風邪の引きはじめ/お家でお鍋/UNZ商店街の福引ジョウが「服着ろよ」という言葉を双循に放った回数は両の手指を合わせても足りない。昨夜もそうだ。「だから言ったじゃねぇか」の回数はまだ片手で収まっている。
「やかましいんじゃ、クソ不死鳥……!」
冷感シートの下で翠が鋭く光った。微熱に浮かされ潤んだそれは迫力も何もない。弱々しい憎まれ口を鼻で笑い飛ばし、ジョウはしゅんしゅんと湯気を吐く鍋の様子を見に台所へ立った。
◇◇◇
寒波の到来により、この冬一番の冷え込みとなるでしょう。そう伝えるアナウンサーはスタジオの暖かい空気に合わせ、内容には似合わない薄着をしていた。生まれつき病弱で、気温や天候に体調を左右されるジョウにとって天気予報のチェックは日課のひとつである。
だからその夜も脱ぎ去った服を拾い集め、上から腹巻を巻いた。内臓の冷えは深刻な体調不良に繋がりかねない。事後の気怠さだけを纏った双循はそんなジョウを嘲笑していた。
「ジジくさいのう~。ま、実際にジジィか……」
「うるせぇよ。冷えを甘く見んな、お前も服着ろよ」
「ふん! ワシはどこぞの病弱鳥と違って健康優良容貌魁偉眉目秀麗じゃけえ、そんなこと位でびくともせんわ」
四肢の美しさを誇示するように胸を張り、汗のしぶいた素肌を曝け出す。その結果がこれなのだから、まったく世話がない。早朝のくしゃみと共に起床した双循はいかにも風邪の引きはじめといった様子で、今は毛布にくるまりソファを占拠している。怠いならベッドにいればいいものを。寝込んでいれば「それみたことか」と指摘されるのを嫌って意地を張っているのだ。
馬鹿なやつ。ジョウはささみ肉の具合を確認しながら心中でひとりごちる。たっぷりの生姜と葱で煮た鶏肉からは良い匂いが立ち込めていた。仕上げに卵を落とし、二人分の取り皿を片手にダイニングへ向かう。
「はぁ? なんじゃこれは……」
「喰えよ。最初が肝心だぜ」
「えらく貧相な飯じゃのう」
「バカ言え。ビタミンタンパク質揃ってて消化にもいい、これ以上ねぇだろうが」
「…………てっちりがあったじゃろ。あれにせえ」
双循の指すてっちりはUNZ商店街の福引でジョウが当てたものだ。年末恒例の行事で、その日大きな買い物をしたふたりは引換券を10回分持っていた。その大半はティッシュに変わったが、最後の最後で3等の『てっちり鍋セット4人前』を引き当てたのである。
「あいつらも呼んでやるか」とフグなど縁遠そうな後輩二人を思い浮かべるジョウに対し、双循は「ワシの引換券で引いたちゅうことは、ワシのモンじゃ」と自分用に買った毛布を抱えなおしながら言った。そのてっちりを、今出せとせがむ。
「フグは今度な」
「あ~? 滋養強壮なら今じゃろうが……」
怨めしげな声がする。かといって、今の双循にはチルドの鍋セットを開けて調理するのも、ジョウを蹴るのすら億劫なのだろう。湿っぽい目線を寄越すだけだ。ぐすん、となく鼻の音がべそではなく、単に詰まりから生じるものだと知っているからジョウは罪悪感など抱かない。
「折角精付けるなら休みの日にしようぜ」
それに、そのザマでは味も解るまい。ジョウは不敵に笑って横になったままの頬を撫でる。40度の掌にはぬるい皮膚が、いつもより熱いのは微熱の所為ばかりではなさそうだった。