雉も鳴かずば 胡散臭い、と自分が言うのもアレだが、とにかくそういう雰囲気の同僚に声をかけられた。
「道満殿、せっかくの週末です。ひとつ私の誘いに乗ってはくれませんか」
長身で筋肉質な道満に勝るとも劣らない体格。長く伸ばした銀色の髪をひとつに纏めた、精巧に造られた人形のような男。
「カリオストロ、殿?」
「おお、ようやく私の存在を覚えていただけましたか。それで、如何です? 私とお食事など」
「いや、拙僧は……」
「良い店があるのです。素晴らしいセンスを持つ店主が国中から集めた地酒を、静かな個室で楽しめる。そういう場所なのですが」
「は、はあ……」
「料理も絶品ですよ。特に牛サガリのステーキは、一度食べたら他の店の物では満足できなくなりましょう」
「む、牛サガリのすてえき……!?」
「当然、こちらがご馳走いたしますとも。もっとも、道満殿が誘いに応じていただけるのであれば、ですが」
道満は唾を呑み込み、咳払いをひとつする。
「拙僧でよろしければ、ご一緒させていただきたく存じます」
「それは良かった。では参りましょう。……ところで道満殿は、お酒は強い方でしょうか」
「それはどういう意味です?」
「いえ、私は自分で言うのも何なのですが、俗にザルと呼ばれる方でして。ああ無論、万が一道満殿が潰れてしまっても、責任をもってご自宅までお送りする所存です」
「ンン、これはこれは。ずいぶんと自信がおありのようで……。しかし酒については拙僧も負けてはおりませぬぞ。いやはや、楽しみでございますなァ! カリオストロ殿の酔いどれ姿、しかと拝見させていただきたく!」
◆◆◆
カリオストロに案内された店で半刻ほど飲食を楽しんだ頃合い。
「そこでせっそーは言ってやったのです! 『貴様の成績などすぐに追い抜いてやる』と!」
「それはそれは、威勢が良いですね」
「そうしたら彼奴めは何と言ったと思いますか!? 『楽しみだね』とだけ言って微笑んだのですよ! あな憎らしや、彼奴さえおらねばせっそーが頂点に立てるというのに!」
「ははは、道満殿? 少し苦しいのですが」
一升瓶を空にした道満はカリオストロの襟首を掴んだまま、猛烈な勢いで喋り倒していた。最初はテーブルを挟んで対面した状態で飲んでいたのだが、興が乗ってくると道満はカリオストロの隣に陣取り、酒瓶を傾けるようになったのだ。
何せこのカリオストロという男はきちんと此方の話を聞いてくれ、何を言っても穏やかに相槌を打ってくれる。道満にとってはそれが非常に心地良かったのもあり、ついつい酒のペースも上がってしまう。
「おまけに彼奴は何をふざけているのか、せっそーのことを好きだの愛しているだのとほざきよるのです! 全く以て度し難い!」
「道満殿、少し落ち着こうではありませんか。お冷でもひと口どうぞ」
カリオストロが差し出してくるグラスに軽く口をつけ、冷たい水を喉に流し込む。激昂して荒れた息を整えていると、白いハンカチが口元に添えられた。
「零しておりますよ」
苦笑しながらもカリオストロが道満の口元を拭ってくれる。それを半ば呆とした様子で受け入れていた道満だったが、カリオストロがハンカチをポケットにしまったところで彼は「カリオストロ殿」と口を開いた。
「はい?」
カリオストロが顔を向けた瞬間、道満は彼の首筋に両腕を回し、そのまま彼に抱きつくような体勢で顔を寄せる。
「ど、道満殿?」
逞しい腕で抱き寄せられ、カリオストロの声が上擦る。道満はカリオストロの首筋に顔を埋めながら、彼の首元に回した腕に力を込めた。
「せっそーは、ずっと、気に食わなかったのです」
「な、何がです?」
「晴明ですよ」
「あっ、はい」
「せっそーは、晴明が嫌いです。大っ、嫌いです。だから、彼奴に勝たねばならぬのです」
道満の腕に力が籠もる。カリオストロはされるがままになっていたが、道満の背中をぽんぽんとあやすように軽く叩きながら「これまで、苦しかったのですね」と答えた。
「せっそーは、せ、せっそーは……うぅ、ううぅ……」
道満の喉が引きつり、押し殺すような嗚咽が漏れ始める。カリオストロは道満の背中を撫でながら、「お辛かったのですね」と言葉をかけた。
「せっそーは、うう、ぐずっ……ンン〜……」
「酒癖が、悪い」
「何か言いましたか?」
「いいえ。何も」
ぐすぐすと鼻を鳴らす道満に思わず漏れた冷静なツッコミを誤魔化しつつ、カリオストロは道満が泣き止むまで黙って背中を擦り続ける。
「せっそーは、晴明に勝ちたいのです」
「はい」
「しかし彼奴には負けてばかりで……まわりの皆も、『晴明に敵うはずがない』と、せっそーを莫迦にしてくるのです」
「酷い話ですね」
「せっそーは、せっそーは……」
「道満殿はよく頑張っておられる。私は、貴方のその姿勢に敬意を表しますよ」
「ほ、本当ですか? せっそーは、頑張っていますか?」
「ええ。貴方ほどの努力家を、私は存じ上げませんとも」
道満が涙で濡れた顔を上げる。カリオストロは懐からハンカチを取り出すと、それで彼の涙を拭ってやった。道満はすんすん鼻を啜りながら、「カリオストロ殿〜」と彼の額に自らのそれを擦りつけ、猫が甘えるようにごろごろと喉を鳴らし始める。
「カリオストロ殿」
「はい」
「かりおすとろどの」
「は、はい」
「せっそーをもらってくだされ」
「えっ」
道満の両腕がカリオストロに強く絡みつき、110キログラムの重みがしなだれかかってくる。唐突な申し出に頓狂な声を上げたカリオストロは、珍しく慌てた様子で道満の肩を掴み、「落ち着いてください!」と彼を宥めた。
「お、お戯れはいけませんよ道満殿。そのように血迷ったことを」
「じょうだんではありませぬ! せっそーはほんきですぞ!」
熱い息がカリオストロの耳を掠め、その微かな刺激に「ッ」と呻き声が漏れる。
「せっそーは、かりおすとろどののおよめになります!」
道満のなめらかな頬がカリオストロの頬に密着し、至近距離に唇がある。否応がなく見つめ合う羽目になりその唇同士が触れ合うまであとコンマ数秒というところで、スパァンと勢い良く個室の戸が開いた。
「道満、迎えに来たよ」
「あ、貴方は」
「『私の』道満が世話になりましたね、アレッサンドロ・ディ・カリオストロ殿? 彼は私が責任をもって連れて帰りますので、どうかご安心を」
にっこりと口元に笑みを浮かべているものの目は全く笑っていないという恐ろしい表情をした晴明が、絡み合うふたりを見下ろす。カリオストロが自分に抱きついている道満の体を押し返しつつ、「す、すみません。それではお言葉に甘えて……」と言いかけたその時。
「いやれす! せっそーはかりおすとろどのといっしょにおるのです!」
すっかり酔いどれとなった道満が余計なことを言う。こちらを見ながらきち、きち、と音が鳴るかのように首を傾げた晴明に、カリオストロは背筋が凍りつくような思いがした。
「いえその、道満殿は酔っておられますから、これは本心ではないのです」
「ええ分かっています。分かっていますとも。道満とは長い付き合いですからね」
「せっそーはかりおすとろどのによめいりいたしまする〜!!」
あ、と思った瞬間には既に道満の体はカリオストロから離れ、晴明に担がれるようにして抱かれていた。
「うちの道満が迷惑をかけたお詫びに支払いはこちらが済ませておきましょう。さあ道満、帰りますよ。私たちの家に、ね」
まだ懲りずに何やら喚いている道満を引きずるように連れて行く晴明の後ろ姿を見送って、カリオストロはほうと息をつく。可哀相に。道満はきっと、今夜はもう寝かせてもらえないだろう。
奇跡的に五体満足で済んだ自分の体を撫でつつ、カリオストロは道満の影に向かって「ご愁傷様」と呟いた。