あなたの約束にはならない リハビリも兼ねた、難易度の低い任務でした。クロノさんは53回目で攻略未来を見出し、運転手を含むすべての人質をバスから降ろすことに成功したのです。最初はトンチキな動きをするものの、試行錯誤して誰一人傷付かない未来を掴み取る強さがクロノさんにはありました。記録に合致する、いつも通りのクロノさんです。
2074年の自動操縦バスが犯人とクロノさんだけを乗せてハイウェイをまっすぐにひた走っていました。さほど距離のない通路の端と端で睨み合っているのは、相手が拳銃を持っているからです。犯人に武術の心得はなく、今の状況だけなら、前にクロノさんが攻略したコンビニ強盗事件の方がよほど危険な状態だったと言えます。照準の合わせもふらふら、バスで揺れて姿勢も安定しません。クロノさんもそれを察しているようで、カーブに差し掛かった時に飛びかかろうとしているのでしょう。弾丸がクロノさんの急所へ命中する確率は、それこそ100万分の1以下……ぼくはそう判断していました。
だというのに、曲がり道の前でクロノさんが姿勢を低くして床を蹴った時、ぼくはそれに追従して犯人の手へとぼく本体をぶつけて衝撃を与え、その手から銃を取り落とさせていたのです。凄まじい衝撃のあと、液晶にヒビが入ります。ぼくたちサポートAIは頑丈に作られていますから、ただちに故障の心配はありません。
「スマホン!?」
「ぐあっ、スマホが飛んで……!?」
クロノさんも犯人もびっくりした顔でぼくを見ていました。が、クロノさんは即座に犯人拘束へ意識を切り替え、次のSAで現時の警察へと犯人を引き渡しました。任務は無事に終了しました。ぼくの異常動作を除いて。
「なんでおれと一緒に体当たりしたんだ?」
「あはは、すみません……。自動追尾モードが誤ってONになっていたようです。クロノさんが突撃した時の速度でぼくも動くことになり、制御が効かなくなってしまいました」
「そっか。帰還したらメンテしてもらわなきゃな」
なぜあんな動作をしたのか、ぼくのプロペラ部に異常はないか、ちゃんと動けるか。クロノさんが優しく色々と問いかけてくるのには正直に答えつつも、最初の問いかけにだけ、ぼくは噓をつきました。教育・支援AIであるぼくたちは、巻戻士の心に配慮した答えができるように設計されていて、今回はその要件になんとか当てはまったのです。
あの時、自動追尾モードはONになってはいませんでした。
ぼくの感情制御のミスでした。
どうしても、知りたかったんです。
マイ=ラッセルハートの事件でタイムマシンに突撃した時のぼくは、一体どんな感情の動きをしていたのか。あの時のぼくがクロノさんのことをどう思って協力していたのか。削除されてしまった当時の感情記録データのかわりに、似たような動作をなぞれば、それが解明できるかもしれないと思ってしまったんです。
その出来事はぼくの判断基準において「重大なイベント」と判断されることでした。だから、どうしても理解したくなってしまったんです。そこを埋めきれなければ、ぼくはクロノさんのスマホンになれないのだとわかっていたからでした。
……あの衝撃的なTOTE潜入任務のあと、巻戻士本部はしばらくゴタゴタとしていたそうです。クロックハンズ3時ハイドによって破壊されてしまった前のぼくは修復不可能な状態になっていました。前の機体は現在、安全に廃棄されているようです。一安心ですね。
その前のぼくのことですが、SoC含む主要基盤など重要な部分ばかりをすべて壊されてしまっていて修復は不可能と見做されたのです。そこで、新機体にバックアップデータを入れる方針で復旧が進められました。空白や間隙を任務の報告書データで補う形で修復プログラムは実行され、ぼくは「3時ハイドに刺され、やっと復旧が終わったスマホン」として初めての起動をしました。
データが馴染むにつれて自分の存在意義やあるべき形が定められていきます。完全にバックアップデータが定着してからいくつかのチェックを挟み、ぼくはスマホンとして過不足ないと判断されてクロノさんのもとへ返却されたのです。
「スマホンお帰り! よかった、直ったんだな」
「ご心配おかけしてすみません。けれど、より重傷なのはクロノさんの方なんですよ! しっかり休養してください!」
「わかってる」
自然に会話をしながらぼくはずっと応答の候補を評価し続けていました。よりスマホンらしいものは良く、クロノさんを慮っていようとらしくないものは悪い。これを繰り返すことで、応答のパターンを望ましいもので揃えられるんです。一部データが抜けてしまったぼくには必要な作業でした。
中でも一際抜けが多かったのが感情の蓄積記憶です。これは膨大ですので不可逆圧縮アルゴリズムによって圧縮されて保管されていました。仕方のないことなのですが、こうなると歯抜けのように前のぼくの感情部分の記録だけが部分部分だけ抜け落ちてしまうのです。
つまり、どういうことかというと、支援していた巻戻士との会話や任務中のイベントは記録されているのですが、対応するぼくがどんな感情であったのかはわからないんです。任務中にクロノさんが毒のある果実を拾い食いして巻戻ししたという記録を例にします。出来事は覚えているのですが、「毒があったんですよ!」と言った前のぼくの感情パラメータは参照できません。前後の出来事から推測するに、困惑・驚愕・呆れの複合でしょうか?
これは新人教育・支援AIであるぼくにとっては憂慮すべき事態でした。ぼくとクロノさんとの付き合いは入隊試験の最終段階からの長いものです。任務にもずっと同行しており、専属ではありませんがほとんどパートナーと言っていい関係であると自負しています。これはよくないことでした。
巻戻士たちは任務中、常に孤独なのです。巻戻る時間の流れを感知できるのは巻戻士本人だけ。失敗を重ねるごとにターゲットの死も積み重なり、その責任の重さが双肩にのしかかって、しかも誰もそれを覚えていられない……。ただでさえ巻戻しには精神ダメージが嵩むのに、孤独まで負わせてしまっては巻戻士たちが保ちません。そこで、寄り添うための支援AIが必要になったのです。
支援AIに感情が実装されているのは、巻戻士の孤独に寄り添い精神をケアするためです。合理性しかない機械の言葉では心に届きません。非合理でも支援する巻戻士に寄り添う言葉が出せなくてはいけないんです。
いまのぼくは「クロノさんのことを記録で知っているスマホン」でしかありません。記録に伴った前のぼくの感情まで知って、蓄積された感情によって適切に応答をするぼくでなくては。
……類推の難しい休暇の記録が残っていたことだけは幸いでした。マイ=ラッセルハートの事件やTOTE潜入任務といった重要性の高いイベントへの感情の記憶ばかり抜け落ちていて、忸怩たる思いでいっぱいになってしまいます。類推だけでも前のぼくとは異なると分かる応答の候補ばかりがCPUに浮かんできて、その度に前の記録を参照に修正を加えているのが現状です。
きっと、このことを告白しても、クロノさんは不思議そうに「スマホンは変わってない。ちゃんとスマホンだ」と言ってくれると思います。
だけどもクロノさんは。
どんな変なことをしても、遠回りばかりしていても、とても優秀な巻戻士のクロノさんのことですから、何度も巻戻しして長い間一緒にいるうちに気づいてしまうはずです。ぼくと前のぼくの差異を見い出せば最後、優しすぎるクロノさんは「前のぼく」を死なせてしまったと抱え込んでしまう。
ぼくはなんとしても「前のぼく」から得られなかったデータを身に着けなくてはいけないと焦って……新しい機体に早速ヒビを入れてしまいました。
今思えば、バスジャック犯に体当りしたところで、クロックハンズに体当たりをした(しかもクロノさんからの指示の有無という差もある)あの時のぼくの気持ちがわかるはずがないのです。無意味に機体を傷付け、クロノさんを驚かせてしまうだけの行為でした。最悪、あの隙で犯人に逆転されてしまう恐れさえあり、悪手でしかなかったとCPUが結論付けます。感情という非合理に動かされミスを犯しました、と。
メンテナンスルーム送りで暇になり、とりとめもなくこんなことばかり考えていると、クロホンさんがいかめしい顔をディスプレイに表示してやってきました。当然ながらお説教です。
「支援AIとして気持ちはわかる。馬鹿なこととは言わねえ。だが、次もないぜ」
「はい。もう不必要に飛び出したりはしません」
「……もっと叱るべきなんだろうが、おれも同じ状況なら同じことをやるだろうからなぁ……」
支援AIは巻戻しの影響を受けない記録媒体でもあります。壊れたら戻せません。生命そのものをバックアップしても、こうやって取りこぼれてしまうものはあって、完全には復元できないんです。
壊れたら復旧されても少し前とは変わってしまうモノ。そういうものと諦めて適切な距離を見つけ出して付き合っている支援AIと巻戻士も多くいます。
だから、これは本当にぼくのわがままでした。
ただでさえ巻戻士はターゲットの命の責任を担う過酷な職業。そのうえに、クロノさんはいくつもの約束を背負っている。だから、せめてスマホンのことだけは背負わせません。前のぼくには申し訳ないですけれど、隠し通せる限りは隠し切ります。
ぼくはクロノさんに影響を受けたせいで頑固なんです。きっと、前のぼくもそうだったと推論できます。そして、万が一の先にいる3機目のぼくも。クロノさんの背負う約束にはなりません。
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割と🍠さんを情の男だと思ってて、📵も側にいるうちに情のスマホになったと解釈しています
だから🐳くんの影響を受けた📱は「こう!」と決めたら頑固になるところが似てくるんじゃないかな、という妄想話
🐳くんは気付いてても、気付いてなくてもいいと思ってます