ストリツSS/胸だけが騒ぐsaid ストラス
「早くしろストラス!」
「もう、そんなに焦らなくても映画は逃げないってばブリッツィ」
ブリッツが急かすようにソファをバシバシと叩く。私は今日のために用意したポップコーンを持って、彼の元に向かう。
映画を観るために薄暗くした室内。
ムードを出すためにキャンドルも用意していたのだけど、映画に集中できないだろと頬を膨らませたブリッツが片っ端から消していた。まぁそんな姿でさえも可愛いし許してしまうのだから、出番のなかったキャンドルはまた別の機会にでも使えばいい。
映画はリラックスしてみるのが鉄板だと言った彼は、白のスウェットにパンツ姿のラフな格好だった。いつものスーツもかっこいいけど、普段着もなかなか良い。可愛いなんて言ったら二度と着て来てくれなさそうなので「普段着のチョイスもセンスあるね」に留めておいた。
満足気に頷いたブリッツはいつもよりずっと口数が少なく映画にだけしか興味がないみたいだった。それでもこんなチャンスはまたとない。事前にチェックした監督や出演者の話を振っても、残念ながら空振りに終わってしまった。
ブリッツは既に座っていて、私もソファに腰掛けた。慌てず、騒がず、興奮しそうになるのをグッと抑えて。隣にブリッツがいるだけで、天にも登る気分になる。
「映画化するくらいだから、よっぽど原作がいいんだろうね」
「あぁ」
ブリッツは早く映画が見たいのか、ずっとソワソワしっぱなしだ。やっぱり会話は長くは続かない。それでも一緒の時間を過ごせるのが嬉しかった。
私はソファの中央にポップコーンを置いてリモコンを操作する。ふわっと一瞬だけ白く光ったテレビが、色を灯していった。映画の始まりを告げるクラシックが流れ、風景がゆっくりと映る。時折演者のクレジットが入って音が止んだ時──画面いっぱいに馬の顔が映る。
「イェス!」
小さくガッツポーズしたブリッツの両目がキラキラと輝く。
よっぽど馬が好きなんだなと横目でチラっと彼をみるといつの間にか、小さな馬の人形を抱いていた。
(あ……──)
さっき映った馬と同じ色──好きなキャラクターの人形なのだろうが、ジリジリと嫉妬の炎が胸を焦がした。
(私の方がもっと抱き心地がいいのに……いやダメダメ。顔に出すなストラス、悟られたら逃げられてしまう)
顔を見られないように口に手を当てた。でもきっとそれは無意味なことも知っている。無様な嫉妬を振り落とすように、私も映画に集中した。テレビの光でほんのり浮き上がるブリッツの顔だけ眺めていたい欲望をグッと押し殺して。
*
物語がクライマックスに入った。ずいぶん前から彼は嗚咽を漏らして、ティッシュ鼻をかんでは丸めている。時折ポップコーンを口いっぱいに放り込んでは、リスのように頬を膨らませていてとても可愛かった。結局全然映画に集中できてない。
(可愛いブリッツィ……)
自分の心の中だけで呟く分には問題ないだろう。そう思っているとキュゥッと腹が鳴った。恥ずかしくて慌てて腹を押さえた。ブリッツの方をみても特段変わった様子はない。彼には聞こえなかったのか、画面に釘付けのままだ。
(……恥ずかしいな。私もポップコーン食べよ)
だいぶ少なくなったポップコーンに手を伸ばすと、人差し指がブリッツの手に当たった。あ──と思う前に彼と目が合う。ちょっとだけ眉を顰めた彼は何事もなかったかのようにテレビに視線を戻した。
その頬にうっすら赤みが差した見えたような気がして、胸が跳ねる。つまむはずだったポップコーンの事なんて忘れて、急に騒ぎ出す心臓を鎮めるように足を抱えた。行儀が悪いなんてそんなこと気にしてる余裕はない。
君も少しは緊張してたりするのかな?
(あぁ……胸が苦しいよブリッツィ)
映画が終わっても彼の頬が染まっていたその時は──。
きっと我慢なんてできなくなるんだろうと思いながら、私はエンドロールが早く終わることだけを考えていた。
saidブリッツ
SNSにあげた写真の本が気になるから貸してくれと言われたのが数ヶ月前。
手元に本がないのがどうにも気になる。
だからといってストラスに読んだかと確認するのも返せと連絡するのも癪だなと、事務所でぼんやり考えていたら、ストラスからメールが届いた。
前に貸した本が俺の知らないところで映画化されているらしい。ツテでDVDをもらったんだけど一緒に見ないかという誘い。
脳内で大好きな馬とストラスが天秤にのり、あっけなくストラスが飛んでいった。ただ俺の指はイエスの文字をうたなかった。
『満月の夜じゃねーから、やんねーぞ』と送ると、ストラスは『勿論だよ、かまわない』と前置きした上でいつもの長く鬱陶しいメールを寄越した。そこにはいくつか日時まで書かれ、食べたいものがあれば用意するよなんてフォローも入っている。
シュポンシュポンと音をたてるスマホを遠ざけて、俺は久々に甘いポップコーンが食べたいななんて思いながら、頬をついて目を閉じた。
*
「ブリッツィ〜、いらっしゃい。よく来てくれたね。別に窓からじゃなくてもいいんだよ。今日は僕が招待したんだから……」
上機嫌に話を続けるストラスを無視して俺は部屋に入った。
いつもより少しだけ甘い香りがして、辺りを見渡す。室内には色鮮やかな食人花や、大小様々なキャンドルが灯りを灯していた。誰もが息を呑む豪華な室内に広がるロナンチックな雰囲気。星を敷き詰めたように煌めく美しさも俺の心には何も響かない。幻想的な部屋に興味なんてないし、揺れる炎にも昔を思い出して吐き気がした。
それでもストラスが俺をもてなしたいという気持ちがいやでも伝わってくる。文句の一つでも言ってやろうと思うのに、俺の口は閉じたままで、結局何も言えなかった。……まったく調子が狂う。
手前にあった馬の形の蝋燭にふっと息をかけ炎を消した。
(ごめんな、熱かったろ? ベイビー)
なかなかいい出来の馬のキャンドルに呟く。このチョイスだけは合格だ。どこで買ったかぐらいはストラスに訊ねてもいいかもしれない。なんて思っていると、少しだけ溜飲が下がった。
「ブリッツィ、こっちだよ」
奥からストラスが近づいてくる。ほんのりと甘い香りが俺の鼻をくすぐった。
「あぁ」
俺は短い返事をしてストラスのヒョロっとした背中についていく。案内された部屋は寝室と同じくらいゴージャスで広々としていた。見たことのない大きさのテレビに囲むように配置されたスピーカー。まるでミニシアターのプライベート空間のようだ。テレビの正面には何人座っても隙間ができそうな馬鹿でかいソファは、座るのに躊躇しそうな豪華さで目眩がする。──そしてこの部屋もさっきと同じように蝋燭が俺を歓迎するように揺らめいていた。何本キャンドルもってんだよ、コイツは。
「映画の邪魔になんだろ。消しとくぜ」
「え、あ……あぁ、うん」
何か言いたそうにモゴモゴと口を動かすストラスの声が上擦っている。
「今日はスーツじゃないんだね。君の普段着なんて初めて見るから……。似合ってる。仕事だけじゃなく、選ぶ服もセンスがいい……」
俺はストラスの言葉を遮る。
「映画観るのにスーツじゃ堅苦しいだろうが。それにお前だって、いつもと違うじゃん」
「ああ、これ?」
ストラスは自分の服を少し持ち上げ、微笑む。貴族が着るにはシンプルすぎる普通の白のTシャツ。だけど俺のと違ってシワがひとつもないあたり、住んでる世界が違うんだなと思い知らされる。
「……じゃない? ……ね。……。ブリッツィ?」
ストラスが困ったような顔で俺を見ていた。
しまった、全然話を聞いていなかった。俺は誤魔化すようにぶっきらぼうに呟く。
「映画見んのにポップコーンもねぇの?」
ストラスは目を開いて「そうだった! ごめん、忘れてた!」と勢いよく踵を返し部屋を出て行った。珍しいこともあるもんだ。常日頃聞かされるAV監督も真っ青な卑猥なセリフも今日は一切出てこない。俺はパンツのポケットをそろりと撫でる。
(こいつの出番はなさそう……だよな?)
忍ばせたコンドーム。セックスはしないと言ったのは自分のはずなのに。
「だぁあぁぁ!」
気づいたら部屋中の蝋燭を吹き消して、ソファにダイブしていた。矛盾する自分の行動に発狂しそうになる。足をバタバタさせたって心臓はちっとも落ち着いてくれなかった。
(落ち着けブリッツ! 落ち着け! アイツとはビジネスパートナーだから、そう、だから用意しただけで)
頭を駆け巡る言い訳を誰かに肯定してほしくて、俺はもう一つのポケットから小さな馬の人形を取り出した。ストラスに貸した本に出てくる馬をモチーフにした限定品。手触りも抱き心地も最高で、なにより顔がいい。潤んだ瞳のように真っ黒な両眼に見つめられて、思わず口を溢してしまう。
「ベイビー。聞いてくれ……。別にゴムを持ってるのはマナーってやつだよな? そうだろ。……クソ。なんなんだよ。……調子狂うじゃねぇか」
俺の可愛い人形は返事を返してくれなかった。
「……………………来なかったほうがよかったかもな」
瞳に映る自分の顔にぎくりとして、俺は慌てて横に置いた。タイミングよくストラスが部屋に入ってくる。
「早くしろストラス!」動揺が声にでたのか語尾が強くなった。
「もう、そんなに焦らなくても映画は逃げないってばブリッツィ」
ストラスは気が付いていないのか、のほほんと馬鹿みたいに山盛りにしたポップコーンを両手で抱くように持ってやってくる。
さっき嗅いだ甘い香りはこれだったのか。
「買ったやつ?」
「あ、いや……」
ストラスは頬を掻いた。
「初めて作ったんだけど勝手がわからなくてね。こんな量になっちゃった。ポップコーンって弾けるんだね。一回目はキッチンが大惨事になちゃったよ」
自分で言って惨事を思い出したのかストラスはぐったりして、ソファにポップコーンを置いた。
「……ふ〜ん」
こいつが自分で作ったのも驚きだが、キッチンで弾けるポップコーンを前にして慌てふためく姿が目に浮かんで笑いそうになる。俺は思わず口元を手で隠し咳払いをした。
「……ん。早く見ようぜ」
「あ、う、うん!」
サイドテーブルに置いてあったリモコンを操作して、ストラスがパチンと指を鳴らすと部屋がゆっくりと暗くなっていく。ソファが少し沈む──ストラスが俺の横に静かに座った。
ポップコーンを置いたところでバリケードにもならない、でかいソファ。俺は改めて、映画中に手ェ出してきたら速攻帰ってやる! と決意したが奴の手が俺に触れることはなかった。
ただただ黙って映画を観ているだけだった。それが少し──浮かぶ言葉を心の中で否定して俺は映画に集中することにした。
*
映画は想像以上だった。
だいたい原作のある映画は時間の都合でストーリーを省かれたり、そこを映像化すんじゃねぇよ! センスねぇな! なんて罵倒してしまうことが多いが、これは大正解だ。
自分の脳内でしか動いていなかった推し馬が迫力の映像と最高の音楽とのコラボで輝いていた。完璧だ。こんなクールでイカれた映画ほかにねぇだろ!
俺の涙腺は崩壊したし、いくらでも食べられる美味いポップコーンも最高だった。
(あ〜〜〜〜〜〜〜! 感想話してぇ〜! この気持ちを誰かと分かち合いて〜〜〜! どのシーン好きだった? 俺? 推しがラスト一瞬立ち止まってから、走り出すシーンがアップされてるとこ。いやまじでわかってるなしかねぇよな。最高だった。やべぇ。……ストラスも本読んでんだよな? ならあのシーンの解釈だって……ちょっと待て、なんでストラスに話すの前提になってんだよ)
俺は気づかれないように小さく頭を振って、ポップコーンに手を伸ばす。ツンと指先に当たった感触は一瞬で消える。相手が誰かなんて──、一人しかいない。分かっているはずなのに俺の目線が動く。すっかり忘れていたはずなのに、急に胸が騒ぎ出した。
薄暗い部屋の中でもわかる、顔を真っ赤に染めたストラスと目が合う。あ──と思う前にブワッと毛が膨れてストラスは膝を抱えて前を向いた。全然隠せてない横顔が一層赤みを増していく。俺の頬もつられるように熱くなった。
(あぁ……やべぇ。クソッ……可愛い反応してんじゃねぇよ)
騒ぐ胸を知らん振りするように人形を強く抱けば抱くほど、ケツのポケットに入ったコンドームの存在を意識してしまう。
(エンドロールが終わって……)
ストラスに触れられたらきっと止まらなくなってしまう──そんな予感がして俺はいつまでもエンドロールが終わらなければいいのになんて考えていた。