「ライオス、電話貸してくれ」
「また?」
「調子が悪いのに修理してくれないんだ。年度末で予算がつけられないとか」
ライオスがデスクの隅に置いていた会社貸与のモバイル端末に手を伸ばして渡すと、チルチャックは自分のデスクに戻っていった。
パーテーションで辛うじて区切られているだけの部署の境目は曖昧だ。
ライオスにとってはその境界線を越えることに抵抗があるが、チルチャックはいつもそれを軽々と跨いでこちらへやってきた。
ライオスが属する部署が技術系の専門職だからか黙々と作業する者が多く、区切られたこちら側は社内でも殊更静まり返っている。
パーテーションの向こうでチルチャックが話す声が聞こえる。内線に掛けたのか、声の調子は気安かった。
「お前たちって同期だっけ?」
隣席の先輩が、座ったまま椅子のキャスターを滑らせて近付いてくる。
周りに気を使ってか、椅子をライオスの真横まで寄せると内緒話をするように顔を近づけた。
「同期ですよ」
「ああ、どうりで。けどティムズの方がお前よりも上だと思ってたな」
「年は上ですよ。多分、四つくらい?」
「マジかよ。俺と同い年かも」
ライオスは新しく届いたメールのポップアップに視線を向けながら相槌を打つ。
釣られるように画面に目を遣った先輩は、メールのタイトルからそれが自分が担当しているプロジェクトの伝達であることに気が付き、ため息を吐いて目を逸らした。
「……それにしても仲がいいよな」
「そうでしょうか?」
「そうそう。俺なんて同期はみんな別拠点に行っちゃってさ、疎遠だよ」
「うーん。もしかしたら部屋が隣なのもあるかもしれません」
「まだ社員寮だっけ。週末は宅飲みとかしてんの?」
「週末というか、夕飯は毎日一緒ですね」
「……毎日?」
言い淀むような気配にライオスは首を傾げる。
パーテーションの向こうからはチルチャックの笑い声が聞こえた。内容はよく分からないが盛り上がっているらしい。
「……仲良すぎない?」
「そんなことないと思いますけど」
「あるだろ」
先輩はライオスのデスクに頬杖をつくと、デスクの隅を睨みつけるように見た。
会議などで彼が言葉を選ぶ時にする癖のようなものであることは、部署の中では広く知られていた。
「どうしてって、聞くのもおかしいか」
「大した理由じゃないですよ」
ライオスは事の始まりを思い出すように遠くを見る。
「聞いていいやつ?」
「入社したばかりの頃、うちの部屋、冷蔵庫がなかったんです。部品の品薄で入荷が大分遅れるとかで」
「あー。社員寮っていっても家具家電付きってわけじゃないしな」
「それで、コンビニとか外食で済ませてたんですけど、体に良くないからって言われて。試しに当番制というか、持ち回りでやってみたら思いの外うまくいってしまい、そのままという感じですね」
「なるほどねえ」
先輩は相変わらず頬杖をついたまま、パーテーションの向こうを見た。
チルチャックは話が終わったのか、丁度電話を切る。
フロアは一瞬だけ静寂に包まれたが、別の所ですぐに入電があり、また騒がしくなった。
「ライオス、悪いな。助かった」
「大丈夫だよ」
電話を切ってすぐにやってきたチルチャックからモバイル端末を受け取ると、またデスクの端の定位置に置く。
横を見ると、隣で頬杖をついていた先輩はいつの間にか自分のデスクに戻っていた。
「そういえば、キャベツってまだあったか?」
チルチャックがひそひそと小声で聞いた。
「うちに一玉あるよ」
「じゃあ今日は回鍋肉な」
「豚肉の解凍が間に合うかな」
「朝、冷蔵庫へ移しといた」
「さすがチルチャックさん」
やめろ、といいながらもチルチャックは得意げに笑うと自席へ戻っていった。
チルチャックの姿が完全に見えなくなると、隣席から大きなため息が聞こえる。
「……いいなぁ。回鍋肉か」
「先輩も来ますか?」
「馬鹿言え。俺がそこに入れると思ってんのか」
ライオスは小首を傾げて隣を見た。
「そういう無粋なことはしない主義なの」
先輩は画面を睨みつけると、それきり黙ってしまった。