ドゥリビマワンドロライ『スーツ』 きらきらと照明を反射するシャンデリア。モノトーンで構成された重厚感ある調度品。棚に揃えられたアルマン・ド・ブリニャックやルイ十三世といった酒類。
此処はスーツで決めた美男子たちが姫をもてなす場、ホストクラブである。
「ビーーーーマがおらんではないか!」
そんな店に居座る一人の男性客。仕立ての良いオーダーメイドスーツをさらりと着こなし、鍛えられつつ程良く脂の乗った身体と髭の似合う美貌は彼自身も一流のホストではないかと見る者に思わせるが、れっきとした客である。いくつか並べられているソファ席の中でも特に広々とした一角を占拠した彼は、これまた上質な一枚板で作られたローテーブルをばんと叩いた。男性客――ドゥリーヨダナが指名しているホストは他の客の相手をしており、場を持たせるために席につけられたヘルプの新人ホストは冷や汗を流しながら、「ひっ」と小さな悲鳴を漏らす。
「ビ、ビーマさんならもうすぐ来ますから……」
「そう言ってもう何分待たされていると思っておる!? わし様は貴様のような木っ端と話をするためにこの店に来たわけではないぞ!」
「すみません、すみません!」
「大体ビーマめ、今日も同伴出勤を断りおって! このわし様の誘いを断ってまで機嫌を取らねばならん太客など他におらんだろうが!」
キレ散らかしながらドン・ペリニヨンを瓶ごと呷るドゥリーヨダナ。同伴を断られたと怒る彼の姿はホストクラブの客としては間違っていないのかもしれないが、だからといって八つ当たりされるヘルプにとっては完全にとばっちりである。
「おい、貴様も飲め。木っ端ならせめてテキーラショットぐらい腹に収めてみせろ」
「ひえぇ……」
「そこまでだトンチキ」
ヘルプがびくびくと震える中、怒り狂うドゥリーヨダナの前にシンプルな黒スーツを着た偉丈夫が割り込んだ。
「あ、ビ、ビーマさん! お疲れ様です!」
ヘルプのホストが喜色を含んだ声で叫ぶ。やっと助けが来たとヘルプだけでなく店内のすべての従業員から安堵のため息が漏れる中、当のビーマはドゥリーヨダナの隣に陣取り、その怒れる姿に怯むことなく淡々とグラスにミネラルウォーターを注いだ。
「アイツはまだ入ったばかりの新人だ。お前みたいに、その気になればいくらでも札束で殴れるような客にイジメられりゃあ、萎縮しちまうだろうが」
「ホストが客に説教する気か? 元はと言えばお前が被りの客どもばかり相手にして、一番の太客であるわし様を蔑ろにするのがいかんのだろうが」
「『客ども』じゃねぇ。ここに来るのは皆等しく『姫』さんだ」
「ほーう? では男であるわし様はさっさと帰らねばならんなぁ。男だから姫ではないものなぁ」
「バカ言うな、お前もここにいる限りは『姫』だ。だからこうして会いに来てる」
「え……ん、ん〜、ふふふ……」
明らかに機嫌を良くしたドゥリーヨダナが照れたように笑う。その変わりようを見ていたヘルプの青年は感嘆の息を吐き、これが店一番の金持ち客から永久指名を勝ち取っているビーマの実力かと、その目に羨望の色を浮かべた。
「ま、まあ? お前のように屈強なだけのガサツなゴリラ、わし様のような優雅な美形でなければ相手にできんからなぁ?」
「相変わらずの減らず口だな。そんなに言うなら俺を躾けてみろよ。お前好みに」
「んっふ! !」
ドゥリーヨダナは堪らないというように、上機嫌で鼻を鳴らす。両手で顔を覆ってバタバタと足を揺らす様は、さながら地団駄を踏む子どものようである。
「おい、悪ィけど水のボトルをもう一本持って来ておいてくれ。コイツちょっと飲み過ぎだ」
「は、はい」
そんなドゥリーヨダナを尻目に、小声でヘルプに指示を出すビーマ。ホストでありながらどの客に対しても決して高い酒を無理に勧めることなく、むしろこうやって状況に合わせて水やソフトドリンクを飲ませる姿に客である『姫』たちは勿論、店の他のスタッフたちまで彼に対して一目置いている。
「んへへ、びぃ〜まよ、そんなにわし様の傍におりたいのか」
「テメェが傍に置いてくれるんならな」
「」
ギュッと自分で自分を抱きしめながら、推し担当ホストの尊さを噛みしめるドゥリーヨダナである。
ここまでの流れを見ていたヘルプの青年は、ビーマがドゥリーヨダナを手玉に取っているものだと思っていた。しかし、実際のところはそうとも限らないことを、この後彼は知ることになる。
「んふふ、びーま、お前また胸が肥えたのではないか〜?」
「あっ……おい、止めろよ、ここはそういう店じゃねぇって……」
ビーマの制止も聞かず、ドゥリーヨダナが逞しい胸筋をむにむにと揉みしだく。しかもその指の動きはただ揉むだけには留まらない。時折胸筋をなぞり上げながら、指先で胸の一点をシャツ越しに掠める。明らかに不埒な意図を含んだ動きに、ビーマはなだめつつも力尽くで引き離すことはしない。
「ふふっ」
まるで悪戯っ子のような笑顔を浮かべたドゥリーヨダナが乳を揉む度に、少しずつビーマの表情に紛れもない欲の色が滲んでいく。それはヘルプの青年にとって、尊敬する先輩の初めて見る表情だった。
「んっ……最近は胸筋をパンプするワークアウトに凝ってんだよ」
「ほう、それでこんなにもスーツがはち切れそうになっておるのか。こんな安物では、お前のカラダが到底収まり切るはずもない」
高そうなスーツを着た少々ワルそうなイケオジが、同じくスーツを着た逞しい美男の身体をまさぐっている光景は、何故かヘルプの彼の心臓を異常なまでに高鳴らせた。自分はこの場にいて良いものだろうか。そんな懸念が頭を過ぎる。
「今度の同伴は断るなよ。馴染みの仕立て屋に連れて行って、今のお前にピッタリ合うスーツを拵えてやる」
「んっ、たすか、る……」
ドゥリーヨダナの手が、胸と同様に鍛えられた太腿に伸びる。これにはさすがにビーマも「おい」と焦った様子で止めたが、当のドゥリーヨダナは焦らすように数度撫で、「続きは別の所で、だ。アフター、いいだろう?」と囁いた。
「望み通り、たぁんと躾けてやるからな」
「ああ……」
ああ〜、左右的にはそっちなのか〜とヘルプの若者が勘付いた頃には、すっかり蕩けた様子のビーマを抱えたドゥリーヨダナがいくつもの札束を何でもないように出して会計を終えていたのだった。