🐽と🐾と🍋────ダンダンダン!
夜、夕食を食べ終わって部屋で一人遊びをしていたメルエアは、突然ドアを叩かれびくりと肩を震わせた。
「メア!お願い、開けて!!」
焦ったようなハンナの声だ。メルエアは急いで扉を開けた。開くやいなやハンナが部屋に入ってきて、盾にするようにメルエアの背後に回って肩に手を置いた。メルエアはきょとんとしてふよふよと身体を浮かせている。
「おい、それはズルいだろぉ!」
扉を開けた先からアルコールの匂いが漂ってくる。酔っ払った黒霧が目の前に姿を現した。
「メア、助けて!」
よく見たらハンナは息を切らしている。必死に逃げてきたのだろうと予測がついた。メアは両手を腰に当てた。
「またハンナちゃんいじめてたの!悪い子!」
メルエアが叱ると、黒霧はうっと嫌な顔をした。
「別に何もしてねぇし!ちょっと部屋に遊びに行っただけじゃんかよぉ」
「はぁ?人の部屋のもの色々ひっくり返して荒らしておいて遊びに来たはないでしょ!お気に入りの本があんたの酒でびしょびしょなんだけど!」
メルエアの肩から顔を出してハンナが言い返す。黒霧はにやにや笑った。
「あれ、お気に入りの本だったの?災難だったなぁ」
「アッシュに言って弁償してもらうから」
「俺なんも悪くねぇし?そっちが避けて手を払いのけたから酒がこぼれたんだろうが」
「酒飲みながら背後から襲ってくるやつがいるなんて思わないでしょ!無断侵入な上に気配まで消して!」
ここまで口論して、「お願い、メア助けて」と再びハンナがメルエアに懇願した。状況をなんとなく把握したメルエアは、ふんすと鼻息を荒くした。
「いじめダメ!反省しなさい!」
言うと同時に部屋の奥から、じゃがいも、かぼちゃ、にんじんなどの野菜が転がり出てきた。いや、よく見ると転がってるのではなく、棒のような手足が数本生えていて、野菜が自力で歩いている。
ハンナは自分の右足をかすめたとうもろこしを見て、ひっと言いながら右足を上げた。黒霧を心底嫌そうな表情をしながら後退りした。野菜たちはわらわらと黒霧の足元に集まった。
「うわ、やめろ、怖っ!!」
足をよじ登ろうとする野菜を蹴飛ばして、黒霧はさらに扉から離れた。
「もうハンナちゃんいじめない?」
「いじめない、いじめない!だからこれをどっかにやってくれ」
払い除けても払い除けても野菜たちはしがみつくのやめない。黒霧は参ったようにメルエアに言った。
「メア、信じちゃだめ、それ前も言ってた」
ハンナが真顔で言うと、メアはぷくっと頬を膨らませた。
「うそつきはめっ!」
野菜たちはますます攻撃的になった。と言っても大した攻撃力はない。それでも黒霧は嫌がって「わかったわかった、今日はもうこのくらいにしといてやるよ」と捨て台詞を吐いて、野菜から逃げるようにその場を去っていった。
黒霧と野菜たちが廊下の角を曲がって見えなくなってから、ハンナはふうと息を吐いた。
「ありがとう、本当に助かった」
メルエアは盾の状態から解き放たれた。振り返ってハンナに満足気な笑みを見せる。
「メアいい子だった?」
「うん、とっても」
ハンナは感謝の気持ちを込めてメルエアの頭をぽんぽんと撫でた。メルエアは誇らしげに胸を張った。
「おれの仲間たちはつよいからな!」
仲間たちというのはあの奇妙な野菜たちのことだろうか。黒霧を追い払うという役目を終えて、ちらほらと部屋に戻ってきている。なんだかその野菜も誇らしげに見えた。そうだね、とハンナは笑顔を返そうとしたが、うまく笑えたかは分からない。
「今日はおれの部屋でとまってく?いっしょにあそぼ!」
メルエアが目をきらきらさせて言った。ルシエントやレイン、エクシーが訪問することはあったが、メルエアの部屋にハンナが来るのは滅多にないことだった。
ハンナは荒れてしまった自分の部屋を思い浮かべ、黒霧が懲りずにまた部屋に侵入する可能性も考えた。片付けは明日にして、メルエアの言葉に甘えた方が良さそうだと判断し、提案を了承した。
メルエアは野菜たちをひとりひとりハンナに紹介してくれた。ハンナは机の上のお菓子のごみを捨てたり、広げられたままの服を畳んだりしながら、へえ、とかすごいね、とか適当に相槌をしていた。
目につくところは片付けて、ベッドに腰掛けた。それでもまだ散らった様子の部屋を見回して、ふとその中でも大切そうに棚に置かれた古い短剣が目に止まる。
「これ、メアの?」
ハンナに尋ねられて、メルエアはその指さされた先を見た。
「そうだよっ!」
すーっと飛んで棚に近づき、大切そうに短剣を抱えた。
「大好きな友だちがくれたんだ」
「大好きな友だち…」
いつも明るいメルエアに、少し寂しげな表情が混ざってるのをハンナは感じ取った。
「その友だちは今は?」
「死んじゃった」
ハンナは固まってメルエアを見つめた。
「ごめん…辛いこと聞いちゃって…」
「ううん、大丈夫!おれ、ここに来て大好きな友だちもっといっぱいできたから!」
首を振ってメルエアは笑顔になった。でもまだ少し声は落ち込んでいる。
「メアにとってすごく大切な友だちだったんだね」
「うん…」
メルエアは頷くと、黙って短剣を見つめた。友だちのことを思い出しているのだろうか。短剣を抱えたままハンナのもとにとんできて、横向きに膝に乗ってハンナに顔を埋めるように頭を預ける。
「おれのせいなんだ…その子が死んじゃったの」
メルエアが言葉を漏らした。ハンナは黙って聞いている。
「にんげんの友だち。とってもやさしかった」
メルエアは天界にいた頃の話をぽつりぽつりと話した。とある人間の男の子を助けて仲良くなったこと、お互いの世界の話をしたこと、天界人たちのメルエアや人間の扱いに憤ったその友人が天界への反乱を企てたこと、メルエアの制止も聞かず、友人が天界に返り討ちにあってしまったこと…。
「おれのせいなんだ。おれがにんげんとも友だちになりたいって思っちゃったから…」
メルエアの声が震えた。ハンナはメルエアの身体に腕を回して、背中をさすった。ハンナからメルエアの表情は見えないが、鼻をすする音が聞こえる。ハンナはかける言葉を考えた。
「その友だちはメアのためにそこまでしてくれたんだ」
「…うん」
「メアのこと大好きだったんだね」
「そう…なのかな」
弱々しい声に、きっとそうだよ、と力強く返す。
「メアのために命を投げ出しても惜しくないくらい、メアのこと大好きだったんだよ」
「…うん」
声がさらに震えた。ハンナは優しくメルエアを抱きしめる。
「きっとその友だちはメアのせいだなんて思ってないよ」
言って、ハンナは自分の大好きだった叔父叔母を思い出した。もしかして、二人もハンナに対してそう思っているのだろうか。幼い頃の自分とメルエアが重なった。
「私もね、自分のせいで大好きな人を失ったんだ」
ハンナちゃんも?とメルエアは少し顔を上げた。ハンナは頷く。
「その人たちと私が出会ってなかったら…って何度も考えた」
自らの手で叔父叔母を手に掛けてしまったハンナと、死地に赴く友人を止められなかったメルエアとでは事情は違う。しかし、願ったわけでもない自分の境遇故に、愛する人を死に追いやってしまったというところは同じではないだろうか。その時の自分ではどうすることもできなかったという状況は。
「メアのせいじゃない」
幼くしてつらい悲しみを背負うメルエアを見て心が痛んだ。そんな自分を見ながら、幼い自分に対して、両親が同じように心痛めていたのだと思った。
「誰かが悪いわけじゃない。メアが全てを背負う必要はない」
言いながら、自分にも言い聞かせていた。過去の罪に対する正当化をしたいわけじゃない。過去を引きずるのではなく、過去を受け入れていくのだと思った。
──私がいなくなった叔父叔母に謝り続けても、後悔し続けても、きっと二人は喜ばない。そんな私を見て心を痛める人もいる。
──これからは、前を向かないといけないんだ。
それを教えてくれたのはここにいる仲間たちだった。
「私、メルエアに会えてよかった」
「…おれも」
メルエアは短剣を自分の膝の上に置いて、ハンナの腰にぎゅっと腕をまわした。
「みんなに会えてよかった」
「…おれも!」
二人は顔を見合わせ、ふふっと笑った。
「メア、辛いこと思い出させちゃってごめんね。話してくれてありがとう」
「ううん。おれも、ハンナに話聞いてもらえてうれしかった」
またお互いに笑みを交わし、メルエアはベッドに寝転んだ。ハンナはソファでいいと言ったが、メルエアが寂しそうにするのと、野菜たちがぐいぐいとベッドに押し込むのとでついに折れ、二人仲良く並んで眠った。
その日、ハンナは幼少期の事件の悪夢をみることはなく、自分の周りを延々と踊り続ける野菜の悪夢をみることになった。