今のところ無し その4 立て直したギターが音を鳴らし、ボーカルが歌詞を繋ぎ合わせ、ドラムが安定させる。
「今のすげー!」「ベースうますぎ!」「テクい!」「なんだあれ!?」
有象無象の声の中、イチヤはただ真っ直ぐにベーシストの弾き出す音に耳を傾けた。
そして、無事に演奏を終え、拍手喝采が巻き起こる。
『ありがとうございましたー!』
笑顔のボーカルは両手で可愛らしく手を振り、男性陣は軽く会釈をすると、壇上の照明が落とされた。アンコールの声掛けをする生徒達もいたが、閉会式のアナウンスが入る。落胆の声と熱狂の冷めない声は、まだ治まらない。
「凡ミスしといて謝罪なしかよ。あのベース、たまたま乗り切れたからって調子に乗りやがって」
背の低いイカボーイはイチヤの近くで、吐き捨てるように言った。
「なぁ、イチヤ」
彼が声を掛けるとほぼ同時に、イチヤは踵を返し、生徒達を掻き分け、走り出す。
出入り口の扉の前に立つ教師に止められるが、腹痛でトイレに行きたいと嘘を付き、彼は体育館を出た。
熱が体中を巡り、感動の一言では表せない程の津波が全身を飲み込んで行く。
耳に残る音が火花を散らし、心臓の鼓動が早く鳴る。
閉会式が終わるまで、我慢する事は出来ない。
帰られてしまう前に、あのベースのイカに言いたい事がある。
「イッカンくん、ありがと!」
バンドメンバーの為に用意された空き教室。トラブルを脱し、無事に演奏を終えたボーカルは、ペットボトルの水を飲んでいたイッカンに感謝を述べる。
「肝が冷えたぞ」
「うぅ……本当にごめん。あんなに沢山の人の前で歌うのは、初めてだったから……」
「もっと場数踏めよ」
「うん! 頑張る!」
素直な謝罪に対して、イッカンはそれ以上責める事はしなかった。
「助かった。フォローしてくれて、ありがとう。これを教訓に、練習メニューを改めて、腕を磨くよ」
「俺も。自分の未熟さを痛感しました」
鯛とホウボウもまた感謝と共に反省をする。
「あの、イッカンくん。それで」
「すいません!!!!」
ボーカルを遮り、高さのある独特な少年の声が控室に響き渡った。
「えぇ?? 生徒さん?」
「まだ閉会式の時間のはず……」
出入り口に立つイチヤに驚くボーカルと、壁に取り付けられた時計を確認する鯛。その後ろで、イッカンはもう一度水を飲んだ。急いで走って来たイチヤは、息を整えるために息を整えると4人を見据えた。
「ベースのイカに話があってきました!」
「あ? なんか用?」
イッカンは思わず顔をしかめた。
イチヤは教室へと入り、イッカンの前に立った。まだまだ幼い顔立ちをしたイチヤは、真っ直ぐに彼を見つめる。
「俺の名前はイチヤ! あんたは!?」
「は? なんで」
「名前!!!!」
良く通るその声は、イッカンの言葉を遮った。
「イ、イッカン……」
勢いに負けて名乗ったイッカンに、イチヤは満面の笑みを浮かべる。
その丸い瞳は若者らしい生命力と希望に満ち、キラキラと輝いている。
「俺とバンド組んで!」
「嫌に決まってんだろ」
看破を入れずに即答され、驚愕し言葉を失うイチヤ。それはそうだと言った様子のギターとドラム、口を手で覆うボーカル。
一瞬間を置いて、イチヤが声を発した。
「なんで?!」
「嫌なものは嫌だから」
「さっきのライブの演奏聞いて、バンド組むならイッカンが良いって思ったんだ!」
「なんだそれ……おまえ、まだ中学生だろ。ちゃんと勉強して、卒業しろ。そんで高校行け」
思い付きに巻き込まれるのは、ごめんだ。そう言うかのように、イッカンはイチヤを突き放した。
「せ、せめて俺の作った曲を聞いてよ」
「こっちは時間ねーんだよ。俺はバイトがあるから、ハイカラシティに即帰る」
ペットボトルのキャップを締め、イッカンは完全に話を切り上げる姿勢に入った。
ハイカラシティとバンカラ街はかなりの距離がある。
行き来するには、2パターンしかない。ナンタイ山トンネル、大ナワバリバトル跡地、バンカラ砂漠の3つを通るオールドハイウェイ108号を自動車やバスで通るか。ハイカラからは地下鉄、バンカラからはカラ街道線の電車に乗り、港の定期船に乗るか。どちらも円滑に移動できたとして二時間半は掛かる。
双方を繋ぐマサバ海峡大橋の建設計画、バンカラのリュウグウターミナル改装計画の2つが始まり、完成すれば大幅な時間短縮が見込めるが、それは早くても10後の話だ。
「……それじゃ、勉強して、中学卒業して、高校行って、ハイカラシティに行って……もう一度会ったら」
引き下がらず、逃げず、否定された事を怒らず、ただ真っ直ぐにイチヤはイッカンを見据える。
「俺とバンド組んでくれる?」
射貫くほどの真剣な眼差しをイッカンに向け、イチヤは問いかけた。
わざわざ体育館から抜け出してまで、頼みに来た。それだけでも音楽に対する情熱と、本気度が伺える。しかし一方で、パフォーマンスを見て夢見がちに言ったようにも見える。
「……考えてやる」
だからイッカンは了承せずに含みを持たせた。
「ほんとうに!?」
「考えるだけだ。組むとは言ってない」
「それでも良い! ありがとう!」
イチヤはそう言い切り、飛び上がる程に喜んだ。
「ちょ、ちょっとイッカンくん。私達は!?」
「は? おまえは自分とこのベース心配しろよ」
ボーカルは肩を落とした。
訳が分からずイッカンは鯛を見るが、なぜか彼は親指を立てて満足げにしている。
「俺、イッカンに認められるくらいのスッゲー曲作って、会いに行くよ!」
そうと決まればと、イチヤは駆け出した。
「またね! イッカン!」
出入り口で振り返ったイチヤはそう言うと、教室を後にした。
嵐が過ぎ去り、室内は一気に静まり返る。
「イッカンは、あれでよかったの?」
「どうせ中坊の思い付きだろ」
ベースが仕舞われたケースを背負い、イッカンは携帯端末から時刻を確認した。
バスの時刻に間に合いそうだ。