思い出す「静」
教会らしい十字架もない、簡素な私室。
ストーブに半ば覆い被さる形で暖をとっているところに、そいつは現れた。
振り向く気にもなれないでいるともう一度。
「静。呼んだら返事しなさいよ」
「……返事したくねーからしないんですよォ。名前で呼ばないでいただけますか」
「あらごめんなさい静」
「聞いてましたかこのアマ。呼ぶなと言うのに」
「レディにアマなんて言うもんじゃないわよ」
「失礼このアマ」
雰囲気で「帰れ」と伝えるものの、知らぬ振りをしてニルギリスは勝手に隣に座った。
が、無視する。
神父様のスルースキルの高さを思い知るがいい。
「ねえ」
ストーブだけを見つめている俺に退屈になったらしい。
沈黙をぶち破ってニルギリスが話しかけてきた。
「奥さんのこと聞かせて」
「はァ〜……?何でです」
「聞いた事ないから。どんな人だった?セクシー系?キュート系?」
話すなんて一言も言ってないのに勝手に聴く姿勢に入ってやがる。
図々しい奴だ、ぶっ飛ばしたい。
……が、少しだけならいいかと気が変わった。
「クソみたいな女でしたね」
簡潔に、答えた。
「いっつもいっつも煙草すぱーすぱー吸って、大酒かっ喰らって。おかげで俺までニコ中になりましたよ。喋っても可愛げなんかまるで無ぇし。やたら貧相な尻に敷いてきやがって。いっぺんでいいからぶっ飛ばしてやりたかったですよ」
「ちょ、ちょっと待って、恨み節しか出てこないじゃない。何、鬼嫁かなんかだったの」
「鬼嫁も鬼嫁。顔が良いだけで最悪の女でした」
ニルギリスがドン引きしきった顔をしている。
なんだこの野郎、テメェが聞いてきたんだろうに。
「……そう。で?今は奥さんと別居中かなんか?」
「あいつァもうとっくにくたばりましたよ」
場の空気が凍ったのを感じる。
俺はやはり無視してストーブの熱に集中した。
「酒も煙草も、やめろって、何度も言ったんです。体が弱いんだから、死んで欲しくないからって。ひとりにしないで欲しいって。でもやめなかった」
「……静」
「体が弱いくせに『ガキが欲しい』って言うんですよ、あのアマ。理由聞いたら、生きた証が欲しい、って。産んだら死ぬ可能性たっかいの知ってて、言うんです」
だから作った、子供をふたり。
一人目は俺に似ていて、しかもすごく丈夫だった。
名前は鎮巳。
二人目は、悲しいことに、あいつに似ていて生まれた時から病弱だった。
名前は、静桜。
「化物に乗っ取られたガキを見て、あいつがどう思ったのか分からねェ。何も言わなかったから。ただ、自分の子でありそうじゃないモノを、我が子同然に気にかけていたんです。最期まで」
だから俺はあの化物を命がけで護る。
あの女が死ぬまで気にかけていた「我が子」だから。
家庭が壊れても、誰に恨まれても、知ったこっちゃねェ。
死んでも、護ってやろうと決めた。
「……そんなとこですかねェ」
「……。……ねぇ、あんたって昔保健室の先生もやってたのよね」
「ええ」
そう……と呟くとニルギリスは何を思ったか、俺が占領しているストーブに触れた。
自然な動作すぎて止められなかった。
が、頭は何が起きたかを理解し、瞬間的に血の気が引いた。
「ッ馬鹿……」
手首を引っ掴んで、水道がある場所へ向かう。
重かった腰の感覚は今ばかりはなかった。
「なーーーにやってんですかァ、このバカ」
水道を全開にして、雑に掴んだ細い手を水で冷やしてやる。
こっちは怒っているのに、ニルギリスはあろうことかほくそ笑んでいた。
申し訳なさそうながらも嬉しそうな顔で。
「あんた、世話焼きだわ。本当に」