🛀🦚レイチュリ/神性工場「『幸せな子どもたち計画』……だって?」
「……えぇ、そうよ。上層部は迫りくる神々の戦いに備え、坊やのような幸運を持つ子供たちを作り出し、兵士として戦場に送り込むつもりなの」
目の前にいる女性から事実上の死刑宣告をされ、ティーカップの縁をなぞる男──アベンチュリンの指が、ゆっくりと止まった。
エイジハゾ・アベンチュリン事件の首謀者だったアベンチュリンは、自身の幸運による運命の悪戯で生かされていることを誰よりも知っていた。だがそれも──今日で終わりのようだ。
神性工場
ティーカップから立ち上る湯気が空気に触れ、ゆっくりとほどけていく。辺りは湯気の消える音さえも聞こえそうなほど、静かだった。
アベンチュリンが訪れた高級幹部のみ与えられる執務室は、洗練されたアンティーク調の黒い執務机。シンプルな観葉植物。深い海の底のような、紫色の革張りのソファ。そして壁面一杯に設えられた本棚には、手入れの行き届いた帳簿が静かに佇んでいた。そこに彼女が好んで使うホワイトムスクの香水と、机に広げられた紙の香りが仄かに全体を包み込んでいた。まるで、部屋そのものがひとつの契約書のように。
それがスターピースカンパニー戦略投資部に所属し、高級幹部にして十の石心。アベンチュリンの同僚であり、先輩でもある蛇のような女性──ジェイドの執務室である。
そんな執務室も今日は、淡く紫がかった紺色のカーテンの隙間から差し込む光が鈍いせいだろうか。どこかくすんで見える。そのせいだろうか。照明がついているはずのにどこか薄暗い室内は、痛ましげな面持ちを漂わせていた。
どんな人間であれ、死刑宣告をする前は、誰だって気分が沈むのも当然といえば当然なのだが。
それはそうとして、この計画を立案した人間たちは何を考えているのだろうか。絶滅危惧種であるアベンチュリンから幸運さえも奪い取り、ゆくゆくはグラモス鉄騎のような兵士を作るつもりでいるのだ。
正直、突拍子もなさすぎて、まるで実感がない。だがスターピースカンパニーという組織は、利益を毟り取ることにかけては天才的だった。そんな企業がやると決めたのだ。意地でも成し遂げるつもりなのだろう。
しかし疑問も残る。実際、できるものなのだろうか、と。そもそもエヴィキン人が信仰しているマザーフェンゴは、星神ではない。いわゆる土着信仰の神だった。それを権限貸与のごとく、切ったり貼ったりできるものなのだろうか。宇宙にはツガンニヤのような土着信仰地域が少ないこともあり、誰も検証したことがないのだ。それをさも当たり前のように軍事転用できると考えているあたり、正気の沙汰とは思えない。それがアベンチュリンの抱いた正直な感想だった。
人間を使い捨てのアイテムか、素材程度にしか考えていないのだろうか。人間の薄汚くて、度し難い部分に触れてしまい、酷く気持ちが悪い。しかし、このまま業務内容を知らないままでいるのは、もっと怖かった。
仕方がなくアベンチュリンが「僕に種馬になれ、ってことかい?」などと軽口を叩きつつ訊ねた瞬間、はたと気づいた。
ジェイドという人間は、自前で孤児院を運営するほど子どもに重きを置く女性だ。はたしてそんな人物が、わざわざ危険に晒す真似をするだろうか。いや、そんなはずがない。
きっとあるのだ、この実験には。──何かが。
当面の方向性が決まったアベンチュリンは、早速脳内で手札とチップを確認する。交渉の基本は、恐怖と利益だ。
ジェイドの恐怖が子どもたち関連だとすれば、「もし……、孤児院の子たちがこの計画のことを知ったら……どう思うだろうね?」などといって、良心の呵責に訴えるという方法がある。しかし、既に彼女が何らかの圧を受けているとなれば、悪手でしかないだろう。
ならば、取れる手段は一つしかない。
「ねぇジェイド、」
「あら、なにかしら?」
「……さっき思い出したんだけど……。実は、エヴィキン人にだけ伝わる幸運の秘密があるんだ」
そうアベンチュリンが口にした瞬間、ジェイドの瞳が大きく見開かれた。まるでいつの日か見た、何をするつもりなのかと心配する姉のように。
「そうなの? 一体どういう話か、私にも聞かせてくれるかしら?」
「それはさすがにダメだよ。これは、僕の大事なカードなんだ。そう簡単には見せられないよ。……でもそうだなぁ、ダイヤモンド。……そう彼になら、幸運の秘密を教えてもかまわない」
あぁ、言ってしまった。いつの間にか背中に隠していた左手が悴んで、酷くこわばる。勝算があろうがなかろうが、怖いものは怖い。なにしろ、これは完全なるハッタリなのだ。バレれば、今度こそ確実に首が飛ぶ。もちろん物理的に。それはジェイドも知っているところだろう。しかしジェイドの脳裏では、きっと万が一が捨てられずに困っているだろう。当然である。何せ、この世でその詳細を知る人物は、目の前にいるハッタリをかました張本人のみ。蟲の王「タイズルス」の遺骸とはわけが違う。もうそうなってしまえば、誰にも確かめようがないのだ。
「……ダイヤモンドなら、ちょうど先ほど『幸せな子どもたち計画』の取締役会に出かけたわよ」
己をチップに換えるだけでジェイドも、これから犠牲になるであろう命が救えるのなら、安いものだと思っていた。が、どうやら不発だったようだ。ただ悪い話ばかりではなかった。我らが戦略投資部のトップ──ダイヤモンドも、この悍ましいプロジェクトに参加しているというのだ。しかもジェイドは「出かけた」と表現していた。もしカンパニーで完結する話であれば、おそらく「向かった」という言葉を使ったはずだ。となれば、外部と合同プロジェクトということになる。思っていたよりも、ずっとずっと規模が大きいようだ。
状況を好転させるには、とにかく情報が欲しい。そう思いアベンチュリンは、ぬるくなった紅茶に口をつけながらジェイドを盗み見た。するとわずかだが、意味ありげに目を逸らしたのだ。何かあるのかと視線を追いかければ、部屋の片隅にいた観葉植物がこちらを見ていた。
そこでアベンチュリンは、ハッとする。どうして今まで気がつかなかったのだろう。
ジェイドの執務室は、机も椅子も本棚も、アベンチュリンが座っている革のソファさえも全て特注品。そこに観葉植物を置くとすれば、当然植木鉢からなにからなにまで特注になるはずだ。だがどうだろう。件の観葉植物だけはあっさりとしており、妙に浮いていたのだ。まるで違和感に気がついてくれ、といわんばかりに。
おそらくあの観葉植物には、監視カメラないし盗聴器のようなものが仕込まれているのだろう。つまりジェイドは、上からの脅迫により身動きが取れない、ということだ。
この場合、だいたいら孤児院の子たちを人質に取られているものだが、そこまで特定するのは難しかった。どちらにせよ、ジェイドが敵に差し押さえられているのは、間違いなさそうだった。
とりあえずアベンチュリンは、瞬きでジェイドに「把握した」と合図を送ることにした。すると少し落ち着いたのか、ジェイドの肩から力が抜けたように見えた。やはり正解だったようだ。
この様子だと博学な友人であるベリタス・レイシオ。自身の同僚であるトパーズなども、すでに陥落している可能性があった。危険な芽は早めに摘んでおくのが常套手段ではある。だが、いざ仕掛けられる側になると、やりにくいことこの上ない。
ただ盤面としては、序盤よりだいぶ持ち直していた。ポーカーでいう、チェックをしていられる余裕がある、ということだ。流れが変わる瞬間まで様子を見ていられるというのは、大きなアドバンテージなのである。
しかし、あと一枚。あと一枚なのだ。もう一枚チップがあれば勝機が見えるというのに、何がチップとなり得るのか、アベンチュリンにはさっぱり検討もつかなかった。
こんな時、博学な友人であれば、どんな答えを出すだろうか。まるで語りかけるようにアベンチュリンが目を伏せた──その瞬間だった。窓は閉め切られているはずなのに、アベンチュリンの髪が風で揺れたのだ。慌てて振り向くと、青白い炎から、紺色の髪をした男が現れるところだった。
「レイシオ!?」
うわさをすれば何とやら。サンダルをつかつかと鳴らし、レイシオはアベンチュリンの背後に立った。その剣幕たるや凄まじく、見るからに激怒していることが分かる。
「ジェイド、『幸せな子どもたち計画』とやらは本当なのか?」
「あら、情報が早いわね」
背中越しなのでわからないが、レイシオが背もたれを強く握り込んでいるのだろう。革製のソファがギチギチと音を立て、苦しそうに鳴いている。
「……ハァ。どういうつもりか分からんが、ここにいるギャンブラーから孔雀の羽を毟り取ってみろ。骨すら残らんぞ」
言い方こそ辛辣だが、なぜだろうか。まるでアベンチュリンの身を案じたような口振りだった。
──怪しい。実に怪しい。なんのメリットもなしに、ただの話し相手に手を貸したりするだろうか。実験をやるにしても、もう少し利益を搾り取ってからの方が良いのではないか、という手土産まで引っ提げて。順当に考えれば、まずないのだ。
アベンチュリンがエイジハゾ・アベンチュリン事件で出した損害額は、天文学的な数字になっていた。しかもそれを帳消しにするには、まだまだ時間がかかりそうな額が残っている。そこで万が一実験が失敗し、アベンチュリンが使い物にならなくなればどうだろう。その損失分を負担するのは、スターピースカンパニーなのだ。これではハイリスク・ハイリターンを信条とするアベンチュリンでも、先送りにしてしまうだろう。
そう、あまりにも都合が良すぎるのだ。まるで台本でも用意してきたかのように隙がないのが、あまりにも怖い。
一般的に考えられるのは、プロジェクトを成功させるための「素材の保護」。これは幸運を発現させる因子──幸運因子──が貸与だった場合、親機となるアベンチュリンが死んでしまっては元も子もないというものだ。
次に友好的に接することで、アベンチュリンから情報を引き出そうとする方法である。こちらは全宇宙初公開の情報に対応できればの話だが、まずもって難しいだろう。
ならジェイドに対する監査のためにきた、という線も十分考えられた。こちらは盗聴されてるのを聞いてというより、どこまで忠誠心があるのかを調べにきたと考えれば、なくはない話だった。
「……教授、盛り上がってるところ悪いんだけれど……。君は、今回のプロジェクトとは無関係でいられるんだ。ならこれ以上、首を突っ込まない方がいいんじゃないかい?」
別に裏切るのはかまわない。だが、ナンセンスなものまで許した覚えはない。そう思って口にした瞬間、レイシオが今にも人を殺しそうな形相でアベンチュリンを睨んだ。当然だろう。邪魔したのだから。
レイシオにも何か事情があるのはわかる。だからといって、アベンチュリンも引くわけにいかない。
「……なら、無関係でなければ良いんだろう?」
しばし間があったのち、レイシオがポツリとこぼした。
「クローンではない以上、他の遺伝子が欲しいのではないか?」
そのあとも、誰かが相槌を打つ隙も与えず、持論を展開していく。
「えぇ、そうね」
「ならば、僕の体細胞を使うといい」
まさかジェイドが乗り気だとは。思わぬ展開に、アベンチュリンは耳を疑った。話が終わる前に慌てて「教授!?……それは冗談がすぎるんじゃないかい!? なぁ、ジェイドも言ってくれよ、あんまりじゃないかって」と口を挟むが、ジェイドに「検査をして、条件を満たしていれば問題ないわ」と言われてしまい、アベンチュリンはなす術がなかった。
そうこうしているうちに、話がついたと判断したのだろう。レイシオが「ふん」というや否や、さっさと退出してしまっていた。それをアベンチュリンは、茫然自失のまま見送るほかなかった。