後ろのムムリクだぁれ 事の経緯を話すためには、まずは昨夜の回想まで遡らなくてはならない。
昨夜、私は珍しくスナフキンに今夜泊まっていくと誘われ、やったーと即答で喜びほいほいテントに泊まった。
その間、特になにか変わったことは起きなかったはずだ。いつも通り居心地よい甘い時間を過ごし、スナフキンの隣でぐっすりと眠った。
……以上が昨夜の回想である。いや、違う違う。惚気じゃない。お願い最後まで聞いて。
問題はここから、その翌日のことだ。
鳥のさえずりに目が覚めると、すでに隣に彼はいなかった。外で感じる気配に釣りの準備でもしているのかと起き上がり、欠伸を零してテントの幕に手を伸ばす。
「おはよう、コーヒー飲むけど一緒に……は」
コーヒーでも淹れるかとテントの外に出ると、スナフキンと似たような格好をした人達が見事に揃った動きで私を見てきた。
あまりの見事な揃いぶりに思わず暫く思考停止した。 「え、」とか「なんで」とか呟き混じりに凝視されたが、正直こっちが聞きたい。あれまだ夢だったスナフキンのコスプレパーティーですかなんて現実と夢の境目を疑った私は、自分の頬を思いっきり抓ってみたけどしっかり痛覚が走った。痛い。
人というものは焦りすぎると一周回って冷静さを取り戻すらしい。ジンジン痛む頬を摩りながら、近くで固まっているスナフキンにそっと声をかけてみた。
「スナフキン、これって……」
私の声には反応し、一斉に全員が目を見開いた。
ひっ、なんでそんなに見てくるの。
この場にいる全員の視線を浴びるのははっきり言って恐怖そのもの。
今にもスナフキンに泣きつきたい衝動を抱え込みながら、ようやく私は初めて、目の前に広がる光景をぐるりと見渡した。
色は違えど同じ形の三角帽子に服装。旅人が持っていそうな大きい荷物。
種類は違えどしっかり手入れの行き届いた人数分の楽器たち。こちらを見てくる柔らかく優しい目。
初めて出会うには、共通点が多すぎる。思い付きにも近い一つの仮説が、じわじわと頭の中を支配していく。
スナフキンと似たようなではなく、似すぎている。
まさか、つまり……そういうこと、なのか。
「あー……スナフキン」
迷いに迷った末、物の試しで恐る恐る呟いた名前は、無事に全員の耳に届いたらしい。
戸惑いを混ぜつつもコクリと頷く揃った動きに、私は空を仰いだ。
いつだったか。子守歌代わりに演奏していた手を止めて、スナフキンが寝物語にと話をしてくれたことがあった。
この世にはパラレルワールドというものがあるらしく、ムーミン谷はひとつでは無いということを。
それぞれのムーミン谷にはそれぞれのムーミン達やスナフキンが存在していること。
他のムーミン谷にも私はいるのかなと聞いた気もするけど、なんて言われたんだっけ。
そうそう、スナフキンは時折スナフキン達だけで集まり、近況報告など話している事も教えてくれた。
私はうつらうつら微睡みながら「へぇ、会ってみたいねぇ」なんて返した気がする。
「……まさか本当に会うことになるなんて」
想像してなかった。
ため息混じりにボヤきながら、目の前に広がる光景をぐるりと見渡す。
彼自身が語ってくれた話を思い出しながら、目の前で起きている出来事を夢物語でも見ている気分で眺めていた。
同じような格好に同じ雰囲気。そして同じ名を持つ「スナフキン」が、深刻な顔をして焚き火を中心に円となり座っている。
話を聞くと、予想通りというか、以前話してくれたスナフキンの話の通りだった。
スナフキンだけが集うことを許された空間。その中で、私だけの存在が異様に浮いていた。
なぜこの中に私が紛れているのか。なぜだ。何故こうなった。
頭を抱えて蹲りたい衝動を抑えながらそっと息を吐く。
ひとまずここが本当に別世界ならば、元いたムーミン谷に戻らなきゃいけない。
相談しようと開いた口が、不自然に止まる。
そうだった、全員スナフキンだった。どうやって呼び止めればいい。そもそも人数が多すぎる。
なんて事だなんて頭を抱えて呼び方に困っていると、隣にいた彼が教えてくれた。
それぞれ彼らには、スナフキンとは異なる呼び名があるということを。
「……えっと、それじゃあ順番に…。ゲン、キュウ、シン、ヘイ、パペ、ヤスハラ、エイ、ハピ、フィル、メロ……で、合ってます」
教えてもらった名と特徴を照らし合わせながら名前を復唱すると、合っていたらしく全員頷いてくれた。
間違えなかった、よかった。多すぎて覚えられるかは別問題だけど。
しかし、まさか私が知るスナフキンにも別の名前があったとは初耳だ。聞いたこともなかった。
チラリと彼を盗み見ると、気まずそうに目を逸らされた。……どうやら知られたく無かったらしい。不自然な方向を向くスナフキンを見届けた後、ゆっくりと視線を前に戻す。
「でも……なんでそんな名前をスナフキンとは全然関係なさそうなのに」
アルファベットの並び替えや共通点、または特徴的な何かだろうかと考えたけど、少なくともその見分け方ではない。
不思議な名づけに首を傾げていると、スナフキン…じゃなかった、シンが教えてくれた。
「集まっているうちに、いつの間にかそう呼ばれていたんだよ」
核心を得ない回答に首を傾げたが、確かにほかのスナフキンたちはその答えに納得している様子だった。
なるほど、つまり本人たちも覚えていないほど昔から呼ばれていたのか。
新事実に驚いたと同時に、それほどの問題ではないかと理解して深追いをやめる。
興味本位で他のムーミン谷に私はいるのかと聞いてみたけど、私が知る彼以外は悲しげな顔をして首を横に振っていた。なんだ、いないのか。じゃあお互い初対面か。どうして悲しげな表情なのかよく分からないけど、ならば名前くらいは知っといて欲しいと軽く自己紹介を済ませる。
ちなみにずっと敬語で話していたんだけど、途中スナフキンの1人に敬語をやめてくれと苦虫を噛み潰したような表情で懇願された。
周りのスナフキン達もうんうん頷いて同調していたので、まあ拘りないしとふたつ返事で了承。
敬語を使われるのがそんなに嫌だったのか。
……それにしても、どうして揃いも揃って穴が開きそうなほど見てくるのだろうか。はっきり言って落ち着かない。
「……えっと、はいっ、これでお互いの事も知れたようですし」
突き刺さるような視線が居たたまれなくて、場の空気を変えようと1回だけ手を叩いて態とらしい口調で話を切り替える。
パラレルワールドとやらで存在するスナフキンが集まっていることを知れた。
私はそういう集まりをした記憶はないので、本当に私は他のムーミン谷には存在していないらしい。いや、まあ別にそれはどうでもいい。ちょっと残念に感じるだけ。
それより問題なのは、どうやって元いたムーミン谷に戻れるか、だ。
「戻り方を教えてほしいんだけど、どうやって戻るの」
首を傾げて尋ねてみたが、それに対する返答は誰からもなかった。
え帰り方と互いが眉をひそめて顔を見合せている。まるで考えたこともなかったと言うくらいの勢いで。
いやいやそんな、だって帰り方がないなら今までどうやって帰ってたんだ。なんの冗談かと思って軽く笑い飛ばしてみたけど、皆の表情が変わることがなかった。……まさか、ほんとうにないの
だんだん心に不安を積み重ね、冷や汗が流れる寸前。静まり返る場にひとりの声が響いた。
「なぁ」
重い沈黙を破ったのは、ゲンの呟きだった。
やけに神妙な顔つきに自然と背筋が伸びる。
もしかして、帰る方法があるにはあるけど、私には難しいとかそういうことだろうか。
ゴクリと喉を鳴らして原の次の言葉を待っていると、ゆっくりと、その口が言葉を形作った。
「お腹空いた」
「……はい」
そう流れをぶった斬るや否や、ゲンは立ち上がり釣竿を準備し始めた。
え、いや、確かに朝ごはんまだですけど、このタイミンで
突然の言動と行動が追いつかず、ぽかんとアホみたいに呆けて状況処理に努める。
するとどうだろうか。彼の行動を皮切りに、各々がバラバラに動き始めた。
釣りに行くスナフキンもいれば、キノコや山菜採りに森に入っていくスナフキンもいる。
急展開に固まる私だったが、ハッと意識を取り戻し慌てて立ち上がって声を張る。
「え、か、帰り方は!?」
どうして話は終わったみたいな、解散みたいな空気になってるんだ。
慌てふためく私を他所に、釣りの準備をしていたヤスハラが手を休めることなく教えてくれた。
「あー、問題ないさ。気がつけば帰ってる」
そんな緩くていいのか
私の心からの叫びが表に出ることはなく、この展開についていけずパクパク口を動かすだけになってしまう。
気がつけばって、いつそう聞こうとすると、被せるようにパペがヤスハラさーん僕も一緒に行くよーと明るい声を上げる。
今日はどこ行こうかあの河口とかどうおっ、いいね。
テンポ良く進む会話が聞こえなくなるまで見送り、たっぷり数秒ほど経ってから私は呟いた。
「……えわたし放置」
残念ながらその嘆きは、誰にも拾われることなく静寂に溶け込んでいった。
「……綺麗だなぁ」
このムーミン谷にも、夜というものはくるらしい。
砂浜に座って波の音を聴きながら水平線の向こうに沈みゆく夕日を眺め、この景色は変わらないななんて感想を抱いた。
えこんなのんびりしてていいのかって
いいんだ、ちょっと休憩しているだけだ。息抜きって大事だと思う。
ちなみに言っとくが、断じて現実逃避とかではない。色々辺りを探ってみたけど戻る方法が見つからずお手上げとかでは決してない。手掛かりすらなくあーやってらんねえと自暴自棄になっているわけではない。……ないよないってば!
「〇〇、ここにいたんだ」
「……ハッ」
不意に後ろから声をかけられ、迷宮へ迷い込もうとしていた意識が引き戻される。
危うくこの場に這いつくばって頭を抱えるところを見られるところであった。
ホッと息をついて恐る恐る振り返ると、見慣れたスナフキンが私の後ろに立っていた。
「スナフキン……」
「大丈夫かい」
「なんとか」
私の返答に安堵したように微笑み、砂浜に座り込む私の隣へ腰を下ろす。
このやろう、私を置いていったこと忘れてないからな。
恨めしそうな視線に気づいたのか、スナフキンは困ったように眉を下げて苦笑いした。
「すまない、やることがあったんだ」
「……ふはっ、冗談だよ。でも今度は置いてかないでね」
「……あぁ、わかった」
吹き出してしまった私にスナフキンはうっそりと目を細め、私の頬を優しく撫でる。
ふにふにと軽く摘んだり、なぞったり、珍しい行動と擽ったさに思わず笑いが零れてしまった。
「ふふっ、んふふっ、なぁに」
「んいや……べつに」
上の空のような返事を返されたけど、相変わらず頬を触る手は止まることはなく。
最終的に私がおしまいとその手を掴んで指を絡めとって強制的に終了させた。
しばらくそのまま2人して海を眺めてぼんやりして。夕日が海に沈み終わる直前、スナフキンがぽつぽつとここでどう過ごしているのか教えてくれた。
「日中は皆自由にしてるけど、夕飯と寝る時は全員一緒って決まってるんだ」
「へぇ、そうなんだ。なんというか、意外」
「ここには僕らしかいないから、怪我とかしていないかの確認をするためだろうね」
「なるほど。それなら納得」
それでも皆自分のテントは持っているし自由だから、全員揃わない時の方が多いけど。
身に覚えがあるらしく、語りながら下を向いて気まずそうな笑みを浮かべていた。
おぉ、そんな顔もするのか。見た事ない一面が面白くて、スナフキンには申し訳ないけど珍しいものを見れた感覚で私も笑ってしまう。
ちなみにスナフキンにも帰り方を尋ねてみたけど、ヤスハラと同じ返答が返ってきた。
……さて、夜は皆一緒に寝ているのか。そこに私が入るのも、なんだか違う気がする。
「皆一緒に寝るなら、私はどうしよっかな」
「何言ってんだい。君も一緒に決まってるじゃないか」
「いや、他の人が良い顔しないでしょ」
「そこは大丈夫。安心して」
「でも……」
「ダメ。僕がダメなんだ。怖いなら一晩中手も繋いでいるし、お休みのキスも忘れないよ」
「そっ……れは、大丈夫」
おやすみのキスと言われて想像し、頬に熱が帯びるのを感じ慌てて顔を逸らす。
私の照れを察知したスナフキンは可笑しそうに喉を鳴らした後、じゃあ今しとくよと額に唇を押し付けた。
どうやら一緒に寝るのは確定らしい。やれやれ、他のスナフキンがなんて言うか。
その夜。
一応他のスナフキンにも聞いてみたところ、寧ろ「えなんで別で寝ようとしてたの」とも言いたげな顔を向けられ(というか実際言われた)、大きなテントの中で皆と一緒に横になる。
約束通りスナフキンは一晩中隣で手を繋いでいてくれ、その温もりに心の不安が溶けていくのを感じながら、私は深く眠りについた。