その6「本当に来るとはな」
ヒト状態になれる14歳前後から親元を離れ、ひとり暮らしを始めるインクリングは珍しくない。大抵がキリの良い中学卒業後に一人暮らしを始める。都会へと上京するのもまた珍しくは無い。
「約束したから」
「あー……まぁ、うん……」
イッカンは、歯切れの悪いながら肯定をして、ブラックコーヒーを飲んだ。
忘れていた訳では無い。体育館から抜け出してまで、誘って来たのだから、嫌でも覚えている。
真剣だったのは理解している。しかし〈大きくなったら、消防士さんになる!〉と小さな子供が、一時の憧れと衝動で口走った様にも見えた。それをきっかけに志し、歩み出す者も勿論いるが、その時その時で変わる事は幾らでもある。
だから、また誘いに来るなんて、夢にも思わなかった。
「おまえ、いつハイカラシティに来たんだ?」
「今日の朝」
「は? 来て早々に、ずっと探してたのか?」
「当然!」
太陽はもう直ぐで、一番高い場所へ到着する頃合いだ。
「会えてよかった!」
「世界は狭いなぁ……」
屈託のない笑顔に対し、感心と呆れが混じり合う。
「高校はどうした?」
「ハイカラシティの通信制の学校に入学した」
「わざわざ通信選んだのか」
人口の多いハイカラシティとその近辺には、町立や私立の高校だけでなく高等専門校も存在する。その中には音楽の専門もあり、そこは最新の機材や設備が整っている。ただ闇雲に音楽を始めるよりも、知識と技術を培えるはずだ。
「通信のほうが、音楽が出来ると思ったから」
イチヤはそう言って、カフェオレを飲んだ。
通信制の高校に入学する人は、事情や適性など様々な理由を抱えている。働きながら高卒資格取得を目指す人、全日制の高校が合わなかった人、いじめなどの理由で転校してきた人など様々だ。中には、スポーツや芸能活動などで、学業以外に専念したい人が通信制を選ぶ人もいる。
「そこまでして、おまえはどんな音楽がやりたいんだ?」
「アイドルや民謡とはもっと別の、俺だけの音楽」
ころころと変わっていた無邪気な表情は一瞬で消えた。すっと空気が変わり、真剣な表情と射貫くほどの眼差しが、イッカンへと向けられた。
その豹変ぶりに驚き、彼は息を呑んだ。
「それをやるためにナワバリバトル頑張って、貯めた金でエレキギター買ったんだ」
「へぇ……すごいじゃん」
瞬きをした直後、元のイチヤと戻った。
今のは一体なんだったのか。そう思いつつも、イッカンは平静を装った。
「イッカンは、今何やってんの?」
「バイトしながら、音楽続けてる」
「大学行ったのに?」
「行ったからって、就職するとは限らないだろ」
「だったらなんで、俺には勉強しろって言ったわけ?」
「最低限は必要だろーが」
イッカンは目線を合わせずに言い、ブラックコーヒーを飲んだ。
「ふーん?」
どこか、何かを避けている様な。イチヤはそう思ったが、また逃げられるのが嫌なのでそれ以上は訊かなかった。
「それで、イッカンは俺の曲を聴いてくれるわけ?」
本題を切り出し、イチヤはイッカンを真っ直ぐに見続ける。
「そうだな……」
イッカンが目線を戻せば、先程とは違い、年相応の少年と青年の間に立つイチヤがいる。
「なんかの縁だ。おまえの作った曲、聴いてやる」
底知れないものを一瞬垣間見た。それが何なのか知るためにも、聴く価値があるとイッカンは思った。
「よっしゃ!!!」
ベンチから飛ぶように立ち上がり、イチヤはガッツポーズをする。
「ただし、納得が出来るものでなければ、俺はおまえのバンドに入らない」
「わかってる!自慢の曲、聴いてよ!」
「ま、待て! コンビニの前で演奏しようとするな!」
早速ギターケースを開けようとしたイチヤを止め、イッカンは慌てて止めた。
「えー? 路上ライブとかやってんじゃん」
「ああいうのは、許可取ってんだよ! 出来る場所知ってるから、移動するぞ」
缶の中身を飲み干し、コンビニ前のリサイクルのゴミ箱へと入れた2人は、場所を変える。