが、自らの友人を孤独に浸すことは正直、少し怖いと感じた。故に自分が永遠になれば、あの賑やかで孤独な友人を独りにしてしまうことはないのではないだろうか。ただそれだけの理由でしかなかったのである。愚かといえばそれまでだし、勇気があるといえばそれも違う。
加賀美はただ、インターネットという名の長い長い航路を行くのならば、一人より複数いる方が楽しいんじゃないか、というたったそれだけを考えただけだったのだ。どうせいつかデータになるのであれば、別に少し早まったくらい、構わないのではないかと。
「ええ、大丈夫です。私は、何処に行こうとも私ですから」
大切な人々を胸に抱いて飛ぶ旅路は、案外寂しいものだということを、加賀美はなんとなく、知っていたのだから。
◇
「……本当に来た。嘘だろ」
「こんにちは、剣持さん」
ゼロとイチの構成が、街路樹と街並み、偽物の空を双眸へと纏わせている。その中に佇んだ剣持は何処か眉根を寄せて加賀美を見つめていて、おそらく自分が剣持に寄せたことを気付いているらしい言葉を吐いた。相変わらず聡いなと過ぎりつつも、加賀美は何気もなく手を振りいつも通りの反応を見せる。それさえ、剣持はどこか変な表情で加賀美に視線を向けていた。
辺りはゆったりとした速度で人が歩いているが、それらはどこか人型を保っているようで透明だ。実際バーチャル空間というものは様々な人々がいるものだが、大体は現実世界の肉体とリンクしている。加賀美と剣持のようにもう戻る身体がない者とは違うのだ。
故に二人は、お互いがもう現実世界に戻る場所がないことを分かっている。この果てのないインターネットという世界を漂い続けるだけの、自我を持つデータでしかないことも。
「何で来たんですか」
「……そうですね、」
問われるだろうと思っていたその質問に、加賀美は目を細めた。
思い起こされる、様々な記憶。いや、思い出たち。ああ、これは確かに自分だ。データになろうとも刻まれている、加賀美ハヤトが加賀美ハヤトである所以。それが間違いなく、この身に在る。ならばきっと、いつの日か自分が破損しようとも、正しく加賀美ハヤトに戻って来られるだろう。
きらりとまたたいた光彩は、ただ、間違うことなく。
「……円満解散、させないためでしょうか?」
「なにそれ」
けらけらと聞き慣れた笑い声を上げた青年へ、加賀美はふと小さく思考を過ぎらせる。──ああ、きっとすべてが無くなろうとも、自分は彼らを待っていられるだろう、と。