【ラヴミリ展示】振りかざすは ――非常に、困ったことになってしまった。
あの後朝寝坊をちょっとだけして、結局今日はパンケーキを食べに行くことを決めて、混雑を避けてピークを過ぎた頃を目掛けてお店へ向かっている最中だった。朝見かけたサイトを何の気もなしに見せたら彼女がすっかり乗り気になってくれて、ならば善は急げということで話はとんとん拍子に決まっていった。こういう時に、彼女も僕と同じ甘党さんで良かったと思う。
そして今、目の前には僕の……ファンだと言ってくれる女の人が3人いて、かれこれ15分くらい足止めを食らわせられているところ。時計をさりげなく見れば、お店の予約時間がもうすぐまで迫っている。
綺麗な格好をした人たちだけど……ちょっと押しが強くて、怖い。
「グレイくんって生で見ると結構可愛い系なんだ~」
「えっ、あの……かわ、」
「やば、肌めっちゃ綺麗じゃない?スキンケアって何してるの?」
「肌……?えと、そう……ですね……?」
「あ!ねぇねぇ、私たちこれからノースのカフェに行く予定なんですけど、一緒にどうですか~?グレイくんすっごくかっこいいしお姉さん奢ってあげる!」
矢継ぎ早にまくし立てられる言葉へ極力角の立たない返答を考えるけれど、結局半分も答えられないままに話題はコロコロと目まぐるしく入れ替わっていく。パトロール中に"こう"なってしまった時はさりげなくビリーくんが割り入ってきてくれてそれとなく距離を置けるけれど、今日ばかりはそうもいかない。
半歩下がって僕を待ってくれている彼女も、最初こそ微笑ましく見守ってくれていたものの、相当待たされてしまった今となっては、ちょっと前に見たネットミームみたいな顔をして僕がこの女の人たちを振り切るのを待っている。敢えて僕に声をかけず静観に努めているのは、いつだったかに『街に出たら一応そういう関係は隠しておこう』と言ったのを律儀に守っているからだ。だからこの人たちも彼女が僕のなんなのか……それどころか彼女がいることすらも気付く様子はない。
しまいには一番近いところにいた女の人の腕が蛇みたく僕の腕に絡みついてきて、ぞわりと背筋が凍る。アカデミー時代の意地悪の中にこういうのがあったことをフラッシュバックしてしまって、冷や汗がじっとりと額に浮かぶ。
どうしよう。結構、嫌だ。反射的にぎゅっと目を瞑ってしまうと尚更その感覚が強調されて、胃の奥がぐるりとひっくり返ってしまいそうになる。……でも、きっと今、僕なんかよりずっと嫌な気持ちになっているのは――。
表情を窺おうとして、でもやっぱりそれよりも先に、僕が言わなきゃいけなくて。
「――っあ!、あのッ!僕、今、その、ぷっ、プライベートなので!失礼します!」
もう完全に勢いだけで、ひと息でそれを言い切って背後でそっと佇む彼女の手を引っ掴んで駆け出し、道順なんて覚えていないくらいに曲がり角を曲がって、さっきの人達の姿がめっきり見えなくなったところで適当な路地に入り込む。
やっぱりフェイスくんって、すごいな。ああいう人達に囲まれても眉ひとつ動かさないでひとつひとつ丁寧に躱してしまうんだもん。いつでも冷静な姿は、同期として改めて尊敬してしまう。
走ったことでじっとりと浮かぶ汗に見て見ぬ振りをしながら、夢中で引っ張り回してしまった彼女の様子を窺う。元々僕よりずっと体育会系な彼女は、多少息は上がってはいるものの特筆して苦しそうにしている様子はなさそうだった。
良かった、と安堵の息が漏れる。
「あの……ご、ごめんね……?色々と……大丈夫?」
「……ちょっと嫌だった」
「あう……やっぱりそう、だよね……」
つん、と唇を立てるのは彼女がよくやって見せる『怒っています』の仕草。そりゃあ、僕がこれだけ不甲斐ない様子を見せてしまったから怒ってしまうのは仕方がない。……けれど、場違いにもその仕草が可愛いと思ってしまった。お出かけ用のリップを纏った唇も、きゅっと上がってしまった眉も、あの後だとなんだかものすごく安心してしまう。
「グレイのファンが増えてるってのは聞いてたけど……ああいうのもいるんだね」
「うぅん……ビリーくんとか誰かといる時にこういうのはあんまりなかったから……多分、僕がもっとキッパリ断れていれば、あんな風にはならなかったんだと、思う」
「そっか。……あのね……一瞬だけ、グレイがあっちについて行っちゃうんじゃないかって、思っちゃった」
「えっ!そんなことしないよ!……そんな……うん、……でも、そう、だね。不安にさせちゃって、ごめんね……」
「……、……じゃあ、グレイがちゃんと安心させてほしいな」
袖を控えめに摘ままれて、今朝とは一転きらきらで彩られた目が僕を真っ直ぐに見つめている。……この人は、僕が自分から離れていってしまうと思っているのだろうか。そんな不安が瞳から伝わってしまうくらい、彼女は僕のことを真っ直ぐに見つめていた。
――僕が彼女にしてあげられる安心できるようなことってなんだろう。たぶん、さっきの人達にはできなくて、この人にならできるような、何か。少し考えてひとつ思い浮かぶけれど、さすがに嫌がられるかな、なんて思い留まって……けれどやっぱりこれしか思いつかなくて。
大きな道から外れた路地とはいえ右を見て、左を見て……もう1回右を見て人がいないことを確認する。それから頬に触れようとして……お化粧をしていたことを思い出して顎に指を添え直すと、それだけで意図を察して瞼を伏せて待ってくれる彼女の柔らかそうな唇へ、触れるだけのキスを交わす。ちゅ、と小さな音を立てて離れる唇に名残惜しさを感じるけれど、それはまたあとでにしよう。
「安心してもらえるかはわからないけど……その、こういうことをしたいと思うのは……きみだけだから」
ゆっくりと瞼を開いて、またちょっとだけ口を尖がらせて『今日はこれで許してあげる』と。いつか僕が贈ったピアスの揺れる、真っ赤になってしまった耳が全部を物語っていた。
「……グレイがかっこいいのも、可愛いのも、私が誰より知ってるんだから」
ぽそりと呟いたその言葉に、さっきの女の人が口々に言っていた『可愛い』『かっこいい』が重なる。あれはただのリップサービスだということくらいはわかっている。でも、彼女の声で聴く同じ言葉は、胸の奥をきゅんきゅんとときめかせてくれた。
普段は『どう足掻いてもヒーローと司令には変わりないから』っていつも言い聞かせてどこか一歩引いている彼女が、こんなにも独占欲を丸出しにしてくれたことは初めてだった。なんだか擽ったくて、でもやっぱり嬉しくて、思わず頬が綻んでしまう。可愛い。愛おしい。そんな気持ちが募ってやまない。
……あぁ、すきだなぁ。
「ふふ」
「ちょっと、笑うとこじゃないんだけど!」
「うん、ごめんね。……あの、嫌じゃなかったら、今日のお出かけ再開しても……いい?」
「……エスコートしてくれるなら」
「えぇ、うまくできるかわからないよ」
「下手でも、私だけにしてくれるなら、それがいい」
腕時計を見れば、急げばお店にはまだ間に合う時間だ。
いつもは人目を気にしてできないけれど、今日くらいは、と手を差し出せば彼女は嬉しそうにそれを握り返してくれた。僕よりずっとあったかくて小さな手は、僕をちゃんと受け入れてくれている。
「まぁ、でも……『デートだから』くらいは言ってほしかったかな」
「えっ、言って良かったの……?」
「……、…………最後の切り札にするなら」