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    heavy3690

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    ルシアダ未満。アダム、天国に帰るってよ。(帰らない)

    【ルシアダ?】1.




    「聞いてくれお嬢ちゃん! い、今……! 今、ついに天国から帰ってこないかって打診が来たんだ!!」
     
     
     金色の魔法で出現した提案書を興奮気味にチャーリーに見せながら、アダムはとびきりの笑顔を見せた。
     仮面は、つけていない。
     
     
     アダムが地獄に堕ちてから、それなりの期間が経っている。
     
     堕天から1年経ち、5年経ち、10年が経っても、天国からの連絡はなかった。
     その期間の大半をホテルで過ごしてきたアダムだったが、こんな風に心からの笑顔を見せることは片手で数えられる程度だったように、チャーリーは思う。
     
     
     ……10年も経って、今更天国からの連絡?
     
     
     チャーリーは、なんと答えたらいいか分からなくて、隣のヴァギーの顔を見た。ヴァギーも困ったように首を振っている。
     
     最初のうちは粗暴で下品で偉そうなアダムに、ホテルの誰しもが反発していた。けれど、一緒に過ごすうちにその根幹にある孤独や行動原理に触れて、打ち解けていったのだ。
     5年を過ぎた頃には、誰しもがアダムをホテル経営の一員として認めていたはずだ。
     
     
    「ええっと……、アダム、あなた帰るつもりなの?」
    「? どうしてだ? そういう話だっただろ」
     
     その話、まだ生きてたんだ、とチャーリーもヴァギーも思った。
     確かにアダムがホテル預かりとなったとき、元天使が再度昇天したらホテルの実績になるなんて話はあった。でもそれも10年……9年? それくらい前のことだ。
     
     口約束の有効期間にしては、長すぎる。
     
     
    「アダム、そのー……すぐに返事をする気? もうちょっと考えてからでもいいんじゃない?」
    「一応、一週間ほど返答に猶予があるが……。吉報は早い方がいい!」
    「一週間!? み、短すぎる!」
     
     チャーリーは顔を青ざめさせた。

     アダムがホテルの一員として馴染んでいるのも理由の一つではあるが、父親であるルシファーがこの10年ただの一度もひきこもることがなかったのも、アダムに昇天してほしくない理由の一つだった。
     
     地獄に堕ちてきて当初のアダムは大怪我をしていたこともあり、ホテルではなく地獄の王の屋敷で過ごしていた。そこからルシファーは怒り、嘆き、時にはアダムに手を出したりしながら、それでも外界との繋がりを断つというようなことはなかったのだ。
     
     
    「ちょ、ちょっと待ってもらっていいかしら? 一旦、パパにも相談したいし……」
    「なぜだ? なぜ、私の昇天について、ルシファーのヤツにお伺いをたてなきゃならん? 堕天使を昇天させたとなったら、それこそデカい功績だ! 邪魔者はいなくなるし、いいことづくめじゃないか?」
    「アダム!」
     
     計算外だった。予想外でもあった。
     
     自分たちはアダムを受け入れた気でいたけど、アダムはまだ自分のことを天国からの来訪者、お客様、……『邪魔者』だと思っていたらしい。
     じゃあ、アダムはこの10年ずっと疎外感の中で生きてきたの? チャーリーはおおよそ自分では想像しきれないような寂しさに、息を飲んだ。
     
     
    「あ、アダム……。その、お伺いをたてるなんて、そんなんじゃないの。……アダムがここで過ごすようになって、パパは塞ぎこむことがなくなったわ。だから、その……」
     
    「殴り放題で、丈夫なサンドバッグとして丁度良かったんだろ。安心してくれ、エクスターミネーションは続けないってちゃんと連絡が来てるからよ。……ただまあ、今後については交渉になるだろうから、そのテーブルにはお嬢ちゃんがついてくれ」
     
    「アダム……」
     
     
     アダムはすっかり、天国に帰る気でいる。
     
     
     
     
    2.
     
     
     
     
     チャーリーから、アダムの件を聞いたルシファーは最初、何かの冗談かと思った。
     天国から連絡? 今更? あの頭のお堅い天使連中が、例外の例外を認めてアダムに戻って来いだって?
     
     そんなはずがない!
     
     
    「冗談でもエイプリルフールでもないわ! アダムに書類を見せてもらったけど、確かに天国からのものだった。……天使たちは、アダムに戻ってきてほしいの。それもエクスターミネーションなしで」
    「は、ハハ……。ハハハ……、う、嘘だろ……?」
     
     
     話を聞いたルシファーは、娘から見ても分かるくらいあからさまに動揺していた。その動揺の意味するところはチャーリーにはあまり分からなかったが、それでも自分と同じく帰ってほしくない気持ちであることは伝わってくる。
     
     
    「……それで、アダムはなんだって?」
    「帰るって。『邪魔者がいなくなっていいことづくめ』だなんて、そんなことを言っていたの……」
     
     そりゃ確かに、最初のうちはちょっとあたりが強い場面もあったかもしれない。けどそれも、サー・ペンシャスや地獄の住人たちの件があったからだ。仕方のないことだったと、チャーリーは今でも思っている。
     
     
    「チャーリー……。パパにも、アダムと話をさせてくれるか?」
    「私からもそれをお願いしたいの。誰の話も聞き入れてくれなくて。……エデンからの付き合いのパパの話なら、聞いてくれるかもしれない」
     
     
     チャーリーが寂しそうに眉を下げるから、あの男はいつの間にかこんなにも娘の内面に入り込んでいるのだろう、とルシファーは不思議に思った。
     
     
     
     
    3.
     
     
     
     
     とはいえ、ルシファーはアダムにどんなふうに声をかけたらいいか分からなかった。
     まともに話をするのはホテル経営に関する話題の時くらいなもので、それ以外はアダムが粗相をした時に叱りつけたり……しかもそれも何年前の話だ……?
     
     寿命という縛りのないルシファーにとっては、数十年数百年というのはたいした年数ではなかったので、数年話していないことくらい大したことではなかった。
     
     少なくとも、ルシファーにとっては。
     
     
     声のかけ方が分からなさ過ぎて、悩んで迷って、普段通り……できるだけ普段通りの自分を意識した。
     それが良くなかったのかもしれない。
     
     
    「アダム、お前天国に帰るのか?」
    「あ? アー……。お嬢ちゃんにでも聞いたか。そうだよ、天国側から連絡があったんだ」
     
    「おめでたいな、エクスターミネーションなしで天国にお前の居場所があるとでも?」
    「天国は治安がいい! つまり、治安を維持する機能を持つ必要がある。別に、エクスターミネーションにこだわる必要もない」
     
    「………………」
     
     
     言い返すことができない。
     役割があれば、仕事として求められれば。アダムはそれでいいらしい、だって労働の呪いはかかったままだから!
     
     ルシファーは必死で、アダムを引き留めさせるための言葉を探した。
     
     
    「……ハハ、ハ……。お前、自覚がないかもしれないが、地獄の臭いが沁みついてるぞ。生来の天使連中はともかく……一般の天使はお前を受け入れられるはずがない……」
    「じゃあ、生来の天使連中だけでいいだろ、付き合うのは」
    「………………」
     
     
     本当にこいつは! ああ言えばこう言う!
     一体誰に似てしまったんだか!
     
     と、ルシファーは自分のことを棚に上げてアダムへの怒りを滲ませた。
     
     
    「な、何故そんなに帰りたがる? ここでならお前は取り繕わず過ごせる! 自由だろ!」
    「取り繕わずに? お前には私がそう見えたんだな、ルシファー。だがな、私は『取り繕っていないように見える』振る舞いを強要されただけだ! 別に、ありのままの自分を見せたことなんかない。お前にも、あいつらにも」
     
     
     チャーリーから聞いていた話と、あまりにも違う。
     ルシファーはようやくここで、あれ? 認識がかなりズレてるんじゃないか? と気がついた。
     
     でも、それに気がついたからって、じゃあどこを軌道修正したらいいか分からないから、あまり意味がなかった。
     
     焦りに焦りが重なって、どう言葉を選べばアダムを引き止められるのか分からない。視線が泳いでいる。分かっているが、頭をフル回転させている今、それどころではなかった。
     
     
    「そ、そうだ! アー、お前カジノ行きたがってたよな! それに、ナイトプールやクラブにだって! わ、私同伴でなら良しとしよう。そ、それで……」
     
    「どうして」
     
     アダムが言葉を区切る。大柄な体をぎゅーっと曲げて、ルシファーに顔を近づけた。
     威圧感があるなあ、とルシファーは焦った頭でぼんやり考えた。
     
    「どうしてお前は、そんな風に私の邪魔ばかりする? そんなに私が憎いか? 後からの堕天仲間が先に昇天するのがそんなに悔しいのか?」
    「あ、……アダム、違うんだ、聞いてくれ……」
     

    「私なんていない方がいい。嫌いなやつがいなくなってせいせいするだろ!」
     
     
     ルシファーは、愕然とした。
     
     アダムのことは、生まれた時から見ている。嫌い? 嫌いだったら関わってない、そもそも見殺しにだってできた!
     全力を尽くしたけどダメだったとかなんとか言えば、娘のチャーリーとて納得するしかないだろう。
     
     元天使には、人間心理があまりよく分からなかった。
     地獄にはルシファーに勝てるやつも、言い返せるやつも、そもそも言い返すほど近い距離に来られるやつもほとんどいなかったから、人間仕草や心理を忘れてしまっていた。
     
     でも確かにそうだ。自分のしてきたことを考えたら、当然の反応だと感じた。
     もしルシファー自身がそんな扱いをされたと、仮に、仮に想定しても、頑丈な音の出るオモチャ、サンドバッグ扱いされているとしか思えないだろう。
     
     仮にチャーリーがそんな扱いを受けてたら? 絶対に許せない、そいつを八つ裂きにして粉々にしてギッタンギッタンに分からせて……。…………。
     
     
     ルシファーにはこれまで自覚がなかった。でも、気付かされてしまった。嫌っていたつもりはない、むしろある種では気にかけてすらいた。が、表に出してきたのが、嫌っていたとしか思えない態度だったことに。
     だから、アダムの言葉に言い返すことができなかった。言葉の力は有限で、無力だから。
     
     
     一方アダムは、傷ついた顔で押し黙ってしまったルシファーに、それ以上何も言えなかった。
     同時に、ああやっぱり嫌われてたんだなと深く実感した。せめて否定してくれりゃいいのに。天使は嘘をつくのが下手だななどと、頭の中で未だに地獄の王を天使扱いしていた。
     
     それでも自分が謝るのは絶対に違うと思って、アダムはルシファーとの会話をそれで終わりにした。
     
     
     その時は、それでおしまい。
     
     
     
     
    4.
     
     
     
     
    「し、死んで天国に行った時!」
     
     
     アダムは、ホテルのレクリエーションの一環で叫んだ。更生プログラムの一つだ。
     
     まだ正式な回答はしていないが、天国はアダムに帰ってくるように伝えたし、アダムもそれを受け入れる気でいる。
     だから、これだけのことをしたのでこういう実績に繋がりましたよ――という対外的なアピールのために、アダムはプログラムに参加している。実質あまり深い意味はない。
     
     
     今日の更生プログラムは、集まったメンバーで順繰りにカードをめくって、出てきたお題に即した思い出を短く叫ぶ、というものをやっていた。
     
     アダムが今引いたのは、『これまでの人生で一番嬉しかったこと』だ。アダムは死後自分が昇天できたことが、一番嬉しかったらしい。
     
     
     チャーリーとヴァギー、エンジェルとハスクも、それぞれ何と言えばいいか困ってしまった。顔を見合わせる。
     
     天国に行けたのが一番嬉しい出来事なら、そりゃあ地獄に堕ちたのは一番悲しい出来事に違いない。
     そこからまた天国に行けるってなったら、それはそれは嬉しいのだろうと--だったら、自分たちが引き止めてもあまり意味はないのかもしれないと、各々思った。
     
     
     チャーリーは、アダムが初めてホテルの手伝いをしてくれた日のことを覚えている。
     
     ちょっとややこしい罪人が来たことがあった。具体的に言えば地獄の王絡みでのトラブルが持ち込まれたのだが、解決してくれたのがアダムだったのだ。たまたまアラスターもいなかった。ルシファーは立場的に手出ししにくい話だった。
     実に天国的な解決手段で、アダムでなければもっとややこしい事態になっていたかもしれない。
     
     
     ヴァギーは、これまで割と湯水の如く使い放題だった経理問題がスッキリした点で、アダムに感謝している。
     
     
     エンジェルは、必要があって性的なことを仕事にしていたんだなとアダムのことを認識したし、それで割と仲間意識が芽生えた。
     
     
     ハスクは、なんだかんだお喋りが好きなこの男が、天国がどんな様子だったかを教えてくれるおかげで、必要以上にサー・ペンシャスのことを憂う必要がなくなったと感じている。
     
     ちなみに、エンジェルとハスクとアダムとで、三人揃って負け犬仲間だ。
     
     
     アラスターは、……まあ他のメンバーほどはアダムに思い入れがあるわけではなかったが、不在の間にホテルを守ってくれていたり、ルシファーからの矛先が向かいがちなので、まあいてくれてラッキーくらいに思うことはあった。
     
     
     ニフティは、アダムを父親のように認識していた。生前の父親はろくでもない男だった。まだ幼かったニフティに、人には言えないようなことをさせるようなやつだった。
     肉体も精神年齢も幼いままの自分に時折垣間見せる、人類の父としてのアダムの姿に、まっとうな父親がいたらこんな感じだったのかと束の間の夢を見させた。
     
     
     
     そんなこんなで、皆ある程度はアダムのことを受け入れていて、でも表立って行かないでくれと言うのもおかしなくらいの、微妙な間柄だった。
     10年もここにいたのだ、寂しいに決まっている。でも誰もそれを口にできない。
     
     
     エンジェルが、凍った空気を感じて引き攣った声でこう言った。
     
     
    「じゃあ、俺らはここで更生して昇天したら、アンタに続いてその最高にハッピーな体験ができるわけね!」
     
     
     アダムだけが、満足そうに大きく頷いた。
     
     
     
     
    5.
     
     
     
     
     コツ、コツ。
     ルシファーがペン先でテーブルを叩く音だけが響いている。
     
     まだ約束の時間までは随分と余裕があるが、何せ天使――それも熾天使との会議となっては、万が一にも遅れるわけにはいかない。
     それに、先について相手を威圧的に待ち構えている方が、先手を取れる。時間の無駄だ何だと言ってる場合じゃない。
     
     
     時計の針が少し傾いた頃、ルシファーの待つ天国大使館の会議室に、セラフィムのホログラムが姿を現した。
     ルシファーがここに腰掛けてから多少の時間が経過し、とは言っても会議には十分にまだ早い。
     
     
     セラは自分が先に接続したと思ったのか、足を組んでホログラムの接続スペースを見つめるルシファーに気がついてびっくりしていた。
     
     
    「あ、ああ……。随分と早いのね、ルシファー」
    「一刻も早く話し合いを済ませなくちゃならなかったからな。何せ、天国側が意図的に連絡を遅くしてきたせいで、アダムの返答締め切りまでそれほど時間がない!」
     
     
     皮肉たっぷりな態度と仕草で、大袈裟に肩をすくめた。
     しかしそんなものはセラフィムには効かない。ルシファーもそんなことは分かっている。
     
     
    「そうね、ギリギリになってしまったことに関しては申し訳なく思っているわ。何せ、あなたも知っているように天国では決め事の類には時間がかかるものなの。
    ……御託はいいから早く本題に入りましょう。あなたがあの子の再昇天絡みで何を知っているのか、そしてあなたは一体何を望んでいるのか。話はそれだけです」
     
    「ああセラ、どうしてそんなに生き急いでいるんだ? 何世紀ぶりの顔合わせだと思ってる! 少しくらいは世間話をしたっていいだろ? 例えばほら、前のエクスターミネーションで昇天したとかいう、蛇の彼についてとか」
     
     
     セラフィムは、わずかに眉根を寄せた。触れられたくない話題だったからだ。
     それに、天国側の議会に提出した議題一覧にそのことは記載していない。ルシファーもサインしている。
     
     従ってわざわざその話に乗っかる必要はなく、ただ細めた目でじっとルシファーを見つめた。
     ルシファーはあまり気に留めない態度で、しかしつまらなさそうに言った。
     
     
    「ハア。『エクスターミネーションはさせない』……ねえ。笑わせるな、そんなつもりはないくせに」
     
    「いいえ。エクスターミネーションはさせませんよ、アダムに送った提案書にも記載してあります」
     
    「ああ、名目上はな。
     だが、現時点ですでにエクスターミネーションに近しい別の粛清の準備は進んでるんだろ? それで、また昔みたいにじわじわアダムの仕事を奪って、それをせざるを得ない状況を作り出そうとしている……。
     
     おっと誤魔化しても無駄さ! 地獄の王のところには何でも集まるんだ。人でも金でも、情報でもね!」
     
     
     ルシファーが声を低くしてそう告げると、セラフィムは分かりやすく動揺した。ここまで言い切るということは、本当に知っているのかもしれない。
     どうして? この極秘情報を知っているのはごく限られた上級天使だけ、それも緘口令を敷いたというのに!
     
     セラフィムは、動揺した自分自身に気がついて、落ち着きを取り戻そうと咳ばらいをした。
     
     
    「……一体何の話です?」
    「おっと白を切るつもりか? 天国のあんな場所に、あれだけの高度偽装魔法をかけてまで武器工場を作れるのは、相当な権力者だろうよ。それとも不自然な決算について話そうか? それとも不自然な人員配置?」
     
     
     ルシファーは手元に次から次へと書類のコピーを取り出しては、放り投げている。
     セラフィムにもその書類は見えていて、武器工場を作るのに流した金に関する書類が、ホログラムを遮るように通り過ぎて、床に落ちた。
     
     
    「あなたは……、何故そのことを……?」
     
    「ハハ! さてなあ。いやはや、人の口に戸は立てられないとはいえ、そちらも存外一枚岩ではないようだな。それだけ警戒したくなる気持ちも分かるよ」
     
     
     少しも共感を示さない態度で、ルシファーは微笑みかけた。
     天使だった頃と少しも変わらない仕草のはずなのに、セラフィムにはそれが空恐ろしく、醜悪な表情に見えた。
     
     
    「あなたが、……あなたが、こちらの手の内をある程度知っていることは分かりました。それで……、ルシファー、あなたは一体何が望みなの?」
    「ああ、私の望みはシンプルだよ。アダムを連れて行くな。それだけだ!」
     
    「……回りくどい言い方はやめてちょうだい。アダムを交渉の材料にするつもりね? はっきりと条件を提示して」

    「ハハハ。回りくどいのは天使由来のやり方でな。最も、今回に限っては言葉の裏を読むのをやめてくれないか?

    『アダムを連れて行くな』
     
     実に端的でわかりやすいだろう? その言葉のままの意味だ」
     
     
     ルシファーから真っすぐ向けられる真っ赤な瞳、視線に、セラフィムは先に目を逸らした。
     圧を感じているわけではない。ただ……。ルシファーの言っている意味が、理解できなかった。
     
     これ以上、アダムを地獄においたままにしろと?
     
     
    「それはできません。ルシファー、あなたも知っての通り、あの子は特別なの。これまでの10年、議会が動かなかったのだっておかしいくらい。
     ただでさえあなたの娘のことで、天国は気がたってるの。妙な真似はやめて」
     
    「天国と地獄のバランスをとるためか? そんなものはとっくに崩壊してる! まさか気づいてないわけじゃないよな?」
     
     
     ルシファーが、手元に小さな球状のスクリーンを出した。地獄の他の場所ではできないが、ここは天国大使館だ。ルール的に中立の区画で、外ならぬルシファーだからこそできてしまった。
     
     スクリーンには、天使になったサー・ペンシャスが、体躯の小さな幼い熾天使ととも作業をしているのが映し出されている。
     おもちゃ……バスボム? 何か薬品をつかっているようだが、声までは聞こえてこないので、具体的に何を作っているのかまでは分からなかった。
     
     
    「……協定のためにアダムをとどめておきたいというなら、こうしましょう。一定期間、こちらから天使を派遣します、あなたのところへ。報告書は定期的にあげてもらうけれど、内容はあなたが先に確認いただいて結構」
     
    「へえ」
     
     
     ルシファーは、二人のやりとりをよく見ている。
     サー・ペンシャスが、熾天使に話しかけた。唇の動きを見る。『え・い・いー』……ふうん。
     
     
    「じゃあ、ここにいる熾天使を寄越してくれ。名前は……ああ、エミリーというのか」
     
    「!!」
     
     
     セラフィムは、今度こそ顔色を変えた。

     それはできない。それだけは……あの子だけは!
     
     
    「おっと、できないなどとは言わせないぞ、セラ。君の言うように、天使たちの中でもあの子は特別でなあ。そんじょそこらの天使じゃ釣り合わない」
     
     
     コツ、コツ。
     ルシファーがペン先でテーブルを叩く音だけが、響いている。
     
     セラフィムは、ホログラム越しでも分かるくらいに大量の汗をかいていた。目が泳ぐ。今にも爪を噛みそうになるのを、どうにか理性で抑えている顔だ。
     
     
     アダムと、エミリー。
     セラフィムにとっては、天秤にかけるまでもない。
     
     
    「……分かりました。あなたの提示した条件を飲みましょう、ルシファー。アダムの昇天は一時的に取り消します。こちらの議会でも再度検討を重ねます。……それでいいですね?」
     
    「ああ、もちろん! 今はそれでいい。今はね。君と『エミリー』の絆を引き裂かずに済んでよかった!」
     
     
     ルシファーが心にもないことを言うので、セラフィムは奥歯を嚙み締めた。
     
     
     
     
    6.
     
     
     
     更生プログラムの時間になっても、アダムが部屋から出てこない。
     
     昇天が決まってからのアダムは、欠かさず更生プログラムに参加していた。表向きの態度は嫌々ではあったが、その実、それほど嫌ではなかったことをチャーリーたちは気が付いていた。
     
     事情があって参加できないときには、一言その旨を伝えてくるような人だと皆が気がついている。昇天まではもう時間もあまりない。
     
     
     アダムが滞在する部屋をノックする。チャーリーが控えめに声をかけると、返事はなかったが、中で人が身動ぎする音が聞こえた。
     
     ゆっくり、躊躇するような動きで扉が開いた。
     
     
    「ああよかったアダム、心配して……、どうしたの?!!」
     
     
     アダムの目の下には、堕天してきたころのような重いクマが鎮座している。
     髪もぼさぼさで表情にも覇気がない、それどころか視線はひどく虚ろな感じがした。
     
     
    「ああ、い、いや……。……」
     
     アダムはひどく言いにくそうに言葉を選んでいたが、やがて伝えることを諦めたように目を閉じた。
     
     
    「……悪いが、今日のプログラムは不参加にしてくれ。事情は、後で必ず話す。……今は、一人にしてくれ」
    「わ、分かったわ。……何かあったら言ってちょうだい。私でも、ヴァギ―でも、誰でもいいから」
     
     
     アダムはただ頷いて、黙ったまま扉を閉ざした。
     少し前まであんなに嬉しそうにしていたのに? 一体何があったの? チャーリーは聞きたいことだらけだったが、それ以上何も言えなかった。
     
     
     

    7.
     
     
     
     
     アダムが部屋を出てきたのは、次の次の日の夕方くらいのことだった。
     本当なら、アダムとチャーリーの連盟で署名をして、書類を天国に送り返す予定くらいの時間だった。
     
     アダムが更生プログラムを休んだその日にはもう、チャーリーは父親に連絡をしていた。だから、その場にはルシファーはすでにスタンバイしていた。
     
     
     幽霊みたいな表情で、アダムが階段を下りてきた。エンジェルがかけよって、ソファに座らせる。ニフティが何も言わずとも温かいミルクティーを淹れてきた。
     
     ホテルのメンバーにとっても、アダムの昇天はやっぱりとんでもなく一大事だったので、アダムが口を開くのを誰も何も言わずに待った。
     
     
     少しして、アダムは一枚の金色の紙を取り出した。チャーリーは、提案書に何かあったのかと思って中身を確認して、言葉を失った。
     昇天は取りやめます。追って連絡します。それだけの内容が簡潔に書かれた、『通告書』だった。
     
     
    「え……? 昇天をとりやめ!? どうして急に?」
    「わ、私が知ったことか!?」
     
     声を荒げた後、アダムははっとしたように口を閉ざして、俯いた。「……悪い」と、小さな消え入りそうな声が聞こえてきた。
     アダムがホテルに滞在し始めて少しの頃、ヴァギーがアダムに大きな声を出すなと言ったことがあった。それ以来、アダムは無暗に怒鳴ったり声を張り上げたりしなくなっていたのだ。
     
     誰も何も言えなかった。
     
     俯いたまま、アダムのすすり泣く声が小さく響いた。それも長くは続かず、次に顔を上げたアダムは目を赤くしてしてはいたが、すっかりいつも通りの気丈な表情をしていた。
     そう振舞っているのが分かった。
     
     
    「て、天国連中もやり方がひどい! 生半可に期待させるだけ期待させて、……私が不要なのであれば、要らないのであれば、初めからそう言ってくれればいいだろ! わざわざ……わ、わざわざこんなやり方しなくったって……」
     
     チャーリーは、アダムがそれ以上自分を傷つける言葉を言うのを、黙って聞いていられなかった。無意識に、反射的に抱きしめる。
     エンジェル・ダストがすぐにそれに続いた。複雑そうな顔でヴァギーが続いて三人を抱きしめて、ニフティがハスクの背中を押した。それから、ニフティも。
     
     
    「あなたはあれに入らないんですか?」
     
     それを遠巻きで見ていたアラスターが、同じくその輪に入らずにいたルシファーに声をかけた。
     
     ルシファーは、アラスターをちらっと見てすぐに視線をアダムたちに戻す。最早当の本人よりも周囲の方が大泣きしていて、その中心のアダムは困惑したようにハグを返していた。
     
     
    「……いや、……タイミングを逸した。し、あれに参加する権利は私にはないよ」
    「ヘエ?」
     
     アラスターがあまり興味なさそうに続きを促したが、ルシファーはそれには答えなかった。何か言うのかと思って見ていたが、地獄の王はそのまま口を閉ざした。
     
     やがて照れが勝ったのか疲れ始めたのか、アダムの方が周囲を宥め始めている。が、なかなか収集がつかないので、アラスターが仕方なしに、手助けをするようにそのアダムを慰める輪に近づいていった。
     
     
     
    「……天国側があれだけお前に固執しているのだから、不要だなんてそんなわけがないのにな」
     
     そんなルシファーの呟きは、束の間の喧噪に飲み込まれ、消えた。
     
     
     ただ一人、チャーリーの鼓膜だけを揺らして。
     
     
     
     
    8.
     
     
     
     
     チャーリーは、真剣な顔でルシファーの顔を正面から見つめた。
     あの時聞こえた言葉の意味をどれだけ考えても、父親が何か裏で手を回したとしか思えないからだ。
     
     
     一体何故、今の天国側のアダムへの固執具合を知っている?
     
     それはきっとルシファーが天国側とコンタクトを取ったからで、じゃあそれは一体何のため?
     事実、因果関係は分からないが、アダムの昇天は取り消しになっている。
     
     
     いくらでも嫌な想像は膨らむ。
     チャーリーは、父親が、目的のためなら手段を厭わない人物だと知っている。
     
     
     ……チャーリーは、アダムに納得して地獄に残る選択をしてもらえたらそれがいいなと思っていた。昇天を何としても阻止したい気持ちなど、微塵もなかった。
     仮に昇天しても、会議の場では顔を合わせることがありそうだし、寂しいのは自分たちの都合なのだ。
     
     何よりサー・ペンシャスとの一件を経て、仮に会えなくなったとしても、どこかに存在さえしていてくれればいいと思っていた。
     
     
     それが……、本人の同意を得ない形で、無理やり昇天を中止させたかもしれない?
     
     
    「パパ、本当のことを話して。お願いだから」
     
     ルシファーは少し前から、ホテルの最上階、傲慢の層を見渡せる場所に居を構えていた。室内は屋敷と同じような壁紙が貼られ、好きなようにカスタマイズされている。
     
     
    「チャーリー……。ち、違うんだ」
     
     ルシファーは、まっすぐ向けられた娘の視線を受けて、乾いた笑いを浮かべた。
     
    「……エクスターミネーションをやらないと、連中は告知してきたらしいな。確かに、エクスターミネーションそのものはやらない。それはセラにも確認したよ。
     何故ならやり方を変えて、名称を変えて、似たようなことをするからだ。契約には気をつけろと前に話したことがあるな。あれは悪魔だけじゃなくて……、天使もだ。悪魔は悪意を包み隠すのに言葉を用いるし、天使は自らの行いを善だと信じて言葉を尽くす!」
     
     
     チャーリーは息を飲んだ。まさか……本来は身内であるはずのアダムも騙そうとしていたの? 天使たちが?
     
     
    「それが、パパがアダムの昇天を中止させた理由なの? 本人に意見を聞いてからじゃ、だめだったの?」
    「やつらが会議の場を設けるまでにどれだけ時間がかかると思ってるんだ? そ、それじゃだめなんだ。それじゃ……」
     
     
     ルシファーが普段以上に青白い顔を伏せようとした時、困惑しきった男の声が響いた。
     アダムだ。
     
     
    「待て待て待て! え? 何? ……実のところ、お前が裏で手を回してたのか?」
     
     
     ルシファーとチャーリーが二人そろって声のした方を見ると、いつの間に部屋に入ってきていたのか、なんとも言えない顔をしたアダムが立っている。手にはホテルの経費関連書類をまとめた帳簿を持っていて、どうやらそのことで話があったらしい。
     
     
    「!!! アダム……! ど、どこから話を聞いていたの……!?」
    「割と最初から。……いやマジでなんだ? 頭の整理が追い付いてない!」
     
     帳簿の面で自分の頭をぺちぺち叩いて、アダムは動きを止めた。ロボットのようにぎこちない動きで二人を見つめ、一気に脱力する。
     
    「お嬢ちゃんに話があって、ヴァギーに聞いたらここだって……。いやでも今それどころじゃないな。邪魔した、話を続けてくれ。私は部屋に戻る」
    「アダム……! 待ってくれ、私は、……私は」
     
    「ルシファー」
     
     
     部屋を出て行こうとしたアダムが、背中を向けたまま立ち止まった。表情は見えない。ただ丸まった背中と、身を守るように脇の下に通された羽が、普段よりやけに頼りなく見えた。
     
     
    「分かった、分かったから」
     
     
     ひどく静かな声だった。嘲笑しているようにも、諦めているようにも、疲れ切っているようにも感じられた。
     
     それは、どういう意味の『分かった』なんだ? ルシファーが聞く前に、アダムは扉を閉じてしまった。
     咄嗟に伸ばした腕は何もつかめないまま空を切った。閉じたまま開かれることのない扉を見つめ、情けなく笑いを浮かべるルシファーに、チャーリーは寄り添った。
     
     
    「ちゃんと話して。教えて、全部。アダムのためだけじゃない、パパのためにも」
     
     
     自分と愛するリリスの愛の結晶が随分立派に育ったものだと、何度目か分からない感動を覚えた。し、同時にそれはアダムへの罪だと今は感じられて、ルシファーは胸の締め付けられる思いだった。
     
     
     
     
    9.
     
     
     
     
    「じゃあ、アダムはパパにずっと嫌われていると思っていて……パパもそれを否定しなかったの?!」
     
     チャーリーの呆れ切った声が、今のルシファーには強く突き刺さった。
     そうだよな、否定すべきだったよな。分かる、今の冷静な自分なら分かる。
     
     
    「パパも天国にずっといたなら、分かるでしょう」
     
     チャーリーは、優しい目をしている。
     長ソファに横並びに座って、今はルシファーの落ち込んだ背中を撫でてくれていた。

     
    「天国はルールがいっぱいで、旧時代的で、新しいことには結構否定的! 天使の身内だけで勝手に話を進めて、ちぃーっとも! 融通が効かないの!」
    「あ、ああ……」
     
    「……でもね、パパ。アダムは、元人間の立場で、ずっとそこにいたのよ」
     
    「………………」
     
     「天使だったパパにとって辛い場所だったのなら、最初の人類であるアダムにとってはきっと……もっと辛い場所だったと思うの。
     でも今の天国は、人々の活気で溢れてる! 天国は、昇天した人間をきちんと受け入れてる!
     もちろん全部がアダムのおかげとはもちろん思わない、けど……。アダムの功績もやっぱりあると思うの」

    「チャーリー……」


     ルシファーは、そんなことは考えたこともなかった。
     アダムが死んで天国に迎え入れられた頃、自分は何をして何を考えていた? 覚えていない。


    「それにね、ここに来てすぐの頃のアダムは、パパのことを相当気にしてたのよ。ホテルに来るってなったら、そわそわしてたし!」

    「え! 何だそれ、初耳だ!」

    「アダムが言うなって言うから……」


     何で教えてくれなかったんだ。聞いていたら、もしかしたら。
     ……いや、何も変わらなかっただろう。

     きっといつもの調子でからかって、アダムを怒らせて……。でもそれも、アダムの表情がくるくると変わるのが面白くて、可愛かったからだ。


    「要するにね」

     チャーリーは、ルシファーの手を取った。

    「堕天した後、アダムはきっとすごく不安だった。でも、パパがいるから。喧嘩はするけど、見知った相手がいるって、すごく心強かったと思う!」

    「……そうか」

    「それなのに! パパときたらアダムを痛めつける時だけイキイキして! ちゃーんと、考えることは言葉にしなきゃ伝わらないの。ママにはちゃんと伝えてたでしょ?」


    「…………え?」
    「え?」

     ルシファーにとっては、清廉の霹靂だった。
     雷に打たれたような感覚すらあった。

     た、確かにリリスにはちゃんと伝えていた。いやでもリリスは好意を伝えると素直に喜んでくれていたし、片やアダムが自分からの好意を喜ぶとは思えない。


     ……いや? 今までもアダムからのリアクションを気にしたことはなかったな?

     なぜ好意を伝える時だけ、アダムの反応をいちいち気にしてやらなきゃならないのだ。気持ち悪がられようが、拒否されようが、別に。


     ここは地獄だ、地獄の王の振る舞いたいように振る舞うだけ。


     ルシファーはなんだか急に、色々と馬鹿馬鹿しくなった。
     何を変な気を遣ってたんだか。あーあ。あーあ!


     どこか吹っ切れたような顔をしたルシファーに、チャーリーは「ほどほどにね」とは一応忠告をしておいた。
     それがどの程度、父親に響いたかはあまり自身がない。




    10.




     コンコンと鳴ったノック音のすぐ後に、アダムの部屋の扉は開かれた。返事はまだしていない。


     ベッドに寝転び、天上のクロスの模様を見つめていたアダムは、音に気が付いたが反応する気になれずただぼーっとしていた。

     ついさっきまで、アダムはただ落ち込んでいた。それで気を紛らわせようと経理関係の仕事をしようとしたら、チャーリーとルシファーのあの現場に遭遇したのだ。

     まだ、起きたことが幸だったのか不幸だったのかすら処理出来ておらず、情報も整理できていなかった。
     天国行きの切符が目の前で思い切り破り捨てられたような、でも実はその列車に乗ると事故に遭うことことが約束されていたことを後から知ったような……。


     頭の中に複雑な感情と、色々な情報が錯綜している。アダムはルシファーが近づいてきても、断りもなくベッドに上がりこんできても、そのまま不躾に顔を近づられてもあまり反応ができなかった。
     アダムにしてみれば割と余裕がなくて反応できなかっただけだったが、ルシファーは『おや? 思ったよりも嫌がらない?』と目を丸くした。


    「アダム……。気分はどうだ?」
    「良いか悪いかって意味で聞いてるのか? まあ……良くはないな、普通に」

     四肢を投げ出して、視線だけをルシファーに向けてアダムは答えた。


    「あの日の会話の続きをしていいか?」
    「…………どの日のだよ」

     アダムは記憶力はそれなりにある方だとは自負していたが、さすがに昇天ほぼ確からの土壇場キャンセルのショックは大きかった。ついこないだルシファーと何か話した気もしたが、あまり重要な話はしてないなくらいのことしか覚えていない。


    「お前が、『嫌いなやつがいなくなってせいせいする』って言ってた」
    「ああ……」

    「すぐに言えなかったが……。私はお前を嫌いではないんだ」

    「……あっそ」

     今それあんまり重要ではない、とは流石のアダムも言えなかった。ルシファーが、アダムのラフな感じの髪の毛を撫でた。
     アダムは生まれてきてから大人の姿だったので、あまり撫でられたことがない。一度や二度寝ただけの女に知った顔でベタベタ触られるのも好きではなかったから、撫でさせたこともない。

     すごく新鮮な感じがして、心の弱ったアダムは感傷的な気分になってしまった。


    「いや、……お前は嫌がるかもしれないが……、お前を気に入っている! …………今もな」

     アダムは何も言わない。
     ただ黙って、普段なら拳を振り上げて殴りつけてくるばかりのルシファーの手が、いつになく優しく撫でてくるのを受け入れている。


    「……天国にまた騙されそうになった。二度目だ」
    「天使のやり口は功名だからな。お前では見抜けるわけがない」
    「ああ。それで……。お前のやり口もえげつないもんな」

     一瞬だけルシファーの指がアダムの頬の肉をむにむにっとつまんだが、少しも痛みは生じなかった。すぐに頭を撫でる動きに戻る。


    「そのー……今更すぎる話だが、昇天させなくて、悪かった」

     アダムはとろとろ眠気に落ちそうになったまぶたをかっと開いた。あまりに衝撃的だった。
     普通、天使は、謝って自分の交渉を有利に運べると思ったときにしか謝らない。

     ――ルシファーが、地獄の王が、謝った?


    「は、ハハハ……。それこそ今更過ぎる話だろ、……次連絡来るの何年後だ? 10年後か? 100年後?」
    「ハーフミレニアムの間にくるといいな、連絡」

     ルシファーが事態をややこしくしてくれたおかげで、少なくとも向こう10年は連絡がないに違いない。これにはヘイローを賭けてもいいくらいだ、とアダムは心の中でつぶやいた。


    「許してくれるか?」
    「許すも何も。……今更どうしようもないんだから、受け入れるしかないだろ」
    「ハハ……」

     ハア……。

     肺から全部の空気を吐き出す勢いで、アダムは溜息をついた。もう撫でなくていいとばかりに寝返りを打ち、背中を向けた。掛け布団を肩まで持ち上げる。


    「寝るのか?」
    「ああ。かなり疲れた。お前も早く寝ろ」
    「そうするよ」

    「……は?」

     ルシファーが当たり前のようにアダムのベッドに入り込んでくるので、アダムは振り返った。
     すでに帽子をベッドサイドのテーブルに置いて、上着も脱いで、ブーツも脱ぎ捨てている。ベストも畳まれて帽子の横に。


     いやいや。何してんだこいつ、距離感バグってるんじゃないか?!!!


    「ここで寝ろって意味じゃない! 自分の部屋に帰って寝てくれ!」
    「いいじゃないか! 仲直り?記念だ! ほら、もっとそっち寄ってくれ、布団ももう少し譲ってくれ」

    「は? は??? いやいや嘘だろおい! ……お前はほんっと~~に! 図々しいな!」


     ハアア……。

     さらに荒々しくため息を吐き散らかしながら、アダムは自分のベッドのスペースをルシファーのために譲ってやった。仲直り(は?)記念とやららしいから、多めに見てやる。仕方がない。


     今日だけだからなとアダムが手短に言う。

     ルシファーは、それに適当に返事をしながら、アダムの高い体温に眠気がゆっくりやってくるのを感じた。この男が帰ってしまうかもしれないと知った時から多少の不眠気味だったが、今日ばかりは熟睡できそうだ。




     ルシファーの寝息が聞こえてくる。アダムは溜息を今度は飲み込んで、地獄の王と向き合うように寝返りを打った。

     天使は本来、睡眠を必要としない。というのは、寝なくても人間と違って死んだりしないという意味だ。
     でも高性能の機械だって定期的にデータをクリーンしたり休ませたりしなきゃならんだろ。よく分からんけど。とアダムは考えている。

     天使だって完全な不眠は心身にある程度の支障をきたす。それくらいは知っていた。


     ルシファーの肌は温度が低いのに、体の中央、心臓のある辺りは燃えるように熱い。
     熾天使の『熾』は、燃えた炭火という意味だ。熾天使は心を愛に燃やしている。だから、心臓のあたりが熱い。

     でもじゃあ、地獄の王は?

     ルシファーの胸のあたりでは一体何が燃えているのだろうとぼんやり考えて、意味のないことだとアダムは諦めた。


     結局天国に帰れなかった。
     だがまあ、……それでいいか。と。ルシファーの寝息を聞いて、アダムは気が付いたら眠りに落ちていた。

     明日の朝起きても、変わらずクソッタレみたいな地獄にいる。一周も二周も通り過ぎて、何周もして、アダムは地獄にいることを半ば諦める形で受け止めている。







    おまけ




     チャーリーは、アダムのことを心配していた。

     自分の父親のしていることは基本的に逆効果になってばかりいたので、そういう面に関してはあまり信頼がなかった。


     アダムの部屋の扉をノックする。やはり返事はないまま近づいてくる気配がして、ドアが開かれた。

    「アダム、おはよう。その、昨日は……いえ、昨日に限らず、パパがごめんなさい。まさかここまでするなんて……」
    「アー……エデンからの付き合いだからな! あいつの勝手な振る舞いはもう慣れてる。お嬢ちゃんが悪いわけでもない! だから、まあ……気にするのはちょっとだけでいい」

     ……あれ?
     アダムの全身から『地獄の王』の気配がする。こんな風に他者がルシファーの気配を漂わせているのは、母親であるリリスを除けば、初めてだ。


    「それでね、あなたさえよければ、これからも更生プログラムに参加してほしいの。他の罪人も、アダムがいてくれるとはりきるみたいだから」
    「仕方ないな! ホテルに置かせてもらってる身だ、わがままは言えないだろ」

     アダムが仕方なさげに笑うので、チャーリーは良かった、少しは元気が出たみたいだと胸をなでおろす。


     と、入り口でいつまでも二人が話し込んでいるので、不審に思ったらしいルシファーがベッドから降りてきた。

     ……アダムの部屋から、今寝起きですって感じの父親が出てきた。
     乱れたシャツ、帽子もベストも着てないし、髪の毛も乱れて……。エット……。


    「アッ……」

     昨日の今日で『ぶち込んだ』んだ、とチャーリーは思ったし、それが全部表情に出ていた。
     いや分からない。父親がぶち込まれた方かもしれない。それはそれで普通に嫌だ、知りたくない!

     と、思ったことが全部全部表情に出ていた。


     ルシファーは、そこそこ久しぶりにぐっすり熟睡したのであまり頭が働いてなかった。それでアダムの部屋から、無防備な格好で姿を現してしまったのだ。

     目の前で百面相を繰り広げている娘が、どんな思い違いをしているのかに気が付いて、心臓が跳ね上がるくらい驚いた。


    「チャーリー!??!?! すごい勘違いしてないか!?? 違う、違うんだ!!」

     必死の形相でルシファーは弁明をした。



     ルシファー自身の声が何よりも大きくうるさかったので、結局エンジェル・ダストにその現場を見られてしまい、噂はあっという間に広がってしまう。

     その誤解を解くまでの間に、結局その『噂』が真実になってしまうのだが、それはまた別のお話。





    おわり。
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