ふたりはともだち領主の寝室で寝支度をしている時のことだった。グリュックに夜着を着せ付けるこの役目も、マハトがするようになってから久しい。
そこで”友人”の話になったのだ。
「君には魔族の友がいると言ったな。」
「はい。強大な魔法を使い、素晴らしい研究者でもある偉大な友でした。」
「『でした』か。その者は存命なのかね。」
「勇者一行に封印されました。」
「封印。ということは、命はあるのか?」
「はい。しかし、動くことも喋ることも叶わないでしょう。」
マハトの表情も口調も一切変わらないことに、グリュックは怪訝な顔をみせた。
「封印を解きに行こうとは思わないのか?」
「思いません。封印されたのはクヴァールの力が及ばなかったからです。それに魔王様亡き今、私が動いても無意味でしょう。」
「もう、友と語り合うこともできないのにか。」
「? ええ。語り合えなくても支障はないかと。」
「支障か! はは! そうなのか。君の話を聞く限り、尊敬できる得難い友のように聞こえるのにな。」
グリュックはおかしそうに笑う。何がおかしいのだろうか、とマハトは思う。
「マハト。君は”寂しい”、だとか”友に会いたい”、だとかは思わないのか?」
「寂しい、感覚としてはわかりますが。グリュック様、思い違いをなさっているようですが、魔族同士が会うのは、その必要があるからです。人のように理由もなく、会いたいから会うのは少なくとも私には馴染みのない感覚です。」
「そうなのか。」
グリュックは顎に手を当てながら、少々考え込む様子を見せた。
「マハト。君たちと我々の時間は大きく違うようだ。」
「はい。」
「君がヴァイゼでこの先何をするつもりかは知らないが、おそらく私の方が先に死ぬだろう。」
「寿命、脆さ、力などを考えたらそれが順当でしょう。」
「だが、良かった。」
「?」
グリュックは微笑んだ。どこか安心したような表情にも見えた。それは、わかる。しかしマハトの疑問は晴れない。
「グリュック様は、なぜ良いことだとお思いに?」
「‥君が、残される側でも、寂しさは感じないと知れた。」
(どういうことだ?)
マハトは知っている。人は、自身の生きた記録を残そうとする。銅像を建て、墓を残し、遺品を分ける。その生が短いからこその習性だろうが、良くもまあこれほど考えつくものだと思うくらい手段が多彩だ。グリュックも、妻の茶葉やら、子の思い出の品を大切にしている。
寂しがられる、惜しまれることを、人類の多くのものが望むと思っていたのだが。
「あんな思いは、君にしてほしくないからな。」
柔らかな声の言葉に裏などない、この男の本心なのだと観察を続けているマハトにはわかる。
近頃、グリュックの私物もずいぶん減った。娘が亡くなってから、娘のものだけでなく自分のものですら少しづつ売ったり棄てたりしているのは気づいていたのだが。それが自分の死後の準備だと気づいたのは、最近だ。
(ただ、自分の悪事の証拠などはきっちり残しているのがグリュックらしい。)
「グリュック様。私は寂しいと思うこともないでしょうが、忘れることもありません。」
「そうなのか?」
「私の記憶力をご存知でしょう。」
「ああ‥そうだったな。」
かつて、グリュックの娘がデンケンに抱いていた気持ちをマハトが見抜いたことがあった。その時も、グリュックはすぐには思い出せなかったようで、後になってから「とんでもない記憶力だな」とため息をついていた。
まだ夜は冷える。マハトはグリュックの後ろから、足首まである夜着の上にガウンを着せ付ける。そしてそのまま、腕を伸ばし後ろから抱き込んだ。
そうしたいと思ったからだ。
「マハト。何のつもりだ。」
グリュックは身じろぎをして腕の中から逃げようとする。マハトはその抵抗を難なく封じ込めた。
「私が寂しく思うことはありません。ですがグリュック様の顔も、仕草も、癖も、このやわな感触も忘れないでしょう。」
グリュックの動きが止まる。
グリュックの体の力がふ、と抜け、マハトの腕の中に抱き込まれたまま、口の中で「そうか。」と小さく呟いたのが聞こえた。
少し俯いたグリュックのうなじが目の前にある。それがやけに美味そうに見えて、マハトは襟足に鼻先を埋めた。すると、何かを察したグリュックがぐるりと後ろを向いた。
「噛むなよ?」
と眉間にしわを寄せ釘を刺してくる。
「私は信用がないのですね。」
「胸に手を当てて考えてみなさい。」
マハトはそっと手を緩め、言葉通り胸に手を当てる。その姿を見て呆れたようなグリュック。
(…油断しているな)
その隙に、マハトは素早く距離を詰め、噛み応えのありそうなうなじに軽く歯を立ててやった。
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めっちゃ怒られた。