微睡みと看病 プッツリと切れていた意識がゆっくりと浮上してくる。窓から差し込んでくる光が眩しい。モゾモゾと動き、ベットサイドに置いてあるスマホを開くと、まだ九時すぎだった。まだ二度寝できるな、なんて。微睡みの中で、珍しくねぼすけさんな彼を優しく包み込む。まだ寝ているからか、いつもより温かくて落ち着く。むしろ暑いくらいだ。俺は丸っこくて、さらさらした髪に顔をうずめる。俺と同じシャンプーを使ってるはずなのに、俺とは違う甘いけど甘すぎない高級感のある玲王の香りが鼻腔を抜ける。うん、玲王吸い最高、なんて考えながら朝の穏やかなひとときを楽しんだ。
しばらくすると、俺よりほんの少し小さい身体がモゾモゾと動き出した。
「玲王、おはよ。今日はねぼすけさんだね。」
「……ぉはよ。」
玲王が俺の腕を痛いとでも言うかのように、ぺちぺち叩いた。無意識にギューッと抱きしめてしまっていたようだ。
「今日、起きるの遅かったね。」
「……ぅん。」
「朝ごはん何にする?」
「……俺はいいや。」
「……?」
なんか、玲王が変だ。いつもなら七時には起きて、朝ご飯を作ってくれて、洗濯物を干してから俺を起こしに来てくれるのに。今日は九時をすぎても、一緒に眠りこけたままだった。たまたま疲れてたのかなって思ってたけど…… それに、なんか反応は鈍いし、顔も赤い……?
「玲王、もしかして身体しんどかったりする?」
玲王は気まずそうに顔を顰めたあと、しぶしぶと頷いた。これは一大事だ。転がり落ちるようにベッドから降りて、急いでしまってあった体温計を取り出してベッドに戻る。
「玲王、とりあえず熱計って。」
「……やだ。」
「だめ、計って。」
「……べつに平気だから。」
「玲王の平気はだいたい平気じゃないからね。一分で計り終わるから、ほら早く挟んで?」
玲王は不満げな顔で体温計を受け取ると、首元の緩いTシャツの隙間から体温計を入れて、左脇に挟んだ。寝てたり、サッカーしたりしている時の一分はすぐに過ぎ去るのに、こういう時の一分は無限だと錯覚してしまう。普段は気にならないはずの時計の秒針の音が、やけに部屋に響く。俺も玲王も無言で、少し気まずい雰囲気が漂っていた。
ピピピッ
「玲王、体温計見せて?」
玲王は無言で俺に体温計を押し付けた。まぁ、玲王も平気って言ってたし、市販薬でどうにかなるだろうなんて、軽い気持ちで液晶を確認した俺はあまりにもマヌケだったかもしれない。
「……は? 三十九度?」
思わず二度見をしてしまった。見間違えではないだろうか。目をゴシゴシと擦って、もう一度液晶を見るが、はっきりと三十九度と示されている。いや、季節の変わり目のちょっとした風邪とかじゃないじゃん。ガチの体調不良じゃん。玲王は何をもって、平気だと述べたのだろうか。玲王は俺のことをめんどくさ赤ちゃんなんて呼ぶことがあるが、玲王も大概ではないだろうか。
「玲王、とりあえず、ばあやさんに連絡してお医者さん呼ぼっか。」
「……頼んだ。」
やはり、熱があることを自覚すると途端に体調が悪くなるのか、さっきまで起き上がっていた玲王もぱたりとベッドに寝転んでしまった。辛そうにふぅふぅと熱い息を吐いている。寒くならないように布団をきっちりかけてやって、
「すぐ戻るから。」
なんて、柄にもないことを言ってリビングに向かった。
*
数ヶ月ぶりにばあやさんに連絡を取ると (最後に連絡したのは、玲王の誕生日プレゼントを考えている時だった) 、すぐにお医者さんを呼んでくれるそうだった。わざわざ病院に行かなくても、家に腕のいいお医者さんが来てくれるなんて、御影コーポレーション御曹司パワーは健在である。……いや、玲王も俺もサッカー選手として大成し、今も『なぎれお』の名称で親しまれていることから、もはや御曹司パワーなのではなく、御影玲王パワーなのかもしれない。そんなことを思いながら、冷えピタとタオルを持って急いで寝室へ戻った。
寝室の扉を開けると、驚いたことにベッドで寝ていたはずの玲王は床にペしゃりと座り込んでいた。零れ落ちてしまいそうなほど大きく澄んだ紫色の瞳からはとめどなく涙が溢れている。
「玲王! どうしたの? 痛いところある?」
「……ぅう、ひっく、ふぅッ」
そばに駆け寄って、頭を撫でてやっても涙を流すばかりで答えが返ってくることは無い。
「玲王〜、もっと辛くなっちゃうから、一回ベッド戻ろう? ね?」
「……だ、なぎといっしょ、なぎといっしょがいいっ、ひっく、」
そういうと、俺の服をぎゅっと掴み、胸板に頭をぐりぐりと押し付けている。……玲王は体調を崩すと寂しがり屋になるらしい。
「大丈夫、どこにも行かないから。」
優しく背中をぽんぽんと叩き、揺らさないように抱っこしてベッドに運んだ。
「……ぐすっ、」
さて、持ってきた冷えピタを貼りたいのだが、くっつき虫になってしまったお兄さんが全く頭をあげてくれない。どうしたものか。
「玲王〜、冷えピタ貼りたいから、一瞬離れてもらってもいいかな?」
「っ!」
「〜……」
いやいや期の子供みたいだな、なんて呑気なことが頭によぎった。幼児退行した玲王は正直めちゃくちゃに可愛いが、可愛さにかまけて適切な処置を行わなかったら、玲王がもっと体調を崩してしまう。それは俺も心苦しい。だから、なんとしてでも玲王が元気になるまで『看病』というミッションをクリアしなければならない。クリアしたらきっと玲王からのよしよしや熱烈なちゅーが報酬として貰えるだろう。やったね。
「玲王? 俺、そろそろ声だけじゃなくて顔も見たいな。玲王のかっこいい顔見せて?」
「っ……ぐすっ、」
玲王はゆっくりと顔をあげて、涙を浮かべた目でこちらを見つめた。……うぉ、破壊力すご。熱が高いせいでいつもより上気している頬、いつもより色が薄くて乾燥している唇、大きな紫色の目はうるうると朧気に揺れている。こんなの、普通の人が食らったら卒倒するに決まってる。
「ありがとう、冷えピタ貼るね。」
玲王のおでこにかかった前髪を軽く持ち上げて、慎重に冷えピタを貼った。玲王は冷えピタの冷たさにびっくりしたのか、ふるりと身体を震わせ、きゅっと目を瞑った。その拍子に瞳から一粒の涙が零れた。大丈夫だよ、と言うように優しく頭を撫でてやると、心做しか表情が少し和らいだ気がした。
さてベッドに寝かせるか、と玲王の肩に手を置いたその刹那、
ピンポーン
来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。おそらく、ばあやさんが呼んでくれたお医者さんだろう。早くオートロックを解除して、玲王を見てもらわないと。そう思って、ベッドから立ち上がろうとするも、玲王が服の裾をちょんと摘んでいるため動くに動けない。オートロックを解除しなければ、玲王をお医者さんに診せることができない、かと言って、玲王を置いてオートロックを開けに行ったら、玲王が悲しい思いをしてしまう。
「玲王〜……」
「……やだっ、どこにもいかないって言ったのに、ぐすっ、」
「〜……、そうだ、玲王、ちょっとだけ揺れるの我慢できる?」
玲王はこくこくと頷いた。
*
無事にお医者さんと対面することができた。でも、お医者さんはかなりびっくりしている様子だった。まぁ、そりゃそうだろう。玄関を開けたら、百九十センチメートルの大男が、百八十五センチメートルの大男を抱っこした状態なんだから。
「どうぞ。」
まぁ、普通の顔で対応するけど。羞恥とか特にないし、玲王が泣かないし、お医者さんにも診てもらえるし、これ以上ない解決法でしょ、ぶい。
『特に感染症の兆しはないですし、風邪をこじらせてしまったのではないかと思います。』
俺に引っ付いたままの玲王をあやしながら、必死に診察したお医者さんが、そう告げた。すごいな、風邪で三十九度までいくことあるんだ。そもそも、風邪なんてほとんど引かないからわかんないや。
『ですが、ただの風邪で三十九度まであるのは、なかなかないことですね…… 一応、お薬として解熱剤は出すつもりですが、今もかなりしんどいと思うので注射して、熱を下げましょう。』
注射、という単語を聞いた途端、玲王が大袈裟なくらいビクリとしたのが分かった。
「……玲王、注射頑張れそう?」
「っ、ひっ、やだぁ、」
玲王、もしかして注射嫌いなのかな。メディカルチェックとか予防接種で何回も注射されたことがあると思うけど、その度に一人で恐怖と戦っていたのだろうか。少しは俺を頼って欲しかったけど、玲王の注射嫌いを知れたのは少し嬉しい。玲王のことは全部知りたいし。
「玲王、俺いっぱいギューしてあげるから、一緒に頑張ろ?」
「……ちゅーは、してくれないの、?」
あっぶな、卒倒しそうになった。うるうるした瞳でこっちを見あげるの、本当に心臓に悪い。自分の可愛さを玲王はもっと自覚するべきだと思う。
「治ったら、いっぱいしよ?」
「……わかった、がんばる、」
そういうと、玲王はお医者さんの方に腕を差し出した。やっぱり恐怖は拭えないのか、身体は小刻みに震えているし、顔は俺の身体にピッタリと密着させている。少しでも恐怖が軽減されるように、ぎゅっと抱き締めて、頭を優しく撫でる。
『はい、チクッとしますよ。』
「……っ!」
『……はい、終わりです。頑張りましたね。』
「玲王、頑張ったね、えらい。」
そう言って、頭をぽんぽんしてやると、ほんの少しだけ玲王の表情が明るくなった気がした。
『解熱剤を出しておくので、1日3回まで、食後に1錠飲んでください。』
「ありがとうございました。」
「……ました。」
玲王もぺこりと挨拶をすると、お医者さんは解熱剤を置いて帰って行った。
*
ぐぅぎゅるるるるる
静かになった部屋に、俺のお腹の音が鳴り響いた。さすがに昨日の夜から何も食べてないからな…… 玲王も薬を飲まないといけないから、なにかご飯を食べさせないと。
「玲王、なんか食べたいものとかある?」
「……なぎの、」
「ん?」
「……なぎのごはんたべたい、」
なるほど、そうきたか。幸い、普段玲王が料理をするのでいくらでも食材はあるし、俺用のご飯は手を抜いて、ストックしてあるゼリー飲料で何とかなる。だがしかし、めんどくさがり屋、家事能力ゼロ、料理は玲王に任せっばなしの俺が到底、普段の玲王が作るようなおいしいものが作れるとは思えない。それどころか食べられるものが作れるかも怪しい。俺のご飯で玲王がもっと体調を崩してしまったらいけないし、今の玲王に「いや!」なんて拒絶されたら立ち直れないかもしれない。やっぱり、ドラッグストアとかでお粥を買ってきた方がいいと思う。うん、そうしよう。
「玲王、やっぱり……」
「……だめ?」
「う゛っ……」
玲王、そのうるうるした目は反則だよ。
*
さて、作るとは言ったものの、お粥はどうやって作ればいいのだろうか。というか、料理は何から始めたら良いのだろうか。とりあえず、いつも玲王がやっているように、エプロンをつけて、髪の毛を縛ってみた。さすがに俺用のエプロンは無いので、勝手に玲王のものを拝借した。若干、紐の部分が短くて結び辛かったのだが、そこに玲王との体格差を感じられてドキッとしてしまった。
まあ、分からないのなら調べれば良い。現代にはスマートフォンという便利なものがあるので、「お粥 作りかた」で検索をかけてみた。検索結果をぼんやりと眺める。お粥にも色んな種類があるんだな、なんて思いながら初心者でも簡単! と書かれているページを開いた。
とりあえず、ご飯を炊かなくてはいけないらしい。のそのそと炊飯器を開け、釜を取り出した。さすがにご飯の炊き方まではページに載っていなかったので、数年前、玲王に「米の炊き方くらい覚えろ!」と教えて貰った時の記憶を呼び起こした。
「えっと、まずはざるとボウルを用意して、ボウルに米を入れるっと。……いつもどのくらい炊いてたっけ、まぁ適当でいっか。」
玲王もいっぱい食べられた方がいいので、お米を計るカップ? で五杯分をボウルに突っ込んだ。ボウルから見える白濁した硬い粒は、おおよそ普段食べる白飯になるとは思えなかった。
「次は、あー、水入れてかき混ぜるんだっけ。」
適当に水道水をボウルに入れ、手でざぶざぶとかき混ぜた。いくら暑くなってきたとはいえ、真水はさすがに冷たい。手が固まって動かなくなりそうだ。急いでボウルの中身をざるに移した。勢いよくざるに移したからか、米粒が何粒か外に飛んでいってしまった。再びざるの中身をボウルに移して、同じように手で米を洗っていった。何回か繰り返すと、水の濁りが薄くなった。米はなぜか最初よりも減ってしまっていたが、まぁなんとかなるだろう。ざるの米を全て炊飯釜に移した。
「あとは、線に合わせて水を入れるっと。」
めんどくさい、めんどくさすぎる。線までピッタリ入れたいのに、ちゃぷちゃぷして見辛いし、何回やっても線を超えてしまう。これを毎日、玲王はやってるのか…… 玲王ってやっぱりすごい。何とか線に合わせ、炊飯を始めた。例によって機械は得意なので、スムーズにスイッチは押せたし、なんなら早炊で炊くことに成功した。ご飯が炊けるまで、少し時間がかかるので、少しだけ玲王の様子を見に行くことにした。
玲王は意外にも、気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。俺がいなくなって、ぐずぐず泣いているのかと思っていたので、少し拍子抜けてしまった。寝ている玲王に近づき、首元に手を添える。朝に比べたらだいぶ熱は下がっているようだった。やはり、注射の効果は偉大だ。起こさないように注意しながら、寝かしつけるようお腹の辺りをぽんぽんと叩いた。
(そういえば、玲王が俺を頼ってくれるの、サッカー以外で初めて……)
人は弱っている時ほど、本能で助けを求めてしまう生き物だ。玲王みたいになんでも出来て、みんなから慕われる人は普段の生活で人に甘えることがほとんどない。だから、特に弱っている時の甘えたい、助けて欲しいといった欲求の反動が大きい。とは言っても、信頼した人にしか弱ったところを見せないのもまた人間だ。玲王は幼少期の頃から大人たちに囲まれて、大人の示した理想の道を玲王なりに駆け抜けてきた。その分、心のどこかに孤独を抱えていて、信頼した人という存在が非常に少ない。おそらく、ばあやさんくらいだと思う。だから、自分が玲王が頼っても大丈夫な、信頼した人という存在になれたのは、玲王にとっても俺にとっても本当に大きい出来事である。まだ、世間的には仲の良いチームメイト、玲王からしても長く付き合っている恋人でしかない俺たちが、夫婦になる日も近いかもしれない。
めんどくさがり屋の俺が、必死に看病するのなんて玲王しかいないし、ガードがめちゃくちゃ固い子が必死に俺の事を頼ってくれてるんだから、期待には応えないとね。
*
炊飯器が軽快な音を奏でた。蓋を開けてみると、いつもより少しねっとりしているけど、美味しそうな白飯ができていた。思わずお腹がなってしまった。いつも使っている土鍋に、白飯をぽいぽい投入していく。入り切らないものは、ラップに包んで粗熱をとってから冷凍庫へ入れた。これは、玲王が飲み会に行く前に炊いてくれたご飯の残りを炊飯器に残しっぱなしにしてしまい、次の日の朝に「ご飯もったいねぇだろ!」と、玲王にブチ切れられた時に覚えたことである。あの時の玲王は、本当に怖かった。土鍋にポットのお湯を適当に入れ、そこにコンソメスープの素をひとつ入れた。IHのスイッチを入れ、焦げないようにお玉で混ぜ続けた。湯気がもくもくと立ってきたら、弱火にして白飯が柔らかくなるまで煮込んだ。
「えっと、あと、卵とネギと梅干しがいるんだっけ。」
冷蔵庫から卵、小ネギ、梅干しを取り出した。卵はボウルに割り入れて、よくかき混ぜた。力加減を間違えてしまい、殻が入ってしまったのでそれは丁寧に取り出した。小ネギは、キッチンバサミでいい感じに切った。うーん、忙しい。いつも練習終わりにも関わらず、これをやってくれる玲王に感謝しないと。
そんなことをしていると、白飯が柔らかくなってきた。ゆっくり卵をかき混ぜていたせいで、お粥が少しだけ焦げ付いてしまったが、そこは目をつぶって欲しい。少しだけ火を強めて、上から溶き卵を流し込んだ。くるくるとかき混ぜたら、玲王が食べられそうな分だけお椀に盛った。あとは、小ネギと玲王が取り寄せた高級梅干しを上にのせれば、
「……できた。」
料理初心者にしてはかなり上手くできたと思う。とろっとしたお粥の白色で具材の色鮮やかさが際立っていて、コンソメの穏やかな香りが食欲をそそる。これなら、玲王もおいしいと言ってくれるかもしれない。お盆にお椀とスプーンをのせ、水の入ったペットボトルを左手に持った。そして、ほんの少しの期待を胸に秘め、玲王のいる寝室に向かった。
寝室に入ると、玲王は赤い顔ですやすやと寝ていた。ゆるく開いた首元やおでこにはうっすらと汗が滲んでいる。情事なら間違いなく興奮する姿であるが、あいにく病人に手出しする趣味は持ち合わせていない。サイドテーブルにお盆と水を置き、玲王のおでこや首元をタオルで拭った。
「っ、んぅ?」
「あっ、ごめん玲王、起こした?」
「だいじょうぶ。……ねぇ、ごはんできた?」
「うん、お粥作ってみたから、食べれそうな分だけ食べて。」
目を軽く擦りながら、上半身を起こした玲王にお椀とスプーンを渡した。……しかし、
「……玲王?」
なぜか、玲王は受け取ってくれない。どうしよう、見た目がもうダメだったのかな、それとも香り? ちょっと焦げちゃったのが良くなかった? さっきまで抱えていた期待は何処へやら、不安な思いがグルグルと渦巻いて、心にズンっとのしかかる。お椀を持つ手が微かに震える。嫌われたかもしれない。今からでも、市販のお粥を買ってこよう。その方が、玲王と俺のためかもしれない。
「……ごめん、玲王。今からでも、」
「あーんはしてくれないの?」
「……へ?」
「なぎ、たべさせて?」
そういうと玲王は雛鳥が餌を待つように、口をカパッと開いた。……嫌だったわけじゃない、のか? とりあえず、BOSS命令に従わないと。震える手でお粥を少量掬った。玲王がやけどしないように、ふーふーと息を吹きかけてから、口元に運んでやった。玲王はそれをパクリと口の中に入れ、もぐもぐと咀嚼した。心臓がバクバクと音をたてる。こんなにも心臓が破裂しそうなのは、玲王に初めてチューをしたあの日以来かもしれない。玲王の白く隆起した喉仏がこくりと動いた。
「なぎ……」
俺もゴクリと生唾を飲んだ。玲王の言葉を聞きたい、けど聞きたくない。相反する思いの上で揺れ動く。どんなに脳内で言葉を発していても、口にしなければ伝わらない。けれども、震える俺の口からは浅い息が吐き出されるだけだった。玲王の口が音を発しようと開かれる。思わず、ぎゅっと目をつぶってしまった。
「よくできたな、えらいぞ。」
玲王の温かな手が俺の頭をふわりと撫でる。震えていたはずの口が無意識に開かれる。
「玲王、おいしい?」
「あぁ、すごくおいしい。ありがとうな、なぎ。」
そういうと、俺の手からお椀とスプーンをひったくりゆっくりとお粥を食べ始めた。あぁ、良かった。思わず、安堵のため息を吐く。緊張していた身体から力が抜け、布団にペしゃりと倒れ込む。
「なんだよ、なぎ、おつかれか?」
「料理頑張ったからね。玲王も体調大丈夫そう?」
「うーん、あさってにはなおるってかんじだな。」
「そっか。」
まだ熱があってぽやぽやした喋り方ではあるが、甘えんぼ玲王くんはもういなくなってしまったらしい。少し寂しいけど、本調子の玲王が一番好きなので、グッと我慢する。
玲王は普段の二倍の時間をかけて、お粥を完食した。丁寧に米粒ひとつも残さず食べてくれた。手料理を完食してくれた喜びで心がぽかぽかと温かい。お椀とスプーンを受け取り、キッチンに置きに行く。すぐに寝室に戻ると、玲王はもう薬も飲んでしまったらしく、ベッドに横たわっていた。
「なぎ、おかえり。」
玲王は俺を迎え入れるように、ベッドをポンポンと叩いた。
「おじゃましまーす。」
玲王の温もりの残るベッドに転がり込む。温もりに触れると、つい、ふわぁ、と大きな欠伸が出てしまった。大あくびを見た玲王はくすくすと笑っていた。
「なぎ、きょうはありがとうな。」
玲王のいつもより熱を持った手が、俺の手に絡まる。ささくれひとつない、すらっとした手はいつ見ても綺麗だ。
「……ん。」
なんとなく気恥ずかしくて、素っ気ない返事をしてしまった。玲王は、それを汲み取ったのか、汲み取っていないのか、よく分からないが熱で潤んでいるアメジストの瞳で俺を射抜いた。
「なんか、おまえがパートナーでほんとうによかったっておもったよ。」
「何それ、いつもは良くないの?」
「ふはっ、そんなわけないだろ、いつもいじょうにだ。」
「そっか。」
昔、玲王がお酒に酔った時に言っていたことがある。「凪が俺のために頑張ってくれるのが、一番嬉しいんだ。」って。玲王は覚えていないかもしれないけど、俺ははっきりと覚えてるよ。だから、玲王が辛そうにしてたら何とかしなきゃって思うのは当たり前でしょ。自分でも思うけど、俺は玲王以外には絶対にこんなことはしない。最低かもしれないけど、玲王が一番、これが俺の人生。うん、だから、まぁ、これからも玲王と一緒にいたいなって、そう思ったんだ。
にこにこと弧を描く形の良い唇に、触れるだけのキスをした。
「あっ、こら。かぜがうつるぞ。」
「大丈夫、俺が風邪ひいてるの見たことないでしょ。」
「それは……そうだな。」
「それに、風邪ひいても玲王がお世話してくれるでしょ?」
「ふははっ、それもそうだな。」
たわいもない話をゆっくりとキャッチボールする。ぎゅっと握った手は離さないまま。しばらくすると、会話に無言の時間が増えてきた。玲王も、ふあ、と欠伸をして眠そうにしている。俺も、疲れたし一緒に寝ちゃおうなんて、欠伸をしながら考えた。もぞもぞと体勢を変えていると、玲王がむにゃむにゃと口を動かしながら手をぎゅっと握った。どうしたんだ、なんて玲王を見ると、俺をとろんとした目で見つめながら
「なぎっ、だいすきだよ。」
なんて、爆弾を落として先に寝てしまった。
「それはずるいよ。」
俺だって、玲王のこと誰よりも愛してるし。まぁ、直接言うことはあんまりないけど。それから、気持ちよさそうに寝ている玲王を見つめて、
「愛してる。」
なんて、柄でもないことを言った。
さて、俺も寝るかなんて、目をつむろうとして、ふとやりたかったことを思い出した。危ない、危ない。とりあえず、玲王の柔らかいほっぺに指を突き刺して、起きていないことを確認した。しゅるり、とスウェットの紐を抜き取って、繋がれていないほうの玲王の薬指に巻き付ける。器用に片手で紐を結んでゆっくり抜き取れば、はい完成。何事も無かったかのように輪っかのできた紐をスウェットのポケットに隠した。
「玲王、これからも一緒にいようね。」
永遠の印を渡すその日を心待ちにしながら、凪誠士郎は眠りについた。