氷獄の外へと 4寝ていたわけだし時計も無いので実際どれくらい時間が経ったは分からないが、ドーム部員は約束通り「お風呂の用意出来たよ」とおれを起こした。
おれは寝惚け眼を擦りながら起床し、フラフラ立ち上がろうとして止められた。なんとなく今ならいける気がしたんだけど周りからしたらそうでもなかったらしい。
「カイリュー、落ち着いて。流石にお風呂場の扉は通れないからボクが運ぶよ」
カイリューが心配そうに腕を伸ばしてくれたが、扉を通れないという理由でそちらも制止されて。
「じゃ、じゃあ、えと、シツレイシマス……」
「ん」
ドーム部員はガチガチに緊張しながら抱っこしてくれた。
かなりしっかりと横抱きにされて安定してて、多分落とされることは無いだろうと力を抜く。
「前に支えた時も思ったけど、カキツバタくん軽過ぎるよ……」
「そお?」
「うん……心配だし怖いくらいだよ。元気になったら沢山食べようね。遠慮しなくていいですから」
そんなにかなあ。細身な自覚はあるけどさ。
「あ、飯といえば、リンゴとオカユ……残してごめん」
「え?」
ふと思い出して謝罪したら、彼は首を捻る。
それから「えっ、そんなこと気にしてたの?」と仰天されてしまった。
「完食出来なくても仕方なかったんだからいいよ。気にしないで」
「でも……ごめん」
「大丈夫だよ。ポケモン達が綺麗に食べてくれたから勿体無いことにもなってないし。これからちょっとずつ量増やして頑張ろう」
本当に、何処までもお人好しで優しくて……なのにおれなんかに縛られて、マジで変なヤツだなと思った。
それでもその愛が心地良い。ムズムズして、ポカポカする。
気付いたら脱衣所に居て、一度そっと下ろされた。
「えーっと、服、脱げそう……?」
「んんー…………」
腕を動かして、どうにかシャツを脱ごうとする。ただあまり持ち上がらなくて中途半端なところで詰まってしまった。
「んんー」
「だ、大丈夫?」
……暫く頑張ってみるものの、ダメそうだった。
情けねえと思いつつも諦める。
「たすけてくれーい」
「は、はい……うぅ、苦行だあ」
惚れてる相手を疚しさ抜きで脱がすなんて確かにキツいな、と恋愛経験が薄いなりに哀れに感じた。だけど無理なモンは無理だったので手伝ってもらう。
シャツを取られてズボンと下着も脱がされる。お礼を言おうとしたところ、目の前の彼は思い切り顔を逸らしながらタオルを差し出した。
「せめて、その、前、かくして…………」
めっちゃ真っ赤になってんじゃん。マジかあ。
揶揄うのも可哀想になるくらいの動揺振りに、着替えを置きに来てくれたドーブルが引いていた。凄いジト目だ。
「は、早く隠して……ほんとに…………」
「あハイ。ごめん」
「ドーブルも、そんな目で見るなよ………」
おれはタオルを受け取って腰に巻く。ちょっとあのマントを思い出して眉間に皺が寄ってしまったが、直ぐ振り払った。
「隠したぜぃ」
「ほ、本当に?本当だよね?嘘じゃないよね?」
「嘘じゃない嘘じゃない。大丈夫だからこっち向けって」
彼はぎこちなくこちらを見る。
そしてまた目を逸らした。
「これもこれで、なんか……変な気分になる……」
どうしろってんだ。
この男がワケ分からないのは今に始まったことじゃないが、不満を抱いたのは初めてだった。流石に寒いから早く風呂入りたいんだけど。
「ご、ごめん、このままだと風邪引いちゃうね……入ろっか……」
ちゃんと気付いてくれたようで、また抱き上げてやっと風呂場に入れてくれた。
彼はおれをバスチェアに下ろしてから服を捲り、シャワーを掴む。出したお湯の温度を自分の手で見た後、おれにも確認してきた。
「大丈夫?熱くない?」
「ちょうどいい」
問題無いことを伝えれば、軽く髪や身体を流される。
少ししてお湯は止まり、シャンプーが頭皮に揉み込まれた。
「んー……」
「痒いところは?痛くない?」
「だいじょーぶ」
「あ、寝ちゃダメだよ。転んじゃうって」
「んん」
コイツ中々器用だなあ。
自分でもしないくらい丁寧に丁寧に洗われて、変な感覚なのに気持ちいい。すっかり安心して眠くなってきた。
でも人間の頭は結構重たいって言うし、すっ転ぶのは嫌なので我慢する。もう散々寝たんだから。がまんがまん。
「流しますよー」
「ん」
間も無くまた頭にお湯が掛けられ、目を瞑る。泡が落ちていくのが分かった。
大分スッキリしてちょっとご機嫌になっていると、「身体も洗うよ」と彼はボディソープを出す。
「ふぅー……はぁー………失礼します…………」
思春期だなあ、とぼんやり微笑ましくなりながら大人しくする。
「ひぃ、っ、うー…………」
何故か触られてるおれより触ってる彼の方がおかしな声を出していたけれど。ツッコミは入れないであげた。これでも恩は感じてるし、別に煽って襲われたいわけでもなかったので。お互いの平穏の為だ。
デリケートな部分は向こうが「無理。絶対無理です」と青くなってしまったので自分でやって、なんとか全身を洗い終えた。ドーム部員は凄く疲れた様子だった。ごめんて。
「じゃあ、湯船にも……熱かったりぬるかったりしたら言ってね」
「へーい」
また持ち上げられ、お湯の溜まった浴槽にゆっくりそーっと入れられた。学園でもいつもシャワーだけで済ませがちだったので、こうして湯に浸かるのは久々かもしれない。
包まれるようであったかくて、思わず大きく息を吐き出す。
「どうですか?」
「いー感じ。偶にはいいなあ、こういうの」
「偶にっていうか、いつもちゃんとお湯張った方が良い気はしますけどね……」
「だって掃除めんどくせーもん。風呂に時間掛けるのもだりぃもん」
「気持ちは分かりますけど」
あ、寝そう。
うとうとしてたらまた「寝ちゃダメ」と窘められた。分かっちゃいるんだけどねー。
「気持ちよさそうでなによりですけど、ちょっと心配……そんなに眠いんですか……?」
「ん。なんかわかんねーけど。まあ寝まくってればそのうち治るさ」
「だといいなあ……沢山寝るのはいいんですが、そのうち目を覚まさなくなりそうで怖いから……」
「…………おーげさ」
このままふわふわしたまま眠り続けられたら幸せかもな。
一瞬過ぎった感情は口に出さないでおいた。そんなこと言ったらコイツ泣き出しそうだし。悪くないかもしれない、ってだけで本気で望んでるともちょっと違うし。
「なあ」
「ん?どうかした?」
「なでて。あたま」
「え……、……分かった」
ハッキリしない意識に任せて甘えると、彼はただ頷いて撫でてくれた。
頭や頬を滑る感覚が心地良い。優しくて、あったかくて……
ずっと誰かにこうして欲しかったのかもしれない。ずっと誰かに見て欲しかったのかもしれない。今となっては絶対そうだったかは分からないけど。
「大丈夫。なにがあってもボクはずっとキミの味方ですから」
「……………………」
「キミに信じてもらえなくても、キミになにがあっても、ずっとずっと……」
彼の目を一度見て、また閉じる。
早く信用してやりたい。信じられるだけのことを積み重ねてくれたコイツを信頼したい。
でも、やっぱり、まだこわい。
元々人見知りというか、人を警戒してしまうきらいがあるからどうしようもないんだけど。色んな気持ちが分かれてて、どうすればいいか分からなくて、申し訳なかった。
……暫くボーッとしてたら「逆上せちゃうからそろそろ上がろう」と促され、頷いた。
お風呂から出て身体も拭き、着替えてスッキリした後。
ベッドに戻されてうとうとしてたら、「服を洗濯機に入れてくる」と一度出て行った彼が帰って来た。
「ホットチョコレート作ったんだ。飲みますか?」
「ん……のむ」
チョコレート、と聞いて嬉しくなり頷いた。
渡されたカップはちょっと熱くて、中から甘い匂いがした。舌を火傷しないよう気を付けながらゆっくり傾ける。
「あまくておいしいねぇ……」
「よかった。甘い物好きですもんね」
「まあねぇ……」
前までは主食と言っていいくらい食べていたチョコを久々に摂取して、幸せな気分になる。甘い物は色んなことを忘れさせてくれるから好きだ。
「ふふ、かわいい」
「んー?」
「あ、いや。凄いぽやぽやしてて可愛いなって……つい……」
「いちいちいわなくていーよ」
「ハイ。ごめんなさい」
「んー?」
なんで謝るんだろ。
纏まらない思考で不思議になりながら、少しずつホットチョコを飲んでいく。まあいっか。
「あー、マシュマロでも買ってくればよかった」
「ましゅまろ……やわらかくてうまいよなあ」
「頭回ってなさそうですね。マシュマロ好きですか?」
「すき」
「ぁう、そ、っか!じゃあ明日にでも買って来ますね」
「うん」
ぼんやり話していたら、いつの間にかカップは空になっていた。
一瞬もう飲み終わったことに気付かず首を捻ったけれど、直ぐに理解して息を吐く。
「おかわりする?」
「んー……だいじょーぶかなあ」
今はもういいと首を横に振れば、手の中の物を回収される。
そろそろ自分で使った物の片付けくらいはしないといけないのに。なんで身体はこんなにも言うことを聞かないんだろうか。やっぱりなにもしたくないからかなあ。
「…………ねえ、カキツバタくん」
「ん」
そこまで堕落してしまったのか、とひっそり自嘲していたところ、彼は頬に触れてきた。
「ボクはもう一生、なにがなんでもキミを守る覚悟を決めてるんだけどさ」
「……………」
「ここにずっと閉じ込められるのなんて……キミは嫌じゃないかな?」
どういう意味だろう。嫌だなんて思ったことは無いけど。
率直にそう応えると、酷く泣きそうな顔をされた。
「本当に嫌じゃないの?……二度と外に出られなくても、いいの?」
「…………いいよ。もういいんだよ。そとのせかいに、きたいするのは、つかれた。みんないるし、もう、どうでもいい」
「……そっか……」
疲れた。疲れたんだ。なにもしたくないんだ。だから外に出られなくたって、いやむしろその方がいい。もう何処にも行きたくない。誰にも会いたくない。この部屋だけで世界が完結してくれた方が、きっとよっぽど楽なんだ。
だって、なにも楽しくないから。
「どーしたんだぃ?あらたまって」
「…………いや。ただ、ボクのことは諦められるけど、キミの未来を潰すようなことになったらと思うと……凄く、怖くて。……分かってるよ、キミはもうなにも望んでないって。ただ平和に暮らしたいだけだって。でも、一応、確認したかった」
「かくにん」
「……ボクは強くないから、絶対は保証出来ないけど……だけど、うん。もう迷いません。ずっとずっと、全力でキミを守るよ」
「…………うん。しってる」
添えられた手に擦り寄ったら、思い切り抱きしめられた。ちょっと苦しい。
「いっぱい休んで。それで、……なにもしなくていいから、焦らなくてもいいから、元気になって欲しいかな。やっぱりキミの笑った顔がまた見たいよ」
「…………わらったかお」
「あ、プレッシャーとかは感じなくていいからね!?無理だけはしないで!……時間はいっぱいあるから、のんびり行こう。もし笑えなくても、それでも生きててさえくれればいいからさ………」
人の体温を感じる。優しく撫でられる。
ずっと何処か夢でも見てるような感覚だった。でもきっと夢なんかじゃないんだろう。
一生この時間が続けばいいのに。
叶わないとは頭の片隅で分かりながら、祈らずにはいられなかった。