丘の上の怪物「なぁ、あのウワサしってるか?」
その声がやけにはっきり聞こえて、オレはランドセルを置いて声のした方をみた。
放課後の教室で友だちの何人かが集まってヒソヒソと話をしている。
「しってる! 丘の上のオバケやしきだろ?」
「ツタだらけの家に住んでるオバケ」
「まっしろでおっきい体で、近づいてきた子供を頭からバリバリ食べるんだって!」
「食べのこったらツギハギにしてビンに入れてあるんだって……まわりにたくさんビンがあるって三小の子が見たって言ってた!」
「それじゃオバケじゃなくて怪物じゃん!」
丘の上のツタだらけの家。おっきい体で白色の……。
「いや、別に先生はオバケでも怪物でもないぞ」
「おまえ、オバケやしき行ったことあるの!?」
「オバケやしきじゃなくて絵の教室! そのおっきくて白いのは絵の先生だよ」
丘の上にある家には絵本作家の先生が住んでいる。『やさしい悪魔』はみんな小さい頃に一度は読んだ事あるだろ?
その本を書いたのが先生だ。
確かに先生はコワモテだ。のっそりしてていつもマスクで顔を隠している。ギョロついた目で見下ろされるとちょっと怖い。
かあさんに連れられてはじめて教室に行った時はオレもビビってちょっとあばれたけど。(別に泣いてなんかないしオシッコちびってもいないからな!)
ま、そのあと慌てた先生がクマのぬいぐるみとクッキーをくれたから、いまは全然怖くなんてないけどな。
先生は自分の本を書きながら、オレみたいに親の帰りが遅い一人ぼっちの子供に絵を教えてくれている。
すごくやさしい先生。
だからオバケだとか、怪物だとかそんなのウソっぱちだし、オレはそんなヒカガクテキなもの信じてない。平和な町に怪物なんているわけないんだ。
「なーんだ、つまんねぇの」
ウワサの真相を知って、それよりサッカーしようぜとバラバラとみんな興味を失ったみたいだ。
オレもそっちにまじろうとしたけど、きゅうに手をつかまれた。
「俺が言ってるのはそっちじゃない」
「え?」
話をしだしたやつがおそるおそるオレを見上げてくる。
「俺、見ちゃったんだよ。二階の窓から、幽霊を」
一番強いヤツを決めるためにオバケ退治に行こう。
通っている空手教室の帰りに俺はそう声を上げた。昼間に行ったんじゃ肝試しにならない。こういうのは夜行くもんだ。そう言ってみんなを誘ったのに。誰もビビって付いてくるやつは居なかった。
母ちゃんには内緒で抜け出してきたから、手元にあるのはスマホのライトだけ。
満月の夜は明るいけれど、なれない夜道はやっぱり暗い。
ぶるりと震えるヒザをたたいて、丘に近づくにつれて少なくなっていく家の光を振り切って、ウワサのオバケやしきに行った。
丘の上にぽつりとある家は真っ黒で、それ自体が怪物のようだった。
ゴクリとつばを飲み込んで、怪物と出くわさないようにこっそりと庭木のあいだを進んでいく。
風のない夜はしずかで、自分のすこし上がった息遣いだけがやけに大きく聞こえた。
ツタだらけの家はおどろおどろしい。まるで森の中みたいな植木の間をかき分けて進んでいく。時々ガサッと木がゆれてそのたびに心臓が止まりそうになった。
どこまでも続いているみたいだった庭木が突然とぎれて、小さな中庭にでる。
ぼろぼろの家を想像していたけど、きれいな中庭はいい匂いの花で溢れていた。外からじゃ分からなかったけど、小さなテーブルとイスもあった。
そういえば、木の間を通ってきたのにケガもしてないし歩きやすかった。
こんなきれいなのに、本当にオバケやしきなのかな?
すごくしずかだし、怪物も夜は寝るのかな?
起こしちゃったらかわいそうだな……。
ウワサよりもぜんぜん怖くない家に、なんだかがっかりした気分になる。
帰ろうと来た道を戻ろうとした時、キィ、と小さな音がしてふりかえる。
そいつは人間とは思えないほど青白かった。
窓に立っている、男。
夜よりも暗い髪が顔をかくしているけど、なにも着ていない体は浮かび上がるぐらいに白い。透き通るみたいで、風に吹かれて見えた目元は、吸い込まれそうな紫色にみえて……。
人間じゃない。
怖くなって、思わず隠れた。
心臓がバクバクしてる。ちょっとでも物音をたてたら捕まっちゃう。
心臓の音が聞こえないようにぎゅっと胸を押さえて、窓の方をそっと見る。
そこには誰も居なかった。
急いで来た道を、木々の間を走り抜ける。
いまだにドクドクとなり続ける胸を押さえて、逃げるように家へと走った。
「そいつ、ホントに真っ青な顔で言ってたんだ。だからぜったい幽霊がいるんだよ! だって先生の家いつも一人じゃん!」
「うーん、確かに今住んでるのは僕だけだけど……」
「ねぇ、先生は幽霊見たことないの?」
「ないねぇ」
「ふーん……じゃあアイツの見間違いなのかなぁ」
幽霊、会ってみたかったかも。
そんなふうに言う教え子に七郎は苦笑いした。