第二本目 甲斐田晴 「からから」 僕がまだ現世に来て、車の免許を取ってすぐの頃の話なんですけど。
当時住んでいた場所から少し離れた場所に、ちょっと雰囲気の暗い坂道があったんですよ。坂の両端が木に覆われていて、昼間でも薄暗い場所でした。勾配も少し急で、歩いて上がるのは疲れるだろうなーっていつも思いながら運転してましたね。いや、実際何度か使ってた道のはずなんですけど、勾配の影響か歩いている人は一人も見たこと無かったです。車通りもそこまでなかったような気が……なんか気味悪いなーとは思ってたんですけど、まあ人がいないわけじゃないしいいかと思って使ってたんですよね。
ええと、あれはいつだったかな……多分友達と遊んだ後とかにそこを通った、んだったかな? 夜更けで、大体十時くらいでした。帰り際、近道だからってそこを選んで帰ったのを覚えてます。車通りもなくて、細々とした住宅地を抜けて、切れかけの街灯の下を潜り抜け坂道を降り始めた時でした。
あれ? なんか辺りが暗いなって。最初、ヘッドライトがちゃんと付いてないのかと思ってちょっとライトいじったんてすけど、いや普通に付いてる。で、ハイライトにした時に、妙に道が暗いって思って。そこで本当ならついてるはずの坂の街灯が全部消えてることに気づいたんですよ。うわあ怖、早く帰ろうって少しスピード落としながら、緩やかなカーブを曲がりつつ、二分もないだろう坂道を降りてました。
でも、なんか変な音がするんすよ。からからから、みたいな。後ろの方、車の外からする。タイヤホイールに何か小石でも絡んだのかって思ったんですけど、でもそしたらもっと大きな音がなるよなと思って。一度車を停めるべきか悩んだんですけど、こんな暗いところで原因を調べられる気もしなくて、一応ハザード付けてもう少しスピード落とそうかってバックミラーを見たんです。後続車の確認をするつもりだった。それが多分、良くなかったんでしょうね。
白い……布みたいなのが最初は見えました。何かたなびいてる、ひらひら、ひらひらって。あれ、トランクのドアになんか挟んだかな。いやでも今日はトランク開けてないし、友達のイタズラか? そんなことが過ぎった瞬間でした。そのひらひらしてきたものが、突然こっちを見たんです。
いや、布なのは間違いなかったんですよ。ただそれは白いワンピースみたいな、シーツみたいな。裾の長い服だったんです。それを着た人が、ものすごいスピードで僕の車の後ろに張り付いてる。掴んでるのか、走ってるのかまでは分からなかったんですけど、とにかく僕の車の後ろにぴったりくっついてる。そんなの、生身の人間なわけないじゃないですか。それも目ん玉の中は空洞で、真っ黒。でも僕のことを見たんだってすぐに分かりました。これ魔とかじゃない、僕の対応できる代物じゃない、まずい。本能的にそう思って、全身が一気に冷たくなりました。
とにかく早く車通りの多いところに行かなきゃと思って、夢中でハンドルを握ってました。でもアクセルを踏むのは怖くて、速度を落とすのも怖い。今の坂を下るスピードのままで坂の一番下まで行くしかないって思って走ってて。
降りてたのは多分一分もなかったんじゃないかな……ただもの凄い怖かったんで、もっと長かったような気もします。ようやく坂道もゆるやかな下りに差し掛かろうとしたところで、ふっと街灯のあかりも見えて。ああ、良かった、助かるって咄嗟に思った瞬間、僕のスマホが突然鳴ったんですよ。流石にびっくりして最初は取れなかったし、まだ後ろから何か来ていたら怖いし。いや全然バックミラー見れなかったですけどね! 怖かったし、また目合うの嫌だし! だから、とにかく坂を全部下って、その突き当りの交差点まで行けば車通りが多い場所になるから、そこまで行ってしまおうって車を走らせました。で、無事下まで辿り着いて車通りの多い道まで着いてから、ようやく車を止めることが出来たんです。もちろんもうその時は後ろに何かがついてきていることもなかったんですけど。
何だったんだろうってとりあえずスマホを確認しようと思って、鞄の中に入れていたスマホの画面をつけた時、流石に悲鳴が出ました。
ロック画面に、夥しい数の不在着信が入ってたんですよ。全部非通知で、途切れることなく数十件の着信が入ってました。全然気付かなかったんですけど、多分僕が恐怖でパニックになっている間ずっと鳴っていたみたいで。その一番上、唯一不在着信じゃなかった電話……僕がどうにか電話が掛かってきていることに気付いたやつだけ、どうやら長尾からの電話だったんですね。
何か用事でもあったのか、でもさっきの出来事とか不在着信のこととかの手前怖いなあと思いつつ、折り返して電話をかけてみたんです。そしたら案外すぐに長尾は取ったんですけど、もしもし、って声かけたら、いつもは軽い口調で話し始める長尾が突然こう言ったんですよ。
『お前、なんかあった?』
いや、何て言ったらいいか分かんなかったんで、最初は口ごもりました。でもどうしてそんなこと聞くんだって逆に聞き返したら、長尾は大きい溜息を吐いて、今は大丈夫だと思うけどって前置きしてまた言ったんです。
『遠くから、なんか引き摺るみたいな音がするんだよな。あと、さっきからずっとお前の電話越しに誰かが「待て」つってんだよ』
……勿論、長尾にはさっき起こった話は何ひとつ話してなかったのに、ですよ。流石にあまりにも怖かったんで、その後は電話繋いだままで一部始終説明しながら長尾ん家に行って簡単にお祓いしてもらいました。ついでに、あの坂はもう金輪際絶対通らないって決めてます。何があっても近付きたくないですね。今度こそ引きずり込まれそうなんで。
────第二本目 甲斐田晴 「からから」