しあわせあかしさんち 年末年始は絶対に、カレンダー通りに休む。つまり九連休だ。何が何でも絶対にその通りに休んでやる。
その宣言通りに、赤司は頑張った。とにかくめちゃくちゃ頑張ったから、十二月は元々繁忙期で慌ただしいのもあり、帰宅時間はほぼ毎日のように日付を跨ぐか跨がないかの日が続いたのだ。年末も近付くと会食も増えてくる。ここ最近、ほとんど家で食事が出来ていない。
本当は、赤司の誕生日にも色々用意をしてくれていたらしい。「らしい」というのは、結局その日も帰宅が遅くなってしまって、余った食事は冷蔵庫の中に片付けられてしまっていたからだ。
その日も、黒子は起きて赤司の帰りを待っていてくれていた。眠たそうに「おかえりなさい」と言ってくれた黒子の様子と、片付けられたテーブルの隅に置かれたバースデーカードに胸がちくちくと痛む。開いたカードには、色鉛筆で鮮やかな色が描かれていた。
『おとうさん おたんじょうびおめでとう』と、少し拙い、それでも年齢にしては綺麗な字の下に、赤い色が大小二つと、水色が一つ。小さいほうの赤色と水色は普通のシャツを着ているのに対し、大きいほうの赤は黒っぽい色の服を着ていた。その色と、襟元に描かれている赤いネクタイのようなものからして、おそらくスーツを描きたかったのだろう。
「征君、絵上手ですよね。ボクよりじょうずです」
覗き込んだ黒子は、とろとろとした眠たそうな喋り方で、穏やかにそう言った。カードはとても嬉しいし、一生懸命描いてくれたことが伝わる反面、赤司は少しショックだった。
絵の中の黒子と息子は笑っている。なのに自分はずいぶんとしかめ面をしていた。小学校に上がったばかりの子どもの絵でも、はっきりとわかるくらいの表情の違いだ。おまけに自分だけスーツを着ている。仕事ばかりで、休日に息子と遊ぶことも出来ないから。いつも黒子に任せきりだった。最近はいつもに増して帰るのも遅くて、ちゃんと会話も出来ていない。見るのは寝顔ばかりだった。
「征十郎君がお仕事頑張ってるのは、征君にもちゃんと伝わってますよ」
赤司の様子を見て、何かを察したのか黒子はそう言って笑うけれど、赤司は自分が不甲斐なくて仕方なかった。仕事ばかりにかまけて家庭を省みない、これでは自分の父と同じではないか。もちろん仕事人として父を尊敬する気持ちはあるけれど、親として、父のような父親にはならない、仕事も家庭も、どちらも必ず大切にすると、そう決めていたはずなのに。結局、何も行動に移せていない自分が呆れを通り越して情けない。
「クリスマスは早く帰れるようにするから」
「無理しないで。今日のご飯は嫌じゃなければ明日のお弁当にでも詰めますよ」
「ああ、ぜひそうしてほしい」
そう言ったのに、クリスマスの日もいつもよりは少し早く帰れたくらいで、結局遅くなってしまった。食べかけのチキンと、ブロッコリーのかたまりがラップに掛かってテーブルの上に置いてある。
征君と一緒に作ったんです、と言って、手がつけられていないほうの皿が冷蔵庫の中から出てきた。ブロッコリーのかたまりは、どうやらクリスマスツリーを見立てたサラダのようだ。三角形に盛られたブロッコリーの隙間にプチトマトが詰められて、星型にくり抜かれたチーズがてっぺんに飾られている。
それから、一ピース分だけ残ったケーキも出てきた。クリームはところどころでこぼこになっていて、その上につやつやのいちごが乗っかっている。
「ケーキも、征君と一緒に作ったんです。と言っても、スポンジケーキ買ってきて、クリームと苺でデコレーションしただけなんですけど」
「そうか…」
「一番大きいいちごはおとうさんにって。ふふ、良かったですね、おとうさん」
いちご、最近高いんですからね、と言いながら黒子はテーブルを拭いている。夜もまあまあ遅い時間だ。普段ならこの時間はもう食べないけれど、たまになら、クリスマスくらい許されるだろうと思い、ケーキにフォークを入れた。
ふわふわのスポンジと、甘ったるい生クリーム。大粒のいちごは瑞々しくて甘酸っぱい。少し不恰好ではあるけれど、二人で作った、手作り感が感じられて温かい気持ちになれた。
出来ることなら、自分もその場にいたかった。一緒にいちごを並べたかったし、ケーキを作る二人の姿を写真におさめて、スマートフォンの待ち受けにしたかった。連日の忙しさに身体も心も疲れ果てて、いじけた子供みたいにケーキをつつく。
「征十郎君、しょぼくれていてはダメですよ。キミにはまだ大仕事が残っています」
「え…?何?」
「クリスマスイブの夜ですよ。キミがサンタさんにならないと」
ふっふっふ。と笑った黒子が、リビングの奥にある棚の上の方に手を伸ばす。取り出した赤いギフトバッグには、水色のきらきらとしたリボンが掛かっていた。このプレゼントを用意して、ここに隠しておいてくれていたのも黒子だ。
明日の朝も早い。せめて征が起きて、このプレゼントを開く瞬間を見届けることは出来るだろうか。
仕事納めまであと三日。あと三日なんとか踏ん張れば、ついに待望の九連休だ。普段は何だかんだで休みの日でも仕事の連絡が入ってくることが多いけれど、この休暇は、絶対に休む。家でゆっくりしても良いし、二人が望むならどこかへ遠出しても良い。三人でストバスしても良い。とにかく家族ファーストの休暇を過ごすのだ。たった九日で今までの不出来な父親の穴埋めが出来るとは思っていないけれど、せめて少しでも父親らしいことはしたい。それから、いつも何一つ文句言わずに家のことをやってくれている黒子を休ませてあげたい。そのためにあと三日だ。あと三日だけ頑張れば…。
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「征十郎君、生きてますか」
コンコン、と控えめなノックの後に、こそこそとボリュームを落とした声が聞こえた。落ち着いた優しい声は、ぼんやりする頭にやわらかく届いて、まるで天使が口ずさむ讃美歌のように聞こえる。それから見えた笑顔は、少し落とした照明も相まって、ステンドグラスに映る聖母のようだ…。
「何を馬鹿なこと言ってるんですか。ほら、熱測って」
差し出された体温計を大人しく脇に挟む。ピピ、と鳴った画面は、先ほどよりも高い体温を示していた。
「疲れが出たんですね。もう若くもないんだから、あまり無理しすぎないでください」
「すまない…」
吐いた息が熱っぽくて自分でも驚いた。乾いてしまった冷却シートが新しいものに取り替えられる。冷蔵庫で冷やされていたのか、額に貼られると冷たすぎてぞくぞくした。
「こういう時は?」
「…ありがとう」
「いえいえ。りんご剥きました。食べられますか」
「うーん…少しだけ…」
「はい」
のろのろと上半身を起こす。白いお皿の上には小さく剥いたりんごが爪楊枝に刺さって並んでいた。
「食べさせてほしい…」
「もう。征君だって一人で食べられますよ」
ずいぶん大きな子供ですね、なんて呆れながらも、爪楊枝の刺さったりんごを黒子は赤司の口元に運ぶ。口を開けてもぐもぐと齧ってはみるものの、あまり食欲は湧いてこない。せっかく剥いてもらったのに、申し訳ないながらも一切れだけ食べ終えて、水を飲んで横になる。こんなに体調を崩すのは久しぶりだった。
「何か欲しいものはありますか」
「家族団欒の時間…」
「早く治したら手に入りますよ」
とんとん、と黒子が赤司の頭を撫でる。少し冷たい手が気持ちいい。移らないようにマスクをして、口元まで毛布を被るけれど、本音を言ったら抱き締めて、久しぶりにキスだってしてみたかった。
九連休のために働き詰めだった身体は、連休初日にぷつりと糸が切れた。疲れからの発熱だろう、と医者である緑間は言っていた。
情けない。何のために働いてきたのだろう。この休みのために必死に働いていたのではないのか。思い描いていた休暇の妄想図が、ガラガラと音を立てて崩れてゆく。
「ゆっくり寝てください。また様子見に来ますから」
「ここにいて」
「そうしたいのは山々ですが、そろそろ夕食の準備しないと」
「デリバリーでもするといいよ。年末くらい、家事は休めばいい…」
「そんなの贅沢です。それを言うなら、征十郎君も年末くらいよく休んでください」
うだうだと子供のように駄々をこねていたら、ドアの隙間から、じっと視線を感じた。短めの赤い前髪が揺れて、うすい琥珀のような色をした左目が、ぱちりと瞬きをする。
「おとうさん、子どもみたい…」
ひょこりと顔だけ覗かせて、息子の征は中の様子を伺っていた。なかなか戻ってこない母親に焦れたのだろう。ところで、いつも寝顔ばかりだったから、起きている姿を久しぶりに見た気がする。
「征君。移るといけないですよ」
「おかあさん、何かお手伝いできることはある?」
「じゃあ、一緒にごはん作りましょうね」
「うん」
「征十郎君、何かあれば呼んでください」
「わかった…」
きゃっきゃとしながら、二人は寝室から出ていく。ドアが閉まって一人になれば、急にさみしさが押し寄せた。
こんなの、なんてことない。同じ家に家族がいる安心感と心強さは、昔の自分にはなかったものだ。なのに、情けないのと不甲斐ないのとさみしいのとで、ふぅ、と大きく息を吐く。頭が痛い。
息子の征は赤司に瓜二つで、黒子のことが大好きなところもよく似ている。それはそうだろう。たまにしか帰ってこないわりに厳しく躾ける小うるさい父親より、いつも一緒にいてくれて、優しい母親のことのほうが好きに決まっている。昔の自分だってそうだった。
もしかしたら近い将来に、「おとうさんとは洗濯物一緒にしないでください」なんて言われる日が来るかもしれない。そして黒子も、仕事ばかりの赤司に愛想を尽かして、「そうですね、おとうさんの洗濯物は別にしましょう。おかずも紅生姜だけで良いですよね」なんて言う日が来るかもしれない。想像しただけで泣けてくる。
頭がガンガンと痛む。寒気がする。目を閉じて、熱い息を吐いた。本来なら今頃、三人でストバス、もしくはドライブ…。久しぶりに家族で食事も行きたかった。連休はまだ始まったばかりとはいえ、治る頃には残り何日になっているのだろう。
貴重な休み、全て家族のために使いたかった。不甲斐ない父親で申し訳ない。テツヤも、征も、こんなオレをどう思っているのだろうーー。そんなことばかりぐるぐる考えていたら、次第に意識は薄れていった。
「征十郎君、生きてますか」
コンコン、と控えめなノックの音と、また天使の讃美歌のような声が聞こえる。
少し眠っていたらしい。ドアが開くと、リビングの方から出汁のいい匂いがした。時計を確認すれば、もうすっかり夕食の時間だった。
「まだだいぶしんどいですか?」
「さっきよりは少しは良い…かな。薬が効いてきたかも」
「よかった。湯豆腐、作ってみたんですけど。食べられそうですか?」
「ありがとう…。いただくよ」
「持ってきますね。待っててください。それから、これ」
二つ折りになった白い画用紙を渡される。何かと思って黒子のほうを見れば、見てみてください、と朗らかに言った。黒子はそのまま、赤司の眠るベッドの縁に腰掛ける。
ぺらりと紙を捲れば、『おとうさん、はやくげんきになってください』 ーーそう書かれた文字の下に、赤い色が大小二つと、水色が一つ。バースデーカードの時と同じ。けれど、少し違う。
「お豆腐を煮ている間に、征君、ずっと描いてたんですよ。でも恥ずかしくなっちゃったのか、おかあさんが渡してって」
あとこれも、と、ポケットに入れていた物を取り出す。赤い折紙で折られていたのは、犬のようにも見えるが、おそらくライオンだろう。それからもう一つ、水色のものは、これは犬に違いない。ひっくり返せば、赤いほうには「おとうさん」、水色のほうには「おかあさん」と書かれていた。
「…すごいな。こんな細かいのが折れるのか、征は」
「ボクのスマホで動画見ながら一生懸命折ってました。かわいいですよね」
思わず二人して顔がゆるむ。手の中にすっぽり埋まるライオンと犬、そして画用紙の中の三人。絵の中の三人は笑っていた。赤司もしかめ面ではなく、スーツでない、二人とお揃いのシャツを着ている。
「ありがとう。すごく嬉しい…」
「征君にも直接言ってあげてくださいね」
「もちろん。治ったら、征の行きたいところ、やりたいことをしよう。すぐに治すから、テツヤと二人で何がしたいか考えておいて」
「ふふ。わかりました。楽しみにしてます」
それから一度部屋を出た黒子は、土鍋の中でくつくつと煮た湯豆腐をお盆に置いて運んできてくれた。熱いので気をつけて、とふうふうして食べさせてくれるオプションまでつけて。
「あ、一つ良いことを教えてあげます」
「え?」
「ボクも、誕生日のカードの時に征君に聞いてみたんです。征君とボクは笑ってるのに、どうしておとうさんはキリッとしてるんですかって」
「ああ…」
「そうしたら、『お仕事してるおとうさんは、いつもぴしっとしていてかっこいいから』ですって。かっこいいおとうさんを見るのが好きだから、征君とボクはにこにこしてるらしいですよ」
「そうなんだ…」
「愛されてますね、おとうさん」
ボクも、征君も、いつも頑張ってる征十郎君のことが大好きです。でも、頑張りすぎないで。ボクたちはいつでもキミの味方ですから。
そう言ってもらえて、思わずほろりと涙がこぼれそうだった。つんとした目の奥を誤魔化すように、口に入れた湯豆腐を、熱い、と言って下を向く。
熱いけれど、あったかくて、幸せだ。黒子と、征と、家族になれて良かった。味方がいるって思うだけで、心はずっと強くなれる。二人のためなら、どれだけでも頑張れる。
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後日、なんとか年を越す前に体調を回復させた赤司は、おそるおそる息子に聞いた。遅くなってしまったけれど、残りの休みの期間で、何かやりたいこと、行きたいところはないか。出来る限りのこと、なんでもやってあげたい、と。黒子には「甘やかしすぎずお金を使いすぎず、ほどほどにしてくださいね」と言われたけれど、普段父親らしいことはこれっぽっちも出来ていないのだ。こういう時に惜しみなく使わなければ、何のために金を稼いでいるというのだ。
けれど征は、少し色の違えた両目をぱちぱちと瞬きしたあと、もじもじと下を向いて、小さな声で言った。「おとうさんに、勉強を教えてもらいたい」と。
「勉強?」
「うん」
「そんなことでいいのか?」
「僕も、おとうさんみたいに頭よくなりたいから」
二人のやりとりを見ていた黒子はすかさず「征君、いつも勉強も運動も一番ですよ」と声を掛けてくれた。それはよく知っている。いつも黒子が教えてくれた。いつも満点の答案用紙を見せてくれること。勉強しろと言ったことは一度もないのに、征はいつも自分から机に向かって、小学生にはだいぶ難易度の高い本を読んでいるということ。おとうさんの背中を見ているから、自分もおとうさんみたいになりたい、と言っていることも。
「…で、二人して何の勉強してるんですか?」
「ん?今日はフランス語だ。征は日常会話の英語はもう出来るようだから」
「……」
「テツヤも一緒にやる?」
「うーん、そうですね、お邪魔でなければ混ぜてもらいましょうか…」
「おとうさん、ここの発音って…」
「ああ、ここは…」
もぞもぞとこたつに足を入れて、淹れたばかりのお茶を飲みながら、黒子はそっくりな親子の姿を眺める。夫のなめらかな発音と、息子の少し舌足らずな発音。よくわからないフランス語の会話はまるで子守歌のようで、ぽかぽかとした気持ちで眠りを誘った。
真冬のリビングはあたたかい。今年も、赤司家はなかよしで平和である。
20250106