相対性理論は時間を全て解決するか?「相対性理論、て、あるでしょ」
「ん? うん」
危なかった。完全に気が抜けて窓の外を流れる雲を見て呆けていた。
聡実くんは時折、前後の文脈なんてまるで無視して、話が変わる枕詞なんかも完全に無視して、会話をはじめるきらいがある。たまに上手に受け身がとれず拾い損ねてしまうこともあったけれど、今回はすんでのところで間に合った。
うまくいかなかった時にはもちろん謝るが、その度に聡実くんはどうしてちゃんと聞いていないのかと言わんばかりにじっと恨めしそうな目でこちらを見つめる。
自分の話は全て聞いているのが当然とでも言いたげなその反応は、可愛い。しかし同時にそれは驕りと甘えの現れ以外の何物でもないことに、聡実くんは気がついているだろうか。いや、気がついているはずがない。そうなるまで聡実くんへの対応を、気づかれずに積み重ねてきた自負がある。
「時間は伸び縮みするとかいうやつやろ」
そう。時間とは、誰にとっても平等で絶対的なものなどでは決してない。およそ百年前にはとっくに暴かれた宇宙の真理だ。しかしまた、本当に唐突で無遠慮に、聡実くんは真理について口を開く。
「狂児さん、お金あるんやからロケット乗って、どっか行ったらええんちゃうかな」
「ええ?」
今度は受け身失敗のパターンだった。時たま聡実くんとの会話の中では、しっかり聞いていたとしても上手に受け身を取れない時がある。どういうこと? もう来んなってこと? 顔も見たくないとか? 様々なネガティブな可能性を計算式のように割り出してもそれを解として提示する勇気はさすがに待ち合わせていない。
知らんうちになんかやらかして怒らせたかな。恐る恐る、聡実くんの顔色を伺うけれどそこにはいつも通りの彼がいるだけだった。
そうしてこちらを見つめるでもなく、どこか遠くの宙を見るような焦点の目をしているとき、聡実くんの頭の中には言葉が溢れていることを知っている。星と星とを結ぶように、言葉と言葉を繋いで形を見出す。ただ静かに、確かなものになるまでじっと待っていた。
「高速移動するロケットの中におったら、時間の進みは遅くなるでしょ」
「あー……?」
「だから地球の25年分、時間稼ぎできるんちゃうかな」
25年。聡実くんと自分との間に横たわる時間。同じ重力下であっては縮めることができない絶対的な差だった。
「狂児さんが時間稼ぎして帰ってきたら、僕もいい感じのおじさんになってて、そしたら大体おんなじくらいのタイミングに死ねるやろ」
聡実くんの中で導き出されたひとつの願いは、なんといじらしく切ないものだろう。宙を見ていたはずの瞳はいつのまにか、一点に定められこちらを見つめている。瞳孔に集められた光が凝縮して、真っ黒なこちら側を焼き尽くす勢いで心臓が締め付けられる。
過ぎてしまった昔のことには諦めがついている。過去は変えられない。それもまたこの宇宙の真理のひとつだ。もしもを考えたことがないわけではなかった。もしも25年まではなくとも、数年ほどだったら。聡実くんの願いは叶えられるだろうか。
向かい合う聡実くんの手を取ると、柔らかで薄い皮膚はいつもより少し冷たかった。せめてここでは時間も距離も無くしてしまえればいい。突拍子もない話の裏に潜む、聡実くんも気づいていない可能性を暴きたくなる。
「でも聡実くん、俺がロケット乗ってる間は25年間、一人で待たなあかんねんで」
リスクとリターン、天秤にかけられるのはいつだってその二つだった。25年間を一人で。少しわざとらしいまでに強調したリスクについて、ム、と聡実くんは唇を食む。
「待てます。帰ってくるって約束するなら」
悩む間もなく返された答えに驚いて、ぱちくりと瞬きを返すことしかできなかった。嬉しいな。こんな嬉しいこと言ってもらってええんかな。本当はもう待たせたくなんてなかったはずなのに、こんなに嬉しいことを言われてしまっては、その決意も揺らぎそうになる。
聡実くんから提示された答えに対して、今度はこちらがリスクとリターンどちらをとるか答える番だ。聡実くんはじっと静かに見つめて待っている。揺らいだ、とは言え、ぐらついたのは一瞬で、やはり改めて考えても結論は変わらない。
「やっぱずっと地球おったらあかん?」
「……方向性と価値観の相違や」
「コンビ解消はなしやで〜」
きっと自分の方が離れ難いと思ってしまった。25年を縮めにどこかへ行くよりも、聡実くんの側にいたい。今繋いでいるこの手ですらも離したくなくて、指先に少しだけ力を込めてみた。
「でも嬉しい。待っててくれるのも、一緒に死にたいて思ってくれるのも」
「一緒に死にたいは語弊があるわ。なんか重くないですか」
似たようなもんやろ、と返事をすれば、全然ちゃう、と不機嫌な顔をして目をそらされてしまった。それでも手は振り払わないで、大人しくつかまったままでいてくれているのは、ご機嫌取りの腕の見せどころである。
握っていた聡実くんの両手のひらを開いて、自分の頬まで持っていき包みこむようにしてみせる。いつのまにか、冷めていた手のひらはいつもの聡実くんの温度に戻っていて、今度はこちらに熱を分け与えてくれる。
「ま、俺ら遠くても大阪と東京やって」
「……せやな。それはできてたもんな」
「ゔ」
うん。そう呟こうとした瞬間、聡実くんの手によって実に思い切り良く両側から頬を押しつぶされた。やりおった。渾身の変顔を見た聡実くんは肩を震わせて静かに笑う。価値観の相違はこれでチャラにしますと言われてしまえば、許す以外の選択肢はない。