先生は時々、厨に立つ。
それは春の天気がいい日だったり、夏の何もかもが面倒になる暑い日だったり、秋の山菜が多く採れた日だったり、冬の凍えるような寒い日だったりする。本当に気まぐれでその日の厨番の事なんか何も考えちゃいないもんだから、その日は必ずおれのめしだけが他の奴らと違う献立になる。
歌仙曰く「南海が自分で食べないのだから、君に回すしかないだろう」だと。解せねぇ。
この本丸に来てから暫く経って、先生が厨に立つのも季節二巡目くらいにはなった。
だというのに一向に先生の料理の腕は上達していない。否、一番最初に作った良く分からない消し炭みたいなものに比べたら上達はしている……ように思う。
冬も終わりかけた今日、先生はまた厨に立っている。
二度目の秋を迎えた頃には先生は作ったものを自分で食べる訳じゃない、って事がすっかり知れ渡っていて、先生が厨に立つとすぐにおれが呼ばれるようになった。だから今日もおれは何かを作っている先生の後姿を眺めている。
ひとつに結ばれた髪が揺れて、それと一緒に前掛けの紐も揺れる。
今日の前掛けは小豆に借りたやつらしい。あの不思議な顔も見慣れてくると悪くはない。
出来栄え自体は上達しないものの手際はすっかり良くなったな、と感じるのは調理をしている最中先生が一度も「肥前君」とおれを呼ばないからだ。
困っている風にも見えず、必要な材料や器具へ順番に手を出していく。その姿だけを見ると普段の厨番とそんなに変わらないんじゃないか、とすら思える。
「先生、今日は何を作ってくれるんだ」
「あと少しで出来上がるよ」
「おれは何をって聞いてるんだ」
「まあ、まあ」
宥めるような言葉を口にする先生はこっちを振り向かない。そのうち、じゅわりと音がして少し甘い匂いが漂ってきた。
今日はめしじゃなく、おやつを作っていたらしい。一度だけ大きく聞こえた音はすぐに小さくなってしゅわしゅわと泡が立つような音が聞こえてくる。
バターと卵の焼ける匂いがどんどん強くなってきて、おれの腹が少しだけ鳴った。
甘い卵焼きでも焼いているのか、と机に肘をついてまだ向けられている背を眺める。
閉じた文久土佐藩で作っていたような怪しげな罠作りに夢中になられるよりはずっと良い、というのが一部の奴ら以外の本丸の総意みたいなものだった。おれもそう思う。
そんなことを考えているうち、泡立つ音が止んで食器が触れ合う少し高い音が聞こえてきた。出来たよ、と振り返る先生の顔は満足げだ。
「さあ召し上がれ」
「卵焼きか?」
「フレンチトーストと言うらしい。以前乱君が読んでいた雑誌に載っていてね」
「ふうん」
渡されたフォークを持って見下ろしたそれは、やっぱり黄色くて厚い卵焼きに見えた。
端の方が黒くなっているし、逆に真ん中の辺りは火が通り切っていないのかぐずぐずになっている。それでも匂いは良いし、向かいに座った先生の視線が何よりも饒舌に食べろと訴えかけてくるから食べることにした。
フォークの縁を押し付けると柔いそれはすぐに千切れる。甘ったるい匂いのそれを口に入れると中からじゅわりと汁が溢れてきた。
「美味しいかね」
食べるとそうやってまるっきり子供のような表情で問いかけてくるもんだから、おれの答えはいつも同じだ。
「美味い、また作ってくれよ」
勿論だとも。
笑う先生が二度同じものを作ってくれた試しはないが、どうにもおれは今食ったこいつみたいに先生に甘いらしい。