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    iguchi69

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    2023ホワイトデー(ジョ双) 3/7

    モブ視点 バレンタインの贈り物は受け取らない。
     双循さんからそうお達しが出たのは今から二か月と少し前、まだ年始特有の浮足だった雰囲気にあてられて、いまいち気の引き締まらない思いをしていたある一月のことだった。

     瞬間、出待ちをしていた真強敵の間にざわざわとさざ波のように動揺が走ったのを覚えている。DOKONJOFINGERのファンは日を追うごとに着実に増えており、私が彼らを追いかけだした頃には両の手で足りるほどだった追っかけ連中も今やちょっとした集団にまで成長していた。色とりどりの頭や耳が困惑に揺れる。

    「あ、あの、それって皆さんそうなんですかっ? ハッチンさんも……!?」
     女性にしてはハスキーな声が響く。ハッチン担の古参である熊族のミューモンが哀れなほどに声を震わせていた。周囲より頭半分ほど背の高い彼女は、上背に似合ったリーダーシップがあるのか、こういう時にいち早く発言してくれるのでありがたい。
     DOKONJOFINGERはアイドルという訳ではないどころか音楽性としては真逆の硬派なロックバンドではあったが、メンバー全員が現役の男子高校生というのもあってファン層の6割以上を女性が占めている。春の終わりに新星の如き輝きでUNZの音楽シーンに誕生した彼らのファンである私たちにとって、来月のバレンタインは初めての浮かれたイベントだった。
     ましてプレゼントボックスが常設されたのは年末だったのだからなおさらだ。普段出待ち出来ない真強敵もさぞ楽しみにしていたのであろう機会が、目の前で辞退されようとしている。双循さんに少しだけ似た緑の目が潤んでいた。その気持ちは、横で立っている私にもよくわかる。

    「てめ双循勝手なこと言ってんじゃねーぞ!!」
    「安心せえ、ワシ宛のもんの話じゃ。ハチ公はこの通り大歓迎大募集ちゅうことじゃけえ? 贈ったってくれるかのう?」
     くってかかるハッチンに双循さんが補足する。にこりと微笑んで猫なで声を出され、件の熊族の女性は高い位置で結った団子頭を恥ずかしそうに下げた。後ろで「べべべ別にそんな欲しいワケじゃね~し」と口をもごもごさせている担当と同じ表情だ。
     その言葉にほっとしたのは彼女だけではあるまい。後ろ姿しか見えない三つ編みのジョウ担も、毛先を紫に染めたツインテールを下げたヤス担も安堵の空気を出している。集団の中で落胆のため息が漏れなかったのは、双循さんのファンが他の三人に比べて所謂リアコ勢――対象をリアルな恋愛対象として見ている層をさほど抱えていないことと無関係ではないだろう。

     かく言う私も、何がなんでもチョコレートを渡したいと思っていた訳ではないので、本人の口から断りの告知があったことは助かった。なにせ双循さんときたら身に着けているものは一流、本人の嗜好も上流なものだから、贈り物の選択にはいたく気を揉むのだ。
     前方で「ねぇジョウくーん、チョコ何が好き~?」という声が聞こえる。「チョコよりクッキーのが好きだな。食事制限してるかもしれねぇけど」という返事は、がやがやと盛り上がり出す人の声に紛れて途切れ途切れになった。
     
     羨ましい。私はあんな風に双循さんに話しかけることはできない。というよりも、双循さん担の多くが、決してお近づきになどなれない彼の孤高の美しさに惹かれているのだから仕方ないのだけれど。
     本人に何が欲しいか聞ければどれほど楽だろうか。下手なものを贈ってもあの人は完璧な営業スマイルでにっこりと上っ面だけの礼を言ってくれるだろうが、あれをされると本当に落ち込むのだ。恥ずかしくて惨めでたまらない気持ちになる。だから私は、その時まではああ、あらかじめ言ってくれるなんて優しいな、などと良い方に考えていた。
     尤も、双循さんのことだから私たち真強敵のことを考えての発言ではなくて、単に彼が甘いものが好きではないとかそういう理由なのだろうとうすうす予想していたけれど。それは思いがけない形で裏切られることとなる。

     その日のライブはバレンタインを控えた週末であった。DOKONJOFINGERは独自の告知媒体を持たない。情報が欲しいなら足で直接ライブハウスに向かうか、どうにかして本人たちと接点を持つ以外になかった。
     ライブの趣旨や演出を前情報なしで見られるのは良い面も悪い面もある。新鮮な驚きと興奮を与えてもらえるのが前者。心の準備ができないという意味では後者だ。そして今日、ロビーを抜けた私たちを迎えた思いもよらないサプライズにはそれらがちょうど半分ずつ含まれていた。

     普段なら楽屋にいるはずのメンバーが長机に並んでいる。上には『バレンタインプレゼント!』と書かれた札と、掌に納まるくらいの包みが高く積まれた箱があった。不格好な包装はいかにも手作りらしい。メンバーカラー四色に分かれたギフトが次々に真強敵の手に渡っていく。私も急いで列に並ぶことにした。
     手渡し相手はなんとなく選べるようになっている。左側にはハッチンとジョウが、右側にはヤスと双循さんが立っていた。そわそわしながら右に流れるが、あいにく双循さんの前には箱はない。こういった雑務をしないことは知っていたから落胆しながらもプレゼントをくれたヤスにお礼を告げる。せめて緑の包みならばと思ったが、そうそう望み通りにならないのが世の常だ。赤い袋は何をどうしたらそうなるのか、伸びきったアロエのように上だけが余ったアンバランスな形でリボンが結わえられている。

     未練がましく双循さんの方を見やる。と、深い緑の目と視線が合った。腕を組み、仁王立ちになっている姿は威風堂々として美しかったが、とても配布の仕事をしようという気概は感じられない。ああ、それにしてもなんて綺麗な顔なんだろう。蛇に睨まれた蛙のように硬直した私に、完璧な形の唇が微笑みかける。

    「おどれ、いつも上手におるじゃろう」
    「ひゃいッ……」
    「ファンちゅうのはありがたいのう、これはほんの感謝の気持ちじゃ……ワシからの、な」
     一秒でも長く双循さんを見るために、最前よりは少し後方、そして背の高いジョウに視界を遮られないようできればヤスとハッチンの間に来るような場所に位置取りをするのは毎回のことだった。このライブハウスの収容人数はそう多くない。私が双循さんを見つめられているということは、条件としては向こうも同じなのだった。
     お前のことは知っていると言われたも同然の言葉に、そこから先は何を口走ったのか、正直なところあまり覚えていない。

     気付けば私の手の中にはヤスからもらったギフトと、包装すらされていない板チョコがあった。サウンドル札を模したジョークグッズはどこででも売られている市販品だ。それでも、双循さんが私個人にくれたというだけで何万倍もの価値がある。

     バレンタインのプレゼントはいらないというのは、自分が贈る側だからという意味だったのだと悟る。双循さんの隣のパイプ椅子には同じチョコが入った紙袋が置かれていた。十数枚ほどのそれは、私のようにふらふらと彼に近づいた従順な下僕にだけ与えられるのだろう。
     そして、この半年間彼を追いかけてきた私には双循さんが言外に含ませたこのチョコの真意を汲み取っていた。返礼品の相場は三倍返し、それが答えだ。

     この狡猾さ、他の追随を許さぬ慧眼、そして強者たりえる者だけが持つことを許されたあの胴慾ぶりといったら!
     好きだ。好きすぎる……と、改めて愛を確認する愚かな同志がこの会場にどれほどいるだろうか。まだ照明の落ちないライブ会場ではあちらこちらから楽し気な声が聞こえてくる。ねぇなんのチョコにした?と話し合う彼女たちは、健全な感情を贈ることを許された幸せな羊だ。一見区別のつかない群れの中に紛れながら、養分になるだけのその日を思って、私は捕食者の好みそうなブランドや換金性の高い品物を思い浮かべていた。
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