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    iguchi69

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    2023ホワイトデー(ジョ双) 7/7

    バイト先の仲間から 長い間地上を走っていた電車がつかの間地下に入る。軽い車体がごうと音を立てトンネルをくぐると、黒くなった車窓が鏡のように乗客の姿を映し出した。正面に表れた男の浮かれ切った出で立ちを見て、ジョウは自分がいかに場違いかを思い知る。
     小脇に抱えた花束は、意識していなければどうということもないが、いざ視界に入れば途端に落ち着かない。持ち方はこれで良いか、前に座る老婦人の邪魔ではないか。向かいの席の女子学生が窓越しにこちらを見ながらひそひそと小声で囁きあっている。右側の少女がマスクをしているのを見て、ジョウはもしかして花粉症なのだろうかと心配になった。薔薇の花からも花粉が飛ぶものだろうか。幸い、病弱ではあるがアレルギーの類は持っていないジョウには無縁の感覚だったが、三月も中旬に入った今頃は、朝のニュースに花粉予想が添えられるのがお決まりになっている。
     噂に聞くところによればあれは随分辛いのだそうだ。身体が自分の言うことを聞かない歯がゆさは骨身に染みていた。申し訳ないことをした。ジョウは出来るだけ花束を揺らさぬよう、肩幅に開いた両足をしっかりと踏ん張って、目的地までの数駅を耐えることにした。

    ◇◇◇

     バイト最終日のシフトを昼間にしたのは、湿っぽい空気に見送られるのが苦手だったからだ。早番なら退勤しても店自体は稼働しているし、ディナータイムの開店までは遅番連中が出勤することもない。
     送別会を辞退したのも同じ理由だった。そもそも、ジョウには己が仰々しく『送別』されるほど店に貢献した覚えがない。UNZにあるカフェレストラン・BRILLIANTでのアルバイトは一年近く続いていたが、その実、不定期の体調不良と度々あるバンド絡みの欠勤も多く、模範的な従業員とは言い難かったように思う。
     アルバイト仲間とは親しくはなかったが、かといって不仲だった訳でもない。ホールならまだしも、厨房ではコミュニケーションと言うよりはやるべきことをやるべき時に実行する力を求められた。なんなら顔は知っていても名前を呼んだことのないミューモンすらひとりふたりいる。だから、あまり馴染みのない同僚から餞別を渡された時、ジョウはそれなりに驚いたのだった。

    「寂しくなります~……いつでも食べに来てくださいね」
     垂れたウサギ耳の女性は大学生だった筈だ。三年間ホールスタッフをしているベテランで、それ故か皆を代表してジョウに花束を渡している。社交辞令に曖昧に笑うと、有名百貨店の紙袋を両手で差し出す角の生えた女性が「てか、この後飲みいきません?」と上目遣いで言った。
    「いや、この後約束あって、スイマセン」
     昼の二時だぞ。つい口を出そうになったが、言い訳ではない正当な理由があったのは幸いだった。「えー、じゃ絶対店来てくださいよぉ」という返事を背に、ジョウは更衣室へ向かう。

     双循との待ち合わせがあったのは本当だった。来月から大学へ入学する恋人は、今日は何かの説明会とやらで都心の催事場にいるらしい。おどれの退職祝いでもしたるかのう。予約を取ったから遅い昼にしようという彼の口ぶりは上機嫌で、珍しく邪気が無さそうだった。
     双循との逢瀬は専らジョウの家か、良くてもUNZに近い場所で、こんな風に街へ出るのは稀だ。滅多にない機会に、更に風変わりな恰好で赴くことが少し気恥ずかしい。

    『次は……………駅…………お降りのお客様は……』
     目当ての駅に着き、ジョウは吊革を離す。周囲に迷惑ではなかっただろうか。ジョウはさっと周りに視線を走らせた。マスク姿の少女が慌てて目を逸らす。怖がらせるつもりではなかったのに。ジョウは軽く目礼し、人並みに続いて電車を降りた。

     メッセージを打つとすぐに双循から返信が入る。乳母日傘で育った彼は、立って待つのを嫌って大抵どこかの店に入っている。大方ティーラウンジにでもいたと思しき双循は向かいのホテルから現れ、案の定、ジョウを見て緑の眼をぱちくりと瞬かせた。
    「くっ、……は、おどれ、そりゃなんじゃあ」
     外だからか、控えめな声でくつくつと笑う。バイト先でもらったんだよ、仕方ねぇだろ。そう反論する前に返った言葉は、耳を疑うものだった。

    「おどれも気の利くようになったのう」
     左手から花束を奪われ、次に目を丸くするのはジョウの番だ。まさか、自分へのプレゼントだと思っているのだろうか。
    「違ぇよ、お前にじゃ……」
     慌ててことを正そうとするも、鼻先にガーベラを突き付けられては口を噤むしかない。
    「わかっとる。じゃが、周りの連中は言わんと気付かん」
     声を潜めて言った後で、金色の尾がゆったりと振れる。長い足で街を闊歩する男は、モデルさながらに花束を抱えてジョウを先導してみせた。そしてジョウはようやく気付く。ビルの谷間で、長身の男二人が出合い頭に花束を渡している様子がいかに目立つかを。頬を赤らめてこちらを見るミューモンの多いことを。彼らが、双循を見る目に宿した羨望をやっと自覚した。

     ああオレの恋人はつくづく性格が悪い。春の日差しに照らされて輝く金の髪と伸びやかな肢体、その美しさを前にしては、あんな花束など添え物になる他ないじゃないか。己の美を見せつけるように胸を張って「はよう来んか」と自分を呼びつける恋人の声を聴きながら、お前が自慢するだけの価値がオレにはあるんだなとジョウは小さな自尊心を膨らませた。

     ジョウが数歩進めば、さほど身長差のないふたりはすぐに横並びになる。金と白、それらを飾り立てる赤やピンクの花々を横目に見ながら、ジョウはこいつには違う花が似合うだろうなと考えていた。花の名前に明るくない自分は知る由もないが、白くて大ぶりなのが良い。それをうんと大きく包んで、お前の為だと渡す瞬間を陽炎の中に夢想した。
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