証明写真「おい、もう少し顎を引け」
「うっ……はい……」
「うん、良いぞ。そのまままっすぐレンズを見ろ」
僕の前髪を綺麗な指先で整えて、啓護くんは満足気に笑った。
啓護くんが一歩下がると「撮りますよ〜」と朗らかなおじいさんの声が聞こえた。同時にバシャッ、キュイーン、とびかびかの光とシャッター音が何度か。
はぁ、なんだかお腹痛くなってきた。
「おい! 背筋は伸ばす!」
「はいっ!」
応えると同時にシャッターが切られた。まって、いま完全に目をつむってたけどいいの?
ニコニコとファインダーを覗いているおじいさんと、締め切り前に家に押しかけてきた時の編集長ばりにどんどん指示を飛ばしてくる啓護くんに気圧されながら早くこの拷問みたいな時間が終わらないかなと願った。
「ねぇ、ホントに行くの? 証明写真機で充分だよ」
いつも行くスーパーの入口にあるし。買い物に行ったついでに済ませばいいと思ってたのに。
「それじゃあお前適当に撮るだろ」
「うっ、それは……でも、わざわざ写真館でなんてもったいないよ」
「これから5年は使う写真だぞ。ちゃんとしておいて損はない」
手元に届いた免許更新のお知らせを見て、開口一番写真を撮りに行くと言い出した啓護くん。
止めようとしたけど一切聞き入れては貰えなかった。一度決めたら譲らない頑固者なんだから。どうにか逃げようとしたけど、あれよあれよという間に連れてこられたのは啓護くんの実家のそばにある昔ながらの写真館だった。
少しひびの入った建物とは裏腹に、中はとてもよく手入れされていて綺麗だった。控えめだけどアンティークなシャンデリアとオーク材のどっしりとした椅子。毛足の長い臙脂の絨毯は貴族の館みたいだった。
啓護くんに見立ててもらった一番ちゃんとした服を着てきたけど、写真は苦手だし、こんなちゃんとしたところで撮るのは初めてで緊張する。
そんなことお構い無しにまるで俳優にでもなったみたいに何枚も写真を撮られて、終わる頃にはぐったりとしてしまった。
人の良さそうなおじいさんが慣れたように啓護くんと話して居る。
たぶん昔からの付き合いなんだろう。こういうちゃんとした写真って学校の行事ぐらいでしかお世話になったことの無い僕からしたら啓護くんはやっぱりお坊ちゃんなんだなって思う。
啓護くんちの家族写真とか、絵画みたいに綺麗だろうなぁ。小さい頃の写真は何度か見せて貰ったけど本当に可愛かったなぁ。
「ほら、よく撮れてる」
そんな事をおもいながらぐったりしている間に写真が出来上がったみたい。
満足気に笑う啓護くんから写真を受け取る。
「すごっ」
証明写真だから顔を全部晒さなきゃいけない。口元の傷のせいでただでさえ悪い人相が壊滅的に悪くなる証明写真だけど、撮ってもらった僕はとてもおだやかな顔をしていた。
「啓護さんのおかげですよ」
「啓護くんの?」
おじいさんの言葉に首を傾げ啓護くんをみる。
啓護くんは笑うのを堪えてる時のような、口元をしてそっぽを向いていた。
「とても仲がいいですね」
お二人で話している時のお顔が一番自然で素敵でしたよ、と笑っていた。
帰りの道すがら、啓護くんは写真袋から1枚を抜き取る。
「これ、貰うぞ」
「えっ、いいけど……どうするの?」
手帳型のスマホケースのポケットへ僕の写真を入れた。
「これでいつでもお前の顔が見れる」
そう目を細めて言うものだから。
ぎゅっと啓護くんの手を握った。
「こんど、一緒に撮ろう」
写真は苦手だけど、啓護くんと一緒の写真が欲しいと思った。