【天最】えっちな本を読もうか顔がとんでもなく熱い。冷や汗もすごい。顔はきっと硬直していると思う。
どうしてこんなことを言ってしまったんだろう。
ラブバラエティ。散らばり重なる本まみれの空間の中、知り合いたての彼とどう過ごせばいいのか。緊張の糸が絡まってじわりじわりと真綿のように僕の首を絞め、早く何かを言い放つ必要があった。
親睦を深めようっていうのにそれぞれ黙々と読書をするのは違う。かと言って2人身を寄せ合って本を読むのか?そんなの小学生の頃やったミッケじゃないか。もう子供じゃない。男子高校生でいうミッケってなんだ?…えっちな本か。
そんなわけで僕は言い放ったのだった。すごく焦っていたんだ。男子がくだけた関係になれるような提案っていったら、思いついたのがこれだったんだ。
「最原君も見かけに依らないっすね」
天海くんは笑って、「そういうのはほどほどにした方がいいっすよ」と少しだけ僕をたしなめた。外で下品なことを言って歳上の親戚に注意されている子供みたいだった。
しかし意外にも「置いてあるもんすね」と彼はえっちな本がある棚を見つけてしゃがみ込んだ。AVルームと同じく図書室にも突拍子のない場所に散見された。こういうのは本当に心臓に悪い。
「最原君はどういうの見るんすか?言い出したのはキミっすよね」
天海くんはにこにこしている。試すような態度だった。僕が自分の発言を恥じていることにも恐らく気づいた上で、僕の出方に興味がある様子で。
「えぇっと…」と僕が逡巡していると天海くんがその辺の本を手に取ってパラパラと捲る。そして僕に手招きした。
しかしここで僕は致命的なミスに気づく。僕は今までに誰かとそっちの話題で盛り上がったことがないから、自分の特殊性を忘れていた。あろうことか。
僕は稀に見るオメガなのである。普段1人でする時に観るものだってオメガ向けのマイナーなサイトだったりするし、内容だってベータ男性が観るようないわゆる普通の…女性に対して、こう…するような内容じゃない。アルファに会ったことなんかないし勘だけれど、天海くんは普通なんじゃないかって気がする。
こうなったら、うまく話を合わせるしかない…!
1ページ毎に「へぇ」とか「うわ」とか僕らの声が上がる中、僕には緊張が走った。顔もますます熱くなり、手汗もにじみ出てくる。話題はどんどんディープなものになっていった。
「そうっすね…騎乗位とか、結構好きっすね…」
「えっ僕も…!」
もちろん僕が騎乗する側での話だ。それも想像で。ちょっと食い気味に反応しすぎた気がして後悔する。
「女の子に動いてもらうのいいっすよね」
そう、好きに動けるから自分で良いところに当てられるし、本物がはいっている感覚がどんなものか想像して…やっぱりその、観ていると興奮するんだ。彼と意味は違うけれどとりあえず僕は「う、うん」と返す。
相槌を打つ僕に天海くんが微笑を向けると、珍しく紅潮している気がする。彼も僕と同じで、自分の嗜好をあらわにするのは恥ずかしいんだろうか。親近感と意外性にどきりとする。
「あ、天海くんは経験豊富そうだよね…」
「そんなことないっすよ」
「ある」とも「ない」とも言い切らないのはきっと「それなりにある」ってことだ。
「ぼ、僕は…その…こういうのでしか、見たこと、なくて…」
僕は本で顔を隠しながらボソボソ言った。
「そういうのは人に言う必要ないんすよ」
天海くんが優しいような厳しいような口調で言った。
「そ、そっか…ごめん」
「ふふ、謝る必要もないっす」
普通の男子高校生が性についてどんなやり取りをするものかわからない。僕は余計なことまで喋ってしまったらしく、すごく恥ずかしくなった。けれど天海くんの誠実さを知ることができた気がする。それによって僕は自分の行いを後悔し始めていた。
「あ、あの…」
「なんすか」
「ごめん、僕…嘘ついてた。キミはまた『言わなくていい』って言うかもしれないけど…」
天海くんがじっと僕を見る。表情はないのに、続きを話してもいいとわかった。
「僕、実はその…所謂、オメガで…キミの話にも、本当は違う部分があるのに変に合わせちゃったりしてた…」
「なんだ」
天海くんは納得したような顔をした。
「最原君、経験が無いから話について来ようとしてるのかなと思ったんすけど、それにしちゃ何か引っかかるなって」
「ちょ、ちょっと…!馬鹿にしてる…!?」
むくれる僕を見て、「すみません」と言いながら天海くんはなんだか楽しそうだった。
「でも俺も申し訳ないっす。こういうことに不慣れな最原君が弟みたいで面白くて、つい過激なこと言っちゃったっす」
「お、弟って…僕別に子供じゃないのに…」
恥ずかしくて僕はモゴモゴと文句を言った。けれどここからは肩の荷が下りて、天海くんになら何でも話せるような気がした。
気を悪くしたらすみません、と彼が前置きして、僕に問う。
「ベータにとって相手は『男か女』の選択肢があるっすけど、最原君の場合は『男か女』『オメガかアルファ』、どっちが軸になるんすか?」
彼が「オメガの場合はどうなのか」じゃなく「最原君の場合は」と聞いてくれたのがなんだか嬉しかった。
「うーん…普段は女性のほうを意識しちゃうけど…こういう、えっちなのを見る時はアルファかベータに…その、されてるほうに移入するかも…でも相手は女性も男性もいるし…」
僕はだんだんと尻すぼみになる口元に手を添えた。また顔が熱くなる。
「じゃあ、男か女かも、それ以外も、特に重要じゃないんすかね」
「そうなのかなあ…諦めてるだけかも」
「諦めてる?」
「オメガ男性なんて1番需要ないし…選ぶ権利なんか無いからね」
「それは違うっすよ」
「え?」
「なんか、猥談って元々そんなに好きじゃなかったんすけど、お互いのこと知れるもんっすね。女子にはこんなこと絶対言えないっすけど」
天海くんは茶化して笑っていたが、何かに憤っているように見えた。「それは違う」に続きがあるように思えた。でもそれは今じゃないんだろうなと思った。
「茶柱さんに殺されちゃうね…」
僕も彼に合わせて、ふっと笑った。
その後すぐに発情期が来た。そろそろ来るとは知っていたけれど、もうしばらくは天海くんと会えると思っていただけに、残念だ。
昨夜、最初にベータを公表していた東条さんを頼って部屋ごもりの準備を手伝ってもらった。わざわざ性別を公表する人は珍しい。こういう事態も見越してのことだろう。さすがは一流のメイドだなと思った。体調不良で部屋を出られないことも皆に伝えてもらった。
コンコン、と部屋をノックされる。今日デートをするはずだった天海くんだった。
「おはようございます。最原君、大丈夫っすか」
「お、おはよう。天海くん…ごめん、ドタキャンになっちゃって」
他の人だったら「風邪が感染るかもしれないから」と言って遠ざけるところだけれど、天海くんに偽る必要はないので「は、発情期、来ちゃって…1週間くらい出られないんだ」と言った。
「それは…お大事にして下さい。おさまったら会いましょう」
おさまったら?ベータの人となら発情期中に会っても大丈夫なはずだ。発情期のオメガに近づけない理由って言ったら…いや、まだそう断じるのは早い。発情期なんかの最中に僕が人と会いたくないだろうと考えるのも自然だ。でももしかすると天海くんが?僕がオメガをカムアウトした時には何でもない顔をしてたのに。もし彼がアルファだったら……確固たる根拠もないのに、のぼせる頭の中でぐるぐると彼のことを考えてしまう。だめだ。発情期なんてろくなことがない。借りておいた本で気を紛らわそうか?いや、倦怠感で活字を見る気分にはなれない…。
その夜、僕は「発情期」のひと言で言い表せるような夢を見た。普通の男性で言うところの夢精というべきか、朝起きたら後ろが大惨事になっていてぎょっとした。
夢の中で僕は誰かの細く引き締まった腰にまたがって、アクセサリーのついたたくましい腕を掴んで、ライムグリーンの髪がやわらかくて…って、あれ。待ってくれ。だんだんと記憶がはっきりしてくる。あれは…夢で散々まぐわった彼は。…天海くんじゃないか。一度夢に見てしまうとダメで、誰かとそういった経験のない僕は部屋に篭っている間天海くんのことが頭から離れなかった。天海くん…声だけでも聞かせに来てくれないかな。