Recent Search
    You can send more Emoji when you create an account.
    Sign Up, Sign In

    iguchi69

    @iguchi69

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 71

    iguchi69

    ☆quiet follow

    2023ホワイトデー(ジョ双) 5/7

    甘い食べ物「お前、見ないうちに太ったんじゃねぇか?」
     薄暗闇の中、己の尾の炎で逆光になった顔を顰めてジョウが放った言葉には、それだけで週末の甘い空気を引き裂く鋭さがあった。

     いよいよ卒業を控えた春の金曜日のことである。この一週間は何かと忙しかった。自分は大学の入学準備にあれやこれやと飛び回っていたし、来月から社会人になるジョウとてそれは同じことだ。今の部屋を引き払う手続きやかかりつけ医を変えるのに奔走したりで、互いの進路が確定した三月に入ってからというもの、スタジオでのバンド練習以外で顔を合わせる機会がめっきり減っていた。今夜は久しぶりの、本当に久々の二人きりでの逢瀬だったのだ。

     なのに、言うに事欠いて太っただと?
     クソ不死鳥のムードのないのはいつものことだが、これは看過できない。しかし双循は顔色を変えなかった――というか、眉一つ動かす必要性すら感じなかった。ジョウの言う指摘など『あり得ない』からだ。
     あまりに的外れなことを言われると、ひとは怒るというよりは呆気にとられるものだ。辟易を隠さずにはぁ、と憐憫のたっぷり滲んだため息を浴びせた。向かい合う顔は相変わらず怪訝そうな表情を浮かべている。

    「はん、そんな訳なかろう。ワシは爪の先まで完璧じゃけえ、どこぞの虚弱体質王とは違って体調管理は行き届いとる」
    「……いや、太ったって。前は指届いてたしな」
     そう言うと、ジョウは上半身を傾け双循の腰に添えていた腕を後ろに回した。膝立ちの体勢でジョウに跨っていた双循のちょうど腹に抱き着く形だ。「ほら」とくぐもった声を臍の下に浴びながら、双循はお前の主観のことなど知るものかと思っていた。そしてその一方で、とある心当たりが胸に影を落とす。

     太った覚えは、ない。毎日体重計に乗る習慣はなかったが、愛用の衣服はタイトな作りで着用に不都合があればすぐにわかるし、第一自分はまだ成長期だ。身長だって、一時期に比べれば緩やかにはなったが今でも少しずつ伸び続けている。ジョウの言うように他人から太ったと指摘されるほど体形に変化があればわからない筈がなかった。
     だが、と双循は年末からの食生活を思い返す。大学受験で生活が不規則になったのは事実だ。夜食だと理由をつけて、若い胃袋を過信して深夜に好物の唐揚げに手を伸ばしたことも一度や二度ではない。そして何よりも、一か月前の――双循の記憶が核心に触れる前に、ジョウがこともなげに図星を突く。

    「だいたいお前、チョコだのなんだのって甘いもんばっか食いすぎなんだよ。ちょっとは節制しろ」
     まぁ、いいけどよ。と続く言葉に双循はなら黙っていろと思ったが、久方ぶりの夜にこれ以上水を差すのは互いに不本意と見えて、結局問題はうやむやのうちに終わった。

     翌日、自宅で埃をかぶった体重計を引っ張り出した双循は、メモリの差す数値がちょうど一年前の健康診断時の記憶とさほど変わらないことを確認して頭を捻った。確かに1キロ弱ほど増えているが、そんなものは許容範囲だ。その日のコンディションや食事内容で変わる程度の数字はともかく、やはりジョウの言葉が気にかかる。
     最も考えられる仮説は体脂肪率の変動だ。筋肉が落ち、同じ重さだけ脂肪が増えた。比重は筋肉の方が大きいから、数値上の体重は変わらずとも結果的に「太った」印象になるにはこれしかない。だがそうなら、何よりも一番に自分が気付く筈じゃないだろうか。
     狛犬宅の体重計は乗せたものの重量に応じて目盛りが動く旧式のタイプで、身体組成までは分からない。結果、双循は『ジョウに指摘されたことは癪だが体形管理はしたい』というジレンマに悩まされることになる。問題が解決したのは、互いが慣れない新生活に適応しようともがく四月に入ってからのことであった。

    ◇◇◇

    「おい、ジョウ! おどれ、ワシが太ったとかほざいとったのう」
    「あ?」
     ジョウはクローゼットに顔を突っ込んだまま生返事をした。新居へ移って初めての衣替えだ。前の入居者のものか、あるいは何年も染みついているのか、ほのかに香るナフタリンの匂いに気を取られ、双循の言葉は頭に入ってこない。
     お前そんなことより、クリーニングの袋どうする?付けてた方がいいか?そう続けようとした時である。至近距離で金色が煌めいた。防虫剤の香りと、爽やかな薬草の匂いが交じり合う。
    「大方チョコの食いすぎとでも言いたかったんじゃろう、ククク、おどれはねちっこいからのう……」
     こいつは何の話をしてるんだ。ジョウはいよいよ観念し、重いコートをひとまずクローゼットに預け、双循の話を聞くことにした。

    「ええか、あれはのう! 冬毛のせいじゃ!! このワシがチョコレート如きでこの玉体を崩すなんぞあり得んわい!」
     肝に銘じとれ!と怒鳴られて初めて、ジョウは恋人が何を訴えているのかを理解した。太った、チョコ、断片的な単語から類推する。あれは一月ほど前のことだ。褥での与太話だったように思う。年度末の忙しさにかまけ、久々に抱いた体の厚みが記憶と異なる気がしたから叩いた軽口が発端だった。
     そうだ。確かに太ったかとそう聞いた。聞いたというよりも、独り言じみた感想のつもりだった。あの頃はちょうど三月のはじめで、いつもなら回しきれる筈の腕が双循の背後で触れ合わないことを確かめたのだ。そして口を出たのは安直な推察だった。チョコの食いすぎじゃないのか、と。事実、双循はジョウが真強敵から贈られたチョコの中から未開封の市販品を選って食べていた。尤も、普段から脂質糖質を制限し食べるものに気を遣っているジョウにとっては願ったりかなったりだったのだけれど。

     それがなんだ?冬毛?
     ようやく記憶が今起きていることに追いつくと、ジョウは思わず吹き出しそうになった。そんなくだらないことを気にしていたのか。双循が己と言う存在、憎たらしいほどに回る知略や美貌に絶対の矜持を持っていることは知っている。だからといって、オレのちょっとした言葉を一か月も、訂正するほど心にとめていたなんて。おまけに理由は冬毛ときたものだ。ようやく合点がいった。腕が回りきらないほど増した厚みは夏の終わりから生え変わり、ふさふさと茂った尻尾の分だったのだ。
     その執念深さとは似つかわしくない間抜けさについ頬が緩みそうになる。勝ち誇ったように腕を組んで好戦的に笑う顔さえ、世間を知らぬ愚かな子供のようで愛らしい。

    「わかった。オレが悪かったよ」
     ジョウはなんとか顔を歪めないように努めながら腕を広げた。恋人を抱き寄せ膝を折る。春を迎え冬毛を脱した尻尾は一回り小さくなったようで、なるほど今度は両手の指同士が組めた。掌に当たる尻尾が冬の間とは異なる手触りを与える。記憶よりも柔らかく細い滑らかさを楽しみながら、ジョウはならば耳も違うのだろうかと、自分にはないもうひとつの器官のことを考えていた。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ☺💕
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works