ダンクーガモンハンパロ 簡単な依頼のはずだった。頼まれた分の薬草と草食獣の角を数本持ち帰るだけ。後は拠点まで戻れば達成だった。
それが、どういう訳か目の前で赤い巨体が唸り声を上げている。
「ちくしょう…! なんで、こんなところに…!」
火竜リオレウス。本来ならば、こんな森の奥地にまで来るはずはない。縄張り争いに負けたか、獲物を追って迷い込んだか——こちらを睨みつけ姿勢を低くする相手を前に、考えている余裕は無かった。
「やるしかねぇ……かかって来やがれ!」
忍は叫びながら二対の剣を抜いた。鈍い光が森に差し込む陽光に混ざる。
それと同時に、リオレウスも咆哮した。ビリビリと空気が震え、体内で生成される炎が周囲の温度を上げる。忍の額に汗が滲んだ。
「ッ、はぁっ」
先手は忍だった。火竜の哮りの中で威圧されそうな身体を必死に動かし、渾身の力でリオレウスに斬りかかる。
ガキィンッ
鎧のような鱗状の皮膚に当たった刃が激しい音を立て、腕に衝撃を伝える。己に傷を与えんとする忍を疎むように、リオレウスは翼を振り上げた。
「うおっ…! くそ…!」
相手も伊達に空の王者と呼ばれてはいない。巨大な体躯に似つかわしくないスピードで身を翻すと、こちらへ向かって鋭い棘のついた尻尾を叩き付ける。忍は避けるので精一杯だ。
「このっ…」
それでも、忍も一歩も退かなかった。僅かな隙をつき、リオレウスの胴体に傷をつける。
その瞬間、リオレウスは先程よりもけたたましく轟音のような雄叫びを上げた。怒りで体内の火炎が制御できないのか、口からは激しい呼吸に混じって赤黒い炎が漏れ出している。
「へっ、そっちがその気なら相手になってやる……やってやるぜ」
忍は息を整え、双剣を構えた。目の前のリオレウスの怒りに呼応するかのように、体内の血が急激に巡り瞳孔がきゅうと狭まっていく。
鬼人化——一定のレベルまで双剣を極めた者が使える奥義。感覚が研ぎ澄まされ、まるで獣の如く地を駆ける。
「うおぉぉおおッ」
叫びながら己を奮い立たせ、剣を握る手の衝撃も構わず乱舞のような連撃をリオレウスの脚に、腹に、首に叩き込んでいく。
怒り狂う火竜は忍の猛攻に怯み、ついに体勢を崩した。
しかし、忍の方も限界だった。
全身から力が抜け、肺が酸素を求めて急激な拡張と縮小を繰り返す。痺れた腕はだらりと垂れ下がり、指ひとつ動かせなかった。
「はぁ…はぁ……はぁ…っ」
もしも目の前の火竜が人であったなら、薄ら笑いを浮かべただろうか。まるで忍がこうなるのを待っていたように、リオレウスは両足で地面を踏み締めた。
そして、ゆっくりと首をもたげると、開いた口の奥に炎が渦巻いていく。
やられる——
何も出来ない。自由の効かない身体では、身を守ることさえままならない。
その刹那。激しい光が視界を覆い、忍は思わず目を閉じて覚悟した。
しかし、いつまで待てど身体に感じるはずの衝撃も熱も伝わることが無い。眩んだ目を恐る恐る開けようとした時だった。
「伏せろ」
忍とは別の声が背後から叫んだ。そこに、ガシャン、と何かの動作音のような音が重なる。
閃光玉——リオレウスが火球を吐こうとした瞬間、それを投げた人物が忍の前に走り出た。
「はあぁぁあッ」
黒い人影が持つ剣が、一閃でリオレウスを捉える。鼻先を斬り付けられたリオレウスは再びバランスを崩した。
(あれ…大剣か…? いや……)
ガシャッ、ガシャン
軽やかにリオレウスに振り下ろされてきた剣が、再びあの音と共に斧へと形を変えていく。
スラッシュアックス。両刃の戦斧と片刃の大剣を一身に宿した変形武器。二つの装備の特性を持ち合わせたそれは扱いが難しく、並大抵のハンターが使える代物ではない。
にも関わらず、リオレウスに対峙するこの人物は、いとも容易く変幻自在の武器を操りながら慣れた戦いを見せていた。かなりの手練だ。
「すげぇ………」
忍が息を呑んでいる間に、相手は無駄のない的確な動きでリオレウスを追い詰めていく。
「落ちろ…」
冷静な声が告げると共に、変形した斧の一撃がリオレウスの頭部に叩き込まれる——ついに、暴れ狂っていた火竜は地面に横たわり動かなくなった。
「マジか……」
あっという間の出来事に驚く忍の前に、リオレウスを討ち取った人物が歩み寄る。
煌黒龍を彷彿とさせる漆黒の鎧に身を包んだ相手は、兜で顔を隠し表情も窺い知れない。声で男だと分かる程度だ。
「無事か」
「あ、あぁ……」
何とか身体が落ち着いてきた忍は、戸惑いながらも返答する。
「その……」
助けられたことに礼を言おうとした瞬間、兜の下でふっと笑う声がした。
「死にたくなければ無謀な戦いを挑まないことだ」
「な、何を…」
「俺が居なければどうなっていたか、よく考えろ」
言い返そうとしたが、事実この男が閃光玉を投げなければ無事では済まなかった。そのことを一番よく理解しているだけに、忍は奥歯を噛み締めた。
「あんた…一体何者なんだ」
「名乗るほどの者じゃない。だが、そうだな…黒騎士、とでも名乗っておこうか」
黒騎士を自称した男はあっさりと背を向ける、まるで今起きた戦闘など些細な出来事だとでも言うかのように静かに森の中を歩き出した。
「次は助けなんか要らねぇ! 覚えてやがれ!」
忍は黒騎士の背に向かって叫んだ。それを聞いて立ち止まった黒騎士の兜の下で、やはり笑うような気配がした。
木々を縫って風が吹き、陽光が黒騎士の鎧を照らし出す。傷ひとつないそれが龍のように神々しく煌めき、忍には眩しく思えた。
「…そのリオレウスの素材を持ち帰るといい。少しはマシな装備が作れるだろう」
背中越しに言い残した黒騎士は、再び歩き出すと今度はそのまま森の奥へと消え、後には静寂だけが残った。
「……黒騎士…」
残された忍は一人呟く。所在のない憤り——圧倒的な戦いを見せつけられ、動けなかった自分自身への怒りが握った拳に力を込めさせた。
もっと強くなる。あの背中に追いつくくらいに。掲げた双剣に誓い、黒騎士が消えた森の奥を見つめる。
不思議とまた会える気がする。きっとこのままでは終わらない、と忍の勘が告げていた。