SSリビングワールドでひと仕事を終え、会社に戻るとスマホがピィピィと音を立てた。トップ画面に映るオクタヴィアのアイコン。
「ヴィア! どうしたベイビーちゃん」
愛しいもう一人の娘からの連絡。ウキウキしながら、メッセージを開くと俺の眉は中央に寄った。
『いい加減、パパと仲直りして』
随分と前にストラスと些細なことで喧嘩して、それっきり。仕事が忙しかったせいもあり、電話やメールはもちろん、顔も見せていない。
「俺は悪くない! 今回は絶対折れないからな!」
電話に向かって抗議すると、スマホがブルリと震える。
オクタヴィアからだった。
『仲直りしないなら、一生口きかないから』
「…………」
絶妙なタイミングに、絶対回避したい内容。
むぅと頬を膨らませると、ルナがポンと肩を叩く。満面の笑みを浮かべて、
「仲直りしないなら、一生口きかないから」
とウインクを寄越す。
へぇ、オクタヴィアは外堀から埋めるタイプか。アイツとそっくりだな。だがしかし俺にはソウルメイトがいるんだ。残念だったな。
「ミルズ!」
「仲直りしないなら、一生口きかないから」
「仲直りしないなら、一生口きかないから」
「モックスには聞いてねぇ!」
頼んでもないのに、モクシーまでミリーと声を揃える。
全く俺の味方はいないらしい。
ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべる三人を無視して、俺は大きなため息をついた。
「「「仲直りしないなら、一生口きかないから」」」
「ハモんな!」
心無い仲間からの精神攻撃を受けながら、俺は渋々メールを返した。
*
久しぶりにバルコニーからストラスの部屋へと向かう。
案外、身体は覚えてるもんだなと思いながら登り切ると、薄暗い部屋の中央で何かがうずくまっていた。
「ストラス?」
返事はない。
ゆっくりと近づくと、猫のように丸まったストラスがいた。四つの赤い目は閉じ、スースーと寝息を立てている。
テーブルに散乱したアブサンの空瓶と倒れたグラス。
相当飲んだのか、頬は赤く酒臭い。思わず顔をしかめると、ストラスが小さく呻く。その胸の中で何かがキラリと光った。
(何か持ってんな。こいつ)
起こさないようにそっと近づくと、酒瓶と俺を模した小さな人形が目に入った。つぶらな瞳は可愛いが、ストラスの胸の中にいるのは気に食わない。アイツのふわふわ羽毛に埋もれていいのは俺だけだ。
思わず人形の頭を掴む手に力が入る──が、びくともしなかった。
閉じていた筈の四つの瞳が、いつの間にか開いている。
「ヒィ」思わず漏れた悲鳴。
血走った四つの目。ホラーすぎて、若干ちびりそうになったが、俺のパンツは無事だった。
「なにするの。やめて」
目が据わったストラスが人形をギュウっと握りしめる。いつも以上にゆっくりした口調には、小さなしゃっくりのおまけがつく。
「酔っ払いめ。そんな人形より抱き心地のいいダーリンが来てやったぞ。だから離せ」
手に力を込めるとストラスは子供のように喚く。
「やだ! やめて! いじわる!」
人形と酒瓶を一緒に抱きしめて丸るストラスは頑なだった。思わずブチギレそうになったが、オクタヴィアやルナ、MMの二人の顔が浮かぶ。
(はぁ……折れたくないが仕方ない。仕方ない。我慢、我慢だブリッツ。やればできる。お前は地獄一仕事ができるインプ、だろ?)
「分かった分かった。悪っかったよ」
と言って、人形から手を離すとストラスは途端に態度を軟化させた。
「はは、ブリッツィがすなおだ。きみ、まほうをつかったの?」
ストラスはニコニコと笑みを浮かべ人形に話しかける。
「いいこ、いいこ」と呟いて、小さな俺にキスを落とした。まるで見せつけるように。
「ふざけんな! いい子は俺だろうが!」
……てかもうこれ浮気じゃね? 恋人が目の前にいるのに、俺そっくりの人形にキスするとか浮気じゃん!
「あ、みて、ミニッツィ。ほんもののブリッツィがむくれてるよ。ふふ」
「誰がミニッツィだ!」
「きみのことじゃないよ。ぼくのかわいいミニッツィはこのこ。きみなんかやより、ずっ〜〜〜〜とすなおで、やさしくて、やわらかくて、かわいい」
そう言って抱きしめ続ける。
ストラスは寝転がったまま、やっと俺に視線を合わせた。
「どうしてきたの? やっとあやまるきになった?」
「……酔っ払いには謝らない」
無駄な抵抗だと思いつつも、俺は歯軋りしながら言った。
ストラスはとろんとした目で瞬きして、平気で嘘をつく。
「よっぱらってないよ? だからあやまって」
「嘘だね。この酔っ払い。立てないから寝転がってんだろ? バレてんだよ」
俺の言葉にムッとしたストラスが、人形を抱いたままゆっくり身体を起こす。
「おきたよ。ほら、あやまって」
「そんなんじゃ信じね〜。本当に酔ってないなら、これできるよな?」
俺はストラスの前でステップを刻む。
横にタップをワン・ツー・スリー。もう一回タップを決めたら華麗にターン。タップ、タップ、タップ、ターンの繰り返し。昔、セラピーの一環で通ったクソダサいダンス教室でやった、初心者向けのステップ。
一見簡単そうに見えるが、タップがいい仕事をする。簡単だ、絶対できると思わせ、油断した酔っ払いは、大抵ターンを回れずにへたり込む。
俺の思惑を見抜けないストラスはよろよろと起き上がった。
「かんたんだよ。ぼくはよっぱらってないからね」
ふふんと鼻を鳴らした。
鉤爪が楽しげに床を叩き、ストラスはタップを刻む。
「ワン・ツー・スリーで、ターン。どう?」
「やるじゃねぇか」
「ほんと!? ミニッツィ! ブリッツがほめてくれた!」
ぱぁっと花が咲いたような笑みを浮かべたのは可愛かった。人形に頬を擦り付けながら、喜びを分かち合うのはどうかしてると思うが。
てかさっきから人形とチラチラ目が合うような気がする。チッ、マジでムカつくな。
(はっ、無機物相手に無駄なジェラシー燃やしてる場合じゃねぇ!)
思わず頭を振ると、ご機嫌になったストラスが「ねぇねぇ」と肩を突く。
「なんだよ」
「……このこ、もってて」
ほんのり温かい小さな俺を渡して、ストラスがポーズを取る。
「ダンスならこっちのほうがすき」
小さく呟いたストラスのすらっとした脚が床を叩く。つま先がバレリーナのように持ち上り、天高く脚が伸びたかと思えば、綺麗なターンが決まる。
羽織ったガウンが揺れて、灰色の羽がふわりと落ちた。
思わず口笛を吹いた。
「どう?」
「最高にイカしてた」
俺は羽を拾って素直に褒めた。
いやもう何で喧嘩してたのか、頭から吹っ飛ぶくらい。やっぱり俺のダーリンは世界で一番キレイでカッコよくてセクシーな悪魔だ。今すぐ腕の中の人形をほっぽり出して、抱きしめたい。
ストラスは目を丸くして、恥ずかしそうに俯く。熱を持ち始めたのか、頬が一層、薔薇色に染まっていく。
「……へへ。にどもほめられちゃった。ゆめみたい」
「本物みたいだったぜ。お前、実は王子じゃなくて、ダンサーだろ?」
「ふふ、だんさーじゃないよ。よっぱらいだって」
「……」
「……」
自分の言葉に瞬きしたストラスは俺を指差して「あ〜」と叫んだ。
「ゆうどうだ! ずるい!」
「はは、テメーが勝手に自爆したんじゃねぇか」
腹を抱えて笑ったが、俺は咳払いして姿勢を正した。
「……ごめん」
「え」
「俺が悪かった。だからもう機嫌を直してくれよ。お前と喧嘩したままは、しんどい」
一気に話したせいで、人形を持つ手に力が入る。
しばらく無言が続くから、余計に顔を上げづらくなった。どうしたもんかと次の策を練る前に、ギュウっと抱きしめられた。柔らかくて温かい、よく知った感触にホッとする。
「ぼくも、ごめん」
会えなくて寂しかったと鼻を啜るストラスの背中を、俺は優しく撫でた。
「ね……」
「ん?」
「なかなおりの、キス」
しようと言われる前に、俺はアイツの胸ぐらを掴んでベロチューをかます。
「ん」
音を立てて床に落ちた小さい俺が無惨に転がっていく。
ちょっとだけ気分が良くなって、俺はうっとりするストラスに訊ねた。
「キスだけでいいのかよ?」
「きすだけじゃ、いやだ」
「了解。ダーリン」
「わっ」
足を掬うと小さな悲鳴があがる。ひょろひょろの身体をお姫様抱して、おでこにキスを落とすと一層熱くなった両腕が首に回った。
羽が頭に刺さった人形が恨めしそうにこっちを見ていた。が、肝心のご主人様は俺にくびったけ。四つの目は俺だけを写している。
(勝った!)
心の中で勝利宣言して、俺は中指を立てた。ざまぁ〜みろ。
ま、そんなこんなでハッピーエンドってわけ。俺たちは仲直りと称して、そりゃあもうホットな一夜を過ごした。詳細は省くけどな。
翌朝、羽の刺さったミニッツィを見つけたストラスと一悶着起こすのは別の話。対抗してストラスの人形を買うのは、そう遠くない未来の出来事だ。