「お戯れが過ぎるかと」を何かに使いたくて思いつかない「君の評判は帝国にも届いているようだ。」
グリュックに声をかけてきたのは、他都市の領主格の男。
皮肉屋だが実利を優先するリアリストでグリュックも嫌いではない相手だ。
彼から手渡されたフルートグラスを持ち上げ、一口だけスパークリングワインを含むとグリュックは雑談に応じる。
「帝国まで届くとはな。よほど良い評判なのだろうね。」
「ははは!流石はあのヴァイゼの領主様だ。…なあ、方々から目をつけられているぞ。」
男は周りに聞こえないくらいに声を顰める。
「なんだ、そんなことか。」
魔族を召し抱えた時から覚悟していたことだ。
グリュックはにやりと笑い、こたえた。
「…悪評も宣伝のうちというだろう?」
「それは、悪党のセリフだ。ご立派なお貴族様
とは思えないね。」男もあきれたように、だが楽しそうに言った。
「余計なお世話と言いたいところだが、ご忠告には感謝する。」
グラスを一息に空にすると、ひらひらと手を振り、グリュックはその場から離れた。
そのまま煩わしい社交の場から抜け出すと、グリュックはヴァイゼへの帰路を急ぐことにした。
【この後、謎の襲撃でピンチを迎えるグリュック様と助けに来るマハト。】
シガレットケースは懐から飛び出し蓋も空いていた。
グリュックはその行方を手のひらで探り、無事そうな煙草の一本を咥える。
まだ、起き上がることはできなさそうだ。
(マッチはどこだ、擦れるだろうか。)
煙草をくわえたままぼんやり考えていると、急に目の前に影が差した。
視界に入るのは、黄金の装飾のついた見慣れたブーツ。
(マハトか?)
彼は音もたてずに目の前に現れた。
飛行魔法だろうか、マハトの足元から起こる風がグリュックの前髪を僅かに揺らす。
「グリュック様、お戯れが過ぎるかと。」
「君に、言われたくない、な。」
静かな声が降ってきた方に向かい、グリュックは視線だけを上げる。
日を背に向けたマハトの顔は、逆光でよく見えない。
ただ、赤い髪がやけに眩しく見えた。
グリュックは、まさかマハトがこんな帝国領ギリギリまで姿を見せるとは思っていなかった。魔道特務隊が気配を嗅ぎつけないわけがない。
マハトは強大な力を持つ大魔族だが、帝国の力を決して過小評価はしていない。今は争いを避けるべきだとわかっているはずだ。
「マハト、火を。」
「はい。」
屈んだマハトの指先に火が灯り、ゆらめく炎に照らされた顔はうすく笑っていた。
「はは、君は、こんな時でも、変わらない。」
「慌てふためいてみせましょうか。」
「いいや、茶番は必、要ない。追えるか?」
「はい、しかしグリュック様は?傷も浅くはございません。」
「君に、やられたとき、よりはマシだ。」
「では、しばらくはよろしいですね。」
マハトは顔を起こすと彼らが消えた方向を正確に捉え、直ぐにふわりと浮き上がり姿を消した。
何度見ても飛行魔法には慣れない。人(魔族だが)1人が空を浮くのだから。
(これも最期の一服にはならずに済みそうだ。)
グリュックは口の端から煙を吐き出した。