【3/8 Lovers Of Million 新刊】 ニコラーシカ サンプルニコラーシカ
それは、日も傾きはじめた夕刻のことだった。
「――レオナルド・ライト?」
やけに見覚えのある背中が廊下の先にあって、つい声を零す。大先輩であり、恩人であり、それから憧れの人でもある、かっこいいあの人の背姿。ブロンドの髪が珍しくないこのニューミリオンの中でもひと際目を惹く絹糸みたいな細く艶やかな髪の流れが、ひた、と止まる。
少々痩せたのだろうか。すらりとしなやかな背中にはカッチリとしたシャツがよく似合っていて、もしかしたら上層部や外部との打ち合わせなんかがあって今日はタワーに赴いたのかもしれないということが察せられた。
随分距離があったというのに当の彼は私の声にも敏く反応してくれて、くるりと踵を返してずんずんとこちらへ向かってくるようだ。何をどう見ても、私に用がある足取りだった。
そうして彼が近づく度に、喉に小骨が引っかかった時みたいな違和感がふと胸中に生まれた。……レオナルド・ライトならきっと、この段階でいつもの口上を声高く宣っていたはずだ。それに、彼はかなりの長躯のはず。私よりはずっと大きいにしろ、見上げるほどのそれを持ち合わせていないことが何よりも引っかかった。
そうして私が彼をくっきりと捉えられる頃には、その人が明らかにレオナルド・ライトではないことを知った。
「え、あれ……、……え?……嘘……」
「――さすがしれー。おれが誰なのか、すぐわかってくれるんだな」
仕草も、立ち姿も彼に似て非なるそれ。もう一度憧れの人の名前を呼ぼうとして、それからその固有名詞を喉の奥へ引きずり戻し……別の名前を舌に載せた。
「……ジュニア、くん?」
「おう。久しぶり」
見間違えるはずのないオッドアイをくっと歪めながら、彼――ジュニアくんは変わらぬ笑顔で私を見下ろした。
(中略)
未だ冬の寒さが残る雪道をふたり並んでゆったりとしたペースで歩いていく。行き先は、どちらが告げるでもなくタワーの方へ向かっている。
時折薄氷の張る足元はパンプスとはすこぶる相性が悪く、そうやって既に三回派手に足を滑らせたところをジュニアくんに助けられた挙句、『せっかく楽しかったのに転んだら後味悪いだろ』なんて言って手を取られて先へ進むに落ち着いたため、今度はそちらに意識が散漫としてしまっていた。酒気を帯びているせいか、ジュニアくんの手は酷く熱い。この寒さの中で感じるその温もりは、酷く際立っていてどうも落ち着かなかった。
この状況で心が乱れているのは、きっと私だけなのだろう。そう思わせるほどに、ジュニアくんは平常通りの表情を貼り付けたまま微塵も動じなかった。
見覚えがあるピザ屋さんの看板を見かけて二度同じ話題を出したのを最後に、しばし無言の間が続く。歩幅を合わせてくれるジュニアくんは随分と機嫌が良いのか、鼻歌を囀りながら睫毛を数度しばたたかせていた。髪と同じ色の色素を持つ睫毛は、街灯の深いオレンジ色を吸ってちらりと瞬く。
「……そういえばジュニアくんはさ、今晩どうするつもりなの?」
「ン?あー、ノヴァのラボに泊めてくれるらしい。簡易ベッドなら空いてるからって」
つまりこの足取りがタワーに辿り着いたとき、大人になったジュニアくんとの、このちょっと奇妙な馴れ合いの時間が終わるということ。つい数時間前は知らない姿の彼に酷く緊張していたというのに、いざ別れの時間が来てしまうとどこか寂しく思う自分がいることに気が付いてしまった。
それもこれも、些細な差異こそあれど彼がちゃんとジュニアくんであることに他ならないからだ。今も未来も真っ直ぐで、13期のかっこいいヒーローだ。
「あ……そう、なんだ。それならよかった」
不自然な間を作ってしまったのがきっと悪かった。ジュニアくんはくす、と吐息だけで笑みを零しながら揶揄う視線を私に投げかける。
不意に下から覗き込まれて、自分が俯いていたことに遅れて気が付く。視線が真っ直ぐに交わった。
「そうやって黙り込むのは、まだ何か言いたいことがある時だろ?」
「そ、んなことは」
「悪いけど、しれーのそういう癖もおれは知ってるんだぜ」
ぐうの音も出ない程に言い詰められてしまえば返す言葉もない。次第に足取りも止められて、どうやらそれを聞くまでは解放してくれる気はないらしい。
「なぁ、ムズムズするから言ってくれよ。それとも、おれには言えねぇようなことだったりすんの?」
「そうじゃなくて……その、ジュニアくんともう少しお喋りしたいなー……なんて、思っちゃって」
「それは……『まだ帰りたくない』って言ってると思ってもいいやつ?」
「いっ、……いい、やつ」
肯首をしたところで、ふと私の誘い文句はあまりに粗末なものだったと自覚する。時間、シチュエーション。どれを取っても誤解を生んでしまいそうな要因しかなくて一気に血の気が引いた。慌てて『違うの、』と付け加えれば、ジュニアくんは『ちげーの?』と小首を傾げる。
「別に!本当に文字通りの意味しかなくて!誓って事案になるようなことは一切合切、全く……!」
「あはは、事案ってなんだよ。しれーはおれのこと、そういう風に見てねぇのは知ってるって」
「そ、そりゃあもちろん!」
「おぉ、即答かよ。それはそれで傷つくんだけどなぁ」
「あ……ごめん……あっ、いや、そうじゃなくて!ジュニアくんはとってもかっこいいヒーローだよ!」
苦し紛れで捻りだしたその言葉に、ジュニアくんの瞳がほんの一瞬だけ、曇った。けれど次の瞬間にはまるで何もなかったかのようにかわゆくぱちぱちと数度瞬きをして、こちらに視線が戻ってくる。
さら、と春には少し遠い風がふたりの間を通り抜けるから、寒さに体がふるりと不随意に震えた。酒を飲んだせいかもしれないし、調子に乗って少し薄着をしすぎたせいなような気もする。
「おれさ、かっこいいヒーローになれてるか?」
「そりゃあ、もちろん!すっかり背も伸びて、心身ともに大人になっちゃってるし……もしかしたら、支えてあげなきゃいけない立場の私の方が支えられてるのかも」
「……、……くそ。あんたに言われると、やっぱ悔しいくらいに嬉しいな……」
強い風に金色の髪をいたずらに靡かせるジュニアくんの声は、半分以上こちらには届かなかったけれど、とにかく嫌な気持ちにさせてしまったわけではないようだった。
握られたままだった手が、強く握り直される。いつの間にか体温はすっかり馴染んでしまっていて、彼の手を熱いと感じることはもうなかった。それどころか、大きな手にすっぽりと収められているのがこんなにも心地よいとすら思ってしまう。
(中略)
少し高いところにあるはずのジュニアくんの顔を見上げると、彼も丁度こちらを見据えていたようで、どちらが言葉を交わす訳でもなく視線だけが絡みつく。晴れた日の空を宿す瞳がゆっくりと揺れて、何か言葉を探しているようだった。
「ジュニアくん、良かったね。帰れるって」
「ン、そーだな」
「怖い?」
「いや、怖くはねぇよ。クソDJの前例もあるし。……ただ、……」
夜明けの蝋燭みたいに細い声はやがて途切れてすっかり失われる。溌剌とした物言いは大人になっても健在だったジュニアくんが言い淀むのを初めて見た気がする。薄い唇がきゅっと横一文字に引き締められて、言葉を深く飲み込んでしまったらしい。
「ジュニアくん?」
「あ、いや……わり、なんでもねぇ」
「本当に?言いたいことがあるなら、今言わないとだよ」
「そ、うなんだけど……なんつーか、おれが言うべきではないっつーか……帰ってから、顔向けできねぇかもしれねぇし」
「えぇ、未来のことは……まぁ、帰ってから考えればいいんじゃない?」
「でも……」
「――ジュニアくん。こんな時に横槍入れるのは忍びないけれど、言いたいことがあるなら今のうちだよ。あと五分もしたらこっちは準備できてしまうからね。……おれは、後悔しない方を選んだ方がいいと思うなぁ」
滞ってしまった雰囲気へ助け舟を出してくれたのは意外にもノヴァさんだった。彼の目線はきっとどこか過去を望んでいるのだろう、甘やかで優しく、それでいて泣いてしまいそうなくらいに苦しそうな顔を浮かべていた。それをみてあぁ、と合点が行く。――この人こそ、誰より過去に囚われているんだ。それこそ、この機械を誰より使ってしまいたいくらいには。
ジュニアくんもきっとそれに気が付いたのだろう、ぐっと息を飲んで、噛み締めた唇を解いて、数度開いては閉じて。それからようやく口を重く開いた。
未来のジュニアくんは、何を言うんだろうか。もっと親密な私を知っているであろう彼は、今の私に何を残してくれるのか。その答えを先んじて見つけるには、彼との時間はあまりに短かった。
「しれー」
「うん」
「しれーはあんまり……好きじゃねぇと思うんだけど、……その、
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!CAUTION!
なんとこの本、【HN、奥付が全て存在しません】!
誰が書いたのか、いつ発行したのか、どこで印刷したのか 全部記載がありません。
もはや本という体裁をほぼ成していないただの紙の束ですね。
というのも、この本は先月誕生日を迎えたジュニ司令身内からの「親バレしたくなければくっつきそうでくっつかない、ちょっとくっつくジュニ司を寄越しな。悲恋で頼む」との世にも恐ろしい脅迫に屈して書いたもので、できることなら身バレしたくなかった……という醜い悪足掻きです。
とはいえ、手遅れ感は否めませんね。
そんなもんを頒布するな!というのは本当にそうなんですけれど、なんとなく余部を処分するのも忍びなく……頒布に至った次第です。
こちらご了承の上お迎えいただけると、とっても嬉しいです。
----以下奥付情報----
ニコラーシカ
発行:縹計./計算機概論
印刷所:夢工房まつやま
X:@KeiHanada_OpaL
mail:Calculation.k1926☆gmail.com (☆を@に変えてください)
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どうぞよろしくお願いします!