ばっと飛び起きる。心臓がバクバクする。じわりと目元がにじむのが分かった。
真っ暗な部屋のなか、カチカチと秒針が時を刻む音だけがやたらと大きく響いている。
「どうしたの?」
隣から寝起きのためか掠れたいつもより少し低い嶺二の声。
「悪ぃ。起こしたか」
横を見れば暗闇の中でも心配そうにおれを見上げているのが分かった。
「ぼくよりランランは大丈夫?怖い夢でも見た?」
怖い夢。ああ、とても怖い夢だった。夢の内容を思い出すだけで体が震えそうになる。途方も無い喪失感はまるで現実に起こったかのようだ。
何も返事ができずにいるおれに、嶺二は布団から起き上がり、おれをその胸の中に抱き寄せた。
「もう怖くないよ。ぼくがそばにいるからね」
よしよし、と子供をなだめるように優しく背中をトントンされる。普段なら悪夢ごときでと情けなく感じただろうが、今は嶺二のぬくもりを感じることでどうしようもなく安心しきっている自分がいた。されるがままにその身を嶺二に委ねた。
嶺二が死ぬ夢を見た。いつも通りの日常の中その時はあっけなく訪れた。
どうしようもない喪失感と後悔とやり場のない怒りで狂いそうだった。鮮やかな花の中に横たわる嶺二はひとまわり小さく見え、その白い顔が頭にこびりついて離れない。
ステージに立っても、眩ゆいスポットライトのその下に嶺二の姿は無くて、どんなに歌っても歌っても足りなくて。仕事の、日常の何気ない瞬間のあらゆる場面で嶺二がいないことを否が応でも突きつけられる毎日だった。
そして、誕生日の夜毎に繰り返し現れる嶺二。確かにそこにいて、触れることができて声も聞こえているのに、その指は、頬は、唇はとても冷たくて、おれがどれだけ触れても嶺二に熱が伝わることは無くて、それが恐ろしかった。
夢の記憶が蘇りまた呼吸が荒くなる。
「大丈夫だよ。ぼくがいるからね」
穏やかな嶺二の声と身を包む暖かさに少しずつ夢と現実が離れていく。
そろそろと嶺二の背中に腕を回せば、そこからまた嶺二の熱がおれに伝わり、こわばっていた神経を優しくほぐしてくれるようだった。
「わりぃな、起こしちまった」
「ぼくは全然ヘーキ!ランランは?もう大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
「なら良かった」
嶺二の背中にまわしていた手を離し、身体を起こす。
ベッドライトをつければ、オレンジ色のライトに照らされて嶺二の顔がはっきりと分かった。ふにゃりと笑う嶺二の表情にこれほど安堵したことはないだろう。
体の横に置かれた嶺二の左手に手を伸ばす。そこに夢の中ではめた指輪は無い。寝起きのためかいつもより少し熱いその指は、たしかにその皮膚の下に温かいものが流れていることが感じられる。念入りに触れて、生を確かめる。くすぐったいのか、時折びくっと跳ねる手のひらに嶺二は困ったようにおれを見上げる。嶺二の左手に触れた右手はそのままに、反対側で嶺二の頬に触れ、そっと撫でれば瞼を閉じておれの手のひらに顔を預けてくれる。おれがまだ悪夢から抜け出しきれていないことを嶺二は気がついているだろう。それでも何も聞かずにおれのするがままにさせてくれている嶺二の優しさに助けられている。改めて目の前にいるこの男が好きだと思った。
そもそもおれがあんな夢を見ること自体、以前なら考えられなかった。それだけ嶺二の存在がおれの中で大きいということだろう。失うことは何度も体験してきたが、それらのどれとも違う、まさに恐怖にだった。夢の中では折り合いをつけていたが、実際にあの状況になったらみっともなく幻のような嶺二にすがりついてしまうかもしれない。それほどまでに恐ろしかった。嶺二がいなくなるということが。
ふ、と自分の口から笑みがこぼれる。
嶺二が瞼をあげて不思議そうにおれを見つめ返す。
後悔はしたくないと強く思った。あんな最悪な夢を見て気がつくなんておれは本当にばかだと思うが、今したいこと、してやりたいことを全部やってやろう。
「嶺二、明日指輪買いに行くぞ。ちゃんとしたやつ」
「はっ?ちょっ、ちょっと待って。なんでそうなるの?!ぼくに分かるように説明して?」
「嫌かよ」
「いや、嫌じゃないけど、嫌じゃないよ?さっきまで悪夢見てうなされてたのに、今度はプロポーズみたいな?あれっプロポーズ?えっ!?」
「落ちつけよ」
「無理でしょ!?」
目の前であたふたしている嶺二の姿につい吹き出してしまう。そんなおれの様子に嶺二は、むぅ、と唇を突き出して不貞腐れた様子をみせる。
「さっきまで怖い夢見てべそかいてたくせに」
「べそはかいてねえよ」
「ランランのことがまったく理解できないでいるんですけど」
照れ隠しもいくらかはあるのだろう、目線をそらしてぶつくさと文句を言っている姿もまた愛おしく感じる。顔がほのかに赤く染まって見えるのはベッドライトの明かりのせいだけではないだろう。
握ったままだった左手に指を絡めながら、目線を嶺二に合わせる。視線が絡み合う。
「なあ嶺二、ずっとおれの隣にいろよ」
嶺二の唇がなにか言葉を紡ごうと開きかけて閉じる。困ったように下がる眉に、今だけは逸らすな、と絡めた指に力を込める。
「おれの隣にいてくれ」
「うん」
触れた唇はあたたかい。熱いくらいだ。まだ少しだけ目を開けるのが怖い。おれの感情を知ってか知らずか、嶺二がつないだ指をぎゅっと握り込んできた。その指先は冷たくなんかない。それに安心してゆっくりと瞼を開ける。そこには目元と頬を染めた嶺二が確かにいた。
「愛してる」
「ぼくも愛してるよ、ランラン」