さよならだけならいくらでも 4 夢を見る。
夢は大抵いつも同じ。
僕はひとり迷子のように何もない空間を歩き続けている。どこまで行ってもただ無の空間が広がるだけのその場所に『僕』といくつもの『声』がいる。
声はやさしく僕の名前を呼ぶ。遠くから。それは懐かしい誰か、一瞬交わっただけの誰か、いずれにせよ今はもういない誰かの声をしている。
『カカワーシャ、カカワーシャ』
『祝福の子』
『地母神の祝福を受けた子』
呼ぶ声は少しずつ近付いてきているのに僕はその主を探し出すことができない。そうしてすぐ背後まで迫ってきた声は耳元で囁くのだ。
『どうしてお前だけが生きているの』
『お前が殺した』
『お前の幸運が』
『殺した』『殺した』『殺した』
幾つもの声が僕を責める。
「やめろ、」
僕は振り返る。さっきまで何もなかった空間に無数の屍が山のように重なって、深淵のように光を宿さない幾つもの瞳が僕を見る。
そしてその中のひとつが僕に問う。
『ねぇ、次は誰を殺すんだい?』
は、と目を覚ます。
心臓がばくばくと煩い。薄ら冷えた背中を汗が伝う。
そこは数日ぶりに帰宅した自室のソファの上。
疲れは然程残っていないような気がしていたけれど、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
瞼を閉じてゆっくり息を吸って吐き出す。
それを数回繰り返すうちに夢のせいで煩くなっていた心臓も少しずつおとなしくなっていく。
夢見が悪いのも眠りが浅いのも何回繰り返したとして慣れるものではない。
こんなとき、ひどく孤独だ、と思う。
ひとりであることこそ今に始まったことではない。もうずっと、むしろそうでなかったことなんてないのに。これから先そうでなくなることもないのに。
だって僕の幸運は僕をひとりにする。
「―――― ……」
今朝の教授の顔が頭を過る。
言葉に詰まった僕を見てどうして、って顔してたな。
意味が解らない。理解できない。急に言葉が通じなくなってしまったみたいな、そんな顔。
そりゃあそうか。あのベリタス・レイシオに好意を寄せられて頷かない人間なんて銀河中を探しても見つけ出すことの方が難しいだろう。
あのあと研究室から呼び出しの電話が鳴って話は途切れたけれど。
「好き、か」
教授が、僕のことを?
それがどんな種類のものであるか、確かめる必要なんてないような目で。
「…………」
ピノコニーで、って言ってたな。
上着のポケットを探る。ピノコニーで教授から渡された処方箋の入った小瓶はお守りのようにいつでもそこに忍ばせてある。美しい梟の装飾が施されたそれ。
自身の気持ちに気付いたという彼は一体どんな気持ちでこれを自分に渡していたのだろう。
ピノコニーから帰ってからその後の任務内容にやたら過保護気味で口煩くなったのもそういうことなのだろう。セックスのときはひどく優しいのも。
僕には到底推し測りきることのできないもの。
同じものを同じように返せたらきっとよかったんだろうけど。
ごめんね、たぶんそれはできないんだ。
処方箋をぎゅ、と握り締める。
教授のことは僕も好きだけど。
そりゃあ最初はなんでこんな奴と、って何度も思ったよ。
けど今は表に見える聡明さだけじゃなくて、口は悪いけど愛情深くて優しいことも不器用な面があることも知っている。そういうの全部ひっくるめて好きだけど。
でも、だからこそ、
「!」
いつの間にかソファの下に集まってきていた創造物達が久方ぶりの主人の帰宅に構ってほしいのか、はたまた浮かない顔をした主人を心配してか群がってみうみうと鳴いている。
「おいで」
一体ずつ抱きあげてソファの上に乗せてやる。嬉しそうに自分の膝の上に乗ったり隣で寄り添うようにくつろいだりし始めた創造物達を眺めながらそれにいとおしさを感じる。
「君達がいるから僕はひとりじゃなかったね」
創造物の狭いおでこを順番に撫でてやる。
「あべんちゅりん、ひとりぼっちじゃない」
「ぼくたちずっとあべんちゅりんといっしょ」
「いっしょ!」
「うん、ずっと一緒だ」
わーい! と三匹は嬉しそうにソファの上を跳ね回る。
可愛らしい、僕の家族。
きっとずっとこんな毎日が死ぬまで続くのだろう。
何もかもを失くして地獄のような日々を余儀なくされたあの頃には想像もできないような穏やかな時間で。これ以上なんて何を望むことがあるだろう。
それでいい。それがいい。
何も変わらずに、全てがそこに在り続けてくれるのならそれで。
◆
「こういうことをしようとするということは、君は僕の好意を受け入れた、そういうことで間違いないか?」
いつものように次の任務についての話をしに教授の家に立ち寄って、そのままソファに並んで座って他愛もない会話をして、そのうちに距離が近くなって。
あわよくばこの間の朝の出来事はなかったことにして、そのまま変わらずにいられたら、という僕の淡い期待は教授のそのひと言に打ち砕かれる。
「えーと……」
じ、と僕に向けられた目はあの朝と同じで、今度こそ逃げることはできないのだと思い知らされる。
「君の言う君の好意っていうのは僕と恋人になりたいってことで合ってる?」
「まぁ認識としてはそういうことになるな」
「それって今のままじゃだめなの?」
「……と、いうと?」
「君は僕に好意を持っている、仕事の延長線上とはいえプライベートで連絡も取り合うしこうして度々会ってもいる、キスやセックスもする。君が望むならどこかに出掛けたりしたっていい。でもそれは今までだってしてたし、出来てたし、なら僕たちの間にあるものはこれまでもこれからも変わらない。違うかい?」
「だから恋人にはならないと?」
「だからというよりは必要ないよねってはなし」
こてん、と隣の肩に頭を乗せる。そのまま見つめられた状態で話をしていたら見せたくない奥の方まで見透かされてしまいそうで。
「僕は別に君のことを縛り付けてどうこうしたいとかないし、これまで通りじゃだめなのかな」
「どうだろうな」
「それとも君は僕のことを自分の所有物のひとつみたいにしたい?」
「そういうわけではない……が、ギャンブラー、君はひとつ一番大事なことを忘れている」
「ん、何だい?」
「確かに僕たちは既に何度も体の関係を持っているし、僕は君に好意を抱いている。それは間違いない。けれど君が今挙げた中に重要なものがひとつ欠けている。君からの好意だ」
「そ、れは……」
「君が僕への好意から僕と体の関係を持とうとしたわけじゃないことは僕も解っているし、それに乗ることを選んだのも僕だ。だからそれについてとやかく言う気はない。けど自分の気持ちを自覚した今、これまでと同じを続けるつもりもない」
肩に預けた頭に教授の頭が傾けられる。
「最初はそうでなくても僕と同じ気持ちを少なからず君も抱いてくれているかと思ったが自惚れだっただろうか」
「僕は……」
言い掛けて、詰まる。教授はじっと僕が何かを口にするのを急かすことなく待っている。
「僕も君のことは好きだよ。でもそもそも金や暴力で言いなりにするか利害関係の上に成り立つもの以外を僕は知らないんだ。だからそのどれでもない君からの好意をどうしたらいいのかが僕にはわからない」
「そうか」
呟くように口にしたあとで、教授はそれ以上何か答えを得ようとはしなかった。
「変わりたくないんだ、君と」
ずっと一緒にいたいから、とは言わなかった。
君を特別な何かにしたあとで君を失くすのが怖い、とは言えないから。
一緒にいる未来を描くことはあっても別れの瞬間についてなんてきっと想像もしないものだろう?