ハンナメイン回(後日譚) すぅ、すぅ、とルシエントとメルエアが寝息を立てて寝ている。頬には涙の跡が残っていた。ハンナは、泣き疲れてそのままソファで寝てしまった二人に、毛布をかけた。
「それで、解決したような空気になってるが、実際にその体を何とかするアテはあるのか?」
その様子を後ろから見守っていた黒田が、ハンナに問いかけた。
「そうだった!心変わりしてくれたのは嬉しいけど、ハンナの寿命は短いままだよね」
思い出したようにシュナインも続く。
「俺が魔術で何とかできればいいんだが。生憎と難しいことを考えるのは専門外でな…」
黒田はぽりぽりと頭をかいた。他のメンバーも、これといった解決策を持っているわけではなさそうだった。
「姐さんも治す方法知らないみたいだし、結局どうしようもないのか…?」
ショックを受けた顔でレインが言う。ハンナはみんなの方をふり返って言った。
「あー…、ごめん、治す方法はないわけじゃないんだ。私が見つけられなかったのは、自分の魔力を捨てる方法」
ハンナは自分の手を見つめる。やがて決心したようにぐっと手のひらを握りしめた。
「でもやめた。私はこの力と生きていく。黒田さんの言ってた『力を持つものは、それを正しく使う責任がある』って本当にそうだと思う。私は、向き合わずに逃げてきた。捨てる方法を探すのはやめる。」
へぇ、そんなこと言ったんだ、とフェイリアが意外そうに黒田を見た。黒田は視線に気づき、ふいと顔を背ける。
「俺は、俺の思ったことを伝えただけだ」
ぼそりと呟くように言った。フェイリアはその様子をにやにやしながら見つめている。
「つまり、魔力をなくす方法じゃなければ、他に短命を回避することができる方法があるってこと?」
シュナインが首を傾げると、ハンナはそれを肯定する。
「…そう。私の親はそうしろって何度も言ってきたけどね。私が首を縦に振らなかったから、その時はその案はなしってことになった」
言って心がちくりと痛んだ。解決した暁には両親にも伝えなければ。そう思いながら言葉を続ける。
私の知ってる方法はニつ、とハンナは指をニ本立たせてみせた。
「一つは自分の魔力を封印する方法。魔力が大きいならそれを抑えちゃおうって話。完璧になくすことはできないから、これは対症療法のような形かな」
「封印!俺のベヒモスも封印されてたんだ!俺、姐さんの役に立てるかな!」
レインがいきなり大剣を具現化させ、嬉しそうに振り上げた。近くにいたエクシーは慌てて飛び退いた。
「危ナイ!危険!」
抗議するように毛を逆立てる。ごめん、とレインが詫びた。
「──でも、この方法はなしかな。力を抑えるのは、結局逃げでしかないと思うから」
レインは少しがっかりした様子で大剣をしまった。ハンナが今度は人さし指を立てる。
「もう一つは魔力の器であるこの体を、魔力に耐えられるものにする。こっちの方が根本的な解決になるね。私はこっちの方法で考えたい」
うーん、と話を聞いていたシュナインが唸った。
「聞く感じ、そっちの方が難しそうだけど、何か具体的な方法はあるの?」
「ないよ。これから探す」
「それで間に合うのかよ!姐さんはあと3年の命なんだろ!?」
ハンナの即答にレインが焦る。当のハンナはやけに落ち着いていた。
「でもアテはあるんだ。私の予想が正しければ、アッシュが、その方法を知っている」
ハンナはそう言って後ろを振り返った。そこには柱にもたれて煙草を燻らせているアシュタロトがいる。
「……はて。何のことかな」
アシュタロトははぐらかすように言う。しかしハンナは、アシュタロトは解決策を知っているという確信めいた予感があった。
「ここから先、私が知っていることは噂でしかない。確実な方法があるかどうかは詳しくアッシュと話してみないとわからない。みんなには色々分かってから伝えたいから、先にアッシュと相談させてもらえないかな」
ハンナは真っ直ぐアッシュを見据えた。
「私は別にそれで構わないが、まずはハンナも体を休ませろ。治療はしたが、任務から帰ってきて疲れも残っているだろう」
アッシュは煙草の火を消し、ソファで寝ているルシエントを抱き上げた。
「メルエアは黒田が部屋まで運んでやってくれ」
黒田がアッシュのいう通りにし、その場はそのまま解散になった。ハンナも自室に戻ろうと歩き出したが、任務の報告書がまだ手元にあることに気づき、先に資料室に立ち寄ることにした。
ハンナが廊下の角を曲がった瞬間、目の前に大きな黒い獣が現れた。ハンナも獣もぴたりと足を止めた。しばし無言の空間が続いたが、お互い何も言わずにそのまま通り過ぎた。
「──黒霧」
呼び止められた黒霧は足を止める。ハンナが資料室のドアノブに手をかけたまま、黒霧を見ていた。
「なんであの時───」
「別に」
黒霧がハンナの言葉を遮って低く唸るように言った。
「俺は弄りがいのある玩具がなくなるのが気にくわなかっただけだ」
そして首をハンナの方に向ける。その顔は楽しそうににやにや笑っていた。
「生きるって言っちまったもんなぁ?そのままなら3年耐えりゃそれで終わったのにざぁんねん」
全く残念そうに見えない顔で言う。ハンナのこめかみがひくひくと動いた。
「もう後には引けねぇなぁ?安心しろ、俺がお前を死ぬまで相手してやっから」
「この犬……っ!」
黒霧は、ハンナが声を荒げたのを面白がって笑い、満足したようにその場を去っていった。ハンナの黒霧を見直しかけた思いは吹き飛び、(あいつ絶対許さん)と心に刻んだ。
夜になった。ハンナは、アシュタロトの部屋にいた。部屋の主にすすめられて、肘掛け椅子に腰掛けている。アシュタロトはハンナの前のテーブルに、紅茶の入ったカップを置いた。自身も椅子に座り、煙草に火をつけた。
「……どこまで知っている?」
単刀直入にアシュタロトが聞いた。
「さっきも言った通り、風の噂程度のことだよ。私が知ってるのは『上級の魔族に、人間や他の生き物に力を分け与えられる種族がいる』ということだけ。
力を与えられれば、扱える魔力の量も多くなる。この体でも自分の魔力に耐えられるようになるかもって、両親が調べてくれた」
ハンナは知っていることを素直に答えた。アシュタロトはふむ、と言って煙草をふかせる。
「アッシュは確か上級魔族だったよね?色んな研究もしているアッシュなら何か知らないかなと思って」
ハンナも、言いながらすぐに答えが得られるとは思っていなかった。ただ、何か手がかりが得られればいいと思った。もしアシュタロトが知らなければ、過去に両親が何か情報を掴んでいるかもしれない。両親の説得を散々拒んだくせに、今更になって助けを求めるのは身勝手が過ぎるが、ハンナは覚悟した以上はやれるとこまでやろうと決意をしていた。
「そうだな、確かに上級魔族の一部はそういう能力を持っている」
アシュタロトは灰皿に煙草の灰を落とした。ハンナは手に取ったカップをきゅっと握った。
「───そして私、吸血鬼がまさにそうだ」
えっと声を上げて、ハンナはそのまま固まってしまった。突然得られた手がかりに理解が追いつかなかったのと、そんなにあっさりアシュタロトが答えてくれるとは思っていなかったからだ。
アシュタロトはそんなハンナを見ながら、にっこりと微笑んだ。
「ハンナ、私の眷属になるかい?」
「眷…属…?」
まだ状況を把握できていない様子のハンナに、アシュタロトは説明をする。
「吸血鬼で言う自分の力を与えるというのは、自らの眷属にするということだ。ハンナの言う通り、その契約を結べば、魔力に耐えうる体になるだろう」
その代わり、とアッシュは続けて言った。
「人間ではなく吸血鬼になる。短命を回避するどころか、半永久的に生きられる」
「ちょ、ちょっと待って」
ハンナは手に取った紅茶を飲まずにテーブルに戻した。
「そんなにあっさり言ってしまっていいの?」
ハンナの両親があらゆる伝手を使って、長年かけて調べても噂程度のことしか掴めなかった。普通は公にはしない情報だろうに、アシュタロトは言いよどむ様子もなく話している。
「聞かれたから答えただけだ。無論、誰にでも話すことではない。ハンナほど魔力量の多い人間を眷属にできる機会など、今後訪れるかわからないからな」
言ってアシュタロトは煙草の吸殻を灰皿に押し付けた。
「もちろん、ハンナがそれでいいと思うなら、だが」
ハンナはごくりと唾を呑んだ。アシュタロトなら何か知っているだろうとは思ったが、まさか解決策までたどり着くとは思ってもみなかった。ハンナは、人間をやめて生きる覚悟があるかを自分に問うた。ハンナは震える声を抑えながら言った。
「……眷属になる条件は何?」
その言葉に、アシュタロトの尻尾がぴくりと動いた。
「まず、満月の夜、三度に分けてハンナの血をもらうよ」
これはハンナも予想していた。吸血鬼の性質から考えてあり得ることだ。ハンナは無言で頷く。
「あと、自我のある眷属になるには、眷属本人が貞操を守っている必要がある」
こっちは飲み込むのに少し時間がかかった。
「つまり、ハンナ自身が処女でないと、自我を持った眷属にはなれない」
隠すこともなくさらりと言った言葉に、ハンナは顔を赤くした。
「それ…言わなきゃだめ?」
「別に。どの道、血を飲み終えた後自我があるかないかでわかることだ」
わかった、と呟き、ハンナはぐいと紅茶を飲んだ。
「眷属になったらどうなるの?やっぱり普通の食事は食べられない?」
「いや、食べられないことはないが、味も感じないし栄養にはならない。食事は生き物の血液だ」
アシュタロトがよく飲んでいるあれか、とハンナは思い出した。もし眷属になるなら食事はこちらで提供しよう、とアシュタロトは付け加えた。
「あと、満月の夜は眷属は吸血鬼の血を自制することができない。一時的な興奮状態になるだろう」
ハンナは眉をひそめた。
「興奮状態って?」
「血の匂いが普段より濃く感じられる。匂いに当てられて酔ったような感じになるかもな。吸血衝動を自分では抑えられなくなる」
ハンナはそこではじめて悩んだ。また自分に扱えない力を得て、人を傷つけるのか?黙り込んだハンナを見て、アシュタロトは言う。
「興奮状態は、主人の血──つまり私だな──を飲むことで抑えることができる。私が近くにいれば問題はない。満月の日はきちんと伝えるよ」
それをきいてハンナは少し安堵する。アシュタロトはその他にも眷属になって変化することを細かく説明をした。
「私と眷属は主従関係だ。眷属は皆、何があろうと私の命令には背けない。たとえ、自我を持つ眷属であろうと」
うっ、と少し嫌そうな表情のハンナにアシュタロトは言う。
「安心しろ、私はハンナが眷属になっても命令をして動かすつもりはない。自分で考えて動いてもらった方が何倍も効率的だし、そういう眷属なら他のがいる」
一通り説明をした後、アシュタロトは再びハンナの意思を確認した。返答は決まってからでいいとも言ったが、
「ううん、もう決めた。他に方法も見つからないし、これが一番いいと思う。私、アッシュの眷属になるよ」
ハンナは覚悟を決めた様子で、そうアシュタロトに告げた。