名前「みーくん」
幼い頃、ミフネのことをそう呼ぶ少女がいた。
国中の爪弾き達が集まるササガワ邸に売られるように引き取られた、幼きミフネ。
ササガワ邸は大きかった。余程の大金持ちなのだろうと思った。そんなササガワ邸だけでも賄えないほど、きょうだいが国中に溢れていると知ったのは、教会に挨拶に行った時。そこでもササガワ邸と同じく・・・・・・と言うべきか、ササガワ邸が教会の後進を継いでいるのか。ミフネには知りようもないし興味もない。兎に角、この国にはきょうだいを世間から隔離するための施設が複数ある、と知った。
いくらササガワ邸が善意で保護活動を行っているとしても、生まれ落ちる前から辛酸を舐めなければならぬ人生が決まっているきょうだいたちに優しいはずもなく。
殆どのきょうだいは教会に居ることが多かった。ミフネもそうだった。そこに行けばもっと沢山のきょうだいが居る。教会も敷地は広く、中でも外でも自由に遊ぶことが出来た。正直、ササガワ邸より居心地が良かった。
そんな時に出会った少女。彼女はミフネを見つけると、ぺこりとお辞儀をした。ミフネもつられて頭を下げた。
「見たことない顔なのです。
私はとおやましずく。しょうらい、てんさいはつめいかになるニンゲンなのです。あなたは誰なのです?」
よく分からない自己紹介にぽかんと反応できずに居ると、とおやましずく と名乗った少女がミフネの鼻先に指を突き出した。
「なまえ、きいているのです」
むぅっとした顔が、自分の存在を根底から責めているようで。
「みふね・・・・・・みふね、そうすけ」
ぽつりと呟いた。
呟けば、少女はパッと笑った。
「みふね君というのですね。あらためて、よろしくなのです!」
戸惑うことなく、それが当然だとでも言うように差し出された、手。
きょうだい以外からそんなことをされたのは初めてだった。皆ミフネを避けるどころか、居ないかのように扱った。良くてストレスの捌け口。内臓が詰まったサンドバッグだ。
それなのに、目の前の少女は、とおやましずくは笑顔で、ヨロシク、と。
生まれて初めての経験に思考停止状態で動けないでいると、少女が乱暴にミフネの手を取った。ブンブンと大きく上下に揺らし。
「よろしく!なのです」
花咲く笑顔でそう言った。
最初は面食らったミフネだったが、よくよく観察してみれば彼女はきょうだいたちと普通に遊んでいた。
国のお荷物。
国の汚点。
憎悪の象徴。
そんな自分たちきょうだいと、普通の人間に接するように接し、遊んでいた。最も、その遊び方は少し特殊ではあったのだが。
例えば、カエルの尻に何かを詰めて爆発四散させたり、透明な液体に虫を閉じ込めて観察していたかと思えば、次の瞬間には虫ごとどろりと溶かしたり。
ミフネでさえ残酷だと思う遊び方をしていた。残酷で、変わっていて、刺激的だった。
だからこそ、きょうだいたちとウマが合ったのだろう。次第にミフネもそこに混ざるようになった。
「あなたは今日からみーくんなのです」
ある日。突然。しずくからの宣告。
それまではミフネくんと呼ばれていた。一体どう言った思考の変化があったものか。
「なんで?」
「ミフネくん、も悪くないのですが、なんだかもっといい名前で呼びたいのです」
「・・・・・・だから?」
「だから、みーくん。
今日からミフネくんはみーくんなのです」
風にそよぐように無邪気な笑顔。
それから、しずくはミフネのことをみーくんと呼ぶようになった。
不思議とその呼び名が広まることはなく、みーくんと呼ぶのはしずくだけ。
彼女の特別になれたような嬉しさを、ミフネは今でも覚えている。
皆から不思議がられているちょんまげも、しずくの提案だ。
顔を隠したくて伸ばしっぱなしにしていた前髪を、
「目が悪くなるのです。それに邪魔くさいです」
と、彼女の腕にあった輪ゴムで結んでくれた。以降、それがミフネのトレードマークとなる。しずくの気紛れで毟られることがあっても、ミフネはその髪型を続けた。流石に輪ゴムからヘアゴムに変えたが。
その後も遠山家とは家族ぐるみで仲良くしていた。
静句の兄はきょうだいの一人と結婚し、子宝に恵まれた。
しかし幸せはそう長くは続かず、遠山家は兄妹でいがみ合い、憎しみ合い、殺し合いにまで発展した。
結果、静句は強制的にコールドスリープに処されることになる。
そこからのミフネの毎日は、人生は・・・・・・
「みーくん!」
耳に馴染んだ声が聞こえて、思わず振り返る。
そこには長年の眠りから覚めた静句。と、彼女の甥である鎮巳が居た。二人は仲良さそうに笑顔を交えて話している。
身内だからであろう気安さが、気楽さが、見えない絆が見えた気がした。
暫く何事かを話していたと思えば、お互いに手を振って別れ、鎮巳は会社の中へと戻っていく。
静句はひとり、ミフネとは反対の方向へ進んでいく。
その後ろ姿に、ミフネは声をかけた。
「おしまいやす、お嬢さん。一緒に晩メシでもどうかのう?」
「ミフネくん、仕事はいいのです?みーくんは働いていますよ」
「構わん。部下が優秀なもんで、ワシがやることなんぞなーんも無い」
「そうですか、みーくんは優秀ですか」
静句はニコニコと嬉しそうだ。子どもを褒められた母のような笑顔。
「実はワタクシ、お腹ペコペコなのです〜」
「そりゃ好都合じゃなぁ。ワシが奢ってやろうのぉ」
「さっすがミフネくん!中間管理職ゥ!!」
「それ、褒められてるんか?」
苦笑いを浮かべて歩き出す。
隣を歩く遠山静句はペラペラとよく口を動かし、ミフネはそれに相槌を打つ。
「・・・・・・ミフネくん、聞いてるのです?」
「聞いとるよ。実験が盛大に失敗して散財したんじゃろ?明日の飯にも困ってるなんて、天才発明家様は大変じゃ〜」
「そうなのです〜」
よよよ、と泣き真似をする静句。
彼女はもう、ミフネのことをみーくんとは呼ばない。
眠る前からそうだった。いや、正確には鎮巳が産まれてから。
「今日から貴方はみーくんなのです」
静句のみーくんはミフネではなくなった。
ミフネの奇妙なチョンマゲは、今日も風に揺れている。きっと明日も明後日も。ミフネの気持ちなど何処吹く風が、在りし日を。