お調子者の末路人生が上手くいかない、と。常々そう感じている。
なのに周りは幸せそうに生活していて、不愉快でたまらない。
嫉妬が止まらないのだ。
人間というのは愚かさの塊だと己を省みて実感する。
更に言うならば、誰かを酷く傷つけたい衝動に駆られる。
いっそひとりくらい殺めてしまおうか。
男よりは女の方が殺せばすっとしそうだ。
老人、いや妊婦なんかどうだ。
交尾と繁殖が上手くいったからって幸せそうな顔しやがって。
「……!」
ちょうどいいタイミングで、目の前を腹の膨らんだ女が横切る。
もう少し進んだところに交差点があるから、車道に突き飛ばそうか。
バレないよう、そーっと近づいていく。
「おい、君」
「!!」
何者かに声をかけられ、飛び上がった。
慌てふためきつつ、声の主を視認すれば、女がいた。
灰色のコートを着込んだ、きつそうな眼鏡の女。
「だ、誰っすか」
「君、大丈夫かね。悩みでもあるのか」
「はっ?」
女に表情はまるで無く、台詞だけで淡々と気遣う。
しかし歩み寄るヒールの音は気遣うようにそっと、静かだった。
「悩みがあるなら聞いてやるぞ」
「……」
女の言葉に腹が立った。
聞いてやる、だと?上から目線で、偉そうに。
「いいっす、別に困ってないんで」
「しかし、ここで君を見逃したせいで通り魔が誕生してしまったらまずいだろう」
ムスッとした顔を晒してふてぶてしく返した台詞に、女は間髪入れずに口走った。
思わぬ発言にびくりとする。
分かりやすく動揺する男に対し、女は至って冷静そのもの。
動揺のあまり、男の目には彼女がとても怖く、危険なものに見えて。
どうしよう、バレている。きっと警察に連れて行かれる。いっそ走って逃げようか?
「ッッ……!」
女に手を掴まれた。かと思えばどこかへ引っ張っていこうとする。
そら見ろやっぱり俺捕まるんだ、刑務所に入るんだ。
離して逃がしてほしくて、必死に手を振り解こうともがく。
けれど、女はまるで万力のごとき力をこめていて決して離してくれはしない。
「よせ、いやだ、いやだっ」
「落ち着きなさい。大丈夫だから」
「落ち着けって、ど、どうせ警察に連れてくんだろ!?」
「いいや、話を聞かせて欲しいだけだ」
「いい!!いいから!」
ぶん投げられるシンプルな拒絶にも、女は動じず。
引きずるように、ただひたすらに、男を連行していく。
「ッ、この……!!」
空いている方の腕、その拳を思いきって女の顔面に叩き入れた。
全力でのパンチ、だった。
ただ彼は喧嘩などろくにしたことはなく、せいぜい夢の中で腹の立つ輩に猫パンチを入れたくらいのもの。
よって渾身の『全力パンチ』も、喧嘩上級者からすればずいぶんとへなちょこだったに違いない。
それでも、痛い思いくらいは与えられたと信じた。相手は所詮女だからと。
「……!!」
女の手から力が緩む。(猫)パンチは決まったのか?
罪悪感から目を背けている男に知る由はなかったが、離してくれたならもう逃げるしかない。
もつれた足を動かしなんとか進む。極度の緊張感に目を回しつつ走る。
と、広い道らしき場所に出た。
「え?」
瞬間、眩しい光に射抜かれた。
ーーーーーーー
「お前って面白い奴だよな」
ありがとう、みんなよくそう言ってくれるよ。
「ははは。やっぱユニーク」
そう、そうさ。俺は面白い奴なんだ。
だからこうして友達もいっぱいいるし、自慢の彼女だっているんだから。
「ねえ!今日も面白いことしてよ……え?そういう気分じゃないの?あ、そう……」
え、どうしたの。なんでそんなに冷めた顔するの?俺がふざけないから?
わかった、わかったよ、面白いこと言ってふざけるから。
「もういいよ。何か、お前って……」
……は??
ーーーーーーー
「大丈夫かね」
次に目を開けた時、彼は真上から見知らぬ人物に覗き込まれていた。
あのゴリラみたいな腕力の眼鏡女だ。
「ゴリラ……」
「まともに口をきいた第一声が、それか。興味深いな」
「アッーーー!」
鼻をつまみ上げられて、男は小さい悲鳴を上げた。
女に支えられてゆっくり起き上がれば、そこは人通りの乏しい公園。
暗がりに点在する灯が妙にまぶしかった。
(……眩しい?)
「あれ、俺って……」
「混乱の極地だからといって無闇に走るものじゃない。危うく轢かれるところだった」
あの眩しい光は車のライトだったのかと、妙に納得した。
「何かすいません。もう行きます。お世話さまでした」
「待ちなさい。まだ君の悩みを聞いてない」
「はぃ?」
呆気にとられて、女を見遣る。
彼女はまっすぐに男の目を見ていた。
居心地が悪くてたまらず、男は目をそろそろと逸らす。
「な……、悩みー??HAHAHA。俺の陽キャっぷりを見てよくそんな事……」
「君、人生が上手くいかないと思っているだろう」
思っていることを見透かしたように、彼の思考推察が的確だった。
「う、上手くいってますよ〜。友達もいっぱい、彼女もいっぱい。一夫多妻制もびっくり」
「あぁ、少し前まで居たな。だがいなくなったろう、一人残らず」
男には、友人は一人もいない。いなくなった。
彼は世にいう陽キャというタイプだ。ふざけておどけて他者を笑わすのが日課。
だがいつしか周りがそんな彼のおどけっぷりを『無料で提供されるパフォーマンス』と取りはじめた。
そこからは地獄だ。どんなに体調が悪かろうとも、暗い気分だろうとも、周囲は『パフォーマンス』を要求する。
応えられなければ白け面をかまし、あっさり離れていく。
そして、先日とうとう最後の一人に見限られた。
「寂しいだろうな。性に合わない芸人気質を気取ったが最後だ。誰かに好かれたくてしていたことなのに、結局ひとりぼっちとは」
たとえるなら金魚すくい。
狙った金魚一匹を、ポイで執拗に追跡している。そんな感覚。
男は目頭が熱くなってきていた。
ひと握りのプライドをフル活用して必死にごまかそうとどりょくした。
けれどダメだった。
「孤独だな、君は」
あっさり言い放たれた言葉。
悔しかった。悲しかった。腹立たしかった。
こんな人生でも自分の生き様だ、全てだ。
それを会って間もない名も知らないような女に、ここまでボロクソにこき下ろされるなんて。
「っ……う、ああああぁあ……!」
絶望。その言葉に尽きる。
獣のような叫びを上げる男を、女はじいっと見ていた。
「そこまで悲しむことでもないと思うが。見たところ、君はまだ若いだろう。人間関係が白紙になった程度でいちいち殺人未遂に至るほど悲観していては、身が持たんぞ」
男は余計に号泣する。
この女、慰めるつもりで言っているのか?だとしたら慰め方が下手すぎる。
実は自殺願望を奮い立たせるためなのではと疑念さえ湧く。
「じゃあっ……!!なんで誰も彼も集まってんだよ!人間も動物も、群れでいてこその幸せだろうが!!」
「それは……」
生き物は、突き詰めて言えば単体ではダメだ。
生存は可能だろうが子孫を残せない。つまり、家族ができない。
若いうちは愛情を注ぐ親がいても、老いれば死ぬし、取り残される。
それでも生きねばならない。誰にも愛されない苦痛を抱えながら。
それがたまらなく嫌だ。だから独りが怖くて。
視線が刺さり続けているのを感じる中、男は咽び泣きながら言葉を紡ぐ。
「おれも、しあわせ、に、なっ、なりたっ……」
家族や友人が欲しい。
死ぬまで見守ってくれる人がほしい。そばにいてくれる人がほしい。
それが彼の願いだった。
「……なるほど」
深呼吸に近い嘆息とともに、女がゆっくり口を開く。
「言わんとしてることはよくわかった。そうだな。いつまでもあると思うな親と金、と言うし。ふむ」
拙い主張だったのに、何やらずいぶん納得した様子だ。
「君、いいかね。よく聞きなさい」
泣いたせいで寒気を覚え、震える男の肩をそっと抱き、彼女は囁く。
「何も無理に家族を作る必要などない。子供など作ったところで、幸せとは限らんのだよ」
「……でも、それでも、ひとりは……」
「妥協案にはなるが、老人ホームはどうだ」
「老人ホーム……?」
いやだ、と真っ先に思った。
老人ホームなんて、家族に見捨てられた老いぼれの行く所だ。
そんな酷い認識でいたから。
「……やだ」
鼻をすすりながら拒否すると、女は片眉を上げる。
「そうか。案外いい所だと思うがね、老人ホーム」
「どこがだよ……」
「老人ホームには、老いて、何も無くなった老人達が集まってる訳だろう」
「うん……」
「つまりは皆同じ気持ちで集まる、同志な訳だ。君とよく似ているのではないか?」
死ぬまで一緒の『いい友達』になれると思うがね。
女はそう言った。
彼女の語調はやはり淡々としており、温度を感じない。
しかし。
「……そっ、か……そっか……!」
男は、そんな淡々とした語りに希望を見出した。
どんよりした気持ちが晴れ渡っていく。
不快な胃の底の重さがふっと軽くなる。
辺りは夜だというのに空から光が降るようで。
「そっかー!!じゃあ無理して友達とか恋人とか作らないでいいよな!ウザい付き合いとかしないでも、みんな最後は同じ気持ちなんだし!」
高笑いに近い笑い声を上げて、男は歓喜した。
目をキラキラ輝かせる男。
自分が慰めた結果ながらも少々驚いたのだろう、瞬きを何度かしたあと女はやはりじいっと見つめた。
「はーー。泣いたら喉乾いちゃった」
「向こうに自販機がある。お茶でも買って飲むといい」
「何言ってんのアルコールっしょ!おねーさんも飲もーよ!俺が奢ったげる」
「私は……」
女の言葉に聞く耳持たず、男は自販機へと走っていった。
ーーーーー
「おい、大丈夫か、そんなに飲んで」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
既に半分酩酊している彼。
おそらくまともに歩けもしないどころか、車道へふらりとよろけてしまいそうなほど。
反面女の方はというと、白けているとも取れる表情だ。
つまり、全く飲んでいない。
「おねーさぁん、飲んでるぅ?」
「あぁ、飲んでる飲んでる。溺れるほど飲んでるよ」
「嘘つくなしー。なんで飲まないわけー?酒嫌いなん?」
「……男と酒を飲むのは、嫌いなんだ」
初めて、とも言える彼女の自己開示だった。
憂いをふんだんに含む表情。
過去に何かあったのかもしれない、もう聞かない方がいい。
……空気を読める常人ならそう思っただろう。
「えーーーっ、なんでなんで?!何かあった系!?」
けれどこの男は、酔っ払っている。類を見ないほどに。
理性も想像力も何もかもぶっ飛んだ彼に、そんな高尚な真似などできるはずもなかった。
「当時の恋人にだまくらかされてな。彼の友人数名に、回された。昔のことだが」
さらりとした語り口調でずいぶんヘビーな話をするものだ。
その目は、どこか遠くの方を見据えてはいたが。
「あ、そーなんだー。じゃ俺が慰めたげる。よすよす」
彼はノリ、気持ち、全てが軽薄だった。
そのためだろうか。
「……慰めてやる、だと?」
女は、伸びてきた彼の腕を捕まえた。
先程と同じ、いやそれ以上の力で。
全力で腕を掴んでいるのか、白い手には血管が幾筋も浮き上がっている。
ゆっくり、女が視線をかち合わせる。
「やっぱり私を忘れているようだな?」
目は血走り、薄い唇はめくれ上がり、歯ぎしりをし。
凄まじい怒りの形相だった。
女が顔をぐっと近づけ……なぜか眼鏡を外した。
「……え」
男は、その顔に見覚えがあった。
数年前に付き合っていた、元彼女。
彼は愕然とする。何故ならば。
(こいつ、死んだはずじゃ……)