ともにパチリと、ごく自然に当たり前のように朝を迎えたかのように目を開けたアベンチュリンと目が合う。
夢から醒めたばかりの焦点の定まらない瞳が光を取り戻し、レイシオを見据えた。
衝動的に動いてしまいたくなる己を律し、伸ばしかけた腕を仕舞う。彼とはそのような関係ではない。
適切な言葉が出てこない。本来在るべき場所に帰った者に言う言葉をかけるべきか、眠りから目覚めた者のへ挨拶をすべきか。
医者としての言葉、友人としての言葉、そして……。
「レイシオ。僕と結婚してくれないか」
あまりにも突然の言葉に、脳内にあったものが全てが吹き飛んだ。
頭を抱えたくなるような常識はずれの物言いに、己自身が夢からまだ醒めていないのかと思わず頬をつねりたくなった。
開口一番に出る言葉がこれでどうする、と頭を駆け巡る至極真っ当な己でも嫌味だと分かる言葉の数々を跳ね除け出てきたのは、
「君は寝ぼけているのか?」
やはり嫌味だった。
「まだ少しふわふわするけど、君(現実)の前にいるよ」
珍しく真剣に、逸らされることのない真っ直ぐな極彩色の瞳が見つめている。
いつもの冗談ではないのだと、瞬きすら忘れた瞳がレイシオを離さない。
「ふむ。今から脳の精密検査を行うとしよう。僕の知らぬ間に頭部に衝撃があったようだ」
「僕はいたって正常だし、本気か冗談の区別くらいつく仲だろ?」
「……だから、検査をすると言っている」
アベンチュリンの言葉に揶揄いも嘘も何もない。本気でこのベリタス・レイシオに求婚をしているのだ。
「もう一度君に会えたら言うって決めていたんだ」
「愚鈍な人間が建てる死亡フラグと呼ばれる不確かなものと変わらないな」
「ふふ、そうかも。でも僕は、君と結婚しようって約束したわけじゃないしただ一方的に君にプロポーズしただけだよ、教授」
突然の申し込みにどんな人間でも驚くだろう。レイシオとて、一般的な精神を持ち合わせた人間だ。己でも呆れるくらいには狼狽えている。
憎からず、むしろ悔しいくらいに好ましいとさえ思っている人間に言われては、心拍数が上がるのは仕方がないことだろう。
「君はいったい、何を感じて何を見て僕と添い遂げたいと言うんだ」
「僕の未来(生)を願ってくれただろう?」
「患者にかける、せめてもの言葉だ」
「そこで、うん、だめだった。無性にレイシオに会いたくて声が聴きたくてなんていうか欲しくてたまらなくなった」
「……羞恥心というものがないのか、君」
「プロポーズしてる時点でもうかなぐり捨ててるかなぁ」
「捨てるな、バカ」
己が上司であったのなら今すぐ拾ってその口を閉じろと命令したいくらいだ。
――白状すると、アベンチュリンが帰還し落ち着いた頃に正式に交際を申し込むつもりでいた。お互いに有耶無耶にしていた友人とも言えるか分からない関係に終止符を打つには頃合いだろうと。
万が一にも断られることがあれば、柄にもなく口説くのもやぶさかではなかった。
それがどうしてこうなったのかと、速る心臓を押さえ最も苛烈だと言われる青い焔のような瞳を見つめ返すことしかできない。
「僕の生を願ってくれるのなら、未来永劫この生命が尽きるまで僕のそばにいてよ」
百点満点だ、アベンチュリン。
そして己はマイナス百点だ、愚鈍めが。
「僕は至って一般的な成人男性であり己の嫌いな愚鈍な人間であると理解している」
「レイシオ?」
「もう、僕の知らぬところで死に急ぐことも、その身を賭けることも許容できなくなる。もとより、許してはいないが」
生涯の伴侶になるというのならば、その身はもう自分だけのものではない。苦楽を共にし、尊重し合う。
彼の全てを否定するつもりはない。それがアベンチュリンであり、己が愛し美しいと思った人間だ。
「教授ってば僕のこと大好きじゃん?」
「とうの昔に君を愛しているが?」
「っ、っ、一大決心してプロポーズしたのに、逆にプロポーズを仕返された気分なんだけど!」
余裕綽々、泰然自若としていたアベンチュリンの顔がみるみると真っ赤に染まり悔しげに睨まれる。
先ほどまでの男らしさは今やどこにと、問いたいほどの可愛らしい姿に笑みが溢れそうになった。
「僕も、君に対して何も考えていないわけではなかったのだがな」
「ふはっ、悔しかったってことね」
「少し黙ったらどうだ」
彼と同じ目線になり、頬へと手を添える。
びくりと震える仕草に愛しさが込み上げ、掻き抱きたい衝動に駆られた。
「キスしにくいって?」
「分かっているならその口を閉じろ、ギャンブラー」
「はーい。ところで僕寝起きなんだけど、お医者様的には問題はないの?」
「はじめての口付けで舌を捩じ込まれたいのか、アベンチュリン」
照れ隠しの減らず口はもうたくさんだ。
「へ、んぅ」
見開かれた瞳を他所に唇を押し付けた。
はじめて触れた唇は柔らかく乾燥していた。